2010-05-15

新筍(恵那産)の土佐煮と筍ご飯:紙芝居屋さんの話-「ゲゲゲの女房」をみて

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 ここ数年、知人友人から届く茹でた筍でお腹を満たしてきてしまっているせいで、なんと、筍の茹で方レシピがすっ飛んでしまっていました。最後は、三年前に近所の八百屋さんで勧められた小さな筍でした。皮を剥いて米糠で茹でた、という簡単な方法は紹介していますが(若竹煮➠レシピ)、それから思うともう少しきれいに茹でる方法もあるので再度レシピを紹介します。
 お向かいから頂いたのは、岐阜県の恵那というところからの筍で、朝採りのが昼過ぎに届いたのだと言う、正に土から生まれてきたばかりの筍です。このような新鮮なものばかりいただける田舎暮らしは、本当に悪くないなぁ。と、食べ物に満足できれば他の嫌なことは取りあえずそっちにおいといて、と。
 では、早速です。
 筍を茹でる前に、少し勘を働かせることが必要です。ハズレても失敗になるわけではないのですが、食べられない皮の厚みがどれくらいなのかというのを目測します。そして、食べられる部分に深く傷をつけないように頂点の部分から斜めに先端だけ切り落とします。目測がぴったりだと、先端の柔らかい部分が満喫できると言うわけです。落としてしまったのはすっきり諦めます。次に、斜めに落とした部分の中心を見て、今度は付け根の方に向かって浅く包丁を入れます。芯の部分が見えないだけに、筍の形や直径、長さを目測して包丁目を入れるのでワクワクします。この切り込みの意味は、中の筍のアク抜きをするための米糠(こめぬか)汁が行き渡るようにするためで、多少筍に切込みが入ってしまっても別に間違ではありません。ご心配なく。

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 ここまでできたら、筍がすっぽり入り切る大きな鍋に筍を置いて、筍がかぶる位の水を満たして米糠を一掴み入れます。水が濁って筍が見えない位の量です。加熱し、沸騰したら小さく沸騰する程度に火を加減します。茹で上がったかどうかを確かめる方法は、竹串を一番太い部分に、斜めに突き刺して、スッと通ればおっけ。そのまま火を止めて冷まします。目安ですが、沸騰後20分ほどで柔らかく煮えます。

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 すっかり冷めたら取り出し、切り込みを入れた部分を左右に開くと綺麗に皮が剥け、筍の芯だけが残ります。保存する場合は、このまま袋やタッパーに、筍がかぶるくらい水をたっぷり入れて冷蔵庫で保存します、長く保存するときは、2~3日おきに水を換えます。

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 さて、土佐煮の作り方ですが、筍が柔らかくて旬には必ず作る料理としてポピュラーです。それというのも、筍の食感や香りの醍醐味を味わえるシンプルさだと思います。
 冷え切った食材に味付けする場合は必ず加熱して、温めてから調味に移ります。冷め始めに味が入るので、直ぐに食べる時には、少し濃いと感じる程度の味付けにすると良いです。翌日冷めてみると、味が染み込んで丁度良くなります。レシピの分量はそういう意味で、目安としてください。 切り方は自由ですが、筍らしさを残す切り方は、縦半分に切り分け、横に置いて均一の長さに等分します(6~7cm位)。次に切った断面を底にして立てて櫛(くし)切りにすると、断面に筍の筋が並んで、どこから見ても筍らしく見えます。
【参考料理】
筍づくしの食卓のことですから、勿論筍ご飯も作りました。レ シピはこちら➠
材料

  • 茹で筍・・450g(2個)
  • 鰹出汁・・300cc
  • 白醤油・・大さじ2
  • 濃口醤油・・大さじ1
  • 酒・・大さじ3
  • 塩・・小さじ1/2
  • 花かつお・・一掴み

作り方

  1. 鰹の出汁を取る。
  2. 茹で筍と鰹出汁を一緒に鍋で加熱する。
  3. 2が煮立ったら、酒をくわえ、一煮立ちしてから白醤油、濃口醤油を加えて10分ほど中火で煮込む。
  4. 味見をして塩で加減し、花かつおを一度に入れて火を止める。
  5. 花鰹が馴染んだら器によそって木の芽をあしらう。※山椒の芽は手の平に置いて叩いて香りを出してから乗せる。

*** 
 今 放送中の朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」の時間が楽しみです。なんとなくこの15分を空けるように物事を段取りしている自分が可笑しい。この辺は、今のゆとり世代の子どもと違うところで、すべきことを終わらせてからやりたいことをするという昭和世代の私です。
 この番組の前宣伝の時から、なんとなく楽しみだったのが的中した感じです(参照)。私の母が昭和三年生まれなので、水木しげるさんよりも5年ほど年下というだけに、私が育った頃の時代が少しは知れるという楽しみがあります。自分の生まれた頃や、記憶に残る時代のことを知りたいというのだから、それ相応の年齢というものです。これを私の成人した娘に置き換えてみると、彼女の生まれた時代と言っても、「時代」という言葉は似つかわしくない。まだそれほど年月が経過していないので、今とあまり違わないのです。でも、待てよ、私の幼少時代と20歳代は今の比較とは全く違う世界に変わってしまった気がする。多分、東京オリンピック辺りから高度成長を遂げて、文化ががらっと移り変わったせいかな。娘の生きた20数年と私の時代の20数年は、世の中の移り変わりが全く違うのです。昨日、番組で見た紙芝居から、昔味わったあの満たされない感覚が蘇り、そのことを少し書いておこうかと思います。
 紙芝居屋さんが自転車を引いて鐘を鳴らして通るのが外の通りから聞こえると、一人二人と子ども達が後について、人集りのまましばらく歩くのです。そして、10人くらい子どもが集まるとおもむろに荷物を解き、棒に水飴のようなものを絡ませて配ってから紙芝居が始まるのです。こんなに詳しく知っている私ですが、紙芝居を一度も見たことがなく、これが不満というか、あの当時母に抱いた不満が蘇るのです。
 紙芝居屋さんの鐘の音が聞こえる時は、いつも母がそばにいて、当時住んでいた二階家の窓から見ていると「そういうところから覗かないの」と、いつも制止されたのです。これが4歳の頃の記憶なので呆れますが、何かを覗き込んだり、隠れて何かを見ようとすると、それは「お行儀が悪いこと」ですから、いつもそれを叱られて、どうして紙芝居を見せてもらえないのかの理由は、聞いても言ってくれませんでした。いつだったかその母がいない時、祖母に見たいと言ってねだったら「お母さんにきかんばたい(お母さんに聞いてからね)」と言われていたのでした。多分3回くらいしかそのチャンスはなかったかに覚えています。
 私が幾つの時の事だったか覚えが無いのですが、母に紙芝居を私に見せなかった理由を聞いたら、「戦争後、ちゃんとした職につかないで(働かないで)暮らしている人達だから」と言ったと思います。私の10代後半から20代の頃は、まだ新宿や池袋の駅の外に、軍服をきた片手、片足のないような人が「物乞い」をして一日中、人から恤んでもらうために座っていました。母は、そういう人に一切お金を出したことがありません。するかしないかよりも、何故そう思っていたのか、母の偏見なのか気位なのか、その理由を聞いたこともありません。もしかすると、私の母も見た経験がなかったのかもしれません。
 お陰で私は、一度も紙芝居を見たことがないのです。何かを欲して、それが満たされないというのは、子どもの頃であれば特に残るものです。小学校の1~2年の頃、先生が学校の紙芝居をしてくれた記憶はあるのですが、そのお話は何だったかすっかり忘れましたが、その時にも、幼い私が見せてもらえなかったあの紙芝居屋さんの紙芝居の事を思い出していたのは確かです。本当に見たかったのです。
 ドラマの紙芝居屋さんは、子どもに夢を売る商売的な、ちょっとカッコイイおじさんという感じです。母の言っていた「ちゃんとした職につかない人」なのだろうか。なんとなくアレは、母の偏見じゃないかとさえ思います。今から思うと、私の両親の家は、昔で言えば良いところ出の人なのでしょう。母の父親(私の祖父)は満鉄(満州鉄道)の偉い人で、父の家は熊本の地主の家柄だったと聞きます。餡子は漉し餡しか食べないという父ですからそうなのでしょう。※漉し餡は上等で、粒餡は二流品という扱い。
 このような不可解な部分が見つかるのも、「ゲゲゲの女房」の面白さなのです。私の父母の偏見が見つかる面白さって、あるのですよ。子どもの頃に、まんまと騙されたのじゃないか。私の親世代にはよくあることですが、子どもに理由を説明する必要を思わないのです。言い換えると、子どもが大人に、大人の理由を聞くというような対等な立場は許されなかったのです。言われたことを聞いていれば良いと叱られてしまうのです。また、これには一理あるのです。理屈でわかった気になるよりは、実際自分でやってみて、自分のことになれば自ずと考えられることだったりするのです。何でも教えてもらうよりは、遥かに頭を使いますからね。このように、大人は、子どもにとって良かれということしか理屈上あり得ない存在でした。が、大人の都合というのもあって、子どもながらになんとなくそれは分かるのです。紙芝居を見てはいけない理由などは、アレは母の偏見だったんじゃないかと、今でも思っています。赤らさまに私に言わない理由は、平等の基本が母にはあったにも関わらず、生まれや育ちによって気持ちが許さない部分ではなかったのだろうか。福沢諭吉の有名な言葉に「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」というのがありますが、自分の優位さをひけらかし相手を蔑みたり、逆に自分より少しでも幸せな同僚や家庭を妬み嫉みからの陰湿な苛め、村八分などの行為を咎める教育も受けていたと思うので、その辺のチグハグだったのじゃないかと思います。 因みに、貧富の差や家柄が生み出す上下関係や差別問題の温床は、やはりこの世代辺りから引きずっていたのも確かです。
 取止めのない話になってしまいましたね。実は、番組で、紙芝居屋さんと水木さんが喫茶店で話をする場面をテレビで見て、喫茶店に触れた内容で昨日ブログの下書きは終わっていたのですが、夕方極東ブログでまるっきり同じテーマで、内容もかなり似ているエントリーが挙がり、ガックシ。あちらの話は、それなりに時代の背景も書いてあって、歴史的にも面白い描写です(「昔の喫茶店のこと極東ブログ参照)。
 書き直すのも何なので没。で、全く違う趣にしようと思ったのですが、こんなになっちゃいました。

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