2010-03-09

中華風土佐茄子の牛挽肉餡:怖がりなんですよね、実は。

 一昨日降り続いた雪のお陰で、昨日は寒い日でした。三寒四温というほどはっきりとした周期ではないにせよ、でも、暖かい日が確実に多くなってきています。ここは、ともするとマイナス10度以下の極寒を味わったりする、油断も隙もあったものじゃない的な不意打ちを喰らう時もあるほど、とても寒い日もあるのです。その雪道の中でも出なくてはならない所用を思い出し、ついでに買い物へと巡回したのです。

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 土佐茄子を見つけ、いつもなら、季節外れのものは美味しくないとばかりに振り向きもしないところです。つるんとした藍色の茄子が、夏の日差しに照らされている畑の想像なんて、この状況ではできないのです。でも、今回は、ちょっとそれは違うのじゃないかという気がしたのです。
 土佐のビニールハウスの中で汗をかきながら育った茄子は、夏ではなくても近い環境で育っています。じゃートマトは、冬は食べないのね、と聞かれると困ったな。食べます。時々。こんな押し問答をした挙句、結局、買って食べてみることにしました。
 皮はむしろ柔らかく、ピーラーで剥くと、内側が緑色をしています。パサつきもなく、あくも少なくて言うことなしの茄子です。そうなると俄然元気が出てきて、張り切って料理に取り掛かりました。元気が出るきっかけなんて、こんな単純なことなのです。
 牛挽肉をたっぷり絡めた中華風の味付けにして、ピリッと辛味を感じる豆板醤を加えてみました。そして、味付けは甘酢なのですが、醤油を加えずに塩だけにしました。揚げ茄子の香ばしさと牛肉の旨味やコクがあれば、さらに醤油と言うよりも、あっさりとした塩味がより味が引き立つのです。こんな味のデザインも、上品でお洒落です。味のインパクトは、素材からきちんと感じ取れます。

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 茄子や南瓜の皮を剥いて料理するのは中国式です。と言うのは、ウー・ウェンさんから教えてもらいました。トマトの皮を剥くのは母からです。因みに、西洋では剥かないで食べることが多く、果物の皮もじゃが芋の皮も、美味しいところは皮の内側だといいます。ところが、皮を剥いて料理するのをおぼえてからは、料理に早く決着がつくので、なかなか良いと思うことに一理あります。
 火の通りが速いので、茄子の食感を残すためには強火で手早く作るか、弱火でゆっくり味をしみ込ませながら柔らかい食感を残すかを決めて、火加減でコントロールします。
 今日の茄子は、つるんとした食感に牛挽肉を片栗粉で絡める炒め物なので、160度という、比較的低温の油で茄子をゆっくり揚げ焼きします。油は大変少なく、半カップですから大さじで約4杯です。最初は茄子が油を吸ってしまうので、油がなくなりますが、茄子に火が通り始めると、吸い込んだ油が水分と一緒に戻ってきます。そうなるまで、気長に茄子に火を通すことがポイントです。
 焼き色が付くくらいなると、同時に茄子の甘みも引き出されて一層美味しくなります。

材料

  • 茄子・・5個(550g)
  • 牛挽肉・・200g
  • 長葱・・10㎝(みじん切り大さじ1)
  • 生姜・・1片(みじん切り大さじ1)
  • 片栗粉・・小さじ2(水大さじ2)
  • 揚げ油・・カップ1/2

合わせ調味料

  • 酢・・大さじ1
  • 砂糖・・大さじ1
  • 塩・・小さじ1/3
  • 豆板醤・・小さじ1

作り方

  1. 合わせ調味料を小ボールに取り、砂糖と塩を溶かす。
  2. 生姜と長葱をみじん切りにする。
  3. ナスのヘタを取り、皮を剥いて半分に切り、斜めに二等分する大きなものは三等分にする。
  4. ウー・ウェンパンで油を160度に予熱し、3のナスを炒めるように菜箸で時々混ぜながら揚げ、茄子から油が戻るまでゆっくり火を通す。少し焼き目をつけると香ばしい。
  5. 4のナスを一度引き上げ、残った油で葱と生姜のみじん切りを炒め、香りを油に移してから牛挽肉を炒め合わせる。
  6. 肉の色が変わったら茄子を戻し、合わせ調味料を加えて調味する。
  7. 全体に炒め合わせたら、水溶き片栗粉を加えて2~3分煮絡めて出来上がり♪

➠お弁当に

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 昨日の続きのようなことですが、決着がついていないとわかっていることは表面に出さないで、内面に温めているのがむしろ平穏なのかもしれない。それを「大人の振る舞い」のように言い聞かせ、そうすることがせめてもの慰めになったとしても、心の乱れなどは見られたものではない。
 こういう心境の時に浮かぶのが、宇野千代さんです。幸いというか、晩年の宇野千代さんの話しぶりを覚えていて、とにかく歯切れの良い話し方をする人で、目を見開いて遠い先の将来を生きているかのような、生命力のようなものを感じたのを覚えています。明治の30年生まれで、当時としても、また現代に置き換えても、人として純粋に生きた人なのだと思うのです。恋愛と人生の求道者として、私には映っています。
 私には真似のできないような飛び方のできる人で、多くの著名な作家との恋愛が有名です。彼女の話で「私はね、好きな人には好きだっていっちゃうの。好きだって言われて嫌な気分になる人はいませんからね。で、終わったと思ったら、直ぐに好きな人ができちゃうの。」などと、90歳を越えた年齢だった当時に、楽しそうに話するのが印象に残っています。著名人がこのような話をすると、それなりの枠にはめて聞くからか、なるほどと思える節もありますが、一般的ではないにしろ惹きつける「華」を持った人です。
 私の人生のお手本というのは、小説に出てくる人物だったり、小説家だったりするのです。ですから、今では考えられないような時代背景にもかかわらず、宇野千代さんのような生き方ができた人というのは、特異な存在でもあった反面、興味深い人物でした。その印象だけが、折に触れて浮かぶというのは、そういう内面に憧れているのか、羨むようなものをいだくのか、と、ちょっとそれも情けない私なのです。
 自分自身の全てというのは、沢山あるという意味ではなく、ほんの些細な小さな思いの一つが真実であれば、それが全てだと言えます。その細やかなものを投げてしまった後は、何が返って来ようと受け止めるしかない、という覚悟を決めるしかないのです。「果報は寝て待て」というような期待感のあることとはちょっと違う、半分以上は無駄足だと諦めているようなしらけた心境で、一層はっきりしてくるのは、孤独の痛みです。実は、これが本当に怖いのです。性懲りもなく何度も痛い思いをすると、「くよくよしても始まらないから、そういうことは直ぐに忘れちゃうの。」と、千代さんのような考え方になるのだろうか。よくわからない。

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