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2010年8月

2010-08-31

極東ブログ「フィナンシャル・タイムズ曰く、間違えられた男・小沢」cool!芥川がカンダタを永久に葬ったわけ

 FT(ファイナンシャル・タイムズ)の記事を読むとなんだかすっきりします。批判が上品で、単純な批判に終わらないのが何ともcoolです。が、極東ブログも負けちゃいない(参照)。FTが 「ダンテが語る九層の地獄」とくれば、日本は「蜘蛛の糸」があるわい。と、いうわけでをお笑い地獄にさらに面白さを加えている。もうこうなると、楽しむっきゃない。
 ダンテはウェルギリウスの導きによって地獄の九圏を通って煉獄山に辿りつき、頂上へ近づくにつれて清められて行き、天界へと昇天しますが、蜘蛛の糸のカンダタは、糞根性が悪い。覚えていますか?「蜘蛛の糸」のあらすじ。
 大泥棒のカンダタは、生前の悪事の末、地獄に落とされてしまったが、天上から見ていたお釈迦様は、踏み殺そうとした蜘蛛を助けたことを思い出し、地獄から救い出してやろうと細い糸を垂らしてやるのです。中ほどまで必死にその糸をのぼって下を見ると、他の罪人が糸を伝って登ってくるのに気づき、これでは細い糸が切れてしまうと思って「下りろ」と叫びます。その途端、カンダタのつかまってる部分からプツンと切れてしまったというお話です。もし、カンダタが「気をつけてみんなも登っておいで」と罪人達にそう声をかけていたら、命はどうなっていただろうか。
 カンダタが菅さんだとしたら、地獄の罪人は誰よ?私じゃない。あれは民主党の議員ですよ。と、思ったのですが、その人達を選んだ国民も含まれるのではないでしょうか。そうなると自虐ネタじゃん。
 また、小沢氏については、極東ブログのまとめではこんな風。

フィナンシャル・タイムズは、小沢氏をなるほど多細胞生物(doubtless a multi-celled organism)だと呼び、かつては重要な政治家であったと評価しつつも、外交で何を考えているのかわからないと論じている。内政面でもかつての政局混乱を想起させている。

 確かにどこかでアメリカ人のことを「単細胞生物」と、小沢氏が言ったのが話題になりましたが、小沢氏の外交センスを見たら「多細胞生物」としっぺ返しされても仕方ないというものです。これも笑えるのですが、笑っている場合じゃありません。理由は、そう言われている小沢氏が代表になる公算が大きいのです。国民はというと、どうやら79%で小沢氏を主要ポストに置くなという意見らしい。へー、世論調査があったのか。知らなかった。確かに小沢さんのイメージはよろしくないと思う。
前にもかきましたが(参照)、私が小沢氏は代表になるべきじゃないと思う理由は

 その小沢さんは「国民の生活が第一」とは言うものの、日本の将来のビジョンは何一つ示していません。小沢さんが力を注いできたのは、「政局」に関してではないかと、その足跡を辿ると思います。民主党が野党時代、自民党と連立を組もうとしたり、比例定数削減に向けた選挙戦略を企てたりしてきました。総理大臣になりたい人ではなく、総理大臣を裏で操るのが好きな人物に写っていました。その小沢さんが菅さんと一騎打ちをここでするというのであれば「国民の生活が第一」と言われている言葉の通りになるような具体的な政策の提示が必須です。

 自民党を離党した頃は、大物政治家として尊敬する小沢さんでもあったのですが、野党としての民主党になってからは一匹狼と化して、私利私欲で動いているのではないかと感じるようになったのです。主要ポストに就いた途端に、独裁者に変貌したかに見えたのです。実態の数々もあったと思います。その小沢氏に菅さんは媚(こび)を売る必要はないのに、何故か弱腰。
 79%は小沢➠×。だから、菅さんこのことに気づくべき!!極東ブログがこんなことを言うと直ぐに石が飛んでくるから私が全部言っちゃうけど、菅さんはどっち向いて選挙してんのよぅ!まったくもぅ、です。解散総選挙で菅➠○を何故考えないかな?小沢さんが焦っているように見えるのは、この「王手」を打たれることに恐れているのではないかな。
 経済音痴な菅さんが、国民にお願いして代表をやらせて欲しいと、こっちを向いて頭を下げれば、国民は見捨てないと思いますよ。菅さんは今の土俵で、小沢さんと戦うつもりらしいですが、そうではない。そんな無駄な戦いはやめて、こっちを向くのです。そういう事が分っていないのが全共闘世代の政治家だと言われるゆえんです。いろいろ言われているけれど、小泉さんは、この点においては人気を鷲づかみにしたし、何があっても国民は我慢したし、何よりも政治が面白かった。何故か心地よさがありました。
 菅さん、このままでは糸が切れてしまいますよ。嗚呼、今日は31日か。

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バジルオイルソースで作る冷製ツナスパゲッティー:茹でて和えるだけ

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 今日は、バジルオイルソースを使ってのパスタの紹介です。
 このパスタは、休みの日のお昼ご飯としてパッパッと作ったので、とてもシンプルで軽いです。但し、バジルオイルソースにはしっかり味がついているので、シンプルながらも深みのある味付けになっています。このような料理で伝えたいと思っているのは、手作りソースの作り置きのお勧めと、その活用方法です。先日も末の息子が帰省してきて、急に地元の友達を我が家の夕ご飯に誘って帰宅したのです。思いつきとはいえ、このようなソースがあると直ぐにシンプルなパスタが一品できますし、パスタを主食に肉料理、野菜料理という具合にメニューが決まって行きます。せっかくの帰省なので、手作りのお袋の味というような食事を食べさせたいと思っていたので、出来合いのものは念頭にもありませんでした。

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さて、バジルの花が咲き始めると、葉が黄色くなってきます。来年の種を残す準備に入るのですが、その前に摘み取ってバジルオイルソース(☞レシピ)を作って冷凍保存しますが、今日のソースは、一週間前に作ったものを使用しています。塩辛くない程度の薄味ですが、パスタを茹でる時の塩分もあるので、一人分のパスタに対して大さじ1ほどで和えます。熱いパスタでも冷たいパスタでもソースの分量は変わりませんが、パスタの茹で時間は、冷たいパスタの場合は1分ほど長く茹でます。ボールでバジルソースと缶詰のツナを一緒に和え、皿に盛り付けます。
 今日はツナ缶でしたが、蟹やホタテ、鮭などの缶詰があればいろいろバリエーションを変えると目先も変わってよいと思います。

材料(一人分)

  • パスタ・・80g
  • バジルオイルソース・・大さじ1
  • ツナの缶詰・・50g
  • バジルの葉・・適宜

作り方

  1. パスタを茹でる。冷たいパスにする時は1分長めに茹でる。
  2. ツナ缶の油を切る(蓋を少し開けて斜めに下向きに固定してしばらく置いておく)。
  3. ボールで2のツナとバジルオイルソースを混ぜておき、茹で上がったパスタを流水で締めてから良く混ぜ合わせる。

皿に盛り付けてバジルの葉を添えて出来上がり♪

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2010-08-30

極東ブログについたブックマークコメントから思うこと

 昨日は、久々に腹が立った。その怒りは、極東ブログのエントリーについたブックマークに始まった。人事とは言え、同年代でNetに息づく仲間としても応援している私でもあるので、あのブックマークコメントには些か我慢がならなかったのです。とは言え、ブロガーは自己責任においてブログを管理しているので、エントリーや自分自身に如何なることがあっても自分の責任で解決するというお約束が暗黙にあります。だから、個人的に擁護するような、または、援護射撃するような言葉をかけたりするのは、相手のブロガーに対して失礼に当たると思うのです。ヘタな同情は禁物のようにも思うのです。ですから、そういった意味合いではなく、書き手のテーマに絞りたいと思います。ついでに言うと、極東ブログの管理者は、如何なることがあっても他人に向けてその責を追求するような人物ではないので、擁護などは不要としているでしょう。ここに書くのは、あくまでも私個人の思いです。
 対象のエントリーは
➠菅さん、衆院解散しちゃいなさいよ
➠ブックマーク
➠コメント pompom20 これはひどい, あほか 偏向ブロガーfinalventと、それに同調するブコメが頭悪すぎて笑える。頭の悪い人ほど小沢氏を叩く、という構図が良く分かる。「小沢独裁」なんて言葉を使うのは思考停止の証拠。
➠この人物の当日のエントリー

 ブックマークコメントを発見した段階では、エントリーの内容についてのコメントではなく、書き手と、それにコメントを寄せている読者に対する罵倒でしかない。一番ダメージを感じるのはブログの読者に対する罵倒で、ブログを運営している自分の支えでもある読者にまでこのような言葉を吐かれると、庇いきれないだけに本当に無力を思う部分だと思うのです。自分が言われるのとは違った意味での辛さを感じる部分です。
 書き手の究極の願いとして、何を伝えたいか?ということと、どのように伝わるか?ということが一致しているのが望ましい事です。それが「書く」ということの永遠のテーマというか、書いているうちにどんどん絞られてくるのです。極東ブログは、自分の感情を露に書いて、ストレス発散のためのガス抜きをしているブログでもブロガーでもないことは、読めばわかるとおりです。読み手を意識して書いているのはわかるはずです。つまり、個人的な日記ではなく「読み物」なのです。しかも、日替わりで、話題の豊富さやその質に関しては本当によく調べられている優れた内容だと思います。
 だから悩むのです。読み手にどのように届けるか?書き方や読みやすさなどの手法は様々ですが、そのことよりも何を伝えたいかという点が一番難しい。例えばニュースを取り上げても、そのニュースで何を伝えたいかという的は、ブロガーによって人それぞれです。ニュースは出来事を事実に則して正確に伝えるという公共性の上に立った目的がありますが、ブロガーは自由といえば自由の身ですから、だから自問自答の毎日です。その自問自答の末、読者が減るのか増えるかという結果がついてきます。どうせ書くのなら、多くの人の関心事とするというのも一つの方向性ですが、多くの人の心を掴むようなブログというのは、それなりの心もあるものです。
 その反面、届かない空しさもあります。今回のようなブックマークコメントがつくと、「書くだけ誰にも届かないというか、届く分だけ悪意にも向き合うような疲労感」がずっしり来るのです。悪意を買うために書いたという無駄をやっただけのような疲労感はどうしようもなく、消せないし、どのような慰めも無駄です。何故って、書く事がテーマというか手間だからです。私も少し前までは「書く」ということについて悩みました。今でもそうですが、ある意味では悩まなくなった部分もあります。 最近気づいたのですが、世代的に理解し合うのは不可能の域があるということです。
 ある一定の年齢になれば子どもも大人の考えがわかるようになるものだ、と、私たち世代はそう育ってきました。早分かりする必要はないのだということです。いつか大人になったら分ることなのだと、楽しみだったように思います。大人の話がわからないのは、それは自分自身の未熟さをを思い知る体験にもなったのです。だから、昔理解できなかった小説も、何年も後から読み返すと違った解釈になったり、だんだん理解できるようになるというのもあります。すると、それが大変嬉しい喜びになるものです。
 このようにゆっくり成長してきた私たち世代が、一方でブロガーとして書き手に回ると、今すぐ理解されないということへの恐れは持つ必要はないのではないかと思うのです。むしろ、いつか理解されるであろうその時に、それが普遍の真実であることが求められていることではないかと思っています。
 一昨日紹介のあった、加納明弘、加納建太の「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!」(参照)が、まだ届かないのでNetのブログ(参照)で読んでますが、あの全共闘世代の親父とその息子建太のやり取りからすると、情けないくらい息子は親父さんの話の文脈が分っていないのです。演出的に意図しているのかもしれませんが、実際、親子ほども年齢が違うと、いろいろ行き違いもあるという例でもあります。世代的な格差に加えて、経験や知性、教養の違いは埋められません。分らない方が分ろうと努力を払うほか、方法はないと思います。書き手も、伝わっていないと知れば、そこで伝えるべく書き方の努力はするものの、それでも埋まらない格差というのはあります。
 冒頭に取り上げたブックマークコメントに話を戻すと、小沢サポーターであるというのはこの人のブログを読めば分るとおりで、きっと、小沢批判に耐えられないだけでしょう。それ自体を否定するものでも批判するものでもありません。文脈から、きっと今の日本にうんざりしている一人なのだと思います。そして、強烈な小沢サポーターかな。そこにしがみついて、露払いをして自分自身を守っているのでしょう。それこそが偏向というもので、それは一目瞭然です。また、だからでしょう、極東ブログの該当エントリーの文脈を読まれてもいない。そうやって他人を罵倒して傷ついているのはご自身です。それに気づかずに死に逝く人もいます。お気の毒ですが

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夕顔と鶏から揚げの冷たい含め煮:朝の涼しいうちに作って冷やしておきます

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 「今年最後」だと何度も言いながら作っている夕顔の炒め物です。この夕顔を作っているお宅は一軒だけではなく、畑の両隣と崖お上の畑の持ち主が作っていて頂きました。大きな夕顔があと二本、我が家には転がっています。大好きだからいくら頂いてもいいのですが、ここには「またか」という空気になりますか?と、いうことで目先もどんどん変えます。
 今日の料理法は、久しぶりに鶏のもも肉との蒸し煮です。それも、片栗粉をまぶして軽く揚げてあるので、最後に炒め合わせると、つるんとした食感に仕上がります。夕顔自体が、炒めたりして火が通るとつるんとした食感に変わるので、最初からそのつもりでから揚げにしたのです。夕顔は食感を味わう野菜といっても良いくらい、味には癖がありません。その代わり、どのような味にも馴染みますので、味付けの腕次第では如何様にも変身できると言っても過言ではありません。

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 今日は鶏のから揚げと夕顔に加えて、癖のないエノキ茸を加えました。つるつるした食感が勿論期待するところだっただけに、美味しい中華の組み合わせになりました。料理してから冷蔵庫でしっかり冷たくして食べるので、朝のうちの涼しい時に作っておくと、夕方はとても体が楽です。

材料

  • 夕顔・・700g(皮を剥いて種を繰り煮た状態)
  • エノキ茸・・1袋
  • 鶏・・もも肉(220g)1枚
  • 生姜のみじん切り・・大さじ1
  • 塩・・小さじ1.5
  • がらスープ・・200cc
  • 紹興酒・・大さじ1
  • 胡椒・・適宜
  • 胡麻油・・小さじ2

鶏肉の下味調味料

  • 片栗粉・・大さじ1
  • 紹興酒・・小さじ2
  • 塩・・小さじ1

作り方

  1. 鶏肉の皮の下などの余分な脂身を取り除き、筋切りをして一口大に切り、下味調味料に浸け込む。
  2. その間に、夕顔を3cmの幅の輪切りにして種をくり抜き、皮は白い実の部分を残すように厚めに剥く。
  3. 2の夕顔を4等分した上で半分の厚さにさらに切って水にさらす。
  4. エノキ茸は石突を切り落してアガサを半分に切る。
  5. 揚げ油を熱して170度にし、1の鶏肉を色よく揚げる。※油が静かになるまで揚げる。
  6. 蓋のあるフライパンに炒め油を少量引き、生姜のみじん切りと水気を拭き取った2の夕顔を炒める。
  7. 油が回ったらがらスープを加えて蓋をし、5~6分夕顔が透き通るまで蒸し煮する。
  8. 5のから揚げを加え、さらに肉からとろみが出るまで蒸し煮し、紹興酒、塩、胡椒で調味する。最後にエノキ茸を加えて火を通し、胡麻油で風味をつけたら出来上がり♪

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2010-08-29

 極東ブログ「[書評]お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!(加納明弘、加納建太)」について

AmazonNetShop

 この本に非常に興味を持った(参照)。書評を読み終えて、早く読みたいという衝動に駆られた理由はほぼ同じだと思った。

 昨今のネット時代では、1957年生まれの私なども爺扱いされ、団塊世代とごっちゃにされることがあるが、私はポスト全共闘世代で、それなりにインテリ青年志向でもあったので、上の世代である全共闘世代をいかに否定するかが精神的な課題だった。自分なりに戦後世代の反抗というものの意味づけに格闘した。

 それは、「全共闘世代をいかに否定するかが精神的な課題だった。」の一文に尽きる。戦後世代の反抗とは、では、何をしてきたのか?それも、この書評に書いてある通りだ。これだけだと書くことがない。違うのは、私の場合は、きっかけと育った環境から極個人的な部分でいろいろある。その辺を少し書いてみようと思う。
 私が団塊世代をこの角度で意識し始めたのは、1950年代から始まった日本の高度成長期をたくましく前進したこの世代の起こしたさまざまな社会現象が目立ち始めた頃だったと思う。社会的には落ちこぼれた私だという話はここでもよく話す通り、高度成長期の中にあって、どうしてもこの全共闘世代にはついて行かれなかったというのが私だ。勿論、彼らについて行った同級生も大勢いて、自分の中の矛盾を押し殺していた筈だ。また、非常に生きにくい世の中だと感じて、純粋過ぎる友は自らの命を絶ったという悲しい出来事にも遭遇してきた。傷つきたくはないが、生きなければならない。かといって自分の矛盾に妥協点を与えられないことが愚かでもあり、それが幸せ者なのだと自負する部分でもあるような複雑な思いがいつも胸中にあった。
 全共闘世代が作り上げた価値観は語りつくせないものがある。彼らは、目標に向かってパワフルに前進し、発展を遂げたのは事実だが、これが日本の間違えだった。お金のためなら何でもする。それが成功者たらんとする条件のような勢いだった。物の豊かさだけを追求し、精神面の成長はできなかった。これは今日の課題でもあると思う。つい5~6年前までは、一流大学、一流企業に入りさえすれば終身雇用、年功序列で平穏無事な生活が獲得できるというのが生涯の理想だった。
 昔ではあり得ないことだった保険会社の倒産や一流企業の吸収合併によって、それを目標にすることが無駄だという世の中に変わってきたのだ。これも、戦後大きくなった企業の足腰の弱さからであるため、自業自得のような話だ。
 話は長くなってしまうが、私はとっくの昔にこの一流志向は捨て去っているし、学ぶよりも働きたいのであれば高校だって行かなくてもよいくらい、極端な考え方も持っている。この感覚は単に全共闘世代との格闘や反発ではなく、考えた末の結果だ。が、このような考え方を持つ同世代は少ない。高度成長期にそれなりに巻かれて生きてきた人には、それを疑問にしてこなかった上、将来もそのままでよいと肯定してきたはずだ。今頃になって、だから困っている。途方に暮れて自殺もする。人はみな一人だということと、一人で生きて一人で死んでゆくのだということを問わないできたツケではないかと思う。
 この世代と格闘した頃の私の疑問は、私の母世代を調べる事から少しずつ解けてきた。満州に長く住んでいた両親は、戦争を日本で体験していない。これは、日本で戦争を体験した日本人とは大きな違いがある。また、母は、当時としてはものすごいインテリで、女医になるために勉強をしていたそうだ。私には孟子の教えとか言うものをがんがん入れようとした人物だ。それが良かったのか、私には、団塊世代のあの恐ろしいほどの浅ましさを見抜く力が備わった。変なことは変だと言えた。また、敵も作った。だから、母は、山本七平女版ということろだった。その点はありがたいと感じる部分でもあるが、当時としても、とんでもないこの価値観を譲り受けた私は浮いていた。孟子の「千万人といえども吾行かんと」の精神が、ズバリ入っていたために苦労したのも疑えない。この母にも、後に反発する私になり、冗談ではなく、この本のタイトルと同じように「お袋とサシで話したこと、ある」をやらねばと思った程だ。
 極東ブログの弁ちゃんが、全共闘世代と格闘する理由の第二番目に挙げている「直に全共闘世代から聞くことだった。」ということが、私の問題を難解にした。なかなかそういうチャンスに恵まれず、腹を割って話すというようなことはできなかった。
 世の中のいろいろな現象面は、これまで書いてきたとおり肌で感じてきている。だが、彼らの胸のうちは理解できていない。どうやら、それが語られているのが本書だということらしい。親子の対話形式になっていて、いつもになく沢山引用がある。その一部分だけでも興味深い。早速本書をAmazonで注文したが、Net上にあると書かれている先を覗いて読んでみた。止まらなくなる。一時間近くその場所に釘付けになってしまった。凄いと思った。
 書籍が待ちきれず少しだけのつもりで読み始めたが、これはやはり書籍として手元に置くべきだと思った。この世代が遺す為に語ったという内容の書籍は、おそらく他にはないのではないだろうか。素晴らしい本の紹介に感謝感激だ。

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冷製蟹スパゲッティー ヨーグルトチーズソース

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 残暑厳しい毎日が続いています。朝夕の涼しい風が唯一体が楽な時間で、少しホッとしています。また、今年は、外で鈴虫がよく鳴いてとても和んでいます。
 夕方、ほてった体がどうしても冷たい晩御飯をもとめてしまうので、今日は冷たいパスタにしました。スパゲッティーを冷たくして食べるのは、もしかしたら日本だけかもしれませんが、なかなか美味しいものです。これというのも、日本は、冷やし中華や冷麦、素麺、蕎麦などで、コシのある冷たい麺に親しんでいるせいでしょうか、冷たいスパゲッティーも気になりません。ソースが隅々まで行き渡るようにカッペリーニという極細面が良いかもしれませんが、今日の麺も細い方の部類です。
 さて、ソースはさっぱりとしたヨーグルトベースのチーズ味です。玉ねぎを透き通るまで炒めて、ヨーグルトとパルメザンチーズと一緒に、バーミックスで攪拌しました。玉ねぎの甘味とチーズで深みのある味で、なかなかよかったです。はっと気付いて、作ったばかりのバジルオイルソースを少しかけてみたら、非常に美味しかった!これは、強くお勧めします。

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 このソースだけでも良かったのですが、刺身用のズワイガニの棒肉がこのソースには合うように思ったので添えてみました。蟹というのは高級感もありますが、ズワイガニの足の身は甘味があり、パスタの趣をすっかり変えてくれました。
 ヨーグルトソースは冷蔵庫でよく冷やし、ゆでたパスタを流水で冷たくして和えるだけのスピード料理です。また、私はバーミックスを使用しましたが、ミキサーやフードプロセッサーでも勿論できます。

材料(二人分)

  • プレーンヨーグルト・・250g
  • 玉ねぎ・・140g
  • バター・・10g
  • パルメザンチーズ・・20g
  • 塩・・小さじ1.5
  • ズワイ棒肉・・100g
  • パスタ・・160g
  • バジルソース・・適宜☞レシピ
  • バジルの葉・・適宜

作り方

  1. 玉ねぎをあがくみじん切りにしてバターで透き通るまで炒める。
  2. 容器に分量のヨーグルト、1の玉ねぎ、パルメザンチーズを入れてバーミックスで1分ほど攪拌する。
  3. 塩を好みの分量加えて味を調整する。(ヨーグルトの味によって微妙に違いが出るため)。
  4. いつもよりも1分ほど長くパスタを茹でて水に当てながらしごいてぬめりを取る。
  5. パスタの水気をよく切ってボールに移し、2んぼソースで和える。
  6. 器に盛り付け、ズワイの棒肉とバジルの葉を添え、このみでバジルソースをかける♪

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2010-08-28

「菅さん、衆院解散しちゃいなさいよ」に待った!ポピュリストの最後の足掻き?

 まず、昨日の続きというか、小沢氏について追記しておきたいと思います。
昨日は、民主党代表選に立候補した小沢氏は「この動きになって冷静に菅氏と小沢氏を比べると、大きく違う点は、小沢氏は、緊縮財政指向を否定している点だけかもしれません。」と、他には取り得がないようなニュアンスで書きましたが(参照)、Twitterで流れてきたクリップ記事を見て、小沢さんには他の議員にはない手腕があったのだとはっとしました。

➠【小沢首相になれば事態はどう変わるか】官僚支配を復活させた霞が関も刷新される(日刊ゲンダイ)

小沢出馬に慌てているのは、霞が関の官僚たちも一緒だ。
操りやすい菅首相、何でも聞いてくれる仙谷官房長官、ヒヨッコ同然の大臣たちを相手に、せっかく官僚支配を復活させたのに、小沢政権になれば、再び力関係がひっくり返る。それが分かっているのだ。

 今まで手ぬるいとか、官僚に抱え込まれた菅首相。日銀に何も言えないなどと菅さんも叩かれたものですが、何もできないどころか、日本の政治は民主党によって戦後の自民党に戻ってしまったなどと言われ、実際、マニフェストに反したような結果になってしまった政権です。小沢さんは、このような事態に黙っていたかというと「鶴の一声」は有名な話ですが、なくもない。「泣く子も黙る小沢」のような威厳があり、党内の議員は煙たがっていたようです。それを逆手に取れば強い武器にもなるというのです。比喩があまりよろしくないですが、この小沢パワーは、霞ヶ関でも発揮できるというのがクリップ記事の要約です。出た!小沢大魔神!

ある官僚がこぼした。
「霞が関が一番嫌いな政治家は間違いなく小沢。手ごわいし、官僚の手の内を知り尽くしている。人事にも介入してくる。検察とだって闘おうとしている。幹事長時代はあまり内閣のことに口出ししなかったが、首相になったら、ガツーンとやって、『政治主導復活』を印象づけるでしょう。霞が関は戦々恐々ですよ」
菅首相は、元社保庁長官とか元ロシア課長などいわくつきの官僚まで復権させて、霞が関にコビを売っているが、小沢は違う。従わない官僚はバッサリやる。
埋蔵金を隠す一方で、「景気対策をやる財源はない」なんてホザいている財務官僚や無策の日銀幹部のクビが飛ばされる日が来るだろうから、待ち遠しい。

 この話は本当なのかなと思います。昔の小沢さんは違ったなと思いますが。
こうなると菅さんも黙っている分けには行かないのじゃないかと思って、ニュースを見てみると、日銀総裁白川方明氏との会談の段取りを取り始めたらしいです。

➠金融緩和、日銀に直接要請へ=首相、週明けにも総裁と会談-緊急声明で為替介入示唆(時事ドットコム)

訪米中の白川方明日銀総裁が帰国する週明けにも官邸で会談し、金融政策面での協力を直接求める意向を表明した。

「必要なときには断固たる措置を取る」として、過度に円高が進んだ場合は円売り・ドル買いなどの市場介入に踏み切る考えを強く示唆した。
首相は声明で「日銀に機動的な金融政策の実施を期待する」と強調。白川総裁との会談では、政府が31日に経済対策の基本方針を決めるのに合わせ、日銀に追加的な金融緩和を要請するとみられる。

 この動きは、菅さんのポピュリストたらんとする動きにも写るのですが、これ、マズイっしょ?というのは、今週明け円が急騰してからの白川総裁との会談を電話で済ませただけに終わっています。あの時点で手を打つというのなら分ります。タイミング的には、小沢氏が立候補した直後というのは如何なものかと、パフォーマンスがかりな感じがするのは私だけ?かすら。
 ところで、もっとマズイのが、昨日も引用した「円の神話」(THE WALL STREET JURNAL)の社説の記事での指摘です(参照)。菅さんが日銀を動かすつもりでいると報じている通りだとすると、それは誤りだという指摘がこの記事です(日銀が菅さんによって動くかどうかは別として)。

与党民主党はこれまで円に対し無干渉姿勢を取ってきたが、6年ぶりの為替介入の承認に近づいているもようで、日銀は象徴的な行動を取る圧力にさらされている。また、政府は引き続き予備費を使った1兆7000億円規模の追加景気対策の利用も可能で、一段の景気刺激策が実施される可能性もある。しかし、こうした措置はいずれも誤りだ。なぜなら円相場は経済実態への注意をそらす「煙幕」だからだ。

 この指摘についてはどうでしょう?有名紙の社説だから信用性もありますが、私は現場を知らないのでこの説が何処まで信憑性(しんぴょうせい)があるのかは分りません。慢性化した日本のデフレ下では物価も下がっているため、打撃は思ったほどではないという指摘です。トヨタの例も興味深いです。

円は数十年間にわたって上昇トレンドを続けてきた。まさにこのことが、トヨタのような輸出企業がこれほどの効率性を維持することにつながった。

としています。指摘はさらに続いて、

一方、これよりずっと大規模な日本の国内志向の企業セクターは、円相場の上げ下げにかかわらず、引き続き停滞している。こうした企業を生き延びさせることこそ、実に難しい問題だ。これは為替介入と景気刺激策という得意な対処策を諦め、それに代わって、規制緩和に焦点を絞り、政府規模を縮小し、減税を進めることを意味する

 この指摘は大きなことを意味していると思います。民主党が「規制緩和に焦点を絞り、政府規模を縮小し、減税を進める」が実践できれば、かなり日本は救われるのではないかと思います。
 遠い外国の新聞からもこのような指摘が飛んでくるのはありがたいのですが、菅さんの進む方向はどうも違うように思えてなりません。まあ、もうしばらくの事でもありますが。

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三尺インゲンとにんじんのバターソテー

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 我が家の畑の長ササゲ(フーロー豆(沖縄))の話は以前しましたが(参照)、この長い莢のシリーズで三尺インゲンというのもあります。見た目は長い紐のようです。料理すると、普通のインゲンよりも柔らかくてしゃきしゃきした食感で、甘さが目立ちます。非常に料理しやすく、何にでも合います。長ササゲと何処がどう違うかですが、長ササゲの豆は真っ黒で、三尺インゲンは、小豆色のようです。莢は、ササゲの方が柔らかく、フワフワした感じです。
 ところで三尺って何cm?中国と日本では一尺の長さが違います。日本では尺貫法によって一尺=10/33mで、その1/10が「寸」です。由来は、尺骨の長さがこの長さにほぼ等しいからだと言われています。フィートは、足の長さを基にしていますかから、考え方は同じだったようです。
 さて、三尺インゲンですから90cmがその長さです。実際、畑に種を取るために生やしてある莢はそれくらいの長さです。市販では60cmが限度のようですが、これ以上育つと硬くなってしまうからと聞きました。適当な長さに切ってにんじんと一緒に炒めただけですが、兎に角美味しい。長野の野菜に感謝です。

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 今日は、この三尺インゲンの旨味を一番シンプルに味わえるバターソテーにしました。一緒にいためたのはにんじんだけで、にんじんの個性は、他に影響しないので使いやすいです。但し、にんじんにしっかり火が通ってから塩などの味付けをすると、殆どの味をにんじんが吸ってしまいます。非常に塩辛いにんじんと、味気のないインゲンという風になるので、最後に表面にだけ味付けするように手早く仕上げます。

材料

  • 三尺インゲン・・400g
  • にんじん・・50g
  • 塩・・小さじ1.5
  • 胡椒・・・適宜
  • バター・・15g

作り方

  1. 三尺インゲンは洗ってヘタを切り取り、7~8cmの長さに切りそろえる。
  2. にんじんも同じ長さに切り、短冊に薄くスライスする。
  3. フライパンにバターを落として中火にかけ、インゲンとにんじんを同時に炒め始める。
  4. しんなりしたら塩と胡椒を振って鍋を揺り、味を馴染ませたら出来上がり♪
  5.  

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2010-08-27

極東ブログ「菅さん、衆院解散しちゃいなさいよ」遂に煽り、キターッ!

 今朝、私のエントリーで風を送ったのが届いたというわけじゃないらしい(参照)。小沢票を読むに「ありゃ、小沢さん、勝ちそうだ。ということで、今更、これで小沢独裁アゲインか暗澹たる気分になった。」ということで、むくり。
 数合わせから入りましたね(参照)。そうでしたね。今回は通常の民主党党首の任期が切れるために行われる通常選挙で、代表選挙規則に定められている方法ですね。今まで、異常な代表選挙(首相の途中辞任)ばかりでしたから、ついそのことが飛んでいました。で、極東ブログの数読みはこうなっています。

 小沢さんの自前のグループが150人、これに鳩山さんのグループが50人。これだけで都合200人。民主党所属国会議員は412人。勢いだけで過半数はガチというところだ。
 対する菅さんの自前が40人。前原さんは反小沢派ということでこっちに40人プラス。同じく野田さんの30人。都合110人。小沢さんの半分くらい。
 お残しは許しへん、ということで、他に目立ったところというと、旧社会党の赤松さんとかが30人と、旧民主党の直嶋さんとかが30人。グレーゾーンが都合60人だが、すでに旧社会党のドン・輿石さんが小沢さん支持に回っているので、それほど菅さんの勢力にならない。

 小沢さんの精鋭は160ともいわれていますが、少なく見積もっても150名は固いでしょうから、ここに昨夜ブレた鳩ポッポの50が救いの神だったわけです。それにしても、菅さんの盟友といわれる鳩ポッポってマジ分らない人だわ。と、菅さんも分っているのかな。私たちは、この手の鳩ブレに相当慣らされてきているので、まあ、お気の毒に菅さんです。

 今回の代表選は前回のように議員だけに閉じることはないので、地方議員2382人と、党員・サポーター約35万人も加わる。彼らが国民の声に近いとすれば、小泉政権成立のような民意に近いものが出そうだが、期待薄。
民主党国会議員の1票は2ポイントだが、地方議員は全部で100ポイント。つまり議員50人換算になる。党員・サポーターは300ポイント。議員換算にすると150人。
 国会議員以外が全員菅さん支持に回れば、200人のグループ相当となり、小沢首相を阻止できる。が、それはないでしょう。仮に半々だとしても、小沢さんの勝ち。1対3で割れて、菅さん支持が多ければ、なんとか菅さんに目が出る。無理。

 結局、菅さんは小沢排除的なスタートを切ったことが仇になったという感じですね。それ自体が問題だったのではなく、その意図したことに実をつけられなったお人よし的な憎めない奴的な部分というか。国民にも呆れられてしまったわけですよ。極東ブログの読みも、菅さんにまったく分がないとは言っていませんが、どう考えても無理だと思いますよ。嗚呼(そんなにはっきり言わないでぇ!)
 そして、後にも先にも解散だけが菅さんが唯一決定できる首相の特権なんですよ。

 かくして小沢首相阻止ができるのは、もう菅首相の伝家の宝刀しかない。岩に刺さったエクスカリバーを引き抜く抜くとができるのは、優者だけだ。菅さん、衆院解散しちゃいなさいよ。小泉元首相のように、乾坤一擲、国民を信じて語りかければ、国民は菅さんを支持しますよ。

 そう。小泉さんは勢いだけで演説して押し切っちゃった。あれは、凄かった。国民が惚れ惚れしましたよ。「べえらんめい調」で、国会でも何でも通しちゃう。「首相が一々そんなことにかまっていられない」とか、堂々としたものでした。良し悪しは別として、主婦層のファンを増やした小泉さんでした。菅さんの主婦層人気はあるにはあるけど、ポピュリストとしてのスタンスだっただけに、小泉さんとはちょっと違う。自分の政治姿勢を表明するような理念が空っぽなので。これは、もう国民が見透かしていることなので、「無理」とはこういうことから無理なのでしょう。あれば、自分から解散を宣言して土俵に上がりますよ。そういう点では小沢さんも同等くらいで、あまり政治理念は聞かない。あるとすれば「国民の生活が第一」くらいです。おっと、もう小沢さんは郵便局長会に挨拶回りを始めたようですね(MSN産経ニュース)。亀井さんの兆しかな。

 小沢首相と暮れていく日本の秋。そして冬将軍。どういう風景になるのか。
マニフェスト堅持というのだから、バラマキをするのでしょう。盟友亀井さんが戻って懐かしい歌を歌い上げる。そこだけ見れば、自民党小渕内閣アゲインといった風情で、そう悪いことでもないし、案外亀井さんなら寝ぼけた日銀を動かすこともできるかもしれない。
そして、郵政問題は振り出しに戻る、普天間飛行場問題はも一度ちゃぶ台返し。
 それが希望なのか。上手にすれば「指導力」とかいうポピュリズムでやっていけるかもしれないが。

 何ともとほほな暮れになりそう。一昨年はリーマンショック。昨年末は、小沢さんのカネ問題やら藤井財務相 の突然の辞任騒ぎとなり、国民は二年連続で暮れの餅代の心配ばかりしてきたのです。まあ、ポピュリズムは「指導力」とかいう風にはならなでしょう。化けの皮が剥がれれば元には何もないのだし。
 ぱーっと明るい兆しが見えてきませんね、やっぱり。今年も年越しの餅代の心配で終わりそう。やれやれ。

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民主党代表が交代するとデフレの日本に何が起こるのか

 昨日は、民主党小沢一郎氏が今度の党代表選に出馬表明し、鳩山前首相は小沢氏を支持することを明らかにしたそうです(参照)。おやおや、と言う感じ。このことを受けて、特に新しい話をしようというものではないですが、それにしても騒がしい。一方、極東ブログはとても静か。この辺で何か考察でも明らかにすることはないかなと、目の前がパーッと開けるような光でもあちらから差してはこないかなと期待しているのですが。
 一昨日円が急に高騰し、市場では9000円を割るという株安になってしまい、この中身をよく考えると大問題と言うわけでもないようです。世間が大騒ぎすると言うことだけで危機感や不安がよぎりますが、日本は酷いデフレなので、物価が下がっている状況での円高なので、これを「煙幕」と。ちょっと騒ぎ過ぎかもしれません(ウォールストリート・ジャーナル日本版)。

第一に、円が実際強いのかどうかは疑問だ。日本の何年にも及ぶデフレと貿易相手諸国のインフレを考慮すると、円は15年ぶり高値を引き続き28%下回っている。たとえば、ドル・円相場が1ドル=100円だった数年前に、日本からの輸出品が100円だったと仮定しよう。今、その輸出品が85円で、対ドルでの円相場が1ドル=85円だったとしたら、どのように違うのかということだ。

円が注意をそらす「煙幕」だというもう一つの証拠は、円が景気循環に逆行しているという事実だ。通常、景気拡大に伴い金利が上昇し、従って通貨が上昇する。しかし、日本の場合は、リセッション(景気後退)を受けて、円相場が過熱している。

 ただし、株価などに大きく影響するのが、日本の総理大臣がよもや交代するというような情報です。
 私は、デフレ状況の長く続く中で、国民が喘いでいるこの状況を早く何とかしてもらいたいと思っています。先日の菅首相と日銀白川氏の電話協議も、それに何か意味があったのかと問いたくなるほど中身も実りもない話に終わっています(参照)。また、ここで代表が交代するとしても、それに何の意味があるのか?と疑問になるのです。取り留めのない話になるのですが、このところの動きを受けて、感じていることを書くことにします。
 先日、軽井沢の鳩山別荘に民主党議員が160名も集まったというのが話題になっていました(参照)。映像の一部を見て、大昔の自民党の姿のように私には写ったのです。小沢氏は、故田中角栄の秘蔵っ子としてその意思を継ぐ政治家であることは周知のことですが、やることが兎に角古い。大勢が今か今かと小沢氏の到着を待ち受け、到着と共に大拍手でお迎えし、「気合だ!」と奇声を上げていたのにはドン引いてしまいました。あのパフォーマンスは昔の自民党にはあったように思いますが、あのお祭り騒ぎは、昨日の小沢氏の出馬表明のお膳立てだったというものです。こういう形から出馬するというのが昔の方法なんですよね。
 この動きになって冷静に菅氏と小沢氏を比べると、大きく違う点は、小沢氏は、緊縮財政指向を否定している点だけかもしれません。これまで「鶴の一声」としてなにかと党内の黒幕的存在でしたが、その小沢さんは「国民の生活が第一」とは言うものの、日本の将来のビジョンは何一つ示していません。小沢さんが力を注いできたのは、「政局」に関してではないかと、その足跡を辿ると思います。民主党が野党時代、自民党と連立を組もうとしたり、比例定数削減に向けた選挙戦略を企てたりしてきました。総理大臣になりたい人ではなく、総理大臣を裏で操るのが好きな人物に写っていました。その小沢さんが菅さんと一騎打ちをここでするというのであれば「国民の生活が第一」と言われている言葉の通りになるような具体的な政策の提示が必須です。
 今回の出馬も、「皆さんから応援を頂いて」という古いやり方では駄目ですよ。それが、あの軽井沢のスタートでは、話になりません。また、「政治と金問題」で党首の椅子から退いたわけですし、その問題もまだ未解決であり、強制的に起訴されるような運びにでもなると二の舞になってしまいます。この問題に関して、ご自身が清廉潔白をいくら訴えても黒でも白でもなく、まだグレーなのです。辞任の責任は取ったからお終いだ、ということとは違うと思います。
 「政局の好きな小沢さん」という資質の変革の方が先でしょう。民主党に政権が交代してから、日本の政治は不在なのです。これ、何とかしてください。

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バジルソースにぴったりの豆腐と茄子のソテーにトマトミートソース

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 畑の丸茄子が毎日2~3個大きくなるので丁度いい具合に消費できています。この丸茄子は直径が7~8cmで小型ですが、実が締まっていてずっしりと重たいです。この質感と甘味が油との相性がよく、揚げ浸しによく作りますが(☞レシピ)、今日は、ソテーにして、豆腐と組み合わせました。豆腐の大豆の甘味と茄子の甘味が嬉しい一品です。
 これに合うソースはどうしようかと考えた末、ベランダのバジルを摘み取って、まずはバジルオイルを作りました(☞レシピ)。バジルと茄子は抜群の相性ですが、もっと一般的なのはトマトです。このトマトの酸味を効かせた何かを組み合わせるともっと美味しいんではないかと思ったところで、豚のひき肉とトマトを煮込んだシンプルなソースを、同時に簡単に作ってみました。甘いナスと豆腐に酸味の利いたトマトのミートソースをバジルソースがかっちりまとめてくれます。バジルソースの役割がはっきりした料理になりました。フランス料理的に、料理を部品化した感じです。その個々の部品のどれにも相性のよいバジルソースが必須です。

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 少しこってりとした感じに見えますが、野菜ばかりの組み合わせに少しだけ豚のひき肉がかかっている程度なので、軽いおかずです。
 また、ミートソースは、ひき肉と玉ねぎを炒めて冷凍トマトの皮を剥いて蒸し煮にし、トマトが解けて崩れたら少し煮込んで塩と胡椒で調味します。煮込みながらナスや豆腐を焼くのも同時で、忙しい料理ではありません。

➠お弁当に

材料

  • 丸茄子・・2個
  • 木綿豆腐・・1丁’300g)
  • トマトのミートソース
  • バジルソース・・適宜☞レシピ

ートソースの材料

  • 豚ひき肉・・150g
  • 玉ねぎ・・70g(1/2個)
  • 冷凍ホールトマト・・140g(小2個)
  • 塩・・小さじ1
  • 胡椒・・適宜

作り方

  1. ナスは1cmの輪切りにし、豆腐も同じ厚さに切って水切りをしておく。
  2. フライパンにオリーブオイルを引いて豆腐を並べ、弱火で両面を色よく焼く。
  3. 豆腐が焼けたら引き続き同じように茄子も焼く。
  4. その間に玉ねぎをみじん切りにし、鍋にオリーブオイルを引いて、透き通るまで炒める。
  5. 4にひき肉を加えて色が変わるまで炒めたら冷凍トマトの皮を剥いてそのまま入れ、蓋をして煮崩れるまで蒸し煮する。
  6. 5をよく混ぜ合わせて、煮汁がほぼなくなるまで煮詰め、塩と胡椒で味を調える。
  7. 2の豆腐と3の茄子を交互に皿に並べ、銘々で好みの量のミートソースとバジルソースをかけて頂く♪

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2010-08-26

極東ブログ「ヒストリエ」岩明均:漫画の世界に触れて

 極東ブログで紹介のあった「ヒストリエ」1-6(今明均)(参照)が、存外に面白いという話で早速注文した。これは、歴史ものの漫画です。といっても、まだ私は読んでいません。昨日までに二巻から六巻までが届き、残念なことに一巻が届いていないのです。一巻から読まなくては意味がないし、と半ば諦めて届くのを待つつもりでいたのですが、極東ブログの書評を思い出したのです。一巻の終盤で回想部分のような展開になるという説明を思い出して確認したところ、このようにあったのです。

冒頭いきなりスプラッタなシーンで始まる上、背景となる物語は一巻の終わりで回想シーンに接続するため、スターウォーズエピソード4から1に戻るような印象もあった。

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 えっと、これスターウォーズじゃないんですけどと言っても始まらない、先に届いている中の任意ということで、五巻をとりあえず開いてみた。目次の左ページには、ギリシャ神話などに出てくるようなシーンが一頁を締めている。城壁の外で兵士達が鎧をまとって槍を持ち、「ザッ ザッ ザッ」と行進している。緻密に線が書き込まれた兵士達の盾の影の部分は、金属質を思わせる。凄いな。これは全部手書きによるもの?という疑問が湧いたと同時に、ゲゲゲの女房に出てくる水木さんちのスタッフ、すがちゃんは、「点」が専門だと言っていたけど、このような点を何年も書き続けているのか、と感心したのです。次のページは、開いたページの両方を使って、まるで航空写真でも撮るような位置から前頁の兵士と城壁の内側のたたずまいの様子を捉えている。すげぇ。漫画の中身に入る前に、漫画の絵をまじまじと見たことがなかったので、その仕事の緻密さに感心したのです。
 ここから本文にいよいよだな、とわくわく頁をめくると、殺風景な感じがした。噴出しの言葉の数も少なく、白い部分が結構多い。そして、何よりも驚いたのが、読む順番が書いていない。漫画のコマの大きさも違う上、コマには文章が書いてないのもある。文章が何も書いていないと言うことは、絵を見ろと言うことなのかな。あまりたいした印象のある絵でもないが、そういう「間」に作者の意図はあるのだろうか。また、コマの枠が外れて書かれているシーンが「驚き」などの強調の意味を持っているのだろうか、一際目立つ感じが既に意図された通りなのだろうか。
 Twitterで

「ヒストリエ」見てびっくり。漫画の本て、読む順番は書いていないのね。どの漫画もそう?すげっ。読む技術はハンパない。

とTweetしたら、直ぐに反応があって、こんなことを言われた。

“@kokona86: どう読ませるを考えてコマ割りするのが漫画制作の醍醐味 RT @godmother: 「ヒストリエ」見てびっくり。漫画の本て、読む順番は書いていないのね。どの漫画もそう?すげっ。読む技術はハンパない。”

 なるほど。確かにどう読んでもいいわけだ。枠が外れた部分に目が行ったらそこをまず見て、後から内容を掴むような読み方も悪くはないはずだ。人によって読み方が違うということか。なるほど、面白い。読み方はこっち任せということか、と納得したのです。が、小学生の頃は何よりもこれが面倒臭さの大元で、すっかり漫画読みに疲れたのでした。この歳にして漫画の醍醐味を味わうことになろうとは思いも寄らなかった。
 漫画について先日大告白したように(参照)、私は漫画をまとも読んだことがないのです。ミステリー小説の結文を最初に読まないタイプなので、漫画の読み方も順番に読み進めるのかと思っていたのです。そうか、自由か。だからですね。漫画を読む人の目を見ていると、忙しく動くのはそのせいですね。
 なんだか内容に入る前に、漫画の構成についての全体感を掴んだというだけですが、読む意欲が湧いてきました。水木茂さんが力を込めて書いているというシーンが浮かんできて、読むほうも正攻法で読まねば、と、そう感じて、わくわくしてきました。
 早く一巻が届かないかと待ち遠しいです。

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手作りバジルオイルソース

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 涼しくなってきたせいか、ハーブがちょっと元気よくなってきました。昨年頂いた鉢植えの一本の種が落ちて、自然に今年生えてきたバジルです。今の時期しかないので、年間通して使えるようにするには、オリーブオイルと一緒に味付けしたソースとして冷凍保存します。バジルはトマトに合うというのは常識で、イタリア料理には欠かせないハーブです。

 

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 また、魚介類とも相性がよく、味がキュッと締まります。私は、このソースでよくジェノベーゼソースに変身させたり(☞レシピ)、アンチョビと一緒にパスタにそのまま絡めることもあります(☞レシピ)。冷蔵保存だと十日くらいで使い切るとよいのですが、我が家だと忘れていることもあり、二週間くらい平気です。トーストにスライストマトをのせ、このバジルソースをかけて食べるのもかなり美味しいです。
 先日は、茄子と豆腐のソテーにひき肉のソースをかけ、このソースをかけて食べたのが、めちゃくちゃ美味しかったかったです。レシピ派、後日書くことにします。

 

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 私の味付けはシンプルですが、バジルのオイル漬けとして考えているの基本的に塩と胡椒、にんにくが入っていれば十分ではないかと思います。
 ソースの材料をミキサーに全て入れ、20~30秒攪拌するだけの簡単さです。
 バジルは今の時期だけですが、まだ間に合うと思います。是非お試しを。
 
材料

 

    • バジル・・70g(葉のみ)
    • オリーブオイル・・70cc
    • にんにく・・10g
    • くるみまたは、松の実・・20g
    • 塩・・小さじ1
    • 胡椒・・適宜

 

作り方

 

    1. バジルの茎から葉だけむしり取って洗い、水気を綺麗に拭き取る。

 

    1. ミキサーに全ての材料を入れ、20~30秒攪拌する。

 

  1. できればガラス容器に移してから冷蔵庫で保存する。※冷凍にする時は冷凍用のビニール袋が良いと思ます。

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2010-08-25

finalventの日記:毎日社説に「で、社説終わり。」と

 市場の厳しさというのは、ぼけっとしているところには容赦ないですね。
 今朝のニュースで昨夜の円高のことを知り、なるほどと思いました。週開けに菅さんと日銀の白川総裁の電話会談が行われ、仙石由人官房長官は「緊急にコミュニケーションをとって行くことが極めて重要との認識で一致した。」と説明しましたが、急激な円高で日本の企業は困っていると言うのに、この程度の内容では評価できないと言うものです。このがっかりな内容は、経済対策に立ち向かおうという姿勢ではない。
 当初の合同協議が変更されて電話会談になった時点で期待もあったものではなかったが、このような結果を見て、もはや方法論ではないです。本当に呆れました。 
 ところで、今朝の各紙の社説はいったいどうなっとんのよ?とfinalventの日記のコメントを読みに行くと、さらに毎日社説ががっくりなことになっています(参照)。

➠毎日新聞社説 社説:円高株安 古びた発想から卒業を - 毎日jp(毎日新聞)
 昨晩の83円の速報を知らずに出てしまった社説なんだろうな。面白いが。

日本語では常に「円高」とマイナスイメージで語られるが、英語だと「ストロング・エン」(強い円)だ。通貨価値
上昇は「ゲイン」(利得)とも言う。悲鳴を上げるだけでなく、せっかくの強さを利益につなげる発想を広められないものか。

 まあ、そうでもあるんだけどね。
 産業セクターの全体からみると円高=マイナス要因とはいえない。
 しかし、根にあるのはデフレというか貨幣価値が上がりすぎということな んだが。

 では政府は何もしないでよいかといえば、全く逆だ。与党内、政党間の主導権争いに終始し、規制緩和や社会保障制度改革など待ったなしの課題が置き去りになっていることこそ危機である。日銀に追加金融緩和を迫ったり、為替介入や補助金支給といったお決まりの対症療法に逃げ込むことが仕事だと勘違いしてもらっては困る。

で、社説終わり。
 「規制緩和や社会保障制度改革など」でこの危機が乗り切れるわけないでしょ。

 発想を新たにしても着眼はどうよ?と聞きたくなる内容で、日本の経済対策を語るのに「規制緩和や社会保障制度改革など」で括っているというのは呆れた。毎日新聞て、何か、政府のことにそこまで言えない何かがあるんでしょうか。

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NHK朝の連続ドラマ―「ゲゲゲの女房」より、移り変わる時代―残り一ヶ月

 毎朝観ている「ゲゲゲの女房」の時代も、現在、昭和45年位の設定になっているのでしょうか。今週はは「おかあちゃんの家出」がテーマになっています。いよいよ水木茂さんも売れっ子の漫画家として忙しくなり、徹夜が続いて慌しい毎日です。その水木さんのそっけない態度が、妻である布美枝のストレスとなり、夫婦間に妙な空気が漂っています。
 この時代を小中学生として生きてきた私にとっては、回顧録を見るような懐かしさや再確認して認識を新たに持つような部分もあり楽しんでいます。折に触れては、私が生きてきた時代との比較の話などもここでしますが、どうしても伝えきれないものがあります。日本が今の姿になる直前の、激動の高度成長期にさしかかろうとしている時代が現在放送されているわけですが、子ども達の価値観の移り変わりや差異がよく描けていると思います。当時の私の実生活でのやり取りが、生々しく思い出されるシーンも多く、感慨深いものです。
 少し前の話で、お誕生日に呼ばれた長女藍子の苦悩がありますが、有名漫画家の娘だと学校中に知れてしまい、藍子が茶化されたりします。実際本当にあんな感じです。当時、「青い三角定規」という三人のヴォーカルグループがありましたが(Youtube(Oh最初にレコードのチリチリ音が聞こえる懐かしさ!))、その中の高田さんの妹さんは私の同級生で家も近く、よく一緒に遊んだ人です。彼女のお兄さんを利用して、自分がテレビに出たいなどという考えを持った人もいました。これもテレビの影響で、テレビに出ている人は人気者とか有名人なのだという認識が植え付けられ、表面的なものへの価値観が重視されてしまった時代の瞬間です。子ども達が変わりはじめたこの頃の背景がよく描かれていると思います。テレビがなかった頃の母、布美枝の時代は、のっぽを茶化されたように、身体的な何かが茶化しの対象だったりしたのも、子どもの辛辣で残酷な部分ですが、いずれにせよ、子どもの中では必ずいじめのようなことはあったのです。
 また、物が溢れている今の日本からは想像もできなほどの貧しい暮らしの家庭もあり、そういう家庭の子どもは、別の意味でいじめにあっていました。当時の学校の先生というのは、子ども達と遊ぶことが多く、休み時間には一緒に汗をながして追いかけっこや「ドン」という遊びを本気でやったものです。身近だったこともあり何かと先生に相談したものです。また、先生も異変に気付く機会に恵まれていたと思います。何かでバレて、いじめがクラス全体の問題として取り上げられ、学級で話した記憶があります。貧しい家庭の子どもが何故いじめにあったかと言うと、誰かの持ち物がなくなると、そういう家庭の子どもが最初に疑われるのです。それをきっかけに徒党を組んで「わーいわーい、お前のかあさんデベソー」と始まるのです。ゲゲゲの女房では「ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ~♪」でした。そうは言っても、教師が子どもの目線で関わったあの時代はまだ良かったと思います。
 放送は、あと一ヶ月を残すばかりとなりました。「つばさ」に続いて昭和からの時代の流れをたっぷり楽しむことができたなぁと思います。ドラマの出来栄えやセットがリアルではないとか、批判も様々ですが、そういう観点よりも、時代の移り変わりで見える日本の生活や人々の暮らしを掴むチャンスにすると良いと思います。それによって、今の日本に起こっている社会問題の背景も見えてくる気がします。人が人らしく生きた時代の最後の時期を映し出し、何かしらの問題提起としてゲゲゲの女房が見えてくるようです。

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冷凍絹莢エンドウの方法と料理別の解凍方法:ベーコンエッグ

 私は、冷凍の野菜を買ったことはなく、いつも猿真似でトウモロコシやトマト、ブロッコリーなどが沢山あるときにだけ自分で冷凍します。Netを覗くとそれなりのサイトもあって冷凍方法も簡単で分りやすく説明されています。ですから、ここであえてその方法を書こうと言うものどうかと思いますが、どこを見ても、方法には触れていますが、実際にその冷凍食材を使って料理をするところまではないようです。今日は、エンドウのような豆類の冷凍方法と、それを使ってバター炒めを作ったものを紹介します。

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 絹莢エンドウは、色と食感が命の野菜ですから、どんな料理に使っても冷凍だと思わせないように気を配ります。エンドウのような莢つきの豆類の冷凍方法です。今出回っている枝豆などもこの方法だと、全く冷凍だとは思えないほど新鮮パックできます。
 まず、ぐらぐらに沸騰したお湯に2%になるように食塩を加え、筋を取り除いたエンドウを30秒茹でます。笊に上げ、できるだけ広げて団扇で扇いで冷まします。表面の水分は飛んでしまうので、冷めたら広いバットに広げて冷凍します。しっかり凍ったら冷凍保存袋に納めて冷凍庫で保存します。美味しく食べられる保存期間は2~3週間ですが、一ヶ月以上経っても状態が良いと持ちます。状態が良いというのは、しょっちゅう開け閉めして温度が不安定であると、少し解けてはまた固まると言うのを繰り返すので、野菜から水分が抜けて袋の中に氷ができてしまいます。炒めても茹でても美味しくないです。

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 料理する時には、食べ方によって違います。炒める場合は、凍ったまま強火で炒めます。サラダなどの場合は、さっとお湯にくぐらせるだけです。また、肉じゃがなどの彩には、凍ったまま最後にのせて火を通します。
 今日は、バター炒めにして、塩コショウで味付けしたソテーにしました。ベーコンエッグの付け合せです。

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2010-08-24

極東ブログ「王妃オリュンピアス―アレクサンドロス大王の母(森谷公俊)」について

 まじっすかっ!漫画本の前に歴史書で指針を掴めという指令が出た。というか、これは漫画に対する私の偏見で、冒涜ですね。最近あっちこっちの有名ブロガーが漫画本を推奨しているというのもたまたまの話ではないようです。結構内容があるらしい。

王妃オリュンピアス―アレクサンドロス大王の母(ちくま新書)

 昨日のエントリー(参照)の影響で、私にとっては飛躍的な進歩をしたと、注文した時点で既にそう思って満足でした。昨日も話したとおり(参照)、私は漫画が苦手なのです。内容をどうこうよりも、「漫画を読む」という肉体的感覚すらシュミレーションしていないのですよ。でも、紹介があってから、この漫画を読んだという多くの人の声をTwitterで聞きました。面白いとも話していました。

 昨日のエントリで扱った「ヒストリエ」(参照)に関心のある人なら、今後の展開の指針ともなる部分も多く、かなり興味深く読むことができるだろう。この機に再読してみると、「ヒストリエ」の著者岩明均氏も本書を読んで得た着想がありそうだなとすら思った。

 こうなると乗りかかった船なんで、一緒に面倒見ないと駄目そうですね。と注文をまずして。

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 内容紹介の部分で面白さとして触れているのは、歴史に疎い私でも知っているという、オリュンピアスの夫暗殺疑惑です。夫フィリッポス二世は、娘のクレオパトラの結婚の祝宴でパウサニアスに暗殺されたとしていますが、この黒幕に妻のオリュンピアスがかかわっているという場面は、昔のアメリカ映画だったかで何度も見て知っている部分です。ちょっとNetで探した感じだと、私が大昔に見た映画よりも新しいもので、「アレキサンダー」という映画が2004年に公開されたようです(参照)。レビューの一部にオリュンピアのことはこう書かれています。

紀元前356年、フィリッポスと西方の王国の出身である妻オリンピアス(アンジェリーナ・ジョリー)の間にアレキサンダーが生まれる。彼が物心ついた頃には既に、父と母は激しく争っていた。大酒を飲んでは男女構わず手を出す粗暴なフィリッポスを嫌悪していたオリンピアスは、快楽と狂気の神ディオニュソスへの崇拝に魂を捧げ、世界の頂点に立つという野望を息子に注ぎ込むのだった。

 しかしながら、紹介の本書ではオリュンピア暗殺説を否定しているらしい。へー。と、思ったのは、妻の夫暗殺を疑った方がストーリーになるからというのと、扱っている映画も大抵はそういう筋書きになっています。この大酒のみの女ったらしな夫は、妻に殺されても仕方がないということを肯定的に見たほうが無難なのです。ところが、その辺の書き方がちょっと小粋な書き方になっているらしい。
 私は、映画を見てしまっているのですが、おそらく歴史書の方が丁寧に文字で追うことができそうです。画像と言うのは、見ている時の印象がその場限りなので、詳細は飛んでいます。歴史書はその点、新鮮かもしれません。
 昨日は、この歳になってマンガの手解きを受けるのかと思ったのですが、その指針のために歴史書を読むことになろうとは、とほほです。
 なんせ歴史には疎いので、文句は禁物です。黙ってついて行きましょう。

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真鱈の使いきりレシピ:から揚げ:鱈子とアラの煮物

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 秋刀魚が不漁で、困った困ったとニュースで連日報じていますね。海水温度の影響だとNHK解説委員が話していましたが、秋刀魚は秋よりも夏の今頃が美味しいのに、と、ぷんぷんしても仕方がありませんね。ないときはないで、あるのもで料理をするしかありません。

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 ちょっと大きいとは思ったのですが、50cmくらいの真鱈です。頭も大きいし、尾びれに向かってガクッと身が細くなるのでまあいいかと買ってきました。それにしても大きくて、子持ちでした。鱈の子持ちには思わず得をした気分になります。ここで早速鱈子を煮る事にして、中骨に心持ち厚めに身をつけて下ろし、アラ煮を作ることにまず決めました。身の方は、たっぷりあるので、から揚げにし、余ったら餡かけや醤油を絡めて煮ても良いかと計画しました。

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鱈の表面の鱗を下ろし、頭を切り落したら内臓を引き出す。鱈子は皿などに取り置き、三枚に下ろす。骨は適当な長さにぶつ切りにする。ここで酒、醤油、砂糖を煮て沸騰したら中骨と鱈子を並べ、落し蓋をして煮汁が半分になるまで煮付ける。下ろした身は、斜めに2cm幅で削ぎ切りにする。水分を吸い取って片栗粉を刷毛でまぶす。その頃には煮つけが出来上がっている。
 と、まあ、こんな感じに料理は流れるのですが、割とスムースに運んでしまいます。先日もコメント欄で、「包丁をよく研ぐ」ということに触れられていましたが、鱈のような滑りやすい魚の場合は特に包丁の切れ味が決めてになります。また、切れない包丁は、無駄な力を必要とするので指を切りやすく危険です。

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 から揚げの鱈のタレは、タイ産のSweetChileSauceやレモン汁をかけるだけも十分ですが、美味しい塩(参照)と胡椒だけでも美味しいです。特に夏場の塩は美味しく感じます。冬にはあまり味わうことのない感覚ですが、それだけ塩分を必要とする体調なのだと思います。しっかり塩分の補給です。

材料

  • 真鱈・・1尾
  • 片栗粉・・大さじ1.5
  • 揚げ油

煮汁の調味料

  • 醤油・・30cc
  • 酒・・30cc
  • 砂糖・・小さじ2

作り方

  1. 上記の「▶」部分のようにして鱈を三枚に下ろす。
  2. 鍋に煮汁の調味料を合わせて中火で熱し、煮立ったらアラと卵を並べて落し蓋をする。
  3. 煮汁が半分くらいになったらそのまま冷ます。
  4. 下ろした二枚の身を2cmくらいの幅で斜めにそぎ切り、軽く塩を振って10分おく。
  5. 水気を吸い取って片栗粉を刷毛でまぶし、180度の油で色よく揚げる。
  6. 野菜と一緒に盛り付ける。

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2010-08-23

極東ブログ「[書評]ヒストリエ 1-6(岩明均)」について

   ううう。歴史が好きな人は、アレキサンダー大王のギリシャ出兵の話などはもりもりに盛り上がるのでしょうね。と、なんとなく他人事のような言い方になってしまうのですが、私は、まだまだ歴史が面白くなる途上です。それに、今まで言及したことはないと思いますが、漫画が苦手なんです。今、NHKの朝ドラの水木茂さんの「ゲゲゲの鬼太郎」だってまともに読んだことはないのです。絵と文字を追いかけながら、皆よく読めるものだと、いつも感心したものです。
 読むのが凄く遅くて駄目。漫画の読み方って、特殊技能みたいですね。漫画読みの早い人の目を見ていると、ものすごい速さで飛びますが、ストーリーを追いかけながら擬音語(擬声語)を見て状況を想像しながらその頁の最後の部分と真ん中のストーリーをきちんと繋げられるのですよね。あれが凄いと思ってその目の早さを見ていました。
 で、今日紹介の漫画の歴史本(私の呼称)は、六巻もの(参照)。というか、20巻くらいまで、年に一冊ずつ発行されるような話になっているそうです。だから、生きている間に全部読破できるのかな?っていう疑問も出てきて当然。我が家の息子達も、「名探偵コナン」「スラムダンク」「・・・」いろいろ取り揃えていますが、全巻並んでいると壮観な眺めでもあります。一巻ずつあれも書かれていたので、まとめてどかーんという事ではないのでしょう。揃っているのといないのでは全く歴史の重みが違います。何年もかかって書かれた大作なのでしょう。

ギリシャ神話 トロイアの書

  いろいろ言っていますが、内容にはとても興味があります。「ギリシャ神話 トロイアの書 斉藤洋」も、極東ブログお奨めの子供向け童話で(参照)、と言っても、確かに素晴らしい内容の本でした。船は、この船を漕ぎ出したと言うものです。この歳になって漫画の手解きを受けることになろうとは思いも寄らなかったことです。
 ちょっと余談ですが、私がしつこいくらいに極東ブログを追いかけているのには、ある理由があるのです。その理由は兎に角、そう決めてずっとエントリーを読み込んできました。結果(まだ途上ですが)、ここで言えることは、決めた以上好き嫌いは言っていられないのです。例えば、エントリーの内容が苦手だったり関心のないことだったりしてもパスできないのです。決めたのだから。それくらい自分を縛り付けないと苦手克服はできません。Netは便利なので、好きなことや関心事だけ拾っていても良いわけです。でも、私のような中途半端な学習をしてきた者は、これくらい厳しさがないと先細ってしまうのです。これから先、もっと人生が楽しめるように肥やしていかないと、と思えるようになったのです。これはあくまでも、やってきた結果論ですが、一石二鳥という事です。
 さて、だから、ママは頑張って漫画を読みますっ。 

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困ったことに

 このところ買い込んでいた書籍を読み終え、目の前にあったいろいろなことが少しずつ片付き始めている。することを探す時は自分が生きているという跡を残さないといられないということだと思う。誰も皆そうなんだろうか。
 「開放」という言葉は、酷く傷つく言葉だと思った。まるで飼い猫を家に閉じ込めていたかのような、その猫が逃げ出す隙を狙っていたのを「知っていたよ」と言っているような、そんなふうに感じた。
 昔飼っていた小さな犬が、玄関のドアーが開いた隙に庭に出たまま行方が分らなくなったことがある。逃げたのではない。庭で用足しをする習慣から、ちょっと出ただけだったと思う。犬が外に出たことに気付かずに玄関のドアーを締めてしまい、そのまま犬は外に置き去りにされた結果、どこかへ行ってしまった。しかも、その家は犬が飼われいた家ではなかった。たまたま遊びに行った先の家で、犬にとっては始めての家だった。
 それから四年ほど経って、その犬を拾って飼っていたという人物から犬が戻された。よろよろしながら歩くその犬は、もう寿命でもあったと思うが、それにしても美しかった毛並みの面影はなく、まるで薄汚い綿を丸めたような姿で、眼球は傷つき、見えていないようだった。名前を呼ぶと反応した。自分の名前を呼ばれることは四年間一度もなかったはずだが、その痛々しい姿から放浪の厳しさを教えに帰ってきたのかと思った。10日後に、静かに死んだ。たまたま弱りきっていたところで戻ってきて、飼い主の私のところで死んだということだろうと思ったが、あまりにも偶然が重なり、因縁を思わないでもなかった。
 生き物の最期をみとるのはもう嫌だと思い、あれから犬は飼えなくなった。よくよく考えると、それは、生き物を飼って自分の慰めにするのはもう沢山だと言う思いからだということに気づいた。とはいえ、人が生きることや死を認めるためには、虫や動物の生態やその死に遭遇することは大切なことだ。ペットを飼うということは、確かに癒されるし、気持ちも和む存在だ。ペットというのはそうやって生きていれば良いのかもしれないし、死んだら代わりの犬を宛がえば良いだけかもしれない。そのようにあっさりと考えれば良いだけではないのか、と、そうも思いながら、生き物が可愛いだけに心で葛藤する。誰かが私に犬をあげたいと思っているということを聞いて、嬉しい反面困惑している。
 どちらかというと、慰め物にしたくないという気持ちのほうが強い。不憫でならない。昨年のことだが、とても印象に残っているコメントがある。まあ、人間がどれほど自然を破壊してきたかというと、無意識の罪と言うことを考えさせられた。

いつも不思議だと思うのだが、万物に八百万の神とか自然に親しみとかいうけど、その自然がこの数日どんなに荒れ狂って人間を殺傷しているのか、というか、普通に人間の営みというのが自然に向き合うことだという認識がぽかんと欠落する人はどうなんだろ。というか、八百万の神が荒れ狂っているとでもいうのだろうか。普通に人間存在というのが反自然的であり、その分人間は自然の過酷さに向き合って生存してきたのに。(参照)。

ぬいぐるみを檻に入れられて そういえば昔読んだペーパーバックの「They Cage the Animals at Night (Signet)(ぬいぐるみを檻に入れられて)」という本を思い出した。初めから最後まで泣けてどうしようもない内容なのだが、好きな本だ。
 施設で預けられて育った男の子が、その施設を「檻」のように思うことと、大切だったぬいぐるみの存在とが重なる。男の子の語り口は飾り気がなく、施設の人間関係を率直に子どもの見たまま語っている。恵まれない生涯にも関わらず、悲しみや寂しさをひけらかさないのが子どもらしく、それだけに心を揺さぶられる。確か日本語版は暮らしの手帖社から出ていたと思う。

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ジャージャー麺風冷たい中華ソバ:野菜沢山で肉味噌をかけるだけ

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 物を咬むのも億劫になるくらい暑いです。隣の岐阜の多治見あたりは日本一暑い場所だとか言われていますが、あちらも山あり谷ありの土地柄だと言うのに、標高差だけでこうも気温の違いがあるのですね。諏訪のこの辺の人達は、いつもの年と違って、お盆過をぎても涼しくならないので疲れ気味です。冬の寒さが恋しくなります。
 今日も冷たい夕食です。続きますが、今日は麺だけ冷たく、肉餡は温かさが少し残る程度で、混ぜ合わせると食べやすいです。一品料理として栄養バランスがよくなるように野菜を取り入れて、麺の上に沢山トッピングしました。どちらかというとお昼のメニューのようですが、OnePlate料理は楽チンです。ここへ来てバテないように労力もセーブ気味にしています。

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 麺は、市販の生麺を使っています。袋の通りに茹でて水で締めた状態です。餡は、コクをつけるために豆鼓をきざんで生姜のみじん切りと一緒に炒めてから牛肉を炒め、肉がほぐれたら紹興酒で解いた赤味噌を加え、豆板醤で辛味をつけます。肉餡には生姜以外は何も混ぜ込みませんので、麺にトッピングする野菜を工夫して、彩りを楽しんで食べならが知らぬ間に栄養も補給できるというのがミソです。作る側は、肉餡を炒めるだけなので非常に楽チンなお料理です。

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 ついでに、暇があるときに作ると重宝するのが甜麺醤(テンメンジャン)です。私は沢山作り置きますが、この甜麺醤と肉を炒めて「肉味噌」☞レシピを作り置く場合もあります。

材料

  • 中華生麺・・3玉
  • ピーマン・・大3個
  • 大葉・・適宜
  • 茗荷・・適宜
  • 牛ひき肉・・150g
  • 生姜・・1片
  • 豆鼓・・10g
  • 赤味噌・・30g
  • 醤油・・小さじ1
  • 紹興酒(なければ日本酒)・・50cc
  • 砂糖・・小さじ2
  • がらスープ・・200cc
  • 片栗粉・・大さじ1(+同量の水)

作り方

  1. 中華生麺はほぐして袋の通りに茹で、水で締めて皿に盛り付ける。。
  2. しょうがを微塵きりにし、ぴーまんは種を取って縦に細い千切りにする。
  3. お湯を沸かし、ピーマンを30秒ほど茹でて笊に上げ、冷めたら麺の上に広げる。
  4. 大葉と細く切った茗荷も同じように麺の上に乗せる。
  5. 豆鼓を細かく刻む。
  6. 小ボールで赤味噌、紹興酒、醤油、砂糖、がらスープを混ぜる。
  7. 鍋で生姜のみじん切りと5の豆鼓、ひき肉を炒め合わせる。
  8. 牛肉の色が変わったら、6の合わせ調味料を加え、煮立ったら水溶き片栗粉でとろみをつけ、4の上にかけて出来上がり♪

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2010-08-22

私には評点がない

 私は、老夫婦の家に来ている。老人でも食べやすいように柔らかいパンを焼いてほしいと頼まれて、焼きあがったパンを届けに来ている。ついでに家の手伝いをしてほしいと言われ、「そんなことは簡単なことだから」と、引き受けるのだが、それが上手くできない。助けを呼ばなくては一人ではできないと思っていたら、丁度窓の外を知り合いが通りかかり、窓を開けて呼ぼうと思ったが、その窓が開かない。自分にできることは何一つないのだとがっかりするが、そのことを老人には言えない。言うと、今後何も頼まれなくなることを心配する。でも、だからと言って、頼まれた簡単なこともできないでのはトリビアルになってしまう。本当のことを言った方がいいか、どうしようか悩んでいる。
 この辺で目が覚めた。にもかかわらず、起きてもその悩みを引きずっている現実もあることに気付き、夢だったのかどうなのか半信半疑の状態だった。覚醒していないような状態だった。
 そういえばと思い出したのが、昨夜、自分自身の評点がないことをぼんやり思っていて、そのこととつながっているのかもしれない。
 社会的には落ちこぼれたんだなと思う私でも、多少「自信」というものがあって、それが少しでもあることで日々もあった。他人からどう言われようとも、自分さえ間違っていないのならくよくよしないで堂々としていればよいというような自信と、自分自身をある程度評価した上での自信があったように思う。思い出したが、朝ドラのゲゲゲの女房で竹下景子扮する村井絹代さんが、孫を励ます時に言っていた「千万人といえども吾行かんと」という孟子の教えは、実は私の母も私にそうよく言っていたものだ。因みに、正確には、

昔者(むかし)曾子、子襄(しじょう)に謂いて曰く、子(し)、勇を好むか。吾嘗て大勇のことを夫子に聞けり。自ら反みて縮からずんば(なおからずんば)、褐寛博と雖も吾惴れ(おそれ)ざらんや。自ら反みて縮ければ(なおければ)、千万人と雖も吾往かんと。孟施舎の気を守るは、また曾子の守り約なるに如かず。

「あなたは勇気を愛するか?私は昔、孔先生(孔子)にお尋ねした。[大勇とはどんなものでしょうか?]と。孔先生をおっしゃった。[自分で反省してみて、自分がまっすぐでないと分かったならば(自分が正しくないと確信できたならば)、相手が毛織のだらしない衣服を着た卑しい人間でも恐れないわけにはいかない。自分で反省してみて、自分がまっすぐだと思ったならば(自分が正しいと確信できたならば)、敵が一千万人であっても私は堂々と相手をするだろう。]」と。こう考えると、孟施舎の気の守り方は、曾子の簡潔で的を射た守り方に及ばないのである。

 これは、言うほど簡単ではない。自分以外の全ての人間が敵になっても自分が正しければ堂々としていられるかという場面は、子どもの世界には実際あることだ。勇気を試される言葉でもあり、自分を省みる言葉でもある。が、なぜか、この言葉は私に入っている。だからじゃないか、この古臭い慣習のある田舎でも逃げ出すことなく今があるのは。
 そして、評点のこと。これは昔は私にもあった。自分自身の合格点のことだ。どんなに自信がなくても、それでも、これはできる。これはできないけど、こっちならできる。というように可変的な合格ラインでも、それでも合格点をある程度自分に与えられたし、そのお陰で自信をつけられた。些細なことに挫けても立ち直ることができた。
 それが、ある時から自分を評価するようなことをしなくなった。いつごろから意識しなくなったのか思い出そうとするのだが、ちっとも記憶が出てこない。他を意識する必要がなくなったと言うことは、もしかすると結婚後で、そのどこかのいつかだろうか。
 昨日、このことをふと思い出して、今の自分が他を満たすことはできるだろうか?と思った時、私に評点がないことに痛みを伴った。きつかった。他を満たすに当たって、合格点が出せないという、なんとも情けない現実が見えた時、今までのこの元気は仮想だったのだろうかと疑った。急に心細くなった。
 さっき見た夢は可笑しな夢だが、何とか自分に自信をつけたいという願望が滲み出たのだろうか。

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茄子と豚肉の味噌炒め

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 さて、今日も冷たい炒め物です。器もガラスにして、それなりに涼しげに演出をします。茄子と豚肉に味噌が絡まって同化してしまいましたが、茄子は皮を剥いて最初に炒めてあります。
 この炒め物の特徴は、肉が厚切りでボリュームがあることです。どうも薄切りの肉は「出汁」のためのような気分になりやすく、もっと存在感があって食べ応えがあったほうが良いと思っている現われです。
 そういえば、先日息子が友人を連れて帰省した時に、好き嫌いの多い友達が、南瓜は好物だと聞いて、一品くらい好きな食べ物でもと思って作った南瓜の煮物にも厚切りの肉を入れたのです。そして、「肉の存在感が最高でした」と褒められたのです。やはり思うことは皆同じだなと思ったのです。大きな肉って嬉しいものです。そういうわけで豚肉は肩ロースを使用。脂身も程よく混ざっているのでコクがあって美味しいです。

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 手順は、肉に味噌が良く絡むように、いつもの如く軽く片栗粉をぱらぱら振ってから、肉だけ低温で火を通します。ジュージュー焼きません。フライパンに広げた肉の上部に肉汁が浮いてきたら裏返し、肉全体の色が変わったら取り出します。同じフライパンで皮を剥いた茄子を炒め合わせ、玉ねぎを加えて最後に肉を戻しいれたら味付けをします。

材料

  • 茄子・・大3本(300g)
  • 玉ねぎ・・1個
  • 豚肩ロース厚切りスライス・・180g
  • 生姜みじん切り・・大さじ1
  • 大葉・・適宜
  • 片栗粉・・小さじ1
  • 信州味噌・・大さじ2
  • 砂糖・・小さじ2
  • 醤油・・小さじ2
  • 酒・・大さじ2

作り方

  1. 豚肉は三等分くらい(一口大)に切って広げ、片栗粉を両面にぱらぱら振る。
  2. フライパンに油を薄く引き、1の豚肉を広げて弱火でゆっくり焼いて取り置く。
  3. 小ボールに味噌以下の調味料を合わせておく。
  4. 豚肉を焼いている間に茄子の皮を剥き、生姜をみじん切りにして玉ねぎは1cmの櫛型に切る。
  5. 同じフライパンに少し油を引き、生姜のみじん切りと茄子を炒め、茄子がしんなりしたら玉ねぎを加えて炒める。
  6. 豚肉を戻しいれ、全体に馴染むように炒め合わせたら合わせた調味料を加えて蓋をし、蒸し煮にする。
  7. 皿に大葉を広げて炒め物を盛り付ける♪

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2010-08-21

極東ブログ「日本経済成長鈍化・進む円高、フィナンシャル・タイムズの見立て」について

 このところ、私は政治の話をあまりしなくなった。ニュースはそれなりにクリップしているが、この先日本はどうなるのかと言う展望も希望も持てないし、政府に期待など全くしていないという状態で、関心が遠のいていた。これもよくないとは思っていた矢先、久しぶりに極東ブログがむっくり。何の話だろうかと思ったら、民主党内のブレやレイムダックな菅さんの話から始まっていた。それにしても、なんだかとても上品にまとめられていて流石だな、と思った(参照)。

Lameduckpetar

 ファイナンシャル・タイムズの記事が少し刺激でも与えてくれるのかなという期待もあったが、どうもその元気がないようだ。上げたり下げたいというほどでもないが、後からぼっこり腫れて来る蚋(ブヨ)に咬まれたような効き目がくる感じでもあるのかな。
 ところで、「レイムダック(lame duck)」と菅さんを呼ぶようになったのは弁ちゃんが最初だと思うが、あまり流行しないなぁ。この言葉って、菅さんには凄い称号だと思って私は賛美しているのに。
 さて、そのファイナン・シャルタイムズの見立てだが、「結論から述べると、フィナンシャル・タイムズは、日本の経済鈍化の理由を、内需志向転換できない構造に見ている。」として、いくつか引用されている。このファイナンシャル・タイムズの記事は、先日今年の第二・四半期の国内総生産GDPの発表を受けて書かれた記事だ。伸び率が低く、経済成長率が急速に鈍化しているという内容だった。

16日に内閣府が発表した、今年の第二・四半期の国内総生産(GDP)速報値では、実質GDP(季節調整値)は前期比の0.1%増だった。年率換算では0.4%増となる。かろうじて輸出で持ちこたえているものの、日本の経済成長率が急速に鈍化したことが明らかになった。

年初ころには年率2%の予測もあったことから、日本経済の失墜の兆候として同日には株価も落ち込み、9000円を割るかとも思えたが、その後は少し持ちこたえている。が、円高も進んだため、今後の輸出の展望も開けない。

で、いきなり結論から言ってと、こう始まっている。

結論から述べると、フィナンシャル・タイムズは、日本の経済鈍化の理由を、内需志向転換できない構造に見ている。

 政府にはほとんど選択肢はない("The government has very few options. ")と匙を投げている。財政赤字から財政政策はむりだろうし、補助金バラマキは貯金に回るだけだろうと見ている。
 介入による円高阻止もできないだろうと言う。

ええ、もうずっとそういう状態。

 まったくに日本に打つ手はないのかというと、非伝統的な金融政策("unconventional monetary policies")はあるだろうとはしている。ネットの用語で言えば、リフレである。

フィナンシャル・タイムズはリフレ政策を打つしかないだろうが、基本線として日本の輸出産業がまた強化されることを懸念しているため、それほど強く、リフレ政策を推しているわけではない。あくまで最悪の現状のための提言であり、短期的な措置としての提言である。
 長期的にはどう見ているか。株の利回りをよくしろと言っている。 

日本経済のウソ

 ここが疑問というか、先日読んだ高橋洋一さんの「日本経済のウソ」では、マジに名目成長率は4%だと説明されていた。私は2%くらいだろうと、ずっと思ってきた。理由は、尊敬する人がそう言うから。自分で調べてもそれは納得の行く数字だからだ。高橋氏はこう話している。

 インフレ目標を2%にすると、実質金利が下がり、設備投資も出てくるのです。経済官僚によるヘタな産業政策も不用で、民需が出てきて名目4%となります。これと同時に増税なしで経済成長による増税で財政再建は達成できます。

名目4%が成長の黄金率である、それより低い2%か3%など全く議論する値のない話です。名目4%が成長ができれば、財政問題はかなり解決します。

 と、ある。さて、年初の2%の予測はどこへやら。この数字を見たら何とかしないといかんっと日銀が動くかといったら、全く微動だ一つしない。それどころか菅さんとの会談もキャンセルされ電話で片付けることになるらしい(参照)。ファイナンシャル・タイムズはこのリフレ政策を短期でと提案しているが、高橋氏は10年くらいとしている。この辺の考え方の違いは何だろう。そこもよく分らない。
 長期的には株の利回りをよくするようにと言われても、エントリーでも違和感を話しているが、民主党政権を実質支えているのは大企業と公務員で、これらが反対するような政策は原則ありえない。私は、高橋さんの本を読んでから、考えが少し変わった。名目成長率4%で頑張ってみるか、と、そう思い始めた。が、それを誰がやるのか?というところでいつも止まる。できそうな人がいないじゃないか?日本には。

 まあ、いろいろ議論はあるが、現実的には空しい。菅内閣はレームダックだし、日銀はたまにエレガントでトリビアルな手品をするくらいだ。

 やっぱり思うことは同じだと思った。因みに、日銀への称号「トリビアル」に決定、ね。この瑣末者!

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夕顔とモンゴ烏賊の中華炒め

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 最後の一本だと言われて頂いた夕顔を眺めて、炒め物で何か美味しく食べられるようにしたいと考えていました。
とにかく連日暑い。何とかこのほてる体を沈めてくれるようなおかずはないかと、いろいろ考えた結果、相性のよいトウモロコシときゅうりなどを一緒に中華風に炒め、冷めても美味しいというので考え付いたレシピです。夕顔がそれなりに食感でカバーしてくれるのもあるのですが、とにかく喉越しのよいつるんとした感触がいいです。暑いと噛むことも億劫になるというほど、呆れた暑さのこの夏です。
 夕顔は下茹でして使うと苦味のようなものもなくなりますが、薄めに切って水にしばらくさらしてから熱を加えると全くアクを感じません。下茹でするよりも水にさらした方が夕顔の甘味も残ってよいかと思います。
 ポイントは、夕顔が透き通るまで火が通ってから味付けするということと、茹でたトウモロコシときゅうりは長く火を通す必要はないので一番最後に混ぜ合わせる程度でよいということを抑えておきます。そして、ベーコンの風味が最初に夕顔の味付けになるようによく脂を出しておくことが味付けポイントです。烏賊は火が通りやすく硬くなりやすいので、きゅうりやトウモロコシを加える直前に八割方火が通しておきます。

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 率直に言うと、炒め物や煮物の味は冷め初めから入っていきますので、翌日の方が美味しいという理屈もあります。但し、夕顔もそうですが、大根などの根菜と同様に、そのものに火が通って一度組織が壊れていないと新しい味が入りません。味付けする前に透き通るほど火を通しておくのはそのためです。

➠お弁当に

材料

  • 夕顔(皮を剥いて種を取った重さ)・・500g
  • トウモロコシ・・1/2本(粒のみで100g)
  • きゅうり・・2/3
  • ベーコン・・80g
  • 冷凍紋甲烏賊・・200g
  • 塩・・小さじ2
  • 砂糖・・小さじ1
  • 酒・・50cc
  • がらスープ・・100cc
  • 胡椒・・適宜
  • 胡麻油・・小さじ2
  • 片栗粉・・小さじ2(+同量の水)

作り方

  1. 夕顔は1cmの厚みで輪切りにし、表面の緑色の皮の部分を厚く切って白い果肉が見えるように皮を剥き、四等分して水にさらす。
  2. その間にトウモロコシを蒸し、粗熱が取れたら一粒ずつ外しておく。
  3. きゅうりは三等分し、そのうちの2個はピーラーで細長い短冊に切る。
  4. ベーコンは3cmの幅に切りそろえる。
  5. 烏賊はまな板の上に横に広げて5mm間隔に包丁で筋目をいれ3cm幅の長い帯状に切り、一本ずつ3cm間隔に斜めに削ぎ切りにする。
  6. 大き目のフライパンにオリーブオイルを少し引き、ベーコンを並べて油を出す。
  7. 水気を切った夕顔を加えて炒める。
  8. 夕顔に油が回ったら蓋をして、10分ほど蒸し煮し、透き通ったら酒、塩、砂糖、がらスープを加えて蓋をして5分ほど蒸し煮する。
  9. 6の烏賊を加え、八割方火が通ったらきゅうりとトウモロコシを炒め合わせ、水溶き片栗粉でとろみをつける♪

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やはり気になる

 昨日の増田君の話(参照)、あれは「釣り」で書かれたものだったらしい。フォローしている人のTweetにその話題があった。後で知るのはいい気分じゃない。確かにでき過ぎている内容でもあるし、何が目的で書いたのかと疑問だった。人を「釣る」ためだったのか。私は、増田(=AnonymousDiary語尾を取ってマスダ)は全く読まないので良く知らなかったが、最近は、デマツールだそうだ。私は、「そんなことに釣られるなよ」と言われて、始めて疑ってみるというどうしようもないほど釣られやすい。物事を疑って見るということが殆どない上、自分自身が「釣り」で書く事もない。考えてみると痛い思いを何度もしている。その度に「脇が甘い」と言われてきた。騙される方が悪いと戒めながらずっとこんな人生だったな。
 それは兎も角、それを疑うよりも、「境界性人格障害」という心の病気が私にはピンと来ていなかった。後から気になったので追記したが、この病気の特徴は、「病気」というフィルターを外すと普通にも当てはまることでもあるから、見極めが難しい。増田君が書いている女性が特別でもなく、割と実存する話でもあると思った。私は、ドメスティックバイオレンスの方が実際気になっていたので、それを書くきっかけとはなったが、書き難かった。書くのにとても時間がかかった(参照)
 釣られたにしろ、それがきっかけでついでのように書いた昨日のDVの話は「釣り」ではない。私が騙されやすいからかもしれないが、相手の娘さんのことが気になり、エントリーを挙げてからしばらく考えていた。「内弁慶」の最たるものということだろうか、彼女の夫は。少し補足しておきたい。
 彼は、昔から父親との関係が良くなかったというのは聞いている。高校に入ってから家を出て、働きながら手に職をつけた頑張りやでもあるそうだが、裏を返すと意地でもあり、それが父親を見返す手段だったのかもしれない。似たようなことは大なり小なり誰にでもあることだと思う。結婚当初は、誰もが褒めるイイ感じの人で、仕事もバリバリこなし人望も厚いと思われている彼が、自分を出しても良いと安心した頃からガラッと人が変わったようになったのかもしれない。また、唯一、自分を誇示する仕事が上手く行かなくなったということが引き金になったのではないだろうか。
 父親が完璧を望むそうで、何かと父親の目が気になるらしい。その部分では自立できていないのだと思うが、抑圧された気持ちは自己顕示欲となり、他人の目を気にしたり良く見せようと働く。それがストレスとなってイライラとなり、内輪に溜まったものがいつか噴出す。その噴出し場所は嫁。ということだと思う。自分自身の価値は、父親の持つ尺度で測っているのではないだろうか。調子の良い時は上機嫌で、再婚が決まった頃は有頂天になっていたのだろうか、嫁は、彼の人格を疑うようなことはなかったのだと思う。
 父親にコケにされて自尊心をずたずたに傷つけられ、その悔しさを我慢することが心の中で捻じれた形となり、幾つも歳下の弱い立場の嫁に、暴君となって現れるのではないだろうか。だとすると、歳若い嫁の手に負える問題ではもはやない。時間の問題だと思うが、いずれ非難しなくてはならなくなる日が来るのではないだろうか。そうなる前に気付いて、自分から去る決断ができるだろうか。

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2010-08-20

極東ブログ「南北朝鮮統一費用「統一税」提言の波紋」なんとも勿体無い事だ

 韓国・李明博(イ・ミョンバク)大統領のこの発言に対して、私は、凄く評価していた。波紋を呼んだという程度問題は、エントリーに書かれているほどだとは思わなかった(参照)。また、韓国内の反発の内容を知って少し違和感を覚えた。そして、火消しに奔走した結果、沈下したというのだが、このチャンスを逃したら今度いつ南北統一の話ができるというのだろうか。と、私が口を挟むような話ではない事も分っているが、韓国というと、個人的には身近な問題とも思えている。
 以前にも話したが、東京の朝鮮高校や大学に通っていた当時の友人が、未だに音信が途絶えることもなく交友関係にある。また、二世、三世に当たる韓国人の友人の子どもが、私の息子と同級生で三重県で一緒だった事もあり、今も仲間として続いている。滅多に話題にならないが、彼女達の話から、朝鮮との統一は難しいと感じている。話題に上がると、いつもは鼻息が荒くなり、真っ赤になって熱くなって話し出す様子からそう思う。終いには怒り出す。これは感情論だが、韓国国民が統一に簡単に賛成するとは思えない上、そのための税金を徴収することも難しいことだと思う。議論を揉まずに李大統領が発言したのは、時期尚早と批判されても仕方がないと思う。この状態だけを取り上げると、正にそれは管総理の口が滑って「消費税増税」を言ってしまった時と同じような状態になったのだろう。
 話を戻すと、私がなぜこの発言を評価するか?だが、まあ、誰も私の評価などに関心をよせることもないので、ここで言うだけのことだが、北朝鮮の体制が崩壊すると何が起こるかを予想すればおのずと分ることだ。北朝鮮から多くの難民が流出することは確かだ。多分それもあるのではないかと思うのだが、中国はこれを牽制するというか、北朝鮮を刺激したくない理由の一つでもあると思う。いま一つ中国が消極的に立ち回っているのはその理由からではないだろうか。
 つまり、可能性としてはの話だが、先日、金総書記から息子への継承プロセスを始めたようだという事をどこかで報じていたが、その可能性よりも、体制が崩壊する方が先だと見ているのではないだろうか。それに備えての中国の動きの鈍さだとしたら、中国も冷たいものだ。というか「現金な中国」というものだ。極東ブログでは面白い考察を入れている。

 これまで南北統合が実施されなかったのは、朝鮮戦争に見られるような北朝鮮による「統一」の思惑が実質的な統一と齟齬を来していたこともだが、韓国としても統一の衝撃を回避したかったためだ。太陽政策とは実際には統一のモラトリアムであった。加えて、米中、さらには潜在的に南下を目論むロシアも含めて、この地域に各自の思い入れがあり、均衡していたことがある。そうした観点から、このパンドラの箱を開くと何が起こるのか、そして何が将来的に起こるのかは、いくつかの想像やシナリオは立つものの、確実的なことは何も言えない。

 この「太陽政策」とは?Wikipediaにはこう書かれている(参照)。

イソップ童話『北風と太陽』にちなみ、北朝鮮の頑なな態度を改めさせるためには圧力ではなく温情であるとするものであり、軍事力で統一するよりも人道的・経済的援助や文化的交流(観光等)を深めることで将来の南北統一を図ろうとする外交政策である。その政策の原則とは武力的な手段を用いず、北朝鮮を吸収する形態の統一は行わず、さらに「南北基本合意書」に基づいて相互の和解と協力を推進するものとされている。

 つまり、「太陽政策」は、統一を遅らせる結果になったという考察だ。確かにそうかもしれないと思うが、他に良案もなかったわけだ。常に北朝鮮は何をするか分らない危険で野蛮な国だという印象だった。
 だが、李大統領の打ち出した案は違う。この案がこのまま履行される方向になれば、確実に統一の道へと具体化する実質的な話だ。ここが管総理と違うところだ。李大統領のような人物は今まで表れなかった韓国だけに、この話を迷宮入りさせるのは、なんとももったいない事だ。

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「彼女が重度の境界性人格障害だった」で見えることと見えないこと

 AnonymousDiary(通称増田)は、はてなのサービスの一つで、はてなIDを持つ人なら誰でも匿名でエントリーを起こせる日記だが、今朝、Twitterでクリップが流れてきた。少し関心があったので読んでみた(参照)。
 なかなか温かい心の持ち主で、被害者意識のようなものを感じさせない。自分達の付き合い方や自分自身が彼女に温かく配慮してきた事を、別れた後に被害者のような視点では語っていない。そういうところをみると、何のために増田に書いたのかと思った。
 聞こえてきたのは、分かれた後の彼女に、境界性人格障害に気付いて治療をさせたいという悲願のような叫び声だった。例の如く、ブックマークが膨らんでいる。その中には、このような病気持ちの相手には気をつけろ的な、やや厄介者扱いの方がウエートが寄っていると思う。普通、世間はそう見る人が多いと思う。増田君も言っているが、別れてしまった今は、相手が話を聞き入れるかどうかと言うと、無理なのだろう。
 このケースとは全く違うが、逆の立場で気になっていることがある。知人の娘さんの婿殿のことだ。三十二歳になる彼は、×1で、7歳の離れた奥さん、つまり友人の娘さんと結婚したのは1年程前。最初は調子よく仲もよかったらしいが、半年ほど前から彼の暴言が酷くなり、嫁さんをまるで自分の奴隷のような扱いをするように豹変したというのだ。きっかけとなったことは、仕事が上手く行かなくなり、実入りが悪くなったためイライラが激しくなったそうだ。無意識に自分の髪の毛を引き抜き出して、一部分が円形脱毛のようになったそうだ。また、言動は自己中心そのもので、その理不尽な言動に耐え切れない彼女は、その都度そうなる理由を聞いた。が、それは火に油を注ぐような結果となり、かえって彼を怒らせ逆上させたらしい。その時、彼から電話で親に「一週間ほど実家に返したい」と言ってきたそうだ。理由は、嫁さんが不安定だと自分の仕事に影響するため、少し頭を冷やして来い、ということだった。
 何が気になるかというと、このような人を昔は亭主関白で済ませていた嫌いがある。ただ我慢の人生を送った人も多くいたと思う。現在は、ドメスティックヴァイオレンス(DV)として、このような状態から「保護」するという対応を取れるようになってきている。これは、昔は考えられなかったことで、そもそも離婚に抵抗があった時代だった。家の恥とされたし、「出戻り」といわれて、離婚後実家に帰ってきた娘は白い目で見られた。今でもここ諏訪のご老人にはそういう考えがある。時々ヒソヒソ話している中に誹謗を含んだニュアンスを見つける。
 さて、気になる事はもっと他にある。
 増田君が彼女の性格が病気の遍歴からのものだと疑いを持てたのは、恋愛という関係から解かれてからなので、当然冷静な目で振り返ることができたからだと思うが、恋愛中で熱くなっている時には見ようとも思わないのだし、異性という点からしても見えにくいと思う。言葉を当てはめるとすれば「ジェンダーバイオレンス」だと思うが、私が持ち出した、DVは今のところ言葉による暴力で収まっているという状態で、奴隷の如く言いなりになっていないとそのうち暴力に発展する可能性がある。この娘さんを何とか助けたいと思っていたのだが、本人が自分の選んだ夫は、DVなのだと目覚めないことにはどうにもならない問題なのだと思う。傷が深くならないうちに早く離婚すべきだと、そう思うのは周囲で、本人は、話し合えば何とかなるのではないかと望みをかけているようでもある。その気持ちはよく分る。
 人との別離を決めるというのは、普段良い人と言われるような人には難しいことだ。増田君も、相手が離れてくれなかったら、未だにまだ尾を引いていたかもしれない。そういうものだ、良い人って世間には沢山いる。だから成り立っているといえばそうだと思う。
 知り合いの娘さんも救われるべきだが、当然、夫の彼も何か問題を抱えて生きてきたと思う。どうか心を休めてゆっくり心の紐を解く機会をもたれることを切に願う。

***

 少し気になる点で、これらの問題がはたで起きている他人事かといえばそうでもない。増田に書かれた彼女の特徴を病的な見方を外してみると、女には潜在的に存在していることとも重なっている。精神的に成熟してくると、つまり理性がきちんと備わってくると、自分の思い通りに行動することを制御する力が備わってくる。思春期には旺盛だった直情的なことが、成長とともに抑えられるような力も備わり、ぐっと落ち着いてくる。このような時に何らかの形で抑えられたり、無理を強いられて自分を押さえつけたりすると、それはいつか何らかの形で突出することになると思う。人間のバランス機能であると思う。増田では「壊れてしまっていた」とあるが、そうなる。誰にでも可能性のあることで、彼が列挙している数々の症状は、特に病気というフィルターを通すこともなく、よくある女性の隠れた部分でもあると思う。だからといって、それ自体が異常ではないと思う。

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極東ブログ「一週間はなぜ七日か?」これがわからないことに満足した

 極東ブログの書評から端を発したミトラ教の神々や秘儀に関心が高まり、占星術との関連に関してのエントリーが別立てにあるという予告を受けていた事もあって、私も少し調べてみたところだった(参照)。
 その前に、紹介の「ローマ帝国の神々―光はオリエントより (中公新書:小川 英雄)」が昨夕届いたばかりでまだ読み始めていない。読んでおいた方がよいと思った時点では、ミトラス教が西洋キリスト教の流れの元になっているということは不明だったため、それを紐解くためには必読だと思っていた。「思っていた」という過去形になるのは、ここを読んでいる人なら分ると思うが、ミトラス教の研究者として第一人者である小川氏よりもはるかに確実な事実関係を抑えて、ミトラス教がキリスト教の起源になっているということを知ってしまったため(参照)、読む気が失せてしまった。追々、いつか読もうとは思っている。
 さて、Netで下調べをしたなどと言えるほどのことでもなかったが、ミトラス教のことを調べると小川氏の発している文献が殆どだ。私が前回拾った情報もそうだった。七人の神々に扮した人々が見守る中で行われる聖牛供犠の儀式に、なぜ神が七人なのか?それらの役割と、つけられた名前の由来などが疑問だった。
 「七」という数字と、それが現在使われている英語の曜日になっているという連想はあった。問題は、経緯が知りたいということだった。果たして、その答えにあたることが極東ブログのエントリーに含まれているのかどうなのかは、開けてみてのお楽しみだった。
 いきなり「一週間はなぜ七日か?」(参照)。キターッ!究極の疑問だ。が、これから始まるとは思いもしなかった。この疑問から見ていった経過がものすごいことになっている。ローマ人は八日だったということから始まって、それが七日になった理由が不明だと言うことだ。但し、抜け目のない調べ方だと思ったのが「市(いち)」を中心に人々が集うという習慣を七日ごとにすえたため八日目がその「市」の日だったそうだ。キリスト教を公認したコンスタンティヌス1世によって七日に変えられたと言うのだ。この話が出てきた時点で、既に、「一週間は七日」の答えとも言える。問題は「キリスト教を公認した」という部分に引っかかる。ミトラス教がキリスト教の元にあるので、考え方の支軸をミトラス教にもっていないと混同してしまう。以下の部分が、このエントリーの要になる部分ではないかと思う。

日曜日を起点としたのはミトラ教の影響か
 コンスタンティヌス帝はキリスト教の聖人ともされるため、なんとなくキリスト教的な文脈で理解されがちだが、異教にも敬意を払った皇帝である。興味深いのは、彼が321年、3月7日を日曜日とした宣言である。この背景は、日曜日のシンボルである太陽、つまり、ソル・インウィクトス(Sol Invictus:不滅の太陽神)への彼の敬神があった。この太陽神カルトは、それ以前のアウレリアヌス帝の時代からのものでもあった(参照)。

 

日本でミトラス教研究者の第一人者である小川英雄は、アウレリアヌス帝やコンスタンティヌス帝のソル・インウィクトス信仰についてミトラス教との関連を認めていない。だが、コンスタンティヌス凱旋門設立に至るコンスタンティヌス帝の行為からすれば、ミトラス教が明確に意識されていたとは言えないにせよ、異教の重視は基本にあり、逆にキリスト教的な背景が強いとは言い難い。

 私は単純にソル・インウィクトス信仰はミトラ神の習合の結果だろうと考えている。そして、であれば、実質的に日曜日を基点に曜日を固定した七日の週という制度の確立は、広義にミトラ教の結果であるとしてよいように思う。

 ここで、ミトラ教がキリスト教に影響したことを踏まえた上で、曜日の話が始まっている。タイトルだけここでは挙げてみる。また、曜日に関して考え方が錯綜しないためか、それぞれのことを事細かに説明されている。また、小川氏がミトラス教との関係を認めてないといっても、もはや、認めざるを得ない事実と立証(参照)があるため、この際、彼の論説は無視してもよいと私は思った。

曜日は七日ではなくオクターブとして理解されていた

ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド

月火水木金土日の順序になる理由

ここがちょっと難しかった。

フランス革命とロシア革命は曜日を壊した

こんな事実があったなんて、知らなかった。

曜日の背後にある守護神

ここで、ローマの話に戻るのだか、これが現代の英語の曜日になる元だ。

キリスト教徒が安息日をずらしたのはミトラ教の影響

私の率直な感想を述べれば、これは屁理屈というものだろう。イエス・キリストの復活を祝うとしても、ちゃんと復活祭というものがあるのだから、毎週祝う必要はない。もっと率直に言えば、これがキリスト教なのかというくらいミトラ教や土星の占星術の考えに浸されていると見て取れる。しかも安息日の基となったユダヤ教では、曜日は単に番号で呼ばれるだけで曜日名なるものはない。

ローマの支配域では、このように惑星を神として実体化し、曜日をその守護神の名に当てた。さらにその神の意味づけを通して、他の神話での相当の神名をエーリアス(別名)として割り当てる考え方が採用された。これがゲルマン族の北欧神話にも適用され、その後裔が使う英語の曜日ができた。

占星術とミトラス教との関連はどうなっているのか?

 ここは、私が予習をした部分で、上位1から7までの並び方が現代の曜日と違うので、どういう関係なのかと言うことに興味があった。これまでの説明で、ミトラス教の影響で曜日が割り当てられてきたことはよく分ったが、占星術を神秘性との関係と言い換えられているのは新鮮な入り方になった。

ローマ時代に完成した曜日に潜む神秘性だが、これは単に惑星を使った占星術なのだろうか。つまり、バビロニア由来の占星術なるもがあり、それとは別に、ミトラ教の教えがあるのだろうか。

 このような疑問からこの問題に入るとは思わなかったが、牡牛供犠の儀式で既に触れていることもあり、ミトラス教の見直しから入ってもらって嬉しかった。
 おっと、ここで私も少し混同してしまっていて、一体全体どっちなのか?と疑問になっていたのが「ミトラ教」と「ミトラス教」の違いだ。やっとここで出てきた。それも極、こっそりという感じに。

ミトラ教はローマでは密儀宗教のミトラス教として広まったのだが、その密儀の参加者は7つの位階に分けられていた。

 ここから、小川氏とManfred Clauss氏が説明している位階の守護神が若干違う。というよりも、最後の説明に納得した。

 話が錯綜してきたが、ミトラ教の密儀における位階と惑星の対応は不明だ。位階として現れたものの本質が、その守護神である惑星なのか、惑星は位階シンボルの補助なのかもわからない。

 ミトラ教と惑星の関係は、曜日の決定にはそれほどには影響していないのか、なにか隠された秘密があるのか。もちろん、そこに秘密があるとしても、現代に残る曜日の理由にはほとんど影響はないだろう。

 最後になったが、今回のエントリーについての感想を残しておきたい。このエントリーの冒頭には、このようにある。

 一週間はなぜ七日か? 誰もが一度は疑問に思うらしく、ネットを探すといろいろそれらしい答えがある。どれも的外れとも言い切れないが、「なるほどそれが解答か」と合点のいくものもなさそうだ。残念ながら、このエントリも解答を提示するわけではない。が、このところのミトラ教関連エントリの文脈で言及しておこう。

 そう言われてみればと思い、私も検索をかけてみた。確かに五万と出てくることが分った。どれも中途半端だ。だが、それだけに、人類の永遠の謎になるテーマなのかもしれない。そして、「残念ながら、このエントリも解答を提示するわけではない。」としながらも延々と書かれている内容を読み終わると、その解答がないことに納得できる。「一週間はなぜ七日なのか?」の解答が「提示できない」と言い切ることに納得できるのは、これほどの説明があるからだと思った。答えを求めているにも関わらず、その答えがないことにちっともがっかりしない。それどころか、大満足した。
 もう一つ認識が変わった事に、「疑問」は調べる動機ではあるが、虱潰しに調べた後にもかかわらず、わかったとしないことに恐れる必要はないということだ。せっかちだという性分でもないが、どちらかというと数学的に答えを出したがる私で、それこそ解けるまで丸一日かけても一問を解くタイプ。だから、「疑問」として棚に上げておいてもよいという軽く心地のよい事をここで学ぶ事ができた。
 最後に、「一週間はなぜ七日か?」は、誰もが検索するだろうと思われる単純明瞭なフレーズになっているのがいいと思う。無駄にあっちこっちのサイトに渡り歩くよりも、イの一番に極東ブログのこのエントリーに来てくれたらきっと「答えがない」ことに皆、納得することだろうと思う。このエントリーは、人の一生分くらいの重みでもあると思う。
 本当に、楽しいエントリーだった。

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手製の塩鯖と和風レモンマリネのレシピ

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 今日は手製の塩鯖からマリネを作ったよ、というレシピです。干物のレシピとマリネのレシピを貼り付ければできちゃうエントリーですが、実際に鯖の干物を作る方は少ないかな。今の時代。昨日、いや、一昨日かな、コメントを頂いた主婦歴4年の若い方が、このブログに出会ったお陰で魚をさばくのをささっとこなしたくなったという願望を持ったそうです。どのエントリーかは分りませんが、以前はレシピにその詳細を書いたり、適当な画像がないときはマウス操作だけで書く「お絵かき」を一生懸命画いたりするようなこともしていました。ですが、今はしていません。魚屋さんがみなやってくれるか、スーパーではさばいた形でパックになっていますので、その必要がなくなったと感じています。

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 さて、鯖はとても簡単に下ろすことができます。頭を胸鰭から落として内蔵を引き出し、綺麗に洗い流します。腹の部分を肛門から頭に向けて切り裂き、包丁を中骨の上に平行に突き刺し、内臓があった部分の中骨から骨を外すために裂きます。反対側の側面を手前に位置を変えて、切り裂いた腹の外側から包丁を入れ、中骨に包丁の先を当てながら尻尾まで引き下ろします。これで身が骨についているのは腹側の肛門から尻尾までになります。その面を手前になるように位置を変え、包丁を尻尾の部分に差し込み、残っている身を骨から離すと二枚下ろしになります。
 二枚下ろしになった鯖を8%の食塩水に1時間漬け込み、塩締めしてから水分を拭き取ったら冷蔵庫で保存します。もっと塩を多く、10%くらいにすると日持ちがよくなりますが、いずれにしても冷凍保存できます。

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 この後、焼き魚やから揚げ、マリネ、ソテー、フライなどどのような料理にも直ぐに使えるのです。鯖が安価な時に多めに作っておくとよいです。
➠参考料理:塩鯖のレモンマリネ

マリネの材料

  • 塩鯖・・2枚
  • 片栗粉・・大さじ1.5
  • レモン・・適宜
  • ピーマン・・1/2個
  • 玉ねぎ・・1/4個

マリネ液

  • 酢・・50cc
  • 醤油・・小さじ1
  • 砂糖・・小さじ1

作り方

  1. 鯖は斜めにそぎ切りにして片栗粉刷毛でまぶしておく。
  2. ピーマン、玉ねぎは薄く細く切り、レモンは極薄いスライスにする。
  3. バットにマリネ液の調味料を混ぜ、2の野菜を浸す。
  4. 180度に予熱した揚げ油で1の鯖を色よく揚げ、油を切った傍からマリネ液に浸す。
  5. 直ぐに食べてもよいが、しばらく冷蔵庫で冷たくしていただくとよい♪

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2010-08-19

ミトラス教の博士とサンタクロース:譲れない本の話

 昨日は、感動して鳥肌が立った。こんなことは初めてだ。
 長い間、イエスの誕生やキリスト教の正統性について疑いを持ったこともなかったが、極東ブログに起こったひょんなことからこの旅は始まった。
 吉祥寺のラブホのシンボルであった女神像(参照)から始まった疑問は、フランスのマリアンヌ、アメリカのコロンビアへと影響し、女神が国家の擬人化なのだということを知り、アメリカの開拓時代の背景を垣間見ることもできた。一旦ここで女神の神話の追跡は終わったかに見えたが、「フリジア帽」という革命のシンボルの背景に気になる痕跡が見つかり、私たちは再びそれを追いかけるようにして歴史を手繰り寄せた。いや、私ではないが、私も参加した。
 三人の博士が、イエスの誕生を祝って拝みたいという言葉から、その誕生は紛れもなくミトラ神の誕生なのだとはっきりした(参照)。つまりキリスト教の正統性の謎がここで解けた。

イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。

ミトラ神とマゴイの背景からすれば、イエスはミトラ神と同一視されているというメッセージにしか読めないのではないか。

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 そして、その博士らが被っているのは赤いフリジア帽だった。これが、イエスがミトラ神として生まれたということのもう一つの証になる。そして、該当エントリーに画像(上)が追記された時は驚いた。誕生の祝いに拝みに来る博士が赤い服を着たらどうだろうか。それはサンタクロースではないのか?現代はトナカイが引くそりに乗って、沢山のプレゼントを積んでやってくるのがサンタクロースだが、贈り物を持って赤い帽子を被ったミトラス教の博士の姿と重なる。やったーっ!感激した。子ども達は、神の子としてイエスの誕生にあやかって大切にされてきたのだ。そして、キリストの誕生にまつわる話は、マタイとルカによる福音書の最初の方に出てくる(Gospel of Matthew and the Gospel of Luke1:18)。ここに三人の博士のことも書いてある(マタイ2:1)彼らの贈り物は「The Gift of the Magi 」と呼ばれている。小さな画像は、現代の聖書の挿絵にある博士達だ。ミトラ帽は勿論被っていない。 

MerryOldSanta

 この三人の博士の画像が追記された時は驚いた。Netという場には無い物は無いという認識を持った。これを実際の文献から探し出すとしたら、それは容易ではないと思う。

P3130021

 さて、話は変わるが、昨日ある方から本を譲って欲しいという依頼のメールを頂いた。昨年の三月にエントリーで触れた「お菓子とおやつ12ヶ月 女子栄養大学 香川 綾」がその本だ(参照)。結論から言うと、この本は譲れない。エントリーに載せているくらいなので、私にとってもそれなりの思い入れがある本なのだ。そのことは少しエントリーでも触れている。そこをお読み頂いた上でも欲しいというお気持ちは分るが、申し訳ないが譲れない。そもそも、本を処分することすらできない私だ。これが困りものでもある。実家にも昔読んだ本が山積しているが、どうしても捨てられないでいる。時々、昔読んだ本であれは何だったかな、と何かを探す時、目当ての本があるとホッとして嬉しくなる。また、このように日の目を見ない本もあるが、いつ何時お呼びがかかるか分らない。その分らない不定に、いつまでも待たせておくのも悪くはない。処分してしまった本に限って後から必要になることが重なった経験が昔あって、それからは処分しないことになった。なんとなく。村上春樹の1Q84が出た時、その数日後にBook Offに出ていたというので友人が買ったと聞いたが、簡単に手放せる人もいる。
 件のお菓子の本も、昭和50年の出版で私が尊敬する香川 綾さんの書いた本だ。お菓子作りは現代は変わって来ているということが、この本のレシピを見ると感じることだ。大変シンプルな作り方ではあるが、本物の材料をふんだんに使っているのは見逃せない。お菓子を作るためにその材料となるものが別のお菓子であり、出来合いのものは無い。時代性なのだが、これらを伝える本は今は無い。激変する前の日本の子ども達を育てたお菓子の本であるだけに、私にとっても貴重な本だ。
 探されたとは思ったが、Netの古本屋さんを片っ端から当たったが、この本は出て来なかった。残念だ。この本のレシピで何か作って、ここで紹介することなら私にもできる。というところで、お譲りできない代わりにそれでご勘弁いただきたい。

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祭りの出店でよくある例の烏賊(いか)焼き

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 諏訪の花火大会では出店が所狭しとぎっしり並んでいます。また、神社のお祭りの時にも屋台が出ます。そこでどうしても食べたくなるいい香りと言えば烏賊焼きかなと。実際、同じように作るのは家庭では無理があります。屋台の状況を思い浮かべてみてください。焼いている網は年季が入っていますし、そのせいか、真っ黒にタレが染み付いてそこから煙がモコモコでています。その煙に燻されて焼かれている烏賊はマジ美味しそうです。ね、そこからしてもう違います。が、何とかあの燻し方ができないものかと考えたのが今日のレシピです。

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 烏賊はしっかりと二日間タレに浸けます。少し身が痩せてしまうくらいです。問題は、そのタレを焦がすのをどうするか?です。今回はアルミホイルに烏賊の浸け汁を乗せ、しばらく焼いて最初に焦がしてみました。その上に烏賊を乗せて焼いてみました。
 超、いい香り。程よく煙がもこもこ。そして、焦がそうとしたわけでもないのに表面が所々よく焼けて縮れている。うふふってほくそ笑んでしまいました。

材料

スルメ烏賊・・3杯
生姜・・1片
醤油・・50cc
酒・・50cc
味醂・・15cc

作り方

  1. 烏賊の胴体から付け根の飛び出た部分を親指でそっくり掴んで引き抜く。
  2. 以下の軟骨も引き抜いて同体内部を流水で洗い流す。
  3. 目玉をとくちばしを引き抜きぬいて足の細い部分を切り落とし、足を四本ずつに切り分ける。
  4. バットやタッパーなどにタレを合わせ、生姜を卸して混ぜ合わせる。
  5. 4のタレに2と3の烏賊を浸け込み、冷蔵庫で二日間味をしみ込ませる。
  6. アルミホイルに5のタレを大さじ2とって、魚焼きグリルで水気がなくなるまで焼いたら5の烏賊を乗せて両面を色よく焼く。
  7. 取り出して適当な幅に切り分け、大葉などと一緒に盛りつける♪

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2010-08-18

極東ブログ「牡牛供犠:タクロクトニー(Tauroctony)とタウロボリウム(Taurobolium)」で大発見だ

 ヘタな本と言っては大変失礼だが、先に極東ブログで紹介のあった「ローマ帝国の神々―光はオリエントより (中公新書:小川 英雄)」のずっと上を行く新発見に読み応えを感じてしまった(参照)。数々の疑問を持たせてもらったのは、小川英雄氏の本書のお陰だが、それまでこつこつと調べながら進めてきた歴史の足跡から、キリスト教の本体ともいうべきはミトラス教ではないかということが、遂にここで判明したと言えるのではないかと思った。
 ちょっと鳥肌が立ってしまった。
 今朝ほどの私のエントリーでは(参照)、歴史上の謎の解明が如何に面白いかというような事に触れた。それも、「聖牛供犠」関して、生贄(いけにえ)的な意味合いや、占星術などを駆使したミトラ神とキリスト教との関係をつなげるものは何かないのか?という疑問だった。聖牛供犠に関しての推測は、イイ線まで行っていた。
 歴史の随所に現れるフリジア帽を被った神の動きや、ミトラス教が後に密儀化した理由について言及を補足しようという書き出しだった。それが、本書の著者小川氏とは違う見識を持っていると、初っ端から言及されていたので、既に解決の臭いがした。例の如く、結論部分に先に行って読んでしまおうかと逸る気持ちを落ち着かせ、小川氏の話から読んだ。

他方、当時の天文学によれば、歳差(天界の南北軸のゆらぎ)が牡牛座から牡羊座に移動したことによる新時代の到来が祝われていた。それゆえ、ミトラスと同一されたペルセウスは、牡牛を殺すことによって新時代を到来させたと考えられた。こうして、最新の天文学の知識とミトラスの崇拝が結びついて、ミトラス教の最重要な教義、すなわち、牡牛を殺すミトラスが時代をもたらす、という信仰が形成されたのである。

 この引用部分はエントリーではもっと長いが、結論部分だけ切り出してみた。ここで、小川氏の説明がかなり曖昧だと分る。さらっと読むとそれらしく書いてあるために気付かないが、背景になる具体的な事実の提示がないため、実際のところ何を言っているのか意味不明だ。弁ちゃんが、その部分を徹底的に指摘しているのは痛快でもある。別に著者に意地悪を言っているのではない。が、歴史的事実を追うには、そのことにまつわるできうる限りの全ての情報を並べて検討し、そこで初めて決定付けなければ勇み足になって歴史を歪めてしまうことになる。結果、嘘つきブロガーの称号を頂いてしまう。
 さて、弁ちゃんの考察というのは、キリスト教の知識が基本にあることが大きく違うと感じた。その鍵になったのが

マゴイ(マギ)は、昭和訳聖書(マタイ2:1)では「博士たち」と訳されている。

イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。

 ミトラ神とマゴイの背景からすれば、イエスはミトラ神と同一視されているというメッセージにしか読めないのではないか。
 ローマ時代のミトラ教における、牡牛供犠つまりタクロクトニー(Tauroctony)が象徴的であったというのは同意しやすいものの推測でしかない。これらが実際に行われていた可能性はないのだろうか。

この「実際に行われていた可能性はないのだろうか」という単純な疑問が、その後にミトラス教とキリスト教の関係を暴くきっかけとなっている思考回路だ。これがタイトルの「タウロボリウム(Taurobolium)」の謎解きだ。そして、私が「生贄(いけにえ)」と、今朝ほど思った儀式のことだ。現代版の動画がリンクされているが、こんなもの何処から見つけ出してきたのでしょうか。凄いリアルな映像だ。また、グロいが見ておくとよい。これによって、最後に書かれている意味がどのような行為かということが印象づくはずだ(あくまでも自己責任で、どうぞ。)そして、最後にこのように結論付けられているのを読んだら、手も足も出ません。降参です。

占星術を駆使するミトラ教神官によって王と確約されたイエスは、人間の罪の贖罪の仔羊として牡牛供犠のように血を流し、信者はその血を飲み、その血で清められ復活を期待するというのがキリスト教の実際ではなかったか。

 当初、極東ブログでは何を調べたかったかというのは一つ前のエントリーにはっきりと書いてある(参照)。

異教が独自の変化をして西洋キリスト教になった側面が大きいのではないかという疑念もあり、少し概論的なものを読み直してみようと思うようになった。

 これがきっかけで小川氏の本を読まれたわけだが、結局小川氏が考え至らなかった部分の解明ができたわけだ。しかも、「ミトラス教」「フリジアの帽子」「聖牛教義」というkeywordから漕ぎ着けたのだ。
 もう脱帽だ。

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極東ブログ「[書評]ローマ帝国の神々―光はオリエントより (中公新書:小川 英雄)」急に角度が変わった

 物事を調べるにあたり、とりあえずこれかと思う書籍を取り上げて読んでみるという試みが面白いと思った。それに、長く極東ブログを読み込んでくると分ることだが、思考の特徴が掴めてくる。今までは、彼が理解しているところから紐解くように解説されることが多かったのに対し、あの女神像から始まったミトラ教に至るまでの話は、途中で遭遇した謎に向かってその都度紐解くように進んできた。私は、推測を加えながらそれを一緒に味わうことで歴史が面白くなった。ここで、調べ方が少し変わったのをこのように説明している。

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 以前は、堀米庸三の「正統と異端」(参照)ではないが、キリスト教の正統とは何かという観点から私は西洋史を見てきた。その観点でローマの宗教も考えていた。だが次第に異教のほうが面白く思えるようになり、また、率直なところキリスト教の教理における正統は正統としても、実態は異教とされてきた諸宗教とそれほど差違はないどころか、異教が独自の変化をして西洋キリスト教になった側面が大きいのではないかという疑念もあり、少し概論的なものを読み直してみようと思うようになった。

 そこで、とりあえず選んだ「ローマ帝国の神々―光はオリエントより」の話から始まっている。因みに「読みやすい」とあるので、注文した。
 当初はフリジア帽の謎からだったが、私も、あのミトラ教までたどり着いた時、ミトラ教の勢いが消えてカルト教へと移行した話などから、引き継がれることはなかったのか?という疑問が残っていた。また、サンタクロースの被っている帽子がフリジア帽かもしれないと言うあたりは、きっとそうだろうと思っている。また、その関係が本当だとすると、キリスト教とミトラ教のつながりが何らかの形であるのではないかと思っていた。
 そして、ミトラの聖牛供儀を行う時にまとうマントに星が描かれているということから、現代にも伝わる占星術との関係に触れているのが興味深い。これに関しては、別のエントリーで展開するという予告を受けて、少し調べてみた。「聖牛供犠」で検索するだけでミトラ教関連の話がごそっと出てくる。

 これらの名称の起源は不明ですが、これらの位階は、天界やこの世界の七つの区分に与えられた意義に対応しています。通常、この七つの位階は梯子になぞられ、それは霊魂が至高天に至るまでの行程を表していたと思われます。また、儀式の際は、教徒たちは仮面劇を演じ、その位階に従った役割を演じました。その主要テーマは聖なる婚礼と牛屠りであり、具体的には次のようなものでした。(参照

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 興味深いのは、七つの星の意味とその役割のような位置づけや昇天の意味との関係だった。この供犠が「宇宙的救済行為の模倣」だということに些か驚いた。「生贄(いけにえ)」との関係もあるのだろうか。極東ブログでは「磔刑」との関係に触れていることに「本書の思いが隠れているのかもしれない」としている。うーむ。面白そうだ。
 ところで、私はキリスト教を学んだことはない。大昔に聖書を読み物として読んだことはある。その程度の意識しかないので、キリスト教の正統とは何か?という観点で西洋史を見てきたこともない。また、世界史は、壊滅的に不得意分野で苦手な教科でもあった。そのため、比較する背景や予備知識が殆どない。それでも少しずつ調べながら必要な情報を充当しながら進めてきた結果、フリジア帽に的を絞っていたにもかかわらずかなりいろいろなことが分ってきた。角度を変えたり調べる的を絞ったりすることで、今までつながらなかったことがある一瞬の発見で解明のヒントになったりする。
 歴史を知る楽しみとは、こういうことなのかもしれない。

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長男の大学の友達とのこと:にぎり寿司のことも

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 長男の大学のサークルの友達三人が、長男と一緒にお盆に帰ってきたことは既に話したとおりです。諏訪湖の花火大会が目当てで、まあ、それもいいかと思い、快諾に至りました。帰省する長男が、たまたま諏訪だということで仲間同士の旅行先に展開したようです。そこで私は、民宿のおばちゃんといったところでした。特にエピソードと言うほどのことでもないのですが、可笑しかったことから一つ摘まんでお話をしようかと思います。それは、彼らの食べ物に対する好き嫌いの話です。好き嫌いがあることくらいでは驚く私でもないのですが、でも、彼らの嫌いなものは、些か数が多過ぎるのです。しかも皆、野菜ばかり。そして、その拒絶反応ときたらまるで幼い子どものようでした。
 高速の渋滞を回避するために13日の夜、日付が変わる直前に家を出て夜中高速道路を飛ばしてきた長男とその友人二人、合計三人が家に着いたのは、夜中の二時半でした。日中の渋滞とは打って変わって、通常の所要時間で辿り着くことができたのでよかったです。それから朝方までごそごそ話し声が聞こえていました。翌日と言っても昼になっても起きてこないので、昼食を食べるように起こしたからか、起きがけに食べるのもきつかったそうで食が進まないのでした。また、この日は、早めの時間にBBQの計画があったため、焼きソバという軽いメニューにしたのです。ここで出てきた初めHTMLの編集ての話題が、食べ物の好き嫌いでした。
 きゅうりのお漬物が嫌いだといって一切手をつけないし、また、他の子はトマト、茄子、スイカ、もう一人はしし唐も食べたことがないから食べないという。焼きソバの他に、トマト、きゅうりの漬物を出したことで、好き嫌いが分ったのです。この時点で、食事の支度をどう致したものかと考え込んでしまいました。
 夕方のBBQで、野菜で一番売れたのが南瓜でした。そう、全員南瓜が大好物だというのです。BBQの途中で口をさっぱりさせるために作っておいた蜂蜜トマト(☞レシピ)だけは多分大丈夫だからと、半ば騙すように一人に食べさせると「これはやっぱりトマトダ~~~~ッ!」と悲鳴を上げていました。困ったものだ。
 翌日、またしても朝食は抜きで、昼過ぎに起きてきた。お互いが少し馴れたせいか、話も弾むようになったのはよいのですが、話題は、またしても嫌いな食べ物。理由は、嫌いな人にとって食べられない野菜が食卓に上がっているからという単純なことです。茄子の揚げ浸し、きゅうりの辛子漬け(☞レシピ)、炒めたしし唐の蕎麦ツユかけ(☞レシピ)、南瓜と厚切り豚肉の煮物(☞レシピ)。ご飯とモロッコインゲン、若布の味噌汁でした。食べられるものだけ食べるように伝えた結果、案の定、嫌いなものには全く手を出さないのは仕方がない。最後は、来年も来るつもりなら嫌いなものの内一品だけでも食べられるように取り組むようにと話すと、「え″、なんで??」と聞き返すので「一人がいくつも嫌いなものを抱えていると、料理ができないし、食べられないと分っていて出すのは忍びないから」と答えて、やっと分ったみたいでした。
 以前ここにも書いたことですが、日本で孤食化が始まったのは、働く両親が圧倒的に多くなってからの1980年以降だと思うのです。この時代以降に育った子ども達は、コンビニなどの出現で生活環境が変わってしまったため、やや犠牲になったという面があると思います。大人も気付かないうちに便利さのあまり、つい何でも利用するようになったからです。その影響をしっかり受けたのが、息子達の世代だということはよく分ります。
 しかしながら、こうも好き嫌いがある人が集まると、本当に料理ができなくなるものです。少し期待するのは、彼達、来年までの宿題をクリヤーしてくるか?です。なんだか楽しみです。
 一緒に来た友達の一人が、お寿司屋さんでアルバイトをした経験を生かしてにぎり寿司を作ってくれたので、その紹介をついでにここで。
 彼が水を切るために手を合わせる時、ポポンッといういい音がするのですが、その姿は頼もしく、彼が急に大人びた感じがしました。食べ物の好き嫌いを話す時は、酷く幼く見えたのですがね。因みに、きゅうりのfineなスライスは、長男が、、、。大変速かったのですが、1/3は三日月の形に・・・^^;

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2010-08-17

高野豆腐の揚げだしとモロッコインゲンの冷たいお浸し

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 そろそろモロッコインゲンもお終いに近づいてきました。今年の種蒔きの時期があたりだったせいか、四種類の豆には満たされた夏でした。本来なら、春蒔きの収穫が終わったら入れ替わりに夏蒔きにすると秋にも楽しめるのですが、蚋に咬まれる騒ぎがあったり、雨が多かったりと、何かと時期を逸するに充分な理由が揃ってしまいました。この秋は少し寂しい畑になりそうです。
 今日は、最後の(我が家のは)モロッコインゲンと揚げた高野豆腐をタレに浸して冷たくした料理です。出汁は、鰹でしっかりとったので和風の味付けということで、私の好物の揚げ浸しです。新しいレシピではありませんが、モロッコインゲンとの相性が良いので、この組み合わせ自体が凄くお勧めな料理なのです。

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 モロッコインゲンは揚げても茹でても炒めても美味しい上、火の通りも良く豆が硬くないので食べやすいと言われます。今日は、だし汁が良くしみ込むように、軽く塩茹でしています。加えるタイミングは、高野豆腐fが揚がってだし汁に漬け込む時に一緒に浸します。高野豆腐に残っている予熱で全体の温度も上がりますので、すっかり冷めて出来上がった頃には味もしみ込んでいます。

材料

  • 高野豆腐・・80g
  • モロッコインゲン・・100g
  • 片栗粉・・大さじ2

出汁

  • 鰹出汁・・400cc
  • しろ醤油・・50cc
  • 塩・・小さじ1/2
  • 酒・・50cc
  • 砂糖・・大さじ1.5

作り方

  1. 高野豆腐は袋に書いてある通りに戻して、水気を固く絞る。
  2. インゲンは洗ってヘタの部分を切り落とし、2%の食塩を加えた熱湯で30秒ほど茹でる。
  3. 1の高野豆腐に刷毛で片栗粉をまぶす。
  4. 鰹出汁に調味料を加えて一煮立ちさせる。
  5. 180度に揚げ油を設定して(予熱して)を3の高野豆腐を揚げる(油の音が静かになるまで)。
  6. 5の高野豆腐の油を切ったら出汁に漬け込む。
  7. 最後にモロッコインゲンを加え、良く冷やしてできあがり♪

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2010-08-16

ラタトゥイユでコシーニャを作ってみた(涙の形のブラジルコロッケ)

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 ラタトゥイユがイギリスのシェパーズパイに変身したのに続いて、今日はブラジルのコシーニャです。コシーニャ(COXINHA)は、涙の形をしていますが、COXIの意味は「腿(もも)」という意味だそうで、言われてみれば、なんとなく鶏のもも肉のようでもありますね。日本のコロッケも俵型や小判型があります。出来上がりの形の好みはさておき、料理する側にとっては、俵型かコシーニャの形が揚げやすいです。油の中で自分で適当に浮きながら全体が均一に揚がるのです。一方、作りやすい小判型は、油が業務用のように多くあると勝手に自分でひっくり返りますが、家庭の鍋では裏返してあげる必要があります。何故かな?不思議の一つなんですよ、これも長年の。ひっくり返すタイミングを失敗するとパンクすることもあります。これは、油の温度との関係もありますが、コロッケをあげるのは割りとコツがいります。
 本格的なコシーニャはじゃが芋ではなく、トウモロコシの粉を使って熱湯で練り上げた硬い生地を作って中に具を包み込むのですが(☞レシピ)、今日は、シェパーズパイ(☞レシピ)「のリメイクなので、じゃが芋です。また、具は細かく切ってマッシュポテトに混ぜ込んでいます。表面がところどころ黒っぽく見えるのは茄子の皮の色です。

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 コシーニャの成型は、生地をピンポン玉にして親指と人差し指でつまむように片側だけを尖らせます。粉をまぶして卵液を絡めてからパン粉をまぶします。勿論パン粉は砕いて細かくします。これは普通のフライを作る工程と同じです。揚げる鍋は、口の広いものよりも、狭くて縦に長い鍋のほうが油が少ない割りに深さが出るのでコシーニャが立った状態で揚がります。
 火加減は割りと強めでも大丈夫です。中の具には火が通っているので、表面が色よく揚がれば出来上がりです。

材料(6個分)

  • ラタトゥイユ・・150g
  • マッシュポテト・・150g
  • パン粉・・大さじ3~4
  • 小麦粉・・小さじ2
  • 溶き卵・・大さじ2(同量の水を混ぜる)
  • 揚げ油・・適宜

作り方

  1. パン粉は袋に入れて麺棒を転がして細かくする。
  2. ラタトゥイユを細かく刻んでマッシュポテトと混ぜ合わせ六等分する。
  3. 2を最初は丸め、親指と人差し指で輪を作って片側を尖らせ、円錐形にする。
  4. 小麦粉を刷毛で軽くまぶし、溶き卵と同量の水を足した液を絡めて1のパン粉をまぶす。
  5. コシーニャがすっぽり被るくらいの油を180度に予熱して揚げる♪

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極東ブログ「[書評]私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった(サラ・ウォリス、スヴェトラーナ・パーマー)」このような本を待っていた

 八月十五日は日本の終戦記念日となっている。そう、昨日だった。この日が本当に終戦の日と言えないのではないか?という疑問を投げかけられる年齢層にも亡くなっている人は多くなった日本だと思う。この日から数えて65年の歳月が過ぎたわけだ。
 私は、ブログ等で終戦ということに言及して書いたことはない。終戦そのものを知らない私には書けないからだ。昨日の各紙の社説はこの話題で一杯だったが、どれもこれも「戦争」に対する概念を教え込まれるのかと恐ろしくなるほどの美しい文章というか文字でしかないことに、これでは良くないと感じた。少なからず、両親から聞いた引き上げ船に乗る前後のリアルな話などを知る私にとっては、昨日の各紙の社説を読んだからといって鵜呑みにはしない。あれらの文章から、仮にも戦争のことが分ったと言う人がいたとしたら、それは社説を書いている人が捉えた「戦争」が分ったのであるということを心しておく必要があると思う。因みに、終戦記念日について、天皇が玉音放送をしたのが八月十五日であって、ポツダム宣言を受諾した旨を国民に伝えたのがその内容だ。降伏文書に調印したのは九月二日だ。この日が終戦の日とすべきではないかとずっと思っていたが、極東ブログの「終戦記念日という神話」(参照)を読んでからは、九月七日がふさわしいのではないかと考えが変わった。

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 夕方、少し忙しくしていたこともあって、朝の気分はそのような雑多に紛れて一日が終わるのかという時、書評「私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった(サラ・ウォリス、スヴェトラーナ・パーマー)」(参照)に触れてぞくっとした。手記として戦争の経過と人の動向を書いたものでは、「アンネの日記」が直ぐに思い浮かんだ。書評でもこのことに触れている。戦争に限らず言えることに、体験者の話に直に触れる時、そこで感じることは自分の感じたことであり、同じ話を同時に他の人が聞いてもその感じ方はそれぞれだ。また、単に知識としてそのことを知るというだけではない、本文にも書いてあるが、人が人をいとおしく思う時の幸せな気持ちや、直に感じる人の「愛」に満たされるということが何かを知りたいという欲望につながるのではないかと思う。

本書を読み終えたあと、その一人一人を自分の友だちのように身近に感じるようになる。その生命をたまらなくいとおしく思えるようになる。10代の彼らは第二次世界大戦を体験し、その戦火のなかでかけがえのない体験を記した。戦争とは何か。知識や善悪の教条を超えた答えがその手記の中にある。

 冒頭のこの部分だけで、直ぐに注文した。このような本をずっと待っていたのよ、と思わず嬉しさがこぼれた。
 これまでにも第二次世界大戦を戦士の立場やその家族の話を元に書かれた書籍などはいろいろ読んできた。極東ブログの紹介で読んだに「中国に夢を紡いだ日々」(参照)や「僕は日本兵だった」(参照)などには感動した。描写に沿って読み進めるうちに、自分がどんどん内容に入り込み、やがて同化してしまうようになると時間を忘れて読みふけてしまう。そういう本だった。
 本書は、でもこれまでに出会った本とも違い、また、第二次世界大戦を見つめる角度が一定ではないらしい。読めば分るのだろうが、確かにこの戦争に対する私達の認識は偏っていると思う。それは、他を知らないという理由で充分で、その証明は不要だ。だから、単純に誰が読んでも良い本なのじゃないかと思った。
 今年の原爆記念と終戦記念では特に感じたのだが、気になることがあった。それは、ニュースや情報番組などで盛んに「戦争を忘れてはいけない」という印象付けを強いているような言葉や意図がはっきりあると感じたことだ。体験していない世代になりつつあることへの警告的な意味でもあるのか、それにしても誰もが同じようにこのことを言っているのがある種のスローガンのようで嫌だった。「皆さん、戦争を忘れないようにしましょう!」と訴えられるよりも、戦争を知るのが先ではないのかと思った。言葉が頭の上を滑っているようで、心に何も響いてこないという違和感は拭えなかった。そういった意味でも、手記による本書は待たれているのではないかと思う。楽しみだ。

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2010-08-15

極東ブログ「なぜ月遅れ盆なのか?」から「帰省」について思うこと

 娘がお盆で東京から帰ってきている。久しぶりだ。息子も大学の友人を三人連れて帰ってきている。昨日、お盆の帰省の意味や時期についてを振り返ったばかりだが(参照)、私自身に田舎というか故郷と呼べるものが無いせいか、我が子らがそれぞれの思いで帰省する今を将来どのように思い出すのだろうかとぼんやり思っていた。
 故郷がある人生というのは、私にしてみれば羨ましいことでもある。帰る家があるということだが、そういえば、猫は家につくといって、犬が人になつくのとは正反対の性質を持っている。故郷を持つというのは、どちらかというと猫だと思った。この思い方がある意味、私の気持ちを軽くさせてくれたことに気づいた。
 実家には私は居るべき人間なのだ、という考えに少し縛られていた嫌いがあった。いつか、ずっと前に、また子ども達が本当に幼い頃思ったことに「この子らがいつか家を出て行ってしまう時、ここに私が居て、子ども達の帰りを待ってやらなくては」と、思っていた。その思いは何がきっかけだったのか考えてみると、子離れできていない親としての思いだったと思う。子育てに展望があり、どんどん大きくなって育って行く姿はまぶしいくらい嬉しい光景でもあるが、反面、子ども達との距離が開くことである。遠ざかって行くことと等しいのだ、と、どこかで納得していた私だった。まあ、母というのは、子どもを産み落とした瞬間から子どもを離しているわけで、子育ての目標とは、その子が社会生活ができる大人になることだと思っている。だから、所有物ではないし、私有もできない。このように考えが固まってきた頃から、彼らにとっての田舎を私が守るというような思考回路はなくなってきている。彼らにとっての田舎、または実家というのは彼らの心の中にあることであって、私が守るべきものでもない。にもかかわらず、何故か自分の気持ちが居座ろうとする部分もある。
 この辺を分離して考えられるようになると、私は私のために生きるのだということがはっきりしてくる。少し前に書いた「しがらみ(参照)」が根深いのかどうなのか?というような疑問の答えがうっすら見えてくる。人の心の置き場はその人のものであって、私がなんとかできる問題ではないのと同時に、私は私のことをあくまでも考えることなのだと、そう思う。
 コンプレックスではないが、自分にないものを人が持っているような時、それを自分に置き換えて考えるのは難しい。判断もできない。そこを、「私はどうしたいのか」という一点だけに絞って考え通すのは冒険的だった。ここへ来て、彼らの帰省やその姿に触れて、だから見えることはあったと思う。

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ラタトゥイユでシェパーズパイを作る

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 我が家の夏の定番料理といえばラタトゥイユです。一応フランスの田舎料理の一つで、夏野菜の煮込みです。そして、今年は極東ブログから拝借したイタリアの、これまた野菜の煮込み料理で、ラタトゥイユ(☞レシピ)と何処が違うのかと不思議なくらい似ているカボナータ(☞レシピ)の両刀使いとなりました。このどちらかが常備菜として必ず冷蔵庫に待機しています。おかずに困らないためにと言ったらそうですが、とにかく美味しいのです。まったく飽きのこないこの料理には敬服しています。そして、今までにもくどいほど書いたと思うのは、リメイクの幅が広く、楽しませてくれるのです。今日はこれで何を作ろうか?と頭が料理に働く時というのは、職業に置き換えたら開発意欲そのものなのです。

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 さてと、早速今日の出し物ですが、今日はイギリスが本場のシェパーズパイです。パイといってもパイ生地がないのです(参照)。ミートソースの上にマッシュポテトを熱く敷き詰めてオーブンで焼く料理なのです。マッシュポテトとミートソースをそれぞれに作って皿の上に盛り付けたらおなじぢゃないの?なんて、突っ込みはなしにしてね。違うのです。

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 まず、マッシュポテトがこの料理によって如何に美味しくなるかが分ります。フワフワです。そのふっくらとしたマッシュポテトの間を割ってミートソースまで届くと、熱々のソースがマッシュポテトに滲んで、しっとりさせているのです。これを口に含んだ瞬間にとても幸せなんですよ。簡単な料理が如何に美味しいかを感じるいい瞬間に出会えるのです。これがイギリス料理の地味でゴージャスなところです。さて、これをフランスの伝統料理と組み合わせるというのですから、まずいわけがない。大変美味しいです。

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 最後に薄く切ったパンに乗せてサンドイッチにしてみたのですがこれも美味しい。お好み焼きをおかずに白いご飯を食べるのと同じくらいナンセンスなのですが、美味しいです。

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 まずは、フランスのラタトゥイユが、毎日食べても飽きないくらいの「通」になってください。話はそれからです。

材料

  • ラタトゥイユ・・400g
  • じゃが芋・・500g
  • 牛ひき肉・・160g
  • 牛乳・・100cc
  • 塩・・適宜
  • 胡椒・・適宜

作り方

  1. ラタトゥイユは大きな野菜の塊はナイフで切り刻んで細かくする。
  2. 牛肉を弱火から炒め、肉の色が変わったら1のラタトゥイユを加えて一緒の炒め合わせる。
  3. じゃが芋の皮を剥き4cmほどの大きさに切り、2%の食塩を混ぜたひたひたの水から茹でる。
  4. 竹串を刺してスッと通るくらいに茹で上がったら茹でたお湯を切りマッシャーで潰して熱いうちに牛乳を加えて滑らかにする。
  5. 耐熱の器に2を敷き詰め、その上に4のマッシュポテトを平らにならして敷き詰める。
  6. オーブンを230度に予熱して15分焼く。
  7. 表面に焼き色がついたら出来上がり♪

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2010-08-14

極東ブログ「[書評]日本経済のウソ(高橋洋一)」で、本音が言いたくなる

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 うーむ。
 この書籍はAmazonから新書紹介で知っていた。買いそびれたのではなく、タイトルを見て飛びつくほどの読みたい気持ちがそそられなかったからだ。そう思っていたので、書評に興味が湧いた(参照)。それによっては読んでみようかと思っていた。
 のっけからこんな書き方は高橋さんには失礼な言い方になるが、感想にもあるように、高橋さんの本を読む以外にNetで読めるコラムなどを追いかけている私にとっては、高橋さんの思考パターンが分ってきている。考え方にほぼ同意しているので、話の根拠が何処にあるか、その展開の仕方などがおおよそ分ってきている。確かに、そういう読者にとっては、この政権の山がここで越えた後から回顧のような形で総括的な部分で述べてもらいだと思う。むしろ高橋さんの見識に期待するのもがある。だからといって、現時点で興味がないという意味ではない。今回二点に絞って、感慨として記されている二点について、読み手の視点やおかれた生活環境、年齢によっては、本書に網羅された現実問題のおき場所も変わるのであろうと思った。
 そのうちの一点は、デフレも悪くはないと思えるような立場もありうるとした点だ。

年金生活者と、公務員やしっかりした労組のある大手企業の正規職員がそれにあたる。固定的な収入のある人にとってデフレは手持ちのカネを増やしているに等しい。もちろん、少しなりとも経済の全般を見渡せばそんなメリットが吹っ飛ぶくらいのこはわかりそうなものだが、後の千金のことのような政治状況はあり、率直にいえば、現在の日本の内閣は年金に依存するような老人票と、労組票を当てにしているのでなかなか変革は難しいだろう。

 この政権が誰によって何のために動いているかという見方の道標にもなるのか、裏を返すと誰が誰を支えている社会なのかということは一目瞭然だ。このことから、中間層である20歳代から50歳代の将来に対する展望は無駄だ。現状維持して生きて行くだけで、税金は自分達の将来への投資ではないということだ。なんだか感慨というよりも絶望的なものを感じた。これは、勿論、書評の書き方の批判ではない。事実だから仕方がないことだ。
 二点目は、ご本人の困惑だ。これは珍しいことが書評で書かれていると思った。

 もう一点は、私自身の困惑である。私はどちらかといえばリバタリアンなので金融政策そのものを好まないが、それでも日本の惨状を思えばそうとも言ってられない。そこでインタゲ政策は実質的に国際的にも常識でもあり、最低限度のそうした政策は好ましいと思ってきたのだが、具体的にその数値について明確に4%以下では意味がないとする議論は、頭ではそれなりに理解できても、なかなか心情的にはついてこれない部分がある。だが、そうした曖昧な弱腰の見解は結果的に日本経済の宿痾を支援しかねないのかもしれない。

 4%のリフレ率というのは、失速を意味するかに私は思う数字だ。何故かというと、デフレだからといってインフレにする必要はなく、インフレ傾向には持って行くもののインフレにしないのがいい状態だと思うからだ。極端に言うと、4%は性急なインフレ状態に陥るのではないかという懸念、というか心配がある。それは止めて、まずは2%くらいからデフレの底から上がって、つまりそれがインフレ状態なわけで、その傾向に徐々にもって行ったらどうなのかとは思う。おそらく彼もそう思っているのではないかな。どちらにしても、日本の諸先生方が4%というのならそれは4%になるのだろう。ここで2%と言ったところで、それは足を引っ張ることになるということから、それは回避したいという謙虚な心持ちから話しているのだと推察する。
 物価高の経験もしている私達世代なので、その怖さも知っている。困ったことに。
 最後に、一番の関心事であることにもきちんと触れている。

 もちろん、その時には、GDPも増え税収も当然上がり財政問題は消えている。そこをきちんと国民に納得させる政治は可能なのだろうか。
 そこが難問だと思う。だが、菅総理の日々存在感を薄くしている状況や、九月にまた御輿を取り替えようと活躍される面々を見ていると、そうした難問に悩む日はこないなのだろうなと、ほっと安心してしまうダメな私がいる。

 思い切った金融政策や日銀が動かざるを得なくなるような力はもはや皆無で、足腰の弱さがこの政権だが、後先に確固たる考えもなしに口走る菅さんの発言やその後のブレには如何せんついて行かれない。とは言うものの、では他に誰がいるというのであろう。このままでは日本はダメに決まっているが、別の意味であホッとするというのは私も同じだ。

 5年後に果たして書架から引っ張り出したくなるのだろうか。かもしれないという本書は、現実をきちんと見る上では欠かせない良書なのだろう。早速注文してみることにした。

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鯛の兜煮:暑い時に冷めた煮魚はなかなか美味しい

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 鯛のかぶと煮は、シンプルな調味料だけだというのに美味しく、煮魚の原点とも言えるのではないかと思います。かぶとの部分には「カマ」と呼ばれる身の詰まった美味しい部位が含まれています。また、煮付の醍醐味は、これらの骨の間の細部に隠れている身を掘り当てるようにして食べることです。残骸は見るも無残な散らかりようになるのですが、それが美味しかったという意味を示します。料理した者にとっては嬉しい限りです。そして、鰤には大根といわれるように、鯛には牛蒡を一緒に煮付けます。鯛の煮汁がしみ込んだ牛蒡がまた、美味しい。
 煮魚の中でも鯛の煮物は、臭みが気になる青い魚と違って殆ど生臭みを残しません。ですから、冷めて食べるのも味がしみ込んだ分美味しく頂けるのです。まあ、そうは言っても魚ですから、血生臭い部分や臭みの元になる水分は良く取り除くに限ります。笊の上で塩を振って熱湯をまわしかけてから冷水で洗い流します。このとき、うろこも綺麗に取れてしまうので後に残ることはありません。

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 牛蒡を加えるタイミングに二通りのやり方があります。
 あらかじめ下茹でしておき、魚が程よく煮えるころあいを見て味を含ませる方法と、下茹でをしないで最初に煮汁を作る時点で冷たいうちから煮る方法です。前者は簡単ですが、後者の方が牛蒡の味が抜けずにしっかりと味が残ります。今回は、一緒に加えるオクラの下茹でもあったので、牛蒡も同時に下茹でしました。

材料

  • 鯛の頭・・1尾分
  • 牛蒡・・半分
  • オクラ・・6個
  • 酒・・カップ1
  • 醤油・・カップ1/2
  • みりん・・カップ1/2

作り方

  1. 頭は縦に二つに割り、両面に塩振って10分ほど置き、熱湯を沸かして両面に回しかける。
  2. 1を流水で洗い流し、特に血の塊などを全て綺麗に洗い流し、鱗も取れるものは全て取る。
  3. 牛蒡を洗って細長い乱切りにする。
  4. お蔵はヘタを丸く切り取る。
  5. 鍋にお湯を沸かし、オクラを2~3分茹でて冷ます。
  6. 同じお湯で3n牛蒡を2~3分色が変わるまで下湯でして笊に引き上げる。
  7. 平鍋に酒、醤油、みりん、を加えて一煮立ちさせ、2の鯛の頭の内側を下にして並べる。
  8. 落し蓋をして10分ほど煮込んだら牛蒡を加え、煮込む。
  9. 最後にオクラを加えて一煮立ちしたら出来上がり♪

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極東ブログ「なぜ月遅れ盆なのか?」これね、ずっと不思議だったこと

 お盆は何故八月中旬なのか?と、以前気になって調べたことがあった。極東ブログにもあるが、なかなかこれといった答えが出てこなかった。どうしても知っていないと困るということでもなったのでそのままになっていたが、きっかけは、この田舎に来て、この土地の習慣として知っていないと困ると思ったことが起こったからだ。当時はNetはなかったので、図書館で調べたりしたのが懐かしいとさえ感じる。
 読み進めるうちに、その答えにあたる部分が偶然にも中盤の下りにあって、何年ぶりだろうか胸のつかえが下りた(参照)。
 私は東京近郊の、昔、ベッドタウンと呼ばれた地域に、九州の長崎から移り住んできた言わば移民だった。九州出身の両親だが、父の仕事の都合で九州を離れる一大決心でもあったのだと思う。私は当時5歳くらいで幼稚園児だった。以前書いたが、両親ともに偶然結婚前は満州(現在の中国)に長く暮らしたため、殆ど日本のしきたりや風習などには頓着しない。そのお陰をもって、私自身もまったくそのしきたりのような儀式の型にはまっていない。だが、いい歳をしてそんなことも知らないの?と、知らないと恥ずかしいこともあるのが田舎の特徴でもある。
 さて、何が極東ブログで分ったか?それは、お盆の帰省の理由だ。彼の両親が信州人であるため、お盆には親類縁者がこぞって実家へ集まったと言う話だ。また、出稼ぎや集団就職などで都会で働く人々が、盆暮れ正月の休みに帰省するという、現在では「帰省ラッシュ」と言われている人々の動きにつながっているこということだ。これを知って初めて、くだらない遠慮をして昔損していたのだと思った。そのことはさておき、そして、お盆に田舎に帰ってきた若者達は、旧友との再会にクラス会を催すことが多い。家族ぐるみの帰省では、13日にお坊様を迎えて仏壇の位牌にお経を唱えてもらい、先祖に家に帰ってきてもらうため迎え火といって、白樺の木の皮を玄関先で焼く。15日にはその霊に戻ってもらうために送り火をする。家中はなんとなく賑わい、人の声がどの家からも聞こえて田舎のお盆の風情を感じる。
 私は、お盆とは、先祖の霊を一年に一度供養し、そのために集まった親類縁者とのつながりを確認するためのように思っていた。何故お盆は八月なのか?と、疑問に思ったことはなかった。まず、帰省という時期が、ここで設けられている先祖の供養の時期と一緒になっているものだと思っていた。いや、これが間違えだと言うのではない。このように移り変わってきたという背景に、一種の皇民化政策のようなものだったという、明治以降の変革がきっかけだったことは知らなかった。そして、明治以降というのはそれほど大昔のことでもないことにも驚いた。私の両親の親、つまり、私の祖父母の時代のことだ。だからだと思う、満州に移り住み日本の風習から遠ざかり、考え方もすっかり変わってしまったため、お仏壇もなければ実家もない両親だ。先祖の供養などおおよそ関係ない新興家族であった。そこに生まれたのが私だ。その私が、この古いしきたりを守る信州の田舎に移って来たというのだから、地元の人にとってもカルチャーショックだったに違いないのだと改めて思い、変に納得した。
 一番困ったのは、嫁としてはいつ実家に帰ったら良いのかという問題だった。まず、自分から帰りたいなどとは言えない。姑も、帰ってもいいよとは言わない。実家に帰るのにそれ相応の理由が見つからないうちは帰れないと思っていた。これがくだらない遠慮で損をした話だ。私の実家には先祖の供養をするような儀式はなのだし・・・でも、世間では、帰省は盆暮れ正月だ。私にも盆暮れ正月があってもいいんじゃないのか?と、悶々としていた若かりし頃を思い出した。
 文句を言いたいのではないが、新旧の暦が皇民化政策の一環だったとするといい迷惑という嫌いもある。紛らわしいことこのうえない。一々新旧の暦と照らし合わせたり、地域差の温度も考慮しなくてはならない羽目に合ってきているわけだ。
 ところで、ハッピーマンデーという、休日を月曜に返上するという動きのため、本来その記念日とされてきた曜日の記憶が微妙に薄らいできた。これにもなんとなく寂しさがある。その上、新旧暦の催し事に加えてこの変則的な祭日が絡んでくるというのは、ますます計画が立てにくくなった。マッタク。え、何が?って、遊ぶ計画のことだ。

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2010-08-13

焼肉用牛肉スライスで「づけ」を作ってみた

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 「牛肉の漬け」は、我が家のお盆にもこのレシピが活躍しそうな予感があります。マグロのづけ丼でおなじみの「づけ」なのですが、牛肉のたたきなどでカルパッチョを作ることからヒントを得ています。といっても、それほど大げさな料理でもないのですが、生の牛肉に抵抗のある人もいて、どうしたものかと考えていました。思いつきのような料理ですが、生に限りなく近い焼き加減が何処までできるかにかかっています。
 用意する牛肉は、市販の「焼肉用」の厚みが丁度良いですし、ご丁寧に一口大に切ってありますから、そのまま使います。また、画像は脂のあまりない赤身の部分ですから、火が通ると筋が気になります。そこで、軽く指先で片栗粉をほんの少しぱらぱらと散らして、魔法をかけておきます。焼いた後につけるタレが良く絡む上、片栗粉によって肉汁が保護されるので大変柔らかくジューシー焼けます。脂の多い肉はそれだけで十分美味しいので、片栗粉の魔法は必要ないでしょう。

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 さて、焼き方ですが、とにかく弱火で焼くことです。ジューッというような音はしません。静かにゆっくり焼きます。肉の上に血が滲んできたら裏返し、肉の色がすっかり変わったらタレに漬けます。このタレには魔法はなく、醤油と酢を二対一に混ぜ合わせ、昆布を一片入れておいた作り置き調味料です(☞レシピ)。これだけです。
肉の部位によっても食感は違うので、焼き加減を練習しながら、実際味見をしてみると良いと思います。

材料

  • 牛赤身焼肉用スライス・・250g
  • 大葉・・10枚
  • 茗荷・・5個
  • 細葱・・3~4本
  • 酢昆布醤油・・大さじ3
  • 片栗粉・・小さじ1

作り方

  1. 肉に指先でぱらぱら片栗粉を両面に振りかける。
  2. バットに酢昆布醤油を用意する。
  3. 盛り付け皿に大葉、千切りの茗荷を盛り付け、細葱は5cmに切りそろえる。
  4. フライパンに油を薄く塗り、肉を広げて弱火で焼き始める。
  5. 肉から血が滲んできたら裏返し、完全に色が変わったら2のバットのタレに漬ける。
  6. タレに2~3分漬けた肉を3の皿に並べながら全ての肉を焼き、最後に細葱をあしらう♪

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死に急ぐ人を思って

 昨日、NHKの解説委員影山日出夫氏がNHKのトイレで首つり自殺を図り、搬送先の病院で亡くなったと知った。56歳だったそうだ。50歳代の死がこのところ続いている。ショックを受けている。人の死に遭遇するのはいずれにせよショックだが、歳が近いと、自分と照らしていろいろ考えてしまう。また、遺書があったようだが、体調を気にしていたと言うような部分だけ、少し報じていた。自殺の場所が職場と言うことに、無言の訴えのような意図的なことでもあったのだろうか。
 「日曜討論」は、毎回と言うほどでもなかったが、政局に何が起きたり、その時々に関心事があるとラジオの音声かTV放送を見ていた。今月の8月1日放送は影山さんが司会を担当していたと思うので、あれが彼の最後の出演になったのだろうか。歯に衣(きぬ)を着せない、ストレートなものの言い方で、かなり鋭い指摘をする人だと感じていた。ジャーナリストであり、解説委員を務めるのであるならば相当だと思っていた。もしかしたら、NHKという枠にいなかったらもっと溌剌とした姿を見られたのではないかと想像していた。こういったポジションの人を亡くしたということも残念だが、歳の近い人が自殺したことが何よりもショックだ。
 ここ二日ほど私自身の心の中のことを書いているが、意図的ではないが、心の中にとぐろを巻いて絡まりあっている雑念を、浄化しながら不要なものを吐き出そうとしているのだと思う。それがまだ良く出せていないのだが、微妙に心の不安定を作っているものを暴き出そうとしている。そう思う。自殺に至る心境は語れないとしても、不安定な心情の時、自分を信じられないというのが一番危ない時だと思う。自分が分らないがため、非常に不安になる。そのきっかけとなりやすい年齢が、50歳代にはあると思う。またはリタイヤする年齢辺り。
 結局、年齢というよりも人生に対して真面目過ぎるというか。今の50代は、日本の高度成長時代を生きてきてこの長いデフレに立会い、しっかりと時代を見てきている。働く世界の動きも敏感に感じ取ってきている。心のどこかに、古きよき時代と現実との差異を感じつつ自身の生きる場を模索するような、奔走するような焦りのようなものがあるのではないだろうか。影山氏の自殺で気付かされたようなものだが、昨日までの私自身を振り返ると、その焦りの表れではないかと思った。
 生きようともがいた結果、何処かに諦めというピリオドを打ってしまった時、行き着く答えを自殺に求めてしまうのではないだろうか。心の訴えは結局誰にも届かないのだし、仮に届けたい人に届いても直ぐにどうすることもできない現実があれば、勇み足ということにもなる。一日寝て起きれば、死にたい気持ちは収まっただろうに。それが、待てなかったのだろうか。
 生きていさえいれば何かが変わる。今日どうにもならないことでも、寝て起きたら気分だけは変わっている。昨日のようには思わない。また、ある日、まったく期待もしていなかったようないいことだってある。ないこともある。なかったら、また寝て一日置いてみる。そういうなんでもない繰り返しが生きるということだったりする。あまり意味なんてない。
 自殺するなんて、なんて身勝手な人だろうかと思う。究極の頑固野郎ってだけだ。後に遺された者のことも考えない身勝手な大馬鹿野郎ってだけの話だ。
 その悩みを打ち明けてもくれなかったという無念さを悔恨の思いとして一生背負う周囲の人間を、そこまであなたは恨んでいたとでも言うのだろうか。

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2010-08-12

極東ブログ「南シナ海領有権問題に関わる中国と米国」と中国メディアの比較

「中国の列島線突破に驚き恐れる日米」(中国網日本語版(チャイナネット))

 というクリップ記事がTwitterで目に止まった。最初この記事内容は、中国式に正当性を誇示している書き方(内容)だと感じた。なんとなく気になってもう一度じっくり読んでみた。どうも腑に落ちない。先日、極東ブログで取り上げ、この海域の緊張と言うべきか、どちらかと言うと中国の鼻息の荒さをアメリカが沈めようとしている状況を思い出した(参照)。良い機会なので、中国の記事と事実関係をあたってみることにした。
 まず、第一列島線と第二列島線という軍事戦略上の概念だが、これは中国鄧小平の意向で、後に打ち出された中国人民解放軍の近代化計画の概念であったはずだ。こうなったのも、中国とソビエト連邦との冷戦の終結後、国境問題が解決したため中国の陸軍中心だった解放軍の問題は台湾問題に移行した。つまり、台湾を支援するアメリカを牽制する必要が出てきたのだ(参照)。
 すると記事本文のニュアンスが微妙に違う。その引用部分はこの辺りから。

中国の軍事専門家である戴旭氏は、「冷戦終結以降、米国が構築し中国の封じ込めに用いてきた列島線は未だ消滅していないのみならず、かえって絶えず伸長し、陸海両面での(中国)包囲網を形成している」、と主張する。戴氏の指摘によれば、米国は現在中国に対して、「C字型包囲網」を形成しているという。海上の包囲網は日本からインドに至り、陸上の包囲網はインドから中央アジアに至る。「“第一列島線”であろうが“C字型包囲網”であろうが、いずれにせよこれらが米国の地理戦略上の中国に対する桎梏であることは確かだ」と、戴氏は続ける。

 そうだろうか。何を根拠にこのように言われているかそのソースは分らないが、極東ブログで引用されていたクリントン氏の発言では、米政府のこの海域についての考え方は明確だ。以下がその引用だ。

I’d like to briefly outline our perspective on this issue. The United States, like every nation, has a national interest in freedom of navigation, open access to Asia’s maritime commons, and respect for international law in the South China Sea.
南シナ海の領有権問題について米国の考え方の概要を述べたいと思います。米国にとって、他のどの国々とも同様に、航行の自由、アジア公海がすべての国に開かれていること、そして東シナ海における国際法の遵守の三点は、国益をなしています

The United States supports a collaborative diplomatic process by all claimants for resolving the various territorial disputes without coercion. We oppose the use or threat of force by any claimant.
米国は、多様な領有権問題の解決に向けて、強制なく関係国が協調外交を展開することを支援します。米国は、関係国がどの国であっても、軍事的脅威の行使に反対します

 先日のエントリーと重なる部分でもあるが(参照)、この声明の趣旨は、中国に軍事的脅威の行使を「やめれ」と言っている。該当の記事では、日米がこの「概念」を持ち出しては中国にやいのやいの騒ぎ立て、結局不安になっていると解釈しているようだ。

近年の中国海軍の軍事力発展に伴い、排他的な制海権を追求する米国と日本は再び「列島線」概念を持ち出し、中国海軍が西太平洋における日米の影響力に対抗することへの心理的な防御線としての役割を見出している。そしてまた、中国海軍が前進の一歩を踏み出すごとに、日米両国は不安を覚えるのだ。

 この後に読売新聞の関連記事に言及して、「「最近の演習は、中国海軍が“第一列島線”外にまで展開を可能にする現代化を遂げたことを示している」、と述べた。」としているが、その該当記事は既に極東ブログで、唯一日本が取り上げた記事だとして引用されている。以下がそうだ。

中国の軍事演習については日本国内でも報道はあった。7月31日付け読売新聞「南シナ海で中国海軍演習、米・ASEANけん制」(参照)がその例である。

中国やマレーシアなど6か国・地域が領有権を主張する南沙(スプラトリー)諸島などを抱える南シナ海で、中国の胡錦濤政権が7月下旬、海軍による大規模な実弾演習を行うなど軍事力を誇示した。
先の東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)で南シナ海問題に結束して対処する方針を打ち出したASEANや、関与姿勢を強めている米国をけん制する狙いがあるとみられる。

 中国の解釈はおかしい。明らかに偏っている。ここで読売新聞がヘタに書かなくて良かったと内心ホッとしたが、明らかに中国網日本語版の表現が偏見めいている。だから何?って、特に何か変なことがこの先起こるとも起こらないとも言えないが、あちらの新聞の内容の通りではないということと、いち早く極東ブログがエントリーしていたことが、何よりの救いだと感じた。こうして比較してみて、自分で状況を検証できるということは何より心強いことだと思う。嬉しいことだ。
 これは、日本のメディアも考察できなかったわけで、まったく日本の新聞には愛想を尽かしてしまう。現に、報じられているソースは皆無だ。極東ブログには、今後もこのままの姿勢でお願いしたい。

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焼き茄子のヨーグルト和え(トルコ風)と豆腐のオリーブオイルソテー

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 やっと諏訪でも茄子が実り始めました。しかしながら、私の畑の茄子は、如何せん伸び悩んでいます。大きくなりません。雨が少ないとナスは良く育たないと言われているので、おそらくそうなのでしょう。何処のお宅でもそう話しています。
 今日のナスは別の地域に畑を持つ方から頂いた茄子で、ヘタを含めて長さが15cmほどです。育て方にも寄るのだと思いますが、地元の茄子は割りとアクが強いと思います。これは、みず茄子との違いは歴然です。丸ごと焼いてしまうとそのアクが旨味になるので、色は気にせずに使うことにします。

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 皮ごと丸焼きにすると中が蒸されて速く火が通ります。表面の皮の色が焦げてきたら時々場所を変えて、全体をグリルで焼き付けます。いい感じにしわしわに焼けたらすぐに水に浸し、粗熱が取れたら皮を剥きます。普段はここで鰹節とお醤油、卸し生姜などで和風で頂きますが、今日はトルコ風に卸したにんにくとヨーグルトを塩味で和えました。夏ばて気味にはにんにく料理、と思って作りました。こっそり教えちゃうと、ヨーグルトと一緒だと生にんにくの匂いが口の中に残りません。これ、本当です。
 また、ミントの葉でもあれば、きざんで混ぜるとさらにさっぱりとして美味しくなりますよ。
 今日は、先日作った木綿豆腐の薄切りソテーと焼きトマトが美味しかったので(☞レシピ)、これに添えて一緒に食べました。豆腐は味が凝縮して甘くなっていますし、茄子とトマトは元々相性がいいので、美味しい組み合わせとなりました。 

材料

  • 茄子・・中3本
  • ヨーグルト・・100cc
  • 塩・・小さじ1
  • 胡椒・・適宜
  • 豆腐ソテー☞レシピ
  • ミニトマト・・6個
  • オリーブオイル

作り方

  1. ナスはヘタをつけたまま丸ごと、時々場所を変えながらグリルで焼く。
  2. 豆腐をソテーし、ミニトマトも一緒に焼く。
  3. 茄子の表面が張って、皮の内側の身が縮んだようになったら取り出して冷水に浸し、皮を剥く。
  4. 縦に細く裂き、長さを3等分に短く切る。
  5. ヨーグルトと卸したにんにく、塩、胡椒を混ぜ合わせ、3を和える。
  6. 皿に豆腐のソテーとミニトマト、茄子のヨーグルト和えを一緒に盛り付ける♪

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しがらみとか

 こういうことが悩みの元になるとは思わなかったことに、私にとっての田舎暮らしというのがある。
 20年以上前にここに飛び込んできて、10年一昔ということから思うと二昔以上もここに住んできている。長い。そして、数年前までここの暮らしに馴染む努力をしてきた。この「努力」という言葉も切なく空しい言葉なのだが、あまり名誉な生き様とは思っていない。
 私の生まれのことも、育った基盤にあたる土地のことも以前ここに書いた。都会からこの田舎に飛び込んできて、この土地に馴れるための努力も話してきた。だからもういいんじゃないかと、終わることでもない。昨日「そんな格好はしたくないんだ、と思っている私の思いはどうすればいいの。」(参照)で、話が終わったが、この土地の人間になることの難しさといったらいいのか、私の努力が足りないと言ったらいいのか、ここから既に本当の思いが書きにくいというところ。私の居場所がないという問題だ。これまでで限界かな、という問題。
 少なからずこの土地にお世話になりここで生きてきた二十数年の歳月は、私が一人で努力しただけではないだけに、自分を受け入れてくれた土地や人々に、後ろ足で泥をかけるようなことはしたくない。が、その思いとは別に、私自身の問題としてやはり書いておきたいと思う。
 私が住むこの地域は、いわゆる新興住宅地ではない。先祖代々、お家制度のもとに長男が跡を継いで守られてきている家が殆どだ。当然高齢者も多く、女性は、「嫁」である。古い考えがずっと引き継がれている上、どう考えても現代社会では不条理だと思うような地域の決まり事にも従わなければならない。これらのことを承服し、我がこととしないでは住んでいられない。そうでなかったら自分自身の居場所なんてないのも同然になってしまう。これが「村八分」の言葉の示す通りの悲惨な状態になるのは目に見えている。
 「どこの人?」と、ずけずけと容赦なく聞かれる。名を明かすと、「へー、嫁さんだったなんて知らなかった」と言われ困惑する。つまり、これは後から知ったことだが、自分に挨拶がないということに嫌味を含めて言っているのだ。この意図を理解できる賢い人は、まず自分の無礼を謝ることができる。すると、付き合いは非常にスムースに運ぶことができる。私はというと、見ず知らずの人に「あんた誰?」と聞かれた時点でアウト。引いてしまう。やっと答えても、自分にある違和感が相手に伝わってしまうので、時既に遅かりし。これは極一部の話だが、このようなちぐはぐが何年も続き、子どもができると学校の付き合いも始まったが、よそ者の私は何も知らないため、この土地の嫌われ者と一緒に役員をやらされて何度もひどい目にあった。
 まあ、何処に行っても何をしてもこの土地のやり方に従うしかないのだが、これに当てられるエネルギーは、決して私自身の本心からではなかった。まあ、子どものためかな。かといって装ったつもりもないが、その甲斐もなく、結局この土地の人間にはなれないということが分った。この土地にきたら、この土地のやり方に従うしかないと思ったのは数年前だ。それまでは相当私も「出る釘」に見られていたに違いない。それまでの私の認識では、まともな男は女相手に目くじらを立てるようなことはないと思っていたが、ここではそうではない。特に他所から来た他所の「嫁」には。だから、もう諦めた。
 抵抗することは、私が自分らしくあるための一つの主張でもあったが、無駄なのだと分った。相手は、私の主張を受け入れることは「折れる」ことだと思うらしい。そんなことは絶対にしない人達だから、だからガツンと壁を厚くする一方だった。そう、居場所がないというのはこのことだ。20年以上ここに住み着き、この土地の人間になろうと、私自身を出してきた結果、なれないということが20年経ってから分ったということ。
 新興都市から来た人間にとっては、古さは異文化である。決して嫌なことではない。でも、それに馴染むことを難しくしているのは何かなといったら、それを守る人たちに宿る「辛抱強さ」かもしれない。私には、その辛抱強さの背景となる「嫁」としての基本がない。
 話は「後ろ足で泥をかける」の部分に戻るが、結果的に私の辛抱が足りないにしても、これまでの関わりでうっすらと敷かれたしがらみは残ってしまった。20年以上かけて、薄く塗ってきた「しがらみ」という化粧のようなものだ。このことも前に書いた。私の手足にべったりと付着しているものもある。これらをどうするか。結構深い部分でもあるかに見えたり、さらっと一掃できそうにも見える。
 20年以上かけてへばりつきしがみつこうとした結果、中途半に終わり、今度はそれによって培ったしがらみを解こうというのだ。
 この作業で、私の人生が終わってしまうのだろうか。いや、そうはなりたくないものだが。

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2010-08-11

夕顔と鶏肉のつるっとした炒め物

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 夕顔は長野県の農家でよく作られているというのは聞きます。何故かというと、干瓢(かんぴょう)の原料だからです。干瓢の生産量はさほど多くはなく、地元で消費される程度かもしれません。
 大きなヘチマのお化けのようで表面は黄緑色のつるんとした瓜です。中身は冬瓜によく似ていますが、もっとずっと滑らかな歯ざわりで、先日沖縄の野菜、赤毛瓜(アカモーウィ)で作ったようなスープをよく作ります(☞レシピ)。炒めても食感は素晴らしく柔らかで滑らかなのは同じですが、それにただただ感激しながら食べてしまうのです。野菜にありがちなごわついた繊維質の食感がまったくない、と言ってもよいくらいです。

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 今日は、この夕顔の食感に負けないくらいつるっと食べられるように、鶏の胸肉に軽く片栗粉をまぶして軽くソテーしたものを一緒に炒め合わせました。あまりスープは加えずにあっさりとした塩味と胡麻油をほんの少しだけ香り付けに使いました。夕顔は、すぐに火が通るので、軽く炒めるだけです。また、皮を何処まで剥くのかと、よく聞かれます。確かにピーラーで剥き始めるとそういう疑問にぶつかります。硬くないとこでは、緑色の筋がなくなるまでが良いと思います。思い切って厚めに剥いた方が良いです。重さでいうと、最初の重さの半分近くは皮と芯の部分の種と綿で捨て去ります。
 また、中心の種をくり抜くのも、種が取れさえすればよいのです。中には、この綿が美味しいといって、種だけ取って綿を味噌汁の浮き身にする人もいるほどです。

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 夕顔の身はほんのり甘味があるので、この場合は下茹ではしません。一口大に切り、油で炒めて調味料を加えたら数分蒸し煮します。夕顔が透き通ったら、あらかじめ火を通しておいた鶏肉を加えて炒め合わせるだけです。
この炒め物もすぐに出来上がりますが、冷たくして食べても美味しいので夏には、作るに良し食べるに良しの嬉しい料理です。

➠お弁当に


材料

  • 夕顔(皮付き750g)・・皮と種を取り出して350g
  • 鶏胸肉・・180g
  • 片栗粉・・大さじ1
  • 塩・・小さじ1
  • 酒・・50cc
  • 胡椒・・適宜
  • 胡麻油・・小さじ1
  • 大葉・・適宜

作り方

  1. 夕顔を2~3cm幅の輪切りにし包丁で表面の緑色の部分の皮を厚く剥く。
  2. 中心の種の部分をくり抜き、一口大に切り分ける。
  3. 胸肉は5mmほどの削ぎ切りにし、肉叩きで薄く均一な厚みにし、片栗粉を軽くまぶす。
  4. フライパンにオリーブオイルを引き、3の胸肉を並べて弱火で色が変わる程度に軽く火を通す。
  5. 同じフライパンにオリーブオイルを引き、2の夕顔を炒める。
  6. 全体に油が回ったら胡麻油以外の調味料を全て加えて蓋をし、透き通ってくるまで蒸し煮する(5~6分)。
  7. 最後に4の胸肉を戻しいれ、胡麻油を注して味を馴染ませたら器に盛り付け、大葉を乗せて出来上がり♪

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少し悩んでいる

 情感的なものは高校生の頃の私なのかもしれない。人を感じたり、その関係性や自分自身とのかかわりを思うときに、高校生の頃の私がたった今感じ取っているのではないかと気づいた。感じ方に進歩ってあるのだろうか。このことに関しては、ある一定の年齢から変わらないのじゃないかな。それが幼稚といえばそうなのかもしれない。そこがいつまでも大人になれないでいて、歳だけはとっている。自分の中でそれがものすごくアンバランスな部分だという、恥ずかしい思いがある。こんなことは外には出せないと。
 あるブロガーで、感じいていることをそのままメルヘンのような世界として書く男性がいる。それは、妄想の世界のようだが、よく読むと、自分の心の中を描いているのじゃないかと気づいた。私にはよく分らない世界観なのだが、メルヘンな世界とでもいうか、繊細な感覚的な部分に触れているのだということが分る。それは、書くという技法なのだと思う。読み手にはどのように伝わろうと、自身の中で解決できていれば問題のないことだ。書き表し方は如何様でも良い、ということなのかな。
 書きにくさを感じている時、脆い部分なのだということが分ってきた。ある人に、私はここに激白していると言われたが、そうでもない。自分の中から上手に出せていない。書きながら頭のどこかで同時に、書いていることを否定するような思いが過ぎる時があって、立ち止まってそこに向き合おうとすると手が止まる。書けないのは、そこに向き合えないからだと気が付く。向き合おうとすると、見えなくなる。この辺の自分がよく分らない。ちっとも成長していない。
 このプツンととまってしまう部分から先は、私が人の解釈の選択に任せようと求めている部分かもしれない。他の力に依存して、いつまでも私自身が自信のない部分としてそこに置き去りにしているのかもしれない。向き合えないのではなく、向き合おうとしていないのかもしれない。逃げているのかもしれない。少し悩んでいる。
 書く場所を与えられても、書かないのではそれが悩みになる。この思いというのはどうしたものか。
 外出する時は着替える。本当は今着ている洋服の儘がいいと思っている私。でも、外に出るなら、歳も歳だし、人の目があるし、それなりの身支度ってするものなんでしょ。だから着替える。すると、そんな格好はしたくないんだ、と思っている私の思いはどうすればいいの。それが、いつも置き去りになってしまう。

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2010-08-10

極東ブログ「南シナ海領有権問題に関わる中国と米国」の謎解き

  クリントン発言の何が問題かと問うことで見えてくるものは何かと、漠然と思っていたが、どうもそういうことではないらしい。「問題の根は深く展望もない」と始まっているが、相当量の情報が詰まっている(参照)。しかも、日本では殆ど報じられていないにも関わらず、二点ほど日本にとっての重要な示唆があり、日本で報じない理由が分らない。というか、日本の新聞社ではこの動きは読めないのではないかと思う。余談だが、最近の大手各紙の社説は「君子は危うきに近寄らず」か、まったく的を得ていないかのどちらかで、うだつが上がらない。
 さて、事の粗筋は読んでもらうとして、私としては内容を把握しておきたいと思う。
 南シナ海の領有権を巡って中国とアメリカが互いを牽制しあうというやり取りから始まっている。中国という国は、本当に陣取りが好きな国だ。今のところはけん制を送るという所に留まっているが、この領有権問題で、アメリカとかつての敵ベトナムが一緒になって中国に対抗すれば大きな問題に発展するのではないかと、ひやりとした。
 中国が南シナ海域を支配下に置くことを目指しているのに対して、アメリカは公海という位置づけの元に、周辺の各国が有効利用できるようにすることがアメリカの使命であるとしている。これに言及して中国にけん制を送ったのがクリントン発言だ。が、内容によると、この発言の前に、既に行われたシンガポールでの第9回アジア安全保障会議で、ロバート・ゲーツ国務長官が同じような発言をしたそうだ。つまり、その頃から中国の動きは始まっていたということだと思う。そして、クリントン氏の領有権に関する言及が7月23日だったにも関わらず7月31日には、その発言に牽制したとも思われるデモンストレーションを行った。これが、読売新聞で最初に報じられた記事のようだが、ファイナンシャルタイムズがより簡潔にまとまっているそうだ。

南シナ海で問題が醸されつつある。中国政府は、三艦隊を南シナ海に派遣して軍事演習を行い、盛大に軍事力を見せつけたばかりだ。見落とす人がないように、テレビで放映したほどだった。

この軍事演習は、南シナ海についての発言で中国政府を怒らせたクリントン米国務長官への直接的な返答ではなかったのかもしれない。それでも、この軍事演習は中国の拡大しつつある軍事力を強く留意させるものであり、同時にこの海域に軍事力を投入する意思を示すものでもあった。

また、これに対してアメリカも黙っているわけではなく、

この手のコミュニケーションに慣れている米国も同じ次元できちんと応対している。

横須賀から早速原子力空母ジョージ・ワシントンを出している。

正確には、空母ジョージ・ワシントンの訪問は、米国