過去に受けたショックがうまく外に出せない
過去に受けたショックがうまく外に出せない。またか、と思う。そうかと言って常に気がかりであるというほど表面に出てくるという事でもなかった。このところ落ち着いてきているし、その対象にある人物にかかわることもなく、興奮状態に陥る心配などはしていなかった。が、先日久しぶりに些細な事で気持ちが沈み、どこかにつかまっていたいという心細い気持ちになった。一種の不安なのだろうか、とも思った。実は、私がこのような心境になる大元の理由がまだはっきり分っていない。動悸が激しくなり胸が苦しくなる。痛みがあるのとは違う。この間この状態になってからずっと、その理由を知りたいと思って探っている。
一種のトラウマであることは確かだ。こうなるきっかけとなった先日の些細な出来事からさらに遡ると、私がはてなブログからココログへ引っ越すことになった事と関係している。その少し前に、feecle(現在はサービス終了)というミニブログから自分のアカウントの削除をした件とも関係している。性格の異常者か、極度の被害妄想狂とも思われるおかしな人物に悪戯されたため、結果としてこれらの方法を選んだのは私だった。確かにあの時はショックだった。自分のブログに付くコメントを確認するのでさえ怖かった。コメント欄に私の実名を書かれた時は薄気味悪く、家から外に出るのも怖くなった。あの時の気持ちの程は誰にも結局打ち明けていない。あの時の思いをそのまま誰かに話す事は、私のプライドが許さなかったからだと言えばそうかもしれない。おそらくそうだと思う。実際にストーカーに合ったわけでもなく、襲われて怖い思いや傷つけられたわけでもなかった。妄想だと言われればそういうことだと片付けられてしまう問題でもあった。でも、怖さは、後に悔しさとなった。
feecleの時、この人物を怪訝に思っていた女性を知っているが、その人物も私の中では大きなダメージを受けた対象だということに後から気づいた。その時、もう少しその受けた感情を調べておくと良かったのかもしれないが、今となってはそれがいつどのような状況で起こったのか、きっかけを思い出せないでいる。一種の嫌悪に似た感情に覚えがある。
先のストーカー(ないしは被害妄想狂)の奇妙な行動が始まるのは、この人物のIDをエントリー中で言及する時だった。それに反応して彼は奇妙な行動をする中に、嫌がらせとも思えるようなコメントを該当記事に書き付ける、ということがある日偶然分った。エントリーで言及すると言っても、日常的な他愛のない出来事でのかかわりを書く程度のことだ。例えば、「料理について○○さんにアドバイスを頂いた」の○にこの人物のIDが入っているような、この程度のことでだった。
先の女性が何かでこの人物のIDを内容で言及した時だった。コメント欄にこの変体男が現れ、屈折した心のままのようなおかしなコメントをつけた時だった、彼女は体裁よくあしらったようだったが、きっと腹に据えかねる怒りがあったのだろう。ある日私のコメント欄にこの変体男が何かのコメントをした時、この時とばかりに言いたい事を書いてくるのがその女性だった。迷惑だったが、コメントを削除する権限が管理者になくそのコメントの当事者にあったため、結局書いた記事を削除したこともあった。彼女のそういった行動には驚くものがあったが、自分の立ち居振る舞いを省みない人なのだとして係わり合いにならないようにした。おそらく、ここでこの二人のことが重なって、一つの「嫌悪」の対象になってしまったのだと思う。私は結局、相手に言ったところで伝わらないと諦めた上、Net上で揉め事を起こすのが非常に嫌だったということもあって、何一つ言わずにいたことが鬱積の原因になったのだろうか。それを後悔しているわけでもない。また、今更何か言いたいわけでもない。ただ、関わりたくないという拒絶する気持ちを持っているのが不健康なのだと思う。このことが払拭できないでいるからかもしれない。何かあると、非常に不愉快な気持ちになるのが嫌でたまらない。
もう一つは、女のいやらしさとして嫌悪感を持っている自分が不健全なのだと思う。きっと。容認できない部分が、女という区別の中にあって、私はその括りとは別人種だと思いたいのだろうか。同じ女であることとの隔たりに、自分はこうだという確固たる理由が見つからない。このアンバランスが受け入れられない。裏腹に、自分を認めてもらいたいという願望も含んでいそうな気がする。
その人物に近づかないで!と、折に触れて叫びたくなる。そうするわけではないのだが、そういう気持ちになる時は引きこもってしまいたくなる。他の人を拘束するような気持ちになる事を戒めようとする気持ちが働く。人の幸せを願う自分のこういった矛盾が受け入れられない。私は偽善者か?同時に、こう思う自分自身を否定し嫌悪するような回路になる。これが苦しい。そしてもっと分らないのは、嫌悪感の元にあるしこりの正体が分らない。掘り出せない。忘れたいと思っていることなのに。
随分前のことだというのに、どうしても払拭できないでいる。
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コメント
嫌悪感は持っても問題ありません、嫌なものは拒絶しても良いのです、このことは善悪とは別のものです。
ある人物の何らかの言動を不快に感じそれを言葉として外に出したとしても、それは人を拘束することにも否定することにも繋がりません。本当に腹に据えかねたときはたとえ相手が誰であっても『ふざけるな!』『いい加減にしろ!』と言っても構わないのです。
困ったことにトラブルは自分で呼ばなくても向こうから勝手にやってくることも有ります、そんなときには便利な言葉がありますよ
『これ以上の自論の展開は御自身のブログで行ってください。』
『当記事との関連性もなく読む人を不快にさせる文章と判断したので削除させていただきます。』
『ここは私のブログであり、私はここを議論の場にするつもりは有りません。』
場合によっては嫌味の一言も付け加えても良いかもしれません。
相手の感情心情行動は相手の領域、こちらからは干渉不可能な部分もある以上、自分のブログにも相手に干渉されない領域が有っても構わないはずです。
繰り返される過去の苦しい思いは原因を特定して解消してやらない限り、事あるごとに何度でも蘇ってきます。私はプロではありませんが本当の原因はかなり深いところにあり、ブログ以前の何らかの過去の事柄と結びついてしまっているものとの印象を受けました。
素人が偉そうに失礼とは思いましたが、なんだか人事とも思えない部分もあり勝手ながら私の思ったこと感じたことを書かせていただきました。心の傷は目に見えないだけに対処が難しい面もありますので、プロの助けを借りるのも一つの手です。人には強い面もあり、信じられないほど弱くて傷つき易い面も同時にある、そんな当たり前のことが自分にも当てはまるという単純なことを理解するまでにすごい遠回りをしてしまったおバカの戯れ言です。
(このコメントは公開しない方がいいのかな?判断は ゴッドマーさんにお任せします)
投稿: 日ノ宮 | 2010-07-26 14:00
日ノ宮さん、温かいお言葉ありがとうございます。分っていただけて嬉しいと同時に、このような戯言をよくぞ読んでくださいました。感謝いたします。
仰るとおり、できる事とできない事、それをしてもよい事としてはならない事の臨界で、心が不安定な時は、往々にして自分の非を問います。それが何度も繰り返し同じようにやってくるようになると、おそらく他とは関係のないようなもしかすると幼児期の出来事だったりすることも疑っています。これ以上は本当にPTSDなのかも知れないとか疑念を持ちます。そうなると、プロのお世話になる方がよいのかもしれないと思っています。
要は原因が特定できると「なんだ、そういうことか」と、意外とあっさり紐解けてしまうこともあります。今のところは、ブログを書くというエンドレスなこの気違いじみた作業こそが自分自身なので、誰からも侵害されるものではないと言うのはそうです。
引越し以前のブログやfeecleはその機能を装備していなかったのです。それなりに手を尽くしたのも事実です。参考☞ http://d.hatena.ne.jp/godmother/20080604#1212529621
この戦いのようなものにある程度満足した形で今があるにはあるのですが、不快な思いを時々するのは困りものだと思っています。相手が病気の場合は十分に考えられるので、まともに相手をすること自体が馬鹿げている、と終わらせた方が無難なのかもしれません。気に病むに値しない、位に鼻で笑えると気が楽ですが。
投稿: ゴッドマー | 2010-07-26 15:26