2010-05-12

葱の揚げ玉うどん:シンプルスープ続編:「「世の中を変える人」の4条件」によせて

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 うふふ、どこかで見たことのある葱の揚げ玉でしょ。ここを毎日チェックしている人なら一目瞭然で、ともするとこんなレシピを挙げたらもう来てくれなくなるかもしれない。なーんちゃって、葱のかき揚げの時、最後にボールに残った中途半端な種を菜箸でパラパラと揚げ油に振り入れ、それで出来上がった揚げ玉なのです。
 ところで揚げ玉は、関西地域では天かすと呼ぶらしいのですが、決まっていません。大阪の友人は揚げ玉と呼んでたこ焼きに入れていたのを覚えています。高速道路のカウンターやぶっ掛けうどんのチェーン店(名前は忘れた)や、駅の立ち食いでは、小口ネギと揚げ玉、七味は「ご自由にどうぞ」と、無言のセルフサービスおっけ的な地位を確立しています。自由にと言っても、揚げ玉を山盛りにするのは大学生風のお兄ちゃん達で、秋田のうどんチェーン店で遭遇したことがあります。それくらいで、普通は油っこくなるので、パラっとのっている程度にしておきます。すると、揚げ油の風味が出汁と一緒になって、かき揚げうどんを食べているような錯覚を起こします。これが、揚げ玉の存在価値としての80%以上の狙いではないかと思います。

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 さて、そういうわけで、少しあるとうどんや蕎麦が一味も二味もよくなることがわかっているのに、これだけ揚げて作るという気にならないのも事実です。ですから、天ぷらなどの揚げ物をする時に少し作りおいて、冷凍保存します。冷凍庫に長く置くとどういう事になるか知っての通り、かなり臭いがつきやすいので、せいぜい10日のうちに消費するというものでしょう。ですから、大量に作るものでもないわけです。 これで、話は終りですが、これだとレシピにならないので、簡単で美味しいうどんのつゆの作り方も合わせて参考にどうぞ。
 美味しい鰹出汁に、白醤油と濃口醤油を半々加えてるだけです。これも何かに似ていると思ったら、先日秋田の友人から仕入れた「和風のあっさりラーメン」のスープの配合にちょっこし似ています。用意するのはレトルトのうどんか、茹でうどん、または乾麺など好みの麺か、自分で手打ちにするのもたまには良いです(➠レシピ)。

うどんの材料(二人分)

  • 茹でうどん・・2玉
  • 揚げ玉・・大さじ4
  • 葱・・適宜
  • 蒲鉾・・適宜
  • 茹で筍・・適宜

出汁

  • 水・・700cc
  • 花かつお・・一掴み
  • 白醤油・・大さじ2
  • 濃口醤油・・大さじ1
  • 塩・・小さじ1/2

作り方

  1. 鍋で水を沸かし、80度位になったら鰹節を一掴み加え、温度を80度までに保ちながら5分加熱して火を止め、そのまま鰹節が沈むまで置く。
  2. 鰹節が沈んだら笊で上澄みを漉して、鰹も絞ってすっかり出汁と分ける。
  3. 鍋で2の出汁を沸騰させ、分量の調味料を加え、最後に味見をしてから塩の分量で加減する。※うどんが入ると薄まるので様子をみる。
  4. 茹でうどんを加え、うどんがほぐれて煮立ったら器に盛り付け、揚げ玉、蒲鉾、小口葱を散らしてでき上がり♪

***
 一作日、しょぼーんな私が、昨日まで引きずって嫌な時間を長く過ごしましたが、奮起して夕方ジョギングに出たらそれはそれは気持ちの良い時間でした。曇ってはいましたが、いつものように諏訪湖の写真を撮ってTwitterに投稿し、帰宅してからひとしきり反応をくれた面々とやりとりする時間を過ごしたり、夕食の献立のトンカツの話が盛り上がったり。このような時間もありなのだとしんみり思ったのでした。

* 「世の中を変える人」の4条件(finalventの日記)

  • カリスマがある(カリスマがなんであるかはマックス・ヴェーバーでもわからんが)
  • たまたま運がいい
  • 菜根を囓って生きていける
  • 世の中に目立つことのない良識をもっている

補足すると、世の中を変える人というのは、世の中に目立つ人ではなく、市井のなかでその人間関係に平和と協調をもたらす良識のある人たちのこと。そういう人たちがじんわりと増えていくと、世の中は変わる。

 このエントリーに妙に気持ちが奪われて、実は、この事を考えていたような一日でした。何が気になっているのだろうかと、さんざん考え倦ねた結果、山本七平さんの言葉が浮かんできたのです。

* ブログを書いていてときおり思い出す山本七平の言葉(finalventの日記)

AmazonNetShop人間はカネにならんことを一生懸命やっている限り堕落しないと私は信じているのだ。

しかし、このカネにならない仕事を長期間継続することは、相当の決心と持続力がいる。問題は「餓え」より安易につきたがる心情だろう。

私は常に楽観的なのだ。いずれ人びとはそれに気づき、自らを少しでも貧しくするため、「金にならないことは何でも」一心に行い、それで心の空白を満たすようになるだろうと思う。それは根拠なきことではない。江戸時代にはそういう人はいくらでもいたのだ。

 私は七平さんの書いた書籍から大人としての大きさや広さを感じ、その温かさの深さから「大きな父」のような存在を感じたのです。
 私が「書く」ということに行き詰まりを感じて、人と通じ合う事の難しさ虚しさを抱えて途方に暮れていた時に、この言葉を教えてもらったのです。 この言葉に励まされて、嬉し泣きしたらすっかり慰められてしまったのはそう遠い昔のことではないのです。私は、旗を掲げて平和を唱えて運動するよりも、静かにコツコツと目の前の自分に与えられた事をこなすことで、周囲の人の役に立つ事ができれば、それが私にできることであり、それが「生き甲斐」ではないかと思えたのです。上手く言えないけれど、生き甲斐を見つけようにも、探せば見つかるというわけではないのです。
 例えば、料理が面白くない、上手にできにないなどという理由で諦めてしまう人や、自分には才能がないなどという自分良がりの理由で料理しない人の話をよく聞きます。逆に、上手じゃないけど、家族に喜んでもらいたくて一生懸命作ったら「美味しい」と言ってくれた。だから、これからも頑張るのだという人の話も聞きます。人と比較したらキリのない事ですし、自分を評価し始めたらお終いです(ま、よくやっちゃうんですけどね)。評価の基準は自分のものではなく、観念的に後からこびりついた偏見でもあるからです。それよりも、もっと純粋に自分自身の心から湧き上がるような気持ちを調べてみると、きっと見えてくるその先のもの。それが見える人と、気づかない人、見ようとしない人など、色々ですが、七平さんには、そこを見るのだよと教えてもらったような気がしました。そして、「救われないやつ」と言う人から救われ、私は、今に至っているのです。
 生き伸びる方向を見つけようとする時、まるでトマトの芽欠きのように、枝分かれのどちらが本芽なのか迷ったら、しばらくそのまま生かしてみると分かるのが本芽です。間違っているかに見える方向へも目を配ってしばらく一緒に進んでみると、何が不要か見分けられます。だから、しばらくこのまま歩んでみること。そして、不要なものが見つかった時には、直ぐに切り落として、エネルギーの無駄使いをしないようにする事。それでも見落としというのはあるもので、気づいたときに見直すだけなのではないかと思います。こうするのは自分なのだと知って、試行錯誤をしながら救われたのです。
 世界観が変り、少なくとも不幸な見方からは開放され、弱いながらも微かな光を辿ったのは、振り返ってみると、暗中模索だけでした。それでも救われたと思えている。光のさす方向へとりあえず歩いてみることだと教えてくれたのは、あなたでしたよ。

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