2010-03-08

野沢菜漬けの炒り煮:古漬けのリメイク:無力なんだなあ

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「野沢菜漬けが古くなって、酸っぱく硬くなってきたら、こんな風に作り替えますよ」というレシピです。
 昨日に続きますが、春になって暖かくなると慌ててお漬物を食べだしたり、人にあげたりして消費する動きが活発化します。作った量が調度良いという食べ方は難しく、足りなくなるよりは余った方がよいという太っ腹な文化が残っているのも長野県です。
 ご近所のお婆様と言っても何人も知っていますので、数人から声をかけてもらったのですが、そんなに食べきれる訳でもないので、程々に頂きました。変な話、野沢菜漬けは、作らなくても頂くので間に合うほどです。
 昨日は野沢菜漬けの酸味を生かした炒飯の作り方を紹介しましが(レシピ☛)、今日は、塩抜きをして、戻してから味を付け直します。塩抜きすると言っても、良く噛んでいると最後の方に少し塩気を感じるという程度です。ただし、古漬けにはしっかり味が染み込んでいるので、丸一日たっぷりの水に浸し、一、二回水を取り替えます。

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 新たに味付けするのは、醤油味で少し甘く感じる味付けで、濃い目の漬物風か、薄味にして煮もの風のどちらでもよいと思います。私は作りませんが、「おやき」の具にするのであれば、煮物風にして少し甘い味付けが合うようです。お弁当のおかずには、濃い目にするとご飯に合います。
 今日のレシピは、濃い目の方にしたので、これを目安に味付けを加減するとよいです。

材料

  • 野沢菜の古漬け・・1kg
  • 鰹出汁・・カップ1
  • 酒・・カップ1/2
  • 砂糖・・大さじ3
  • 濃口醤油・・カップ2/3
  • 鷹の爪・・2個
  • 炒め油・・大さじ2

作り方

  1. 野沢菜をたっぷりの水に浸して丸一日置く。途中一、二回水を取り替える。
  2. 1の野沢菜の水気をよく絞って4cmに切り揃える。
  3. 大きめのフライパンに油を引き、2の野沢菜を炒める。
  4. 全体に油が回ったら鰹出汁を加え、蓋をして白い茎が柔らかくなるまで煮る(約20分)。煮汁がなくなってきたら出汁を足す。
  5. 砂糖、酒、醤油の順に加えて味がし見込むまで良く煮て、煮汁が残らないように煮切る。
  6. 鷹の爪の種を取り出し、途中で一緒に炒めて辛味を移す。長く煮ると辛くなるので、様子を見て取り出す。

***
 このところ、ブログの書籍化の話をしていますが、形にして残したいという気持ちが強くなったのも、何を思って書いているかという気持ちの現れだと思っています。実際、人の役に立つかどうか分からないにしても、何かの形で、自分の人生が無駄でもなかったと思いたいというか。
 私が子どもの頃、大人に、「人の事は人の事、自分のことを心配しろ。お節介を焼かなくていい」と、良く言われたのです。これには、未だに傷ついたという印象が残っています。そのように言われれば、気になることは置いておかなくてはなりません。が、幼いながらでも、人の痛みに触れればそこに寄り添うように気持ちが働くことはごく自然で、それをやめろと言われると、気になる気持ちのやり場や置き場に困ったものでした。戦争を経験した大人は、皆そうやって生きてきたのでしょう。でも、幼い子供にいう言葉でないです。こんな矛盾したことばを良く言えたものだと、今はそう思います。
 生まれてから人の世話になり続けて大きくなったということは、理屈ではなく、子どもの心が知っていることなのだと思います。だから、困っている人を見れば、「どうしたの?」と寄りそうような気持ちが働き、自分に何かできることはないかと、自然に思うものです。多分、これが友愛の原点ではないかと思います。
 昨日、「心のどこかで、お前の人生はなんのためにあるんだと問われている。」という言葉に触れて、誰から言われるでもなく、このように問いかけるのは、生きている者の原点に戻ることなのではないかということと重なったのです。
 諏訪中央病院名誉院長の鎌田實さんの話を思い出しました。鎌田さんが生涯医者として生きる決意をしたのは、養父のお陰だという話です。裕福でもなかった家庭で、鎌田さんを養子として迎え、そのことをずっと内緒にして、実の親子だと思い込ませて育てた理由に由来するものです。本当の親子ではないという疑いを持たせないために、一生明かさないという養父の強い愛情に支えられて育ったからこそ、医者として恩返しをすると言い切れるのだと思います。
  鎌田さんのお父さんのような生き方は偽善だという人もいますが、たとえ偽善でも、そのように生き通すという生き方に、他人がどうこう言えるものではありません。私は、鎌田さんの親が養父だからこそ、微塵でも愛情を疑わせることのないように育てる、という愛情以外の何物でもないと思いますから、その一筋で生き通す生き方に心を打たれます。
 思い上がるのもいい加減にしろ、と言われるのは若い頃の話で、私の年齢に達すると、逆にいい加減自分のことばかり考えるのはやめろ、と思ったりします。そうは言っても勝手なもので、自分のことを考える事が圧倒的に多いです。少し心持ちの悪い気もしますが、でも、私がこうして生きていることを誰からとがめられるわけでもなく、私に与えられた恵みではあるのです。が、そうもしていられません。
 ちょっと聞いたことで、ショックなことがありました。私に現状を越えて、そこへ飛んで行かれるのかと聞かれたら、必要とされればそうすかもしれないと思います。私のしたいことは、「必要とされること」をしたいのです。ただ、そのことを気にかけながら、着の身着のままでというわけにはいかないのが悲しいです。なんともしがらみの多いことか。これだけ生きてくると、そのしがらみを切るくらい何でもないという程度のものから、これだけは今すぐに切れないというものが見えてきて、縛っているものを少しずつ剥がすしかないとは思いました。
 例えば、私が生きていられるのが期限付きだとしたら、たった今私は何をするだろうか。このように、人生の終わりを設定して考えるのは、いつか止めたつもりでした。そんなに死に急ぐような考え方をしなくてもよい、と思ったのです。が、それは自分のことしか考えない回路で、今は違います。

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