2010-08-02

finalventの日記「これだけど ⇒誰が何をネグレクト? - Chikirinの日記」につして雑感

 正義をかざした社会悪撲滅の運動家が一般市民に漠然と問いかけ、行政の不備をちくりと刺すような、そこを刺激するような意図で書かれたエントリーかと思った。
 finalventさんのクリップした「Chikirinの日記」(参照)の書き手と内容に対する指摘に、私もほぼ同意だ。

 女性ということになっているちきりんさんが、他者として、そして大半は暗黙に男ということになっている修辞的な問いかけで問題の枠組みが設定される。そして修辞性の効果として、経済問題だけに捨象される。だからネタなんだということかもしれないが。
 この問題はしかし、「あなたとわたし」という市民の直接性の枠組みのなかで、市民が罪責を問う形にしないと、経済の外で問われている部分に気がつかないし、暗黙に問われた他者として疎外された倫理の弁解の延長に、市民の直接から乖離した正義が生まれることになる。(慈愛の王を自然に生み出す。)

 「修辞性の効果として、経済問題だけに捨象される」で同様に思ったが、この事件を社会問題としてしか取り上げないというのはいかがなものかという突っ込みを入れるに値しないと思った。理由は、人間愛のないブロガーなのだと思うしかないが、それはご本人が書いたのはそれだけなので仕方がない。そういった批判をしたところでおそらく伝わらないのではないかと思う。また、「慈愛の王を自然に生み出す」という点は、ブロガーが気をつけなくてはならない部分でもある。お涙頂戴的に展開すると、周囲に「正義」という剣をもって戦いたがる人が生まれ、別の権力を作ってしまうことにもなる。それをわざわざ引き出そうというのだろうか、このエントリーは。と、突っ込んでみる。

 正義が制度を超えて幻視される怖さを知るなら、正義を制度のなかにきちんと閉じ込め、その先に倫理を問うのであれば市民の直接性に依拠するしかない。つまり、「わたしは」という問いで問われなくてはならない。「ちきりさん」という女性であるなら、産むものとして。finalventという男であるなら、産ませるものとして。つまり、母であり父として。(母としてというなら、おそらく大半の女性がこうしたネグレクトに内省的な共感を持っているはずで、その感受を隠しているちきりんさんは欺瞞なのだが。)

 ちきりんさんて男なの?そのことはどうでもよいのだが、自分を女であるかのように装ったブロガーだから内容がしょぼいのだと言いたいのではなく、そのような欺瞞を必要とする姿勢は、既に信頼関係が不在だというちきりんさんの証明になってしまっている。
 弁ちゃんの言うように、女ならこの事件が我が事になるので、のっけから二人称で始まるのは極めて違和感のある書き出しだ。それによって、ちきりんさんが社会の不特定多数の「あなた」に問うというスタンスが明確化する。そして、そのスタンスは、自活できない若いシングルマザーを放置する行政や別れた夫の養育の責任、実家の協力、最後に少子化対策の枠で何とかすべきじゃないのかというような展開になっている。二人の幼子の育児放棄をした若いシングルマザーは、社会が守るべきだという匂いを文章に織り込んでいるようだ。その慈愛に満ちた正義感溢れる内容に共感するブコメが並ぶ(参照)。
 釣られてブックマークコメントが増えているのか、それを見ると、ちきりんさんにとってはきっかけは何でも良いのかもしれない。だが、政府や行政を叩く人が増えさえすれば、それが、ちきりんさんの狙い通りなら良かったねという問題じゃない。
 当事者であるあの若い母親が一日も早く更正し、二度と同じ過ちを犯さない人間になると同時に、彼女が一生その自責を背負っても生きて行かれる環境はどうなのだろうか?と気になった。つまり、私がその環境になることだと感じた。
 彼女が幼子を放置したのは私のせいです。と、何処まで私自身がわが事ととして考えるか、ということが私でできることだと思った。
 ちきりんさんの芸風だと片付ければそれで済むが、あのブックマークコメントを見て、人から引き出す感情があそこまでまとまると、これは一種の「徒党」となって社会に繰り出す世直し人の集団だ。それこそが正義という悪になるのではないだろうか。

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