2010-07-25

極東ブログ「インフルエンザと結核の昔話」について

 極東ブログの書評で知った「感染症は実在しない―構造構成的感染症学(岩田健太郎)」(参照)が昨日届き、午後は、全てのことを後回しにして一気に読みきった。やや焦り気味。理由は、このところ続いている医学史系エントリーの面白さを10倍くらい楽しめるような気がしたからだ。
 極東ブログの一連の話は、サミュエル・ハーネマン(Samuel Hahnemann)のホメオパシーから始まっている。歴史を追って話が続くというよりは、人類が病を治すことにどのように取り組んできたかという苦労話の中に、生き生きとした生身の人間の生きた軌跡が織り込まれてる。それを身近に感じれば感じるほど、私は「生かされている」と実感し、その話の面白さに魅了されてしまう。そして、この一連の話も、やっと現代感覚で掴める話題の展開になり、病の発症は細菌からという説の辺りまで進んできた。
  前回は、コッホの定義や「インフルエンザ菌」、「脚気菌」の存在から遺伝学につながるところで終わっていた。「脚気菌」が信じられていたと聞いて、ええ!とびっくり仰天しそうな昔の研究者がぐっと身近な存在になってきて、実は、私は童心に戻って「ケペル先生こんにちは」状態なのだ。
 昨日は夕刻にエントリーが挙がった(参照)。首を長くして待っていただけのことはあった。インフルエンザと結核の昔話だ。どうやら文献が見つからなかったらしい。苦労しましたね。チラッとこんなところに書いてあったヮ。

「ベルナールのことを考えていて、手元に史料ねーやとか行き詰まる。デュポスの本もないなあ。ネットを見ると、意外なほど基礎的情報がない。というか、1980年代以前の科学的な知見というのはネットから消えている印象がある。まあ、だからGoogle Booksということか。」(ここよ

 その甲斐あってか、読み応えのあるエントリーに彷彿としたのもを覚えた。
 今回のエントリーは結核の治療を可能にした背景を物語るものだが、病についての描写は、現代に近づくほど研究が難しくなり複雑化する話に展開するのかと思いきや、意外なほど身近なテーマなのだと知った。
 結核治療に欠かせないストレプトマイシンを発見したワクスマンの高弟でもあるルネ・デュボス(René Jules Dubos:1901-1982)が1960年に来日した際の民衆への問いかけの話が印象的だった。

ストレプトマイシンを発見したワクスマンの高弟でもあるルネ・デュボス(René Jules Dubos:1901-1982)が1960年に来日公演をした際、聴衆にこう問いかけた、「この数年で日本人の結核死亡率が激減している理由は何だかと思いますか?」 聴衆はストレプトマイシンやツベルクリンとBCGの体制を想起した。彼はこう答えた、「栄養の改善です」。

 えっ?まさか、それだけ?と思ったのは私だけではなさそうだ。疑った弁ちゃんは、結核による死亡率などを調べ、さらに文献が見つからないと焦っていたデュボスの話がここに出てくる。やっと。オツカレ。

デュボスによれば、歴史を見ていくと、人類は一度は結核をそれなりに抑え込んでいたが、これが再発するのは産業革命に沿って工場労働者が増えたからだったという。密室での集団行動が結核を蔓延させていた。デュボスは述べていないが、これに学校を加えてもよいだろう。
 近代国家が人びとを労働者として国民として徴集(ゲシュテル)したとき、自然(ピュシス)の力である結核も徴集された。そして徴集された近代の技術が結核という自然を打ち破ったかに見えたが、実は近代医学と細菌学の進展は、実はその徴集の随伴的な事象であった。

 そういうことだったのか、とここで凄く納得できた。
 結核の話が出てきたところで直ぐに思い出したのが、ゲゲゲの女房(NHK朝ドラ)で登場する「ゼガ」の出版社社長が結核で入院したシーンの時、私自身の既読本の数々に折り込まれていた結核に関する描写だった。大昔に読みあさったそれらに結核病棟の話がかなりあった。それだけ恐れられ、警戒された病気だった。当時の結核に関する認識は、完治する病という認識は浅く、結核患者を出した病院が消毒をして数日診療ストップするというような話や、結核患者のいる家には近づかないみたいな話、そういえばあったな。とか思い出していた。そして、栄養の改善について日本で貢献した香川綾さんのことを考えていた。
 香川綾さん(1899年3月28日 - 1997年4月2日)は、香川栄養学園の創始者だが、四郡点数法の生みの親であることは周知のことだと思う。彼女が作り出した食品郡の分類の第1群に乳、乳製品、卵を持ってきているのがその特徴を顕著にしている。彼女によって、戦後の日本人が健康な体を取り戻したといっても過言ではない。戦後の栄養状態がみるみるうちに改善され、学校給食が充実したことが私達世代に「今」を齎したのだと思う。相変わらず給食の脱脂粉乳には悪印象しかないという友人もいるが、給食で牛乳を残すことは断じて許さないという厳格な先生もいたものだった。
 ケペル先生、次回も楽しみにしています。よろしく!

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覚書として:四郡点数法☞godmotherの料理レシピ日記:栄養とカロリーのおさらい:四群点数法とあわせて簡単な計算表の使い方

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