2010-07-07

ともに生きる

 「死」を疑いもしない日常で、大切に思う人の死期を知ることに遭遇した時、それがどれほどの落胆かは分かっている。ふと気づくと、いつもそのことを考えている。
 サザンの歌に「TSUNAMI」という曲がある。この曲を想像の中のあるシーンに「ほんとうは」から始まるフレーズを照らし合わせてみると、人が生きて幸福感に浸るというのを垣間見る。それも一つの「今」だと思った時、何故、そうならない時ばかりに遭遇するのだろうかと、悲しくなり泣けてくる。私に何かできることはないかと、いくら考えても何もない。不甲斐ないことだ。
 毎朝走って登るあの小高い山からの諏訪湖の眺めに、そうだ、癒されてきた。私にとって何一つ安堵の要因も達成感もなく、先の希望も持てないような現実しかなかった時、その一方的な思いをそっくり受け止めてくれた。あの景色。毎回見る景色は、空も山の色も全て違っているというのに、私にとってはいつも一つの大きな景色でしかない。生きていると、このようなことに愛しみを覚え、励みにもなる。このような束の間の空間に触れ会い「死」から遠ざかることもできる。でも、それは生きているからそう感じられる、ある意味、それは虚しさなのだとも思う。
 長いこと考えていた。
 これまでの人生での挫折や悔いる思いの混沌から「生きているのは今だけだ」と人は言う。それが生きることだというのなら、どのような瞬間も全てあなたのものとして、受け止め、許して行こうと思えた。人の苦しみを取り除くことも癒すこともできない私にできることは、全てを受け止め、許すことしか残っていないのではないか。
 少し前にひどく苦しんだ時、私は同じようなことを思った。明るい未来などは何も約束されない私に、何を希望とし、何を糧として日々を送るのかという問いかけに、私自身が出した答えが「今を生きる」だった。若かりし頃、夢や希望を持って生きることを私に教えたのは誰なのだろうか。いつの間にか私は、それがない生き方があることすら考えないで生きてきた。常に、何か、美しく造り上げられた未来像から現実の自身を量り見るような、評点というものが自分自身を縛ってきたのだと思う。叶わなかった夢や希望は、そのように姿を変えてしまっただけだ。そして、その舞台からはとっくの昔に降りていている。今は、悔やむ気持もない。
 この出会いによって、人の生きる今をそのまま受け止め、許すというのが私の今なのだと知った。そして、今日という日は、新暦の七夕(今年の旧暦の七月七日は、8月16日に当たる)。

TSUNAMI☛

作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐

風に戸惑う弱気な僕
通りすがるあの日の幻影
本当は見た目以上
涙もろい過去がある

止めど流る清か水よ
消せど燃ゆる魔性の火よ
あんなに好きな女性に
出逢う夏は二度とない

人は誰も愛求めて 闇に彷徨う運命
そして風まかせ Oh,My destiny
涙枯れるまで

見つめ合うと素直にお喋り出来ない
津波のような侘しさに
I know ..怯えてる.Hoo...
めぐり逢えた瞬間から魔法が解けない
鏡のような夢の中で
思い出はいつの日も雨

夢が終わり目覚める時
深い闇に夜明けが来る
本当は見た目以上
打たれ強い僕がいる

泣き出しそうな空眺めて 波に漂うカモメ
きっと世は情け Oh, Sweet memory
旅立ちを胸に

人は涙見せずに大人になれない
ガラスのような恋だとは
I know.. 気付いてる,Hoo..
身も心も愛しい女性しか見えない
張り裂けそうな胸の奥で
悲しみに耐えるのは何故?

見つめ合うと素直にお喋り出来ない
津波のような侘しさに
I know..怯えてる,Hoo...
めぐり逢えた瞬間から死ぬまで好きと言って
鏡のような夢の中で
微笑をくれたのは誰?

好きなのに泣いたのは何故?
思い出はいつの日も…雨

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