finalventの日記「難破とか」について
ある世代の「性」への病んだ部分が透けて見えてくるようなエントリーだと思った(参照)。どうしてこのような話がわざわざエントリーされるのかと思った(「ナンパからセックスまでの具体的な流れ - 性とナンパについて渋谷で考えた」)。率直に言うと、エントリーからごそっと抜け落ちていると感じるのは「愛」だ。これがないのが、彼の一番の問題だと感じる。彼は、それで悩んでいるとは思えないが、ご本人にとっては、それで悩む時がいつか訪れるとよいのではないかと思う。後世で、このことを恥じるような気持ちを持つようになれば、そのときはきっと「愛」ということに心が寄り添った時ではないかと思う。
このエントリーを取り上げてわざわざコメントされていることに、重く根深い問題への示唆というかこれも「愛」なのだと感じるが、筆者に伝わるだろうか。というよりも、この取り上げられたエントリーを眼にした人で、はっと気付くものが一つでもあれば、それはそれでタイトルの「難破」の意味があったということだと思う。
残念ながらというべきか、人は皆、子として生まれる。子は大人になるまでは、父と母を問うてしまう。陳腐な桎梏の物語であるが、そこから解放されることはとても難しい。奔逸に見える性行動は、子としての親子関係の病に根ざしていることが多いと思う。
親子関係の病は大きく、根深い問題が多い。私も、ここに書いてきたが、親がどう思うかという事から展開するとなかなか自分の問題として見えてこない。大人になった自分が、自分を見てゆくことから始めるとよいと思う。親子の縁は切れないが、親のカプセルから出るということなのだが、相当な時間がかかる作業だと思う。エントリーの筆者は、「愛」に恵まれない環境での生育暦の持ち主ではないかと思うが、彼にそう言っても始まらないのは分っている。エントリーの内容に「愛」が欠如している事実から、自分自身が持っているもの持っていないもののチェックから始めるとよいよ。そう思う。とても難しい問題だと思う。
sekirei-9 : 心理, 性, コミュニケーション 形而上でナンパを論じた文章なんて初めて見た。でも、これって通常の恋愛のプロセスそのものだよね。ただそれが早急なだけ。 2010/07/30
恋愛は違うよ。って、言っても空しいが。
sekirei-9さんにも「愛」が不在のようだ。「言う」ことは何の役にも立たないことを知っているだけに、本当に空しさしかないのだが、なんとか自分で「愛」の欠如に気付いてくれはしないかと望みをかける気持ちになる。彼らにとって、このfinalventさんのコメントが一生を変える程の重さであり「愛」だと言うことだ。
歳をとると、人の文章からでもいろいろ見えてしまうことが多く気になるのだが、何か言うと、「年寄りは引っ込んでいろ」と、他人の心を受け入れない人も多い。もしやと思って見ると、団塊世代の親が背景にあることが多い。言葉は聞いても心で受け止めないので、付き合い方も極表層でということが多くなる。ここで言ってもどうにもならないことだが、私がリアルに知る30歳代女性の殆どは親が団塊世代で、彼女らは、皆独身だというのも彼女達の話を聞いているとその関係性が見えてくる。
また、「愛」に関して何らかの偏見や歪んだ捉え方を持つ若い世代に、「ペット」のような所有物や飾り物として育てられた世代も多い。この人達は、子どもは可愛いと思って生んだが、育てるのは嫌、みたいな思い方があって、どこまでも「愛」の欠如が問われる。虐待や殺害などの事件が耐えない世の中になったと思う。
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コメント
このエントリ、なんか禍々しい感じで、リンク先読まなかったのだけど、ゴッドマーさんのエントリで、読んでみました。
愛がないってのが核心だと思うし、同意なのですが、相手に興味ないどころか、同じくらい自分にも興味ない、ってのが痛々しい。
顔立ちのきれいな男の子が、中年になって急激に崩れるのってこういう精神の荒野によるもんなんでしょうか。
投稿: 網 | 2010-08-23 23:27
網さん、痛々しい限りです。が、「愛」の不在だという文脈ですら理解されない現代社会になってきています。顔立ちの綺麗な男子の崩れ具合って私の近辺にはいませんね。ただ、同級生に、非常にモテモテだった男子がいて、同級会にも来ないので地元組に聞いたら、離婚後、それを知られたくないようです。プライドが許さないのでしょうね。昔から困ることのない人でしたから。
投稿: ゴッドマー | 2010-08-24 02:01