2010-06-18

極東ブログ「菅政権はいかにして鳩山政権のように自爆するか」しないためのたった一つの方法

 極東ブログの今日のエントリー「菅政権はいかにして鳩山政権のように自爆するか」(参照)は、まるで裂きイカのような味わいが後から来る。とはいえ、結論から言うと、菅流政権も鳩山政権同様自爆すると、そう申している。今のイケイケ増税ムードで、右も左もわけのわからなくなっている中から石が飛んでくるというものだ。と、はてブのコメントを見るに今回はひどくない。なるほど、これは、菅さんはそれほど強い支持を得ているからだという事のだろうか。ここまでは、味が出るほどのことはなかったが、読み終わってからなんとなく矛先がこちらへ向いているのではないかという気がしてきた。というか、今朝ほど私が書いたエントリー「日銀流理論」から日銀総裁白川氏について考えてみる(参照)に何か問題でも?という自問と、繋がりようのない日銀の話が気になってきたのだ。つまり、日銀にも期待できない、菅総理にも期待が持てないとなると、これでは日本は終りではないかと自ら諦めたような結論になってしまったと思えた。そこで、少し検討してみたとおり記しておくことにする。まず、今朝の極東ブログの説明による菅政権の命取りとは?

 しかし、どういう意見があろうが、デフレ時に増税をすれば経済はへこむ。経済学にはいろいろな考えがあるが、短期的に見るかぎり、これは物理法則と同じレベルの問題だ。意見が分かれるとすれば、中長期的に見れば、ということで、増税の第三の道で日本が再生するとかまったく無理というものでもないだろう。
 問題は、短期的に経済がへこんだとき、日本国民は菅さんを信頼できるのか?ということだ。それができるなら、地雷は起爆しない。

 赤貧の生活を強いられても、菅さんさえ日本の総理として頑張っていてくれたら厭(いと)いはしないと、菅さんに命を預けられるのか?と。まるでNHKのゲゲゲの女房だが、今時そのような殊勝な国民はいないだろう。政府が戦後の日本に戻っても、国民の体質までは戻らないと思う。もう一つの命取りは、ポール・スカリーズ(Paul J. Scalise)氏の16日付けニューズウィーク寄稿「Kan’s Megaproblem」の日銀の造幣案に対して以下のような解釈だ。

 菅氏は財務相時代に金融緩和策に失敗しているのだとスカリーズ氏は見ている。ここは多少微妙かもしれない。私はそもそもそんな能力、菅さんにはないと思っている。しかし、結論は同じ。自民党流の劇場政治で増税をしゃべりまくるしかないだろう。大手紙も同調しているし、しゃべり甲斐がある。戦時体制みたいだが。
 かくして、痛みによく耐えた、という劇場政治の再現で、菅政権は生き延びるのだろうか。
  それだけのカリスマが菅氏にないことはすでに証明済みのようにも思える、ということは、この政権も自爆で短命に終わる可能性が高いということだ。
 別段、こんな政権終わってしまえとかまでは、まるで思わない。それでも、ハリ・セルダンの心理歴史学で決まったコースを日本帝国が取るのを見ているだけの無力感に襲われる。あー、小説では帝国の再生であったな。

 これはもう文学の世界だ。そういう妄想めいたところからの発想でしか、この政権のぐるぐる回るような繰り返しの失敗を証明できなくなったと推測した。ここだ。ここで、そんなことを妄想している場合じゃないと、びんたをもらった。
 日銀の白川総裁と「日銀流理論」の関係について、誰が総裁であろうと日銀は日銀。その考えが変わらない理由をはっきりと今朝のエントリーに書いてしまったことを思い出した。別段悔いてはいない。だが、議論の余地をまったく残さない書き方をしてしまった感に苛(さいな)まれ、日本の将来には希望が持てなくなってしまった原因だ。実は、毎日いろいろ書いているのは心配だからであって、何か道はないものかと「ない」と思いつつも模索しているのです。
 学習院大学・岩田規久男教授の話(参照)によると

日銀がインフレターゲットを導入しないのは、日銀流理論がベースにありますが、それは建前です。本音は、日銀ははっきりとした数値目標を出したくないんです。数値目標を出せばそれに対する責任が生じ、達成できなければ責任を取らなければいけません。それがいやなわけです。これが日銀の本音です。
―― 1998年に日銀法が改正され、日銀は独立性を保証されました。これにより、金融政策は日銀の専管事項となり、政府が口出すことが事実上、不可能になってしまっています。 

 この本音が総裁の性格と一致な部分なのかもしれないが、さらに読み進めると政府主導でできる唯一の方法が書かれている(実は私は今朝寝ぼけていて見落としていたのだ、デヘ。)

しかし政府が動けば可能です。日銀法を改正すればいいだけですから。そのためにも、デフレがすべての元凶であることに気づいてもらわなければなりません。

 何故これができるかというと、中央銀行の独立性には二種類あり、目標設定の独立性と手段の独立性があり、後者に関しては政府が中央銀行と相談の上で決定し、中央銀行が決めたやり方でその目標達成をするということだ。

 中央銀行の独立性には2種類あります。一つは目標設定の独立性。もう一つが手段の独立性です。このうち、手段の独立性は認めるべきだと思います。しかし目標については政府が決める。もちろんその過程においては政府と中央銀行が相談するのは当然ですが、最終的には政府が目標設定を行う。中央銀行はそれに基づいて、自分たちの決めたやり方で目標を達成する。もし達成できない時は説明責任が生じますし、さらには進退を問われることになる。ところが現在は、目標設定、手段ともに日銀に独立性を与えてしまった。これは間違いでした。

 現在の問題は、この両方を日銀に与えてしまったことだ。ということは、取り返せばよいわけだ。先に触れた「日銀法の改正」こそがデフレの突破口であると。
 菅さんがこのまま増税を繰り返し繰り返し唱えて、極東ブログの示唆の通り自爆の道まっしぐらに進むのであれば、潔く日銀法を変えるくらいの旋風を巻き起こしてもよさそう。カリスマはないが、「これだっ」と思えるかどうかだけの話ではないかと、そのように思う。以上が、裂きイカの味わいということで。

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