2010-07-10

雑感・少し書いてみた

 何かが壊れてしまうと、物は儚い一生を遂げるものなのだと諦めもつく。しかし、衣類の綻びのようなものは、何とか繕う事ができるのではないかと思い、縫い合わせる努力もしてみる。それを何度か繰り返すうちに、繕うことにも諦める時がくる。もっと早くに始末するのがよかったのかと後悔しても、今できることで解決するしかない。
 長かったこの歳月。ちくちく縫い合わせて造り上げるのとはわけが違う。事あるごとに一針一針、ほころびの後を繋げて元に戻そうとしてきた。できないことがわかると、その作業の虚しさを知っていたのではないかとさえ思う。続けてきたことに何かの意味があったのだろうか。自分に疑問を抱くことを見てみない振りはできなかった。ずっと問いながら、それでも繕ってきた。
 何十年も経ってから初めて本音のようなことを知った時、何故もっと早くそれに触れなかったのかと、責める気持に嫌気がさす。自分自身が招いた結果だ。自分に跳ね返ってくることは分かっていた。それが、何ともお粗末で滑稽だ。
 生きるということを考える時、それは一人の道だ。人は一人で生き永らえるしかない。また、誰かを道連れに、仲良く手をつないで三途の川を渡るわけでもない。何処までも一人なのだ。そのことを覚悟し、生きると考えるか死ぬと考えるか、それはどちらも同じことなのだと分かってくる。
 壮絶な人生を歩んだ人を昨日知った。その人物がわざわざ選んだ人生ではないはずだが、その経緯には、どのようなことが考えられ悩まれたのだろうかと知りたくなった。その前に、私自身が憐れに思えたからだ。この上もなく自分は不幸だと思うような時、それ以上に不幸な人生や境遇に生きた人を知ると、それでも少しは自分はマシではないのかと思いたくなる。木切れにつかまって流されている蟻のようなものだ。そうやって、苦しみから溺れまいと、必死で自分自身をを逃がそうとしてみる。結局、虚しさはそこに残るだけだと知ると、また元の道に戻り着く。
 どのように生きたいかと考えることは、きっと無駄なのだろう。私は、神の存在はないと思っている。それなのに、自分の人生が思った通りにならない時、一体誰がそれを決めて私の思いを通させてくれないのだろうかと疑問に思う。それは神様が決めているのではないかと、そう思えてくる。
 思いは深みにあり、なかなか外へ出せるものではない。

 

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