伊佐木(いさき)の和風生姜蒸し:「お前は偽善者だ」って、私がそう聞いたのです。
短時間にドカンと降った雪のお陰で、連日跡片付けが大変です。末の息子は夜帰宅するのですが、夕食も食べずにせっせと雪かき、氷割りを手伝ってくれるようになりました。頼みもしないのに率先してやるのは、どうせ好きなことだからじゃないの、とか内心思っていてごめん。お向かいの家の玄関前までやったそうで、ご褒美にタンカンを頂きました。まだ、ご褒美がもらえる歳なんですね。普段調子の良いことばかりが目に付くので、本来のあんたのことが見えなくなっていたじゃないの。と、思ったりしました。
さて、産卵前の今頃が脂も乗って美味しいイサキです。体長は30cm弱で割りと大きな型です。細かい鱗がびっしりとついているので、魚屋さんに頼んで下ごしらえをやってもらいました。
脂がのっている上白身なので蒸し物にどうかと思い、何の味付けでどんな香りが良いかといろいろ考えました。白身の魚では中華風が多いので、和風だと、醤油に生姜の香りといった感じがぴったりします。そして、生姜が効いていると、体が大変温まります。
岐阜の友人から昨年の暮れにもらった自作の生姜を試しにスライスして挟んでみました。試にというのは、自家栽培を食べたことがありませんので想像では香り、味共に濃いのではないかと思っていたのです。蒸し物ではそれが顕著に分かるので、ちょっと期待していました。
準備は簡単です。エラも内蔵も取り除いてあるので、斜めに深く包丁を入れて切り口を作り、そこに2mm程の厚みの生姜を刺していきます。合わせ調味料を回し掛け、みじん切りの葱を散らして湯気の立った蒸し器で12分蒸して出来上がりです。
途中で、生姜と醤油のいい香りがしてきて、料理がせいこうしたな、と感じると思います。
生姜についてですが、大変面白いことを発見しました。魚に香りと辛味を奪われて、残った生姜は甘いのです。しかもほくほくした食感に変わるのです。ですから、挟んであるスライスはみんな食べてしまいました。そして、魚は最後まで生姜の風味が楽しめて、言うことなしの美味しい一品になりました。このレシピは、強くお薦めです。
材料
イサキ・・3尾
生姜・・50g
長葱・・10cm
合わせ調味料
淡口醤油・・大さじ3
酒・・大さじ3
味醂・・大さじ1
ピーナツオイル・・大さじ1
オーブンシート・・33cm×33cm
作り方
- 内蔵とエラを取ったイサキの両面に軽く塩を振り、塩が溶けて水がにじみ出てきたらキッチンペーパーで吸い取る。
- 頭を左に腹を手前にして横位置にまな板の上に置き、斜めに包丁を倒して深い切り口を4~5箇所入れる。
- 生姜を2mmのスライスに切り、2の切り口に挟み込む。
- 葱を細かく刻む。
- ピーナツオイル以外の合わせ調味料を小ボールに作る。
- ウー・ウェンパンの中敷にオーブンペーパーを敷き、3のイサキを並べ、5の合わせ調味料を回しかけて葱を散らす。
- 鍋に水を張って蒸気が勢いよく出てきたら6の中敷を置いて蓋をし、穴を「Ⅲ」にして強火で12分蒸す。
- 魚をそっと皿に移し、タレを回しかけてピーナツオイルをかけて出来上がり♪
***
二年前というか、2007年のある初夏のことだったか、Twitterで盛んにつぶやいていた頃に遡る話です。もうこのこと事態は忘れかけていたことですが、これに触れて書くのをためらう理由はもうないので、書きとめておくことにします。
昔よく読んだ本の中に灰谷健次郎を挙げた時、「もっとも嫌いな偽善者だ」と間髪容れずに反応がきた。一瞬にして頭の先からさーっと血が引いて、顔はきっと青ざめたのではなかったかと思う。一番言われたくない事を拒絶する反応にも似ていた。この時のTwitterでの一言がきっかけで、それに反論できない私を私は問うことになった。
灰谷健次郎が偽善者かどうかを論じたいのではなく、元々私自身が彼は偽善者だと思っていることに蓋をして生きてきたので、そこを不意打ちされただけの話だ。この時、道は二つあったわけで、そのまま自分の矛盾を誤魔化して「欺瞞」を肯定するのか、蓋を取って本当の自分で生きるのかだった。彼と知り合ったことは、この先の道を決めるために必須だったのだと今は思っているが、結局、後者を選んだので、それまで味わったこともないような痛みに襲われている。この足掛三年間で、嫌という程いろいろなことに向き合ってきたものだと思う。ここにも書いてきた。それまでの私を知る友人から、ここを読んだために、何度か心配の電話をもらったくらい意外な面を露呈したのだと思う。
灰谷は、私の母が崇拝する作家で、母から灰谷の本を借りて始めて読んだのは高校時代だったか、あの頃は、疑いもせず母の信じる灰谷文学が好きになった。変な話で、サルトルやヴォーボワールなどを既に読んでいた私なのだが、灰谷の人生観を全く疑いもしないでその字面にのめり込むのは、一種アンバランスだった。これは、知性的に、それらを読み込む力不足の私だったとしか言いようがない。灰谷の本を読めば読むほど、灰谷信者になって行くということに気づいたのはわりと早かった。その自分を偽って信者の振りをしていた理由は、母を否定してしまうことに直結するからだった。たったそれだけの理由だ。でもそれがどれほど恐ろしいことかというのは、幼い頃に学習した保身術のようなことで、「孤独」という文字すら知らないのに心では既に痛みとしてわかっていたからだと思う。
矛盾した自分に耐えきれず、また、その痛みが何からやってきているのか紐解けず、思春期には荒れた。自分自身が苦しいのは誰のせいだと言わんばかりに楯突くような事をしたものだったが、あの痛みをわかってもらいたいなどとは言えなかった。僻みや拗ねが凝り固まって、偽善者であるしかなかったのだと思う。満たされない思いを抱えていた私は、そこを埋めてくれるものが欲しかっただけだと思うが、だから、いい人になんてめぐり逢うわけでもなかった(参照)。足掻いても始まらないのだと諦め、さらにその蓋は厚く重くなってしまい、その事は「遠い昔のこと」という袋に仕舞い込んでいた矢先だった、灰谷は偽善者という言葉が、「お前は偽善者だ」と聞こえたのは。
そして、その彼は今こう思ってる。
私は冗談めかしてであるが、「市民とは鬼畜」と言うことがある。親子の情や自然の情を、自身の孤独で突き破ってから連帯を求める人々は、伝統社会からは鬼畜のようにしか見えない。それが市民というものであり、そうした市民に、大人が成熟するには、幼い子供の心の傷に真正面から向き合って、ごまかさずに生きることしかないと思う。 (極東ブログ)
結果、私が成熟した大人になれているかと言ったら、そうではない。幼い頃の「痛み」は、この歳になっても「痛み」だということは拭えない。これはきっと一生抱えて行くしかないことだと思う。ただ、この「痛み」や「傷」や「孤独」が、世の中の誰かに理解されることとは思いもしなった。期待もしていなかった。そして、それがそうなのだと分かるまでは、とても痛い思いをしないと辿り着けないのだ。
人は偽善からは逃れられない。逃がしてくれないのは、子供のときの深刻な痛みだし、痛みを捨てて幸せなシュラムッフェンなることを押し止めてくれるのは、幼い痛みを引き受けてくれた何者かだろう。人はおそらくその「はてしない物語」(参照)を生きなくてはならない、子供であることを捨てずに。
はい。
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