2010-05-11

新わかめと蛇腹きゅうりの酢の物:梅漬けすすめ:極東ブログの「ツイッターのこと」は、ちとキツイなあ

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 4月の下旬から出回る新わかめのお里は三陸沖らしいのですが、先月の津波の影響で、牡蠣の養殖場がひどい被害を受けたと聞きます。若芽には影響しなかったのでしょうか、気になりながらも、こうしていつもの旬にありつけるので嬉しく思います。火が通って真っ青に色が変わる瞬間は、その変色ぶりが見事で気持ちが良いもので、今日は蛇腹に切ったきゅうりと一緒に、若芽の梅酢和えにしました。
 きゅうりを蛇腹に切るのは何故か?目先を変えるというはありで、まず見た瞬間にはっとするものがあります。切り口がスライスのようの見えて、実はつながっています。一口大に千切っていますので、存在感を感じながらシャキシャキと噛んで味わるのが特徴です。たまにはこのような切り方もどうでしょうか。※以前の画像ですが、わかりやすいのでこちらもどうぞ➠

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 また、塩水にしばらく浸してしんなりさせるだけでしっかり下味がつきますので、全体を和えるのは薄味にします。昨年塩漬けした紫蘇の実(➠レシピ)をアクセントに、梅を漬けた酢で味付けしてあります。この酢漬けのエキスは、梅4kgに対して酢を500cc、ざらめ1kg、塩3合の割合で漬け込んで、梅からしみ出してきたエキスと酢が水分の成分です。全く腐るようなこともなく、綺麗ないろのまま年を越しています。この梅酢が和え物や、魚の煮物などの調味料として使える上、梅の香りがとてもよく、大変重宝しています。もう少しすると梅の季節になるので、計画に加えてはどうかと思います。参考までに、こちらがそのレシピです➠

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 さて、蛇腹の切り方ですが、切るのに慣れている人は、同じ角度で同じ深さに斜め45度をとりながら、細かいく切込みを入れ、180度ひっくり返して、同じように切込みを両面に入れたら1%の塩水に20分ほどおきます。これできゅうりがしんなりしたら硬く絞って一口大に千切ります。ここで、良質のオリーブオイルを軽くまぶし、後はさっと熱湯を通した生ワカメをざく切りにして梅酢で和えます。
 アレンジとして、にんにくとワインビネガーを梅酢と紫蘇の実の代わりに使用すると、イタリアンの和え物にもなります。オレガノの香りを効かせるとよいと思います。
□ 参考料理➠「秋刀魚の梅酢煮」

材料

  • きゅうり・・2本
  • 戻しわかめ・・70g
  • 紫蘇の実の塩漬け・・大さじ1
  • 梅酢・・大さじ2
  • オリーブオイル・・小さじ1
  • 1%の塩水・・500cc

作り方

  1. きゅうりを横に置き、斜め45度の角度できゅうりの中心よりも浅めに1mm幅の切込みを入れ、裏返して、反対側も同じように切る。※割り箸をきゅうりの両脇に置いて、きゅうりを挟むようにして切ると、切り過ぎを防げます。
  2. 二本とも同じように切ったら、塩水に浸す。
  3. その間にお湯を沸かし、沸騰したらわかめに回しかけ、わかめを絞らずにまな板に置いて、立てかけて冷ます。
  4. 3のわかめを適当な大きさにざく切りし、2のきゅうりを一口大に千切ってオリーブオイルで和える。
  5. 最後に梅酢と紫蘇の実を加えて一緒に混ぜ合せてでき上がり♪

***
 Twitterのタイムラインの文字を見ていていたら気分が悪くなってきた。それは、奇妙な時差空間に自分がいて、現実の私が、少し前の時空で戸惑ったり悩んだりしている姿を冷ややかに見ているとでもいうような、おかしな感じでした。
 昨日、@づけであることを質問したことに、相手から返事が返って来なかった時のことです。少しして、何かとマズイ質問をしたことに気付いて、その質問を削除したのです。ここまでは良かったのですが、あとになってスッキリしないのです。 結論から言うと、タイムラインで流れたことに蟠るようではTwitterで疲労が溜まるということと、疲労を溜めないように関わるのは、少し空虚で虚しくなる私なのだとわかったという話です。
 自分の質問に後悔の念があって、最初は返答がないことへの戸惑いでした。そゆのから、ちょっとしたショックを受けるのですよね、これでも。次に、@相手の理由を調べようとしたことへの後悔の念です。そんなこと調べたところで何が気休めになるというのか、みたいな感じ。この中身が色々ありそう。この@質問によって、自分はどう見られているのかということが相当気になっていました。そのうち、これは、どう見られたいかという潜在意識と表裏一体の関係だと感じ、その理屈では分かるのですが、そこは自覚がないので、何ともよく分からない。だから、理屈も本当はわかっていないというか。他にもあるのだけど(沢山)、取り分けこの部分に触れると、質問した自分自身はもう既に過去の、その時の人でしかないのです。後から思い悩んで解決しようとしても、過去のその時の瞬間に戻って解決出来るわけでもない。それをぐずぐずと考えているよりも、今できることをするしかないのです。悔いるような思いの過去であれ、それを受けて「どうしたいか」と、「そのために何ができるか」を考えるしかないのです。あ、他に放置という方法もあるけど、私には、その紐を切って放置するのがまた難しいことなのです。そう考える現実に、自分自身を持ってくることにとっても時間がかかるなぁと思ったのは、やはり歳なのか。
 若い頃と違って、転換に凄く時間がかかるようになったと思います。これにもがっかり。そして、今「転換」という文字を使ったけど、これって、凄く人為的で意図的な意味合いを持つ言葉で嫌だなと思うのです。昔の私は、サッと切り替えしていたように思います。こんな思考も、自分の老いを確認する作業かもしれないです。
 結局、長く執着するほど、@相手に深い意味があるかどうか疑問で、そのことに引っかかっているのは、自分の意識の中の何かでしかないのです。 どう表現したらよいか困るのですが、Twitterが心地よくなる要素は、世代的な違いや性格からか私にはあまりないのだと思います。切り替えという作業を必要とするくらいなら、だんだん苦痛に向かうような気がします。ましてや、その土壺にはまらないよう、最初からその手の話に触れないようにするなどと言う特技も持たない不器用です。
 極東ブログの下りに、こうあります。

幽体離脱というのだったか、身体から魂が抜け出してという体験を研究したロバート・モンローという人(もうすっかり抜け出してしまったけど)が、地球からは人類の各人の思念が放出されていると言ってたようだったけど、ああ、それってツイッターのタイムラインそのものじゃんとか思った。

 私もこのような捉え方をするのですが(中身は違うかもしれませんが)、タイムラインに流れる文字はマターに過ぎず、人から抜け出した思念が放たれてどんどん流れているのです。寂しい感じというか、一見賑やかそうで、でも、その一つ一つは流れて終わるだけなのです。ですから、そこに一々反応している私が空虚な存在に思えてきて、気分が悪くなってきたのです。そして、これもそうだと思います。

例えば、僕がフォローしている人は1200人くらいいるのかな。その人のメッセージを全部読むのは無理で、たまたまツイッターをしているときの話の流れに突っ込み入れたりするくらい。だいたい、フォローする人が100人を超えると、チャットみたいに相手の発言を読み合うという、少しは空気考えろよ、はなくなって、みなさんご勝手なことを乱雑に言うだけ。それがだらだら流れてくるのが、タイムラインだ。

 Twitterのことを上手く言い当てることは難しいし、よく分からないだけに、私に使い方がないからこういう事を虚しい感傷として捉えてしまうのかもしれません。もはや私は、楽しさを見い出せる段階ではなさそうです。「ツイッターをしている」と言えるようなステータスがはっきりあると、それなりの楽しみ方ができるのかもしれませんね。「Twtter社会論(津田大介)」という著書まであるのかぁ。Twitterをそのように捉えたこともないです。若い人の考えに関心はあるのですが、心休まる読み物というのではない感じ。
 しばらく休憩かな。

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