鶏胸肉の肉天をにんにく醤油で食す:大竹まことの天ぷら道?:「鳩山由紀夫首相の嘘」のからくり
いかにヘルシーかと言わんばかりの料理が続いているので、ここらでちょっと趣向を変えた料理にしました。このところの重たいニュースで心もパサつく感があるしということで、今日は揚げ物です♪フライパンで焼いても揚げてもどちらでも良いので、手軽にできる料理なので、男性の揚げ物チャレンジとして、女性のメンドクサイ症候群吹っ飛ばす的料理です。タイトルの「肉天」の出典は「こんな料理で男はまいる。(大竹まこと)」からで、彼はこう語っています。
「肉天ができないのなら天ぷら禁止!」
天ぷらは素人がやってプロに勝てるようなものじゃない。長年の経験と技はダテじゃない。だが、肉天だけは別である。肉は水分があまりないので天ぷらの中では一番簡単なのだ。肉の天ぷらで自信をつけてから他の天ぷらへチャレンジしてみるべし。
これ、確かに肉の水分の件はそうだと思いますし、天ぷらなら衣が肉の水分をある程度守るので然りですが、いきなりの揚げ物はちょっとドキドキするかもしれません。私が言いたいのは、唐揚げから入ってはどうかな、というのが今日の料理のお薦めする点です。私もそうでしたが、最初に油を鍋で熱した時の、その恐る恐るな感覚は覚えています。油が勢い良く音を出すと、怒られているような感覚さえ持ちました。段々に慣らすということで、ハードルを低くします。手始めは、フライパンで多めの油で揚げ焼きをし、これに慣れたら肉天の段階へ進むとよいです(☛レシピ)。話を戻して。
まず、鶏胸肉の皮を剥ぎ取り、ヌードの胸肉にします。繊維に対して斜めに削ぎ切り、薄いスライスにします。おっと、最近、ここを独身男性(推定)が見てお手本にしている節がありますので細かい料理はご法度ですね。えと、仮に薄く切れなくてもおっけです。後で肉叩きでガツンと薄くすることができるのが鶏肉の扱いやすい点です。肉叩きがなければコップなどの裏で潰します。このスライスに片栗粉をまぶしてポンポンして余分な粉を落とします。刷毛があるとなおよろしい。この時、沢山片栗粉がついいると油を招く元になるので、くれぐれもよく「叩く」事です。次に、油でさっと揚げるのですが、油の出し入れやストックなどをしていないそこの独身若者のために、少し多めの油で、フライパンで揚げ焼きします。弱中火位でゆっくり焼くとよいです。
さて、ここで少し料理っぽいことをします。肉の食感をどうするかによって手順が変ります。カリカリとした食感にしたい場合は、肉を冷ましてついでに蒸気を飛ばします。それからにんにく醤油を絡めます。逆にしっとりしたかんじを好むのであれば、揚げたそばからタレを絡めて片栗粉に染み込ませます。熱い片栗粉の衣が水分を含むことでふやけ、肉の水分蒸発分を補うのでしっとりします。以上です。
この肉天風を美味しく食べるためのにんにく醤油は、少なくとも半日はスライスにんにくを浸け込んだものがベストです。この醤油は、調味料として野菜炒めの味つけなどに重宝します。また、剥ぎ取った皮は、その都度冷凍庫に保存しておいて、適当な量になったら下茹でして串焼などにすると自宅で焼き鳥やさんができます。
材料
- 鶏胸肉・・1枚(約300g)
- 片栗粉・・大さじ2
- にんにく醤油・・大さじ2
- 揚げ油
- 付け合せの野菜・・玉葱・大葉・茗荷など
作り方
- 胸肉の皮を剥いで繊維の切り替わりの部分で二枚に切る。
- 包丁を斜めに倒して端から薄く(5~6mm)スライスする。
- 2を肉たたきで叩いて厚みを均一に伸ばす。
- 3に片栗粉をまぶして余分な粉を払う。
- にんにく醤油をバット(なければ皿など)に用意し、揚げ物の油きりを用意する。
- 付け合せの玉葱をスライスし、水にさらし皿に盛り付けて大葉を並べ、トッピングの茗荷を千切りにする。
- 揚げ油を180度まで余熱し、4の肉を鍋の面積の2/3が最大にとして数枚ずつ揚げ(1~2分)、油を切る。
- 柔らかい食感にする場合は直ぐにタレを絡め、カリカリの場合はしばらく冷ましてから絡める。
- 6の皿に盛り付け、茗荷を乗せてでき上がり♪
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アメリカとの共同声明によって沖縄普天間移転問題が一段落したかになっていますが、それどころか、これから先何年も基地と共に生きることを背負う形になった沖縄の人々にとっては大変な暮らしになるのです。何もできないのが歯がゆいながらも、私自身の問題として気になっていることは書き続けて行こうと思います。
今、気になっているのは、普天間基地撤去問題はどうするの?という事です。この問題が宙に浮いたような形で、「辺野古」へ移設とされたのです。閣議決定書にはこうあります。
29日の鳩山さんの記者会見では、今後も一生懸命努力すると話していますが、少なくともこの政府がアメリカと現段階で交わした約束は、現実問題実行不可能な事です。辺野古の住民が賛成していない上、アメリカの条件すら満たせていないにもかかわらず、無理を承知で何故辺野古案で合意したのかです。国民からは、首相が5月という無理な期限を設定したためであるとか、7月の参院選前に決着をつけ、有利な選挙の運びとするためなどの思惑が行き交っています。
少し古い記事ですが、アメリカの答えは、以下のようにたった一つだったわけです。
⇒「辺野古案でなければ海兵隊撤退も」元米国防副次官(朝日新聞2010年3月3日20時32分)
それ以外の代替案もすべて検討済みで、実施可能なものはあり得ないとし、鳩山政権が現行合意である辺野古案以外の案を提示してきた場合には、「(海兵隊は)普天間に居残るしかない」と語った。
しかし、普天間は日米両政府がすでに返還を約束しているうえ、安全や騒音の問題も深刻であることから、「継続使用となっても長続きはしない。最終的に海兵隊は撤退しなければならなくなる」と語った。第一に指摘しなければならない問題点は、この合意があくまでも米軍基地の現有機能を確保することを前提にしたものであり、「純粋な形での返還」ではないということである。返還される普天間の施設は、米国へ持ち帰るのではない。沖縄県内、本土の他の基地へ移転され、そこには新たな重圧が加わるのだ。
要するに、米国側は一見大きな「譲歩」をしたかのような印象を与えているが、実質的に何一つ譲ったわけではない。日本に配置している四万七千の米軍兵力は一兵も減らしておらず、普天間基地が持っていた機能はそのまま沖縄県内、本土へ移転されるのである。移転先の嘉手納、岩国の首長がいち早く「本質的な解決ではなく、基地のたらい回しだ」と批判したのは、この問題点を鋭くついたものである。
また、普天間基地返還と撤去の約束をかわして早くも14年になるのです。その時交わされた「撤去」の約束に4つの条件がつけられ、現段階でも履行されていないのです。
⇒沖縄・普天間基地の返還合意発表19960415
橋本首相の共同記者会見での発表によれば、普天間基地の返還には厳密に四つの条件がつけられている。 (1)沖縄の米軍基地の中に新たにヘリポートを建設する、(2)嘉手納基地には追加的な施設を整備し、普天間基地の一部機能を統合する、(3)普天間基地の空中給油機を岩国基地に移しかえる、(4)危機が起きた時の米軍による基地施設の緊急使用について、日米両国が共同で研究を行う、というものである。
このようなやり取りがあって、その交渉の難しさが14年間考えられてきたとは思えませんが、合意は、返還が目的であるとはっきり記されています(タイトルにも)。一方、今回の合意内容は、14年前の合意書が上書きされたのではなく新たな協定を結んだということになります。民主党が政権を獲得するためにマニフェストに記載し、数々の不履行が起き、現在の混乱を招いたのです。極東ブログで「嘘つき」(参照)とした内容を改めて読み返すと、刻一刻と表現が変わって行った謎は、後からアメリカの出している条件を知ったからではないかと思いました。このような下衆の勘繰りもいかがなものかと我を疑いますが、国防に関する重要な抑止力のことも知らなかった首相ですから、当たらずとも遠からずと思ったのです。
協定の内容からも分かる通り、普天間の基地は現存のままになるという事です。民主党のマニフェストが公開された時点で、いち早く極東ブログが取り上げ、失敗に終わる理由を挙げていたとおりです(参照)。結局、普天間基地は自民党案よりもひどい、解決不可能と言える状態で浮いて終わっているのです。
今回の鳩山さんの会見内容は、本題を探すのに大変曖昧な表現で、個人的には気に入らないことが多くあります。よくよく読んでも結語が見つからないのですが、ここが鳩山さんの表明部分かと思われる場所を抜粋しました。
⇒鳩山内閣総理大臣記者会見平成22年5月28日
国外・県外は困難、との結論に至ってからは、沖縄県内の辺野古周辺、という選択肢を検討せざるをえませんでした。
自分の言葉を守れなかったこと、それ以上に、沖縄の皆様方を結果的に傷つけることになったことに対して、心よりお詫びを申し上げます。
しかし、それでも私が沖縄県内、それも辺野古にお願いせざるをえないと決めたのは、代替施設を決めない限り、普天間飛行場が返還されることはないからでございます。海兵隊8千人等のグアム移転や、嘉手納以南の米軍基地の返還も、代替施設が決まらないと動きません。
代替施設としての辺野古ですから移設です。普天間基地撤去の文字はないのです。
沖縄の基地周辺の方の訴えは、私にもよくわかります。私も東京近郊の旧米空軍基地の直ぐ傍で育っていますから実際の経験上、飛行機から出る爆音と耳を劈くような高い音は、低空飛行時には非常に怖いのです。今にも飛び込んでくるかというような恐怖は、滑走路に近づくにつれて音が大きくなり、着地からエンジン音が消えるまで続くのです。安心できないというのがあります。校庭の真上を低空飛行してるのは着陸間近で、日に何度も通ります。授業の声が聞こえないなどどうでもよくなるほどの恐怖なのです。沖縄で、返還前に戦争を経験した方たちにとって、この音は戦争の惨劇を呼び起こすトラウマになっていると聞きます。その苦痛から、基地返還という形にしないで救えるとは思えません。
この政府の取り付けたアメリカとの約束は、失敗以下です。
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