私の世代感覚では太刀打ちできない問題
今日のレシピのエントリーをあげるに当たって、子どもの野菜嫌いについて統計を調べていた時、データーの数は少なく目当てのものが見つからなかった。代わりに他の事に目が行って、ちょっと元気がなくなった。少し前から言われていることでもあるが、子どもの好き嫌いを作る環境に、母親が料理をしないことがトップだった。そのことと私は直接的には何ら関係ないが、料理のブログを運営している手前、ちょっと複雑な思いが巡った。この思いが上手くまとまらない。
丁度NHK朝ドラのゲゲゲの女房で展開されているような時代に育った私、と言ったら分かりやすいだろうか、何でも食べさせられた時代というと少し語弊があるが、親の作ったものに文句を言うものではなかったような時代だ。やらされ感が強いというのも、こういうことからも言える。
当時の親は、戦争を経た日本の貧しい時代を生き抜いてきているため、「物を粗末にしない」という厳格なまでの考え方があり、特に子どもに対してはそういった観点で接していたと思う。それが親なのだと思うしかなかったのだが、結果的に好き嫌いはなく、嫌いなものでも食べられるようにはなった。
現代の育ち盛りの子どもを持つ親の事をちょっと考えてみた。料理をしないとはどういうことか?外食や出来合いの惣菜、温めるだけの冷凍品が揃っていれば料理の必要はないわけだ。だから料理をしないということに疑問は持たないのだろうか。私が疑問を持つのは「料理して食べるのが当たり前」というところからの着眼だから、これが根底に無かったら疑問は持たないのではないだろうか。そういう世代が、現役バリバリのママ達なのだろうか。実体験としての背景が無かったら、周囲にあるもので済ませることに何ら疑問も持たないのかもしれない。
このように、背景に何があるかを考えると、私と年齢的に離れた世代とは通じるわけもないのかと妙な納得をした。そういえば、娘の友達に以前、「嫌いなものをどうして無理して食べなくちゃならないの?」と、真剣に聞かれたことがある。嫌いなものはスルーして、好きなものだけでも良いのか?と逆に聞くと、「それで、まったく問題ない。」という返事だった。この時、どう説明したらよいのか戸惑ったが、この人物の親は殆ど料理を作らなかったそうだ。しかも、私と同じ世代。家庭に事情があって、母親が不在が多かったそうだ。偏食が許されただけではなく、帰宅時間に対しても、家に事前に連絡を入れたりするようなことも必要ないと言う。確かに、誰かが心配して待っているということもないので不要なのだ。改めて、家庭とか家族と言うものを考えさせられた。が、この場合のように、極端な例では済ませられない危機感が現実にはある。現在の子どもの偏食の原因を思うと、家庭に何ら事情がなくても母親が料理をしないという、同じ状況になってきているのだ。
これにはもうお手上げで、ここから先の思考が止まってしまった。私如きにはどうにもならない、大きな問題だということだけはわかった。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
おはようございます。
難しい問題ですね。
わたしは昭和40年生まれですが、何事もまだまだ手間ひまのかかる時代だったことを、覚えています。
高度成長期からこっち、何事によらず、手間ひまは前近代的でダメなこと、暮らしを便利に!合理主義万歳!、みたいな感じで、家庭からも社会全体からも、追放され続けて来てるような気がします。
核家族化も、地域社会が崩壊するのも、孤立する若いお母さんも、普通のお母さんが料理をしないことも、よりどりみどりのインスタント食品も、みんなその流れで来た、結果みたいなもんかなと。
何かまとまりなく、ぐちゃぐちゃですみません。
昔は、生活って問答無用に手間ひまかかることでしたが、手間ひまを掛けることを美徳とし、そうできる人の存在を喜んだように思います。
今は、そうではありませんから、手間ひまをかけることで、生活や何かが豊かになる、小さな幸せが増える、というような価値を発見しない限り、料理するお母さんが減る傾向は止まらないような気がします。
投稿: 網 | 2010-07-05 07:43
網さん、仰る通りかもしれませんね。何か特別なものを作るとか、凄い手間をかけようというものではないのだけど、普通に作って食べさせるということは、人の母性的な部分で、あまり理屈はないと思うのですよ。仮にそういう感性が磨かれてこなかったとすると、人を育てるとう核心部分ももしかするとおかしなことになっているのではないかと懸念しています。エントリーにはとんでもない発言になるかと思い、書きませんでしたが。
この先、気が重いです。
投稿: ゴッドマー | 2010-07-05 09:38
初めまして。
数日前から、お邪魔させて頂いております。45年生まれです。
「好ききらいしないで食べなさい!」と、子供たちに云いながら、献立する時点で「これは年寄りが好きなもの、子供たちはこれを喜ぶから…。」、と、実は、私が原因を作っていると自覚している情けない母です。
家事に便利な電化製品が増えたはずなのに、ここ数年、どんどん忙しくて作らなくなってきた品がある・・・と自覚していたんです。反省しつつも、流している自分。
もっと、畑や冷蔵庫と相談する・心のゆとりを取り戻そうと思いました。
…現実に、お料理をしない人は まわりにも多くなりました。でも、「出来合いは高いし、野菜が不足するからから。」と、別居している婚家に 子供を連れて行って毎晩食べさせてもらう…という人も多いです!
ものすごく深く、根っこの広がった問題だと思います…。
投稿: ゆん | 2010-07-05 13:50
3人の子育て中の私です。手料理を家族で囲むことに、家族の機能が全て入っているといっても過言ではないと思います。
その日あったことを話す(口にものが入ってない時)、これおいしいね、これちょっとまずいといい合う、はしの持ち方、食べ方、姿勢などのしつけ、きらいなものでも少しづつ食べて食べられるようになっていく、褒めたり、しかったり、笑いあったり、と食事って盛りだくさんです。
食事スタイル、家族の数だけあるでしょう。食事行動、食事内容と心理領域の研究ってないかなぁと探したことあったけど、ヒットしなかったなぁ。この前、バランスのとれた和食をよく食べている人はうつになりにくいという研究結果が発表されていたけど、バランスの良い和食を提供してくれる家族がいたり、そういう料理をつくれる心理状態が、うつになる可能性を低くしてる気がします。
食べることは生きること。こどもをしっかり自立させていくためにもちゃんとごはんつくりたいなぁ。こころをからだの健やかな成長にかかせない、と思います。
支離滅裂ですんません。
投稿: みみこ | 2010-07-05 15:05
ゆんさん、こんにちは。
母親のその矛盾はわかるなぁ。ワシもその一人だし^^;。母親は躾もするけど、なんとなく桶の一枚が外れかけて水がこぼれるくらいの方が実は好きです。こぼれた水を逃がさない役目がしっかりあると安心してこぼせますし。
和装、素敵ですね☆
みみこさん
みみこさんが食を大切にしているということはよく知っているつもりです。お付き合いも長いですしね。
統計ってあるようで結構ない事を知りました。でも、小中の給食のお便りにそういえばあったかなと、ダンボールをひっくり返したら一部見つかって読みました。古いデータですが、ピーマン、グリーンピースは嫌いな筆頭でした。このようなものも関心があれば取り置くといいですね。それに、懐かしいし。
投稿: ゴッドマー | 2010-07-05 17:16