豚肩ロースのヨーグルト粒マスタードソース シュパーゲルとトマトのパン:シュパーゲルに思う食と人生
今日は、豚肩ロースのソテーにシュパーゲルとほうれん草を添えた料理です。
肩ロースには適度に脂があって柔らかいので、脂身と赤身の境目にある筋や、脂身自体の繊維にも包丁を入れて筋切りをすれば厚切りでも安心な部位です。筋を切っておくと肉が縮まないので、むら焼けの防止にもなります。また、いつものことですが、焼く前に必ず室温にしばらくおいて、肉の芯だけが焼けないなどという失敗にならないようにします(ジューシーラインを意識する焼き方Hint&Skill) 。
塩と胡椒を振るのは、焼く直前にします。塩を振って長時間置くと、肉を塩〆するのと同じことになり、肉汁が出てしまって味が悪くなります。あくまでも表面だけに味が付くようにします。
それが理由かもしれないというのに、ソースというのがかなり重要視されます。欧米で、肉料理にソースをつけない料理というのは、多分ありません。必ずソースをつけながら食べるのが習慣ですから、「肉を美味しく食べるためのもう一つの楽しみ」という位置づけでしょうか。
今日のソースはヨーグルトベースです。コレステロールの関係で、最近は、生クリームを殆ど使わなくなった反面、ヨーグルトや牛乳の出番が多くなったというものです。これはこれで困るでもなく、料理する側の私の新しい試みとして、展開を考えるのは楽しいことです。
さあ、このヨーグルトをどのような味付けにするかのデザインです。ヨーグルトを加熱するというのはあまり日本では馴染みのないことかもしれませんが、加熱すると酸味が弱まって旨味に変わり、風味はそのままでさっぱりした感じになります。また、長く加熱するとポタージュスープのようなとろみに変わります。粒マスタードの酸味とは相性もよく、このソースはまあ、一度お試しあれです。豚肉によく合うソースだと言うことは自明です。
このソースがぴったりだという事で付け合せにしたのが「白アスパラ」です(参照)。30年以上前にドイツ人の友人が実家から届いたと言って、ロンドンで一緒に食べたのが最後でした。その時は、バターを溶かして塩茹でした白アスパラにかけて食べたのでしたが、Twitterで丁度食通の姿をタイムラインで見かけたので聞いてみると、「脂の旨味がヨーグルトにあるかがポイントかな」と言うソースへの意見だったのです。ばっちりじゃないですか。豚肉をソテーした後にヨーグルトソースを作れば、美味しいコクのあるソースに変身です。
また、もう一つ、このソースを最後の最後まで、お皿を舐めてしまったのかと間違えるほど綺麗に食べるために、ドライトマト入りのパンを焼きました。レシピは、長時間圧力冷蔵発酵の角パン(レシピ☛)と同じ分量で、焼き方はこちらです。
また、このドライトマトはタイ産で少し塩分が効いていて、トマトの甘さと酸味が凝縮されていますので、ドライフルーツと同様の使い方ができます。加えた量は400gの小麦粉に対して70gと僅かですが、トマトの香りと酸味が、今回のソースにぴったりでした。とてもお薦めです。
※表面の粒は、小麦胚芽と小麦の殻です。
材料
- 豚肩ロース・・3枚
- ほうれん草・・1/2束
- シュパーゲル・・3本
- バター・・15g
ヨーグルトソースの材料
- プレーンヨーグルト・・200cc
- 粒マスタード・・大さじ1
- 塩・・小さじ1/3
- 胡椒・・適宜
- オレガノ・・適宜
作り方
- 豚肉は室温に戻して、脂の部分の筋切りをする。
- 付け合せのほうれん草とシュパーゲルを塩茹でする。
- 豚肉に塩と胡椒を振り、バターをフライパンで溶かしたら肉を並べ、蓋をしないで弱中火で焼く。
- 軽く焼き色が付いたら裏返し、ジューシーラインを意識して焼き過ぎないように火を通し、皿に盛り付ける。
- 肉汁の残ったフライパンでヨーグルトと粒マスタード一緒に加熱し、好みのとろみになったら火を止め、塩と胡椒、オレガノを適量加えて味を調える。
- シュパーゲルを添えて、ソースをたっぷりかけて出来上がり♪
***
そういうわけで、30年ぶりくらいでやっとシュパーゲルを口にすることができました。とても古い話なんです。ドイツの白アスパラは絶品で、これこそ何故こんなに頭から離れないのだろうかと不思議な食材です。このシュパーゲル熱に火がついたのは、一昨年の春先に、ドイツのシュパーゲルが美味しいと語るエントリーを見つけ、それまでの思いが重なって、私自身の昔を懐かしむ気持が開花したような感じを覚えたのです。
懐かしさの中に、友人との会話や、当時のキッチンの正面の棚、使っていた鍋の傷み、床のタイルの色などが鮮明に浮かび上がると共に、気持は20代に戻っているのです。そうなるとどうしても食べたくなるというか、懐かしい昔の時間は戻るはずがないにもかかわらず、例えば、シュパーゲルなら何とか手に入るものではないかと探したくなるのです。あのシュパーゲルを食べて、性懲りもなく昔の時間を取り戻したいというのが正直なところかもしれません。
世の中には、ある程度お金を出せば食べられる美味しいものというのは沢山あります。一生に一度は食べておいてもよいのじゃないかと、若い頃奮発して食べた経験は経験として悪くはないものです。その経験がなくても別段どうということもないのですが、お金を出しても食べられないものというのはあります。それが、私のシュパーゲルのようなものだと思います。
ドイツ人の友人の実家から誰かの手を介してロンドンに届いたということが、私にとっては羨ましいことだったし、望んでも、遠くはなれた日本の両親には頼めるはずもなかったのです。諦めた気持を持つというのは、凝り固まるとどうしようもないものだと思います。
今では考えられないことかもしれませんが、日本を離れて再び帰国するまで、一度も電話などしたこともなく、一時帰国もしませんでしたから、手紙のやり取りだけです。しかも、投函してから届くのに一週間はかかりました。荷物に及んでは、船便だと2~3週間です。送ったよと聞いて楽しみになり、いつかいつかと待ちわびて、すっかり忘れた頃、くしゃくしゃになった小包が届くのです。また、今のようにSkypeや携帯電話もなく、ネット通信も勿論ありません。当時からしたら、世の中がこんな風に変わるのを想像もしなったのです。
だからか、昔、見聞したことというのはかなり鮮明に記憶に残っています。一つのことが始まってそれに満足するまでの時間が長く、待つことが多かっただけに、その間、心に刻み込む作業をしていたということだと思います。
私は、毎日料理のことを書いています。読まれる人に届けたい思いというのが念頭にあって話が長くなるのですが、食の楽しみ方というのは大切だと思っています。大げさですが、人生観をも変えます。それが、美味しさの感動だったり、季節を感じることだったり、人の温かさであったりと様々です。また、それは特別な高級品や希少なものに見つかることは少なく、足元に生えている雑草のような距離に見つかることの方が多いです。
今回のシュパーゲルに見つけたものは、そういうことだったと思いました。静かに昔を懐かしむことができるほど生きてきたのだという感慨も、食ということに触れると華やいて鮮明になってくるから不思議です。人の心に食の思い出が宿ることは、豊かな人生だと言えます。料理の話も、そのように届けたいとあらためて思いました。
因みに、シュパーゲル熱にかかった一昨年、自作してみようと思い立ち、畑に種を蒔くことから始めたのです。芽は出たのですが、冬を越せずに枯れてしまったので諦め、昨年は、ある程度大きくなった苗(実際は長い根)を植えたのですが、芽も出ないうちに越冬できずに終わりました。がっかりなことを地元の人に話したら、「おめさん、この土地じゃ無理だ、つこと」って、言われてしまいました括弧泣。この土地柄では、難しいらしいのです。育てている人もいるとは思うのですが、私の畑作りなんて、野菜の育つ力に救われているようなものなので、地元の人が難しいと言うようなものは手に負えないかもしれません。
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