2010-07-21

極東ブログ「カイロプラクティックと米社会」について

 うーむ。やはり厚労省で認められていないと、いろいろと難しいのだと思った。第一に、「医業類似行為」としての扱いになってしまう上、当然医師会も認めないので、日本人の一般認識としてのカイロプラクティックは「偽医学」というレッテルが貼られやすいようだ。これについて正当化するようなことを書くと、罵倒の槍玉に挙げられてしまうのですね。「偽医学」と言う方々の気持ちに火をつけてしまうだけでは無責任に終わる上、エントリーの言わんとする本質部分が違った解釈で一人歩きをしてしまうのは言うまでもない。補足エントリーを書かれるのは筋だと思ったが、やはり極東ブログのこの一連のエントリーは正しく読まれていないのだというのも事実だ。
 極東ブログで一貫して話しているのは、アメリカではカイロプラクティックは、正規の医療行為だと認められていると説明しているにもかかわらず、「偽医学」だと、どうしても言いたい人がいるようだ。私の先日のエントリー(参照)も引用されて、わざわざ自身の無理解度と無知度をご披露された方がいた。その件で私も極東ブログと同様、誤解なきようにと一エントリー挙げたところだった(参照)。しかし、追加エントリーは突然の「おまけ」のような感じで嬉しいものだ。
 カイロプラクティックの創始者であるD.D.パーマーが息子のB.J.パーマーに、実は車で轢き殺されたという話があるそうだ。これはデマか事実かははっきりしないが、書かれている文献は「代替医療のトリック(サイモン・シン、エツァート・エルンスト)」(参照)。この書籍は、私を槍玉に挙げたブロガーさんの勧めていた本だ。なるほど、ホメオパシーをはなから「擬似医学」と思い込んでいるいる方々は、この本の崇拝者であり信者なのだろうか。エントリー中の引用を読むと、父親と息子の不仲が、息子の父親殺しの背景にあるとしている。これだけの文面ではそうかどうかも分らない。だが、読む人によっては、父親を殺したのは息子なのだと深読みするのかもしれない。これを公平にこのように言い定めている。

だが、同書の描写と「との見方もある」の文脈はあまり公平とは言い難いように思う。特に、代替療法の批判者が公平でないと見なされるなら、その批判も割引きされて読まれてしまう懸念もある。カイロプラクティックには、首への施術など危険と見られる施術もあり、この危険を的確に指摘した同書には、より全体的に公平な記述が求められるだろう。

 また、カイロプラクティックがアメリカで医療行為だと認められたきっかけの裁判が面白い。この裁判の展開を知って、日本でもこのような裁判が起こればよいのにと思った。発端は、医師会による市場独占のための数々の嫌がらせが、独禁法にふれた事だったそうだ。ここで勝訴したカイロプラクティック側は、誰からも邪魔されることなく開業へ道が開けたということだ。 
 今朝のエントリにも書いたが(参照)、私が以前かかったカイロオステプラクティックの先生は、近所の正規の外科内科医からの信望も厚く、互いが協力し合って、適材適所とでもいうのか、患者をお互いの分野に任せあうような仲のよい関係を結んでいる。このように、法律や規制、縄張り争い、市場独占などといった欲得をむき出しにさえしなければ、患者にとっては最良の体制になると思う。

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