2010-07-28

finalventの日記「こんところの増田」について

 ■こんところの増田(finalventの日記)のコメントに関心を引かれた。
 誰かの文章を特定して言及して読むということではなく、単に「書く」という作業が何のためにあるのかという捕らえ方で読むと、書き手の使命感が浮き彫りになってテーマのようなものが見えてきた。
 何を隠そう昨日、極東ブログでエントリーの挙がった「[書評]グーグル秘録(ケン・オーレッタ)」(参照)、が正にそのことを言っていたではないか、と重なった。「ジャーナリストとして著者オーレッタ氏がGoogleに突きつけたのは市民社会の公正な視線であった。」という下りから痛烈な印象として私の心に残るものがあった。
 なんだろう、このどきどきするものは?
 finalventの日記のこの部分だ。

まあ、簡単にいうと関心の釣り方と転がし方だ。つまり、それが気を引いて読ませになっている。 

 例えば書き手の目的が、自分の体験や面白おかしかった事をそのまま伝えようとするのか、読み手に面白おかしく伝わるように書くのかというスタンスが問われるているのだと思う。これこそが、昨日の極東ブログにあった、ジャーナリストの職業人としての姿勢を問うに同列ではないのか?と結びついたことだ。
 どのようなことを題材として取り上げようと、そして、何を書こうとも「読ませ」の書き方では人の関心を釣って何処までその関心を持続させるかという書き方の域から出られない。で、それにはいつか限界が来るということだ。本物にはなれないということだ。ここで私が言う「本物」というのは、別に職業人という意味だけではなく、書き手としてのモラールという意味だ。
 そして、ケン・オーレッタ氏は、"Don't be evil" (悪をなすな)という言葉をGoogleがそういう時、わたしたち市民社会の受け止め方をを明示したわけだが、これもジャーナリズムの行く末を模索するという段階の話だ。そこで、はてなダイアリーの付属品的「増田」(匿名で言いたい事を投稿できるサイト)は、あれはジャーナリズムか?という疑問に突き当たる。私は、そうだと思っている。匿名であり、内容はあなた任せでもあるが、ジャーナリズムの一環だと思っている。
 今までこのように具体的に定義したことはなかったが、そういう格付けがあるとおのずと見えてくるのは、嘘めいたものはどんなに文章が上手であっても本当の面白みがないということだ。逆に、そのような文章を晒して放置するということは、読み手の質も同様になるということだ。この世界は書き手市場であると思われるので、文責が問われて当然だと思う。
 小説にでもして応募するとかしないのだろうか?それとも、その書き手は、帯に短し襷に長しなのだろうか?増田に作り物の文章を投稿する人は、何が目的なのだろうか。
 よく分らない感覚なのだが、気になる。単にShow off?

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