まとまらないままに:政治不信?
いろいろ思うことがごちゃごちゃになっていて上手くまとまらない。気になる元にあるのは、やはり選挙後の虚しさだろうか。選挙については、こうだったなと思うことは書いた。今後気になることに関しても書いた。だが、何か胸に閊えているものが取り除けない。自分でもよくわからないのだが、不安なのだろうか。何かしら、途轍もなく大きなものが道を塞いでいる感じがある。思うままに書いてみることにしようと思う。
この選挙は、ご本人が認めているように、菅さんの増税発言が軽率、且つ軽快だったことが一番大きいのかもしれないが、それだけではないと思う。民主党に政権が移った時点から呆れたお坊ちゃまの戯言で国民が踊らされ、また、そのような馬鹿殿様を日本のトップにした周囲の政治家にはがっかりさせられ、こんな国に生きて住んでいる事を恥じた。そして、代表が変わった。これがまた救いようのない経済音痴である。道を歩けば出任せを言い、無知な国民を脅かして得票稼ぎをする。そして、惨敗。自業自得だが、他人事ではない。我らの首相だ。これが。
この選挙の後に何が残ったか。それは、問題ばかり。まず、この経済音痴が露呈したことによる党内批判。まあ、大した差はないにしろ、背中を向けて舌を出しているような仲間が、民主党という名のグループには沢山いる。それらがある日突然反旗を翻すかもしれない。臨時国会に向けて、私利私欲のようなものをむき出しにしては、まとまるものもまとまらなくなる。「ねじれ国会」のデメリットは、政策実行が極めて難しくなるということだ。安倍政権の時と同じだ。昨日、石破さんが「あの時は大変辛かった。政策が何一つ決められず国民の皆様には申し訳なかった」と、半分こぼしていた。って、後から言われてもなぁ。
みんなの党は、元気だ。10人の議席を獲得すれば、法案を提出することができるとあって、昨日もTVでその生き生きとした姿を見た。だけど、個人的には渡辺氏は受け付けない。昨日書いたのがその理由。キャスティングボートを握ったみんなの党が上手く切り込んでくれたら、ねじれ国会とは言え、与党が歩み寄りを見せるような事態も無きにしも非ず。そういう役どころではある。
田原総一郎氏と渡辺氏がTVで話していた。田原さんの鋭い突っ込みに目が泳ぐ渡辺氏を見てしまった。嗚呼。と書いてみて、私は文句が言いたいのかな。ちょっと違うのだけど。政治や経済学の先生から教えを請うのはよいとしても、表面的な浅い理解は、国民にそれを見破られてしまう。それが発覚する時というのはがっかりだ。長い間がっかりすることが続いて、この選挙後も問題山積みなのだ。不本意ではあるが、みんなの党に頑張ってもらうしかなさそうだ。
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