2010-06-14

情報の中にどれだけ真実があるというのだろうか

 昨日、Twitterで流れてきた情報のいくつかを拾っているうちに、なんだか重苦しい気分になった。情報に対する嫌悪とでも言ったらいいのだろうか。昨日始まったことではなく、鬱積していたものかもしれない。最近、ネットの新聞記事にも胡散臭さを感じるようになっている自分が、こうなんというか、最初から警戒して近づくような、そんな感じ。物事を斜に見ないと碌な目に合わない、と懲り懲りしている気持なのかもしれない。実際、ネット上に関わると自分の意思に関係なく見えてしまうものもあるので、それが嫌ならPCの電源入れなければよいということでもある。そういった気持の問題とは別に、情報という点だけについて考えてみた。例えば、昨日のことでいくつかあるので、少し整理しがてら書いてみようと思う。
 現在メキシコ湾で原油の流出が続いているが、この原因が北朝鮮のミニサブによって破壊されたというデマがTwitterやFacebook間で飛んでいるらしい。このとこは、「Hoax of the Day: The Deepwater Horizon was destroyed by a North Korean mini-sub」(今日のデマ:ディープウオーター ホライゾンは北朝鮮のミニサブによって破壊された)で知った。勿論、このような情報を流してくれる人もいるのでTwitterを情報源として扱う場合は、自分がフォローする人を最初に厳選するということが問われるのだと思う
 Twitter上には現役のジャーナリストとして活躍中の人も大勢いる。その中で、先日ここで取り上げた上杉隆さんという方だが、私は依然あまり知らない人物ではあるにもかかわらずいろいろ垣間見る。彼の書いたものから昨日、これも出所は同じで(参照)、鳩山さんに関して書いている(じ つは“普天間通”だった鳩山首相/上杉 隆(ジャーナリスト):狐につままれた感じ)。ここでも以前、鳩山首相が辞任はしないという彼が書いた予言記事が掲載された週刊文春が発売され、翌日鳩山さんが辞任したという、なんとも滑稽なことだという驚きだったのを思い出した(参照)。何故文春は発売を止めなかったのか、その理由も不明で不思議だった。この上杉氏が、他所でまた書いているのが先のリンク先の記事だ。内容の信憑性というよりも、ここまで断言する口調で書けば、事実であり真実であるという解釈の元に“普天間通”というタイトルをつけたくなるとは思う。この記事で何か変だと私が思うのは、鳩山さんの沖縄に対する理解度や思いを上杉氏がかなり確定、かつ正確だという印象をあたえるような書き方をしていることだ。まるで代弁している。ここを斜に構えずして書いてある通りに鵜呑みにはできない。それこそ誤解を招く元になる。つまり、読むのに非常に気を使うので疲れる。
 こうまで情報が不正確に行き交うのがネットであると言えばそうだが、それがニュースにも及んでいるのは非常に困る。朝日新聞の昨日の社説の(「原油流出事故―海底開発の国際的規則を」)、事実を枉曲してしまっているということを指摘するクリップだ(finalventの日記)。これも「ホワイトハウス大統領執務室でその時、何があったか?」(極東ブログ)で、たまたま事の経緯を知っていたがため注意深く読めたのだと思う(参照)。これら誤報が、読者のフィルターを通って再度異質のソースとなり、ネット上に浮遊するデマの素でもある。こんなことを相手に戦ったところで小さな私のような存在が何ができるでもないのだが、心の中は何かしらの叫びがある。
 さて、まとめのようになるが、Twitter発言には、己のことは自己責任ということになるが、少なくとも事実であるかどうかわからないことに関しては慎重に扱うべき。何か奇異に感じ ることがあれば、ソースを辿って確かめることが大切だと思う。文責は自分だという意識だと思う。 
 あまり知らないとは言いながらも、上杉氏に関してここで二件ほど関わっただけで、彼はジャーナリストの看板を降ろすか、事実と思いの分離から物事を見る事に取り組まないうちは、早々に書くことは許されないくらいの職業意識を持つべきだと思う。彼がフリーで救われる。また、フリージャーナリストに並んで会社の看板を背負っている社説(新聞)の執筆に関わる人もそうだか、もうここまで悪化してくると読む側の自己責任ということになる。としか言えない。
 正直な話、finalventの日記と極東ブログに出会ってから、新聞記事が如何に事実に則していないかを知り、世の中の本質や間違い、異変のようなことが見えてきたというものだ。おかしなことはおかしいと言ってるのを知って、何がどのようにおかしいのか自分でわかればそれでよいことであると思う。本質的なことが自分で見えてくるようになると、軽いカルチャーショックから進行して疑心暗鬼の目に移り変わり、それが定着すると次第に真実を見極めるようになり、フォーチュンテラーにでもなるのか、まさかね。
 物事を事実として正確に見ようとすると、頭の中の違う場所が忙しくファイリングを始めて、PCだとキャパシティーオーバーになるとフリーズするような、まるであの紙一重のような私はそんな状態だ。

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