2010-07-24

極東ブログ「日本病化する米国、日銀化する米連銀、白川さん化するバーナンキさん」をまた持ち出す羽目になろうとは

 昨日、「finalventの日記」のクリップ記事にしばし目が止まった。記事は日本経済新聞の社説だが、コメントが「嗚呼」と、二つ連発しているだけ。それじゃ桑田佳祐の「月」の文句じゃんと最初は読み飛ばしたが、社説の内容を読むと、この「嗚呼」は、何に対する嘆きだったのか?記事にはこうある。

➠日経新聞社説 「異例な不確かさ」に直面する米経済 :日本経済新聞finalventの日記

 バーナンキ議長は景気が下振れしデフレに陥るリスクに備え、議会証言では一段の金融緩和の可能性にも言及した。適切な認識というべきだが、日本の経験からしても快刀乱麻を断つ短期解決は難しかろう。
 嗚呼。
政府と日銀は歩調を合わせ、日本経済が「異例な不確かさ」に飲み込まれぬ態勢を整えるべきだ。
 嗚呼。

 笑った。「嗚呼」としか言いようの無いのは何故♪だが、まず、「日本の経験からして」というのが、何を経験したのか言及はないが、これがよく分からない。日本は、デフレ不況に対する緩和策は殆ど何もしてこなかった、という経験はある。というか、多少はあったと思うが、その緩和策に効き目がないから20年近くもデフレ不況なのだ。すなわち、「快刀乱麻を断つ短期解決」が難しいと言及するのは、文脈的におかしい。と思ったが、他に違う解釈ができるだろうか?
 また、この執筆者は、米国に起こった何かを「異例な不確かさ」という言葉で総括し、日本がそれに飲み込まれないように示唆している。これで思い当たるのは、7月21日米上院銀行委員会で、バーナンキ議長が証言した米経済の先行きについてだと思うが(REUTERS)、政府と日銀が歩調を合わせるというのは現実的には無理なことではないかと思う。ここで学習院大学・岩田規久男教授の話(参照)を思い出した。

日銀がインフレターゲットを導入しないのは、日銀流理論がベースにありますが、それは建前です。本音は、日銀ははっきりとした数値目標を出したくないんです。数値目標を出せばそれに対する責任が生じ、達成できなければ責任を取らなければいけません。それがいやなわけです。これが日銀の本音です。

―― 1998年に日銀法が改正され、日銀は独立性を保証されました。これにより、金融政策は日銀の専管事項となり、政府が口出すことが事実上、不可能になってしまっています。

 という日銀側の理由がある。これを崩すには、日銀法を改正して政府にも金融政策に口を挟む権限を与えないと可能にはならないからだ。どうでも良いことだが、この社説記事全体にとって「捻り」を予定していた最後の部分は、あまり効いていない。
 ところで、このバーナンキ議長のこの発言から、日銀の白川氏よりも柔軟な思考の持ち主だと感じた。先の極東ブログ「日本病化する米国、日銀化する米連銀、白川さん化するバーナンキさん(参照)」で引用されていた記事での経済学者クルーグマン氏は、日本で長く続いているデフレを引き合いにバーナンキ議長の優柔不断さを痛烈に皮肉っていた。

これを鮮明にしたのがスウェーデン国立銀行賞を受賞した経済学者クルーグマン氏でニューヨークタイムズのコラム「The Feckless Fed」(参照)の主張が鮮明だ。かなり辛辣にバーナンキ議長を批判している。

他のエコノミスト同様、私もバーナンキ氏同様、日本でおきた、強固で救いようもなさそうなデフレに深い懸念を抱いていた。日本型デフレの帰結は、痛みを伴う低成長、失業率増加、難治性を示す経済問題となるものだ。

賢い政策立案者のいる先進国なら、この手の状況には陥らないと見られていた。米国で同じようなことが起こりうるだろうか?

 このコラムは、7月11日に書かれている。あれからわずか10日間のうちにバーナンキ議長の考えが変わってきたと感じられる言及だ。この決定に、バーナンキ議長を大いに評価するとともに少し嫉妬を覚えた。羨ましいことだ。増々日本は置いてきぼりにされ、本当に国家の滅びる日が近づいてきたのではないかとさえ思う。

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