2010-02-28

オーバー発酵のパン生地でビッグピザ:時代と共にオリンピック選手を育てる人が変わってきているのか

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たった2つ!の生地で作れるパン―発酵は冷蔵庫におまかせ

 冷蔵庫で長時間発酵させるパン生地に関しては、成形から焼き上げの段階でかなり時間短縮する事ができるようになり、しっとりともちもちした食感のパンが焼けるようになって大変満足しています(「低温圧力長時間発酵」で朝焼きパン☚イマココ)。元はと言えば、教えてもらった本のレシピを改良したことから始まったのです。このパン生地のバリエーションとしていろいろな展開がある中、オーバー発酵状態にしてしまうといううっかりミスもよくあることです。嘆くなかれ、ちゃんとレシピを用意しました。これで物忘れしてもおっけです。
 このパンの生地の特徴は既に話ましたが、最長で四日くらいそのまま冷蔵庫で置いたとしてもそれなりのパンにはなりますが、そこを過ぎるとぐっと膨らみが悪くなります。一般的な言い方で「オーバー発酵生地=老麺」といいますが、この状態になったらどうした良いか、という問題を解決するためにあるのかと思うのがピザとフォカッチャです。老麺とは、発酵状態を長く置くことでガスの発生が静まり、膨らまなくなった生地のことです。また、小麦粉自体の熟成も進んでいるので、独特の旨味として変化しているのも事実です。わざわざ老麺を作って新しい生地に混ぜて作るパンもあるほどです。

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 さて、300gの小麦粉を使った老麺で、30cm×40cmの天板一面分の大きな和風ピザを焼きました。薄くのばすので天板に当たっている部分はカリカリのクリスピータイプ生地になります。トッピングはそれこそお好みで何でもござれですが、せっかくなので今回の具を紹介します。特に缶詰の鰯のトマト煮缶と舞茸、海苔は必須です。

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 パンの生地は、強力粉にドライイースト(100gの小麦粉に対して1%)を加え、60%の水でこねた生地をスーパーのレジ袋に入れてしっかり縛って冷蔵庫で発酵させます(参考レシピ☛)。発酵してガスが充満すると袋がパンパンに張ってボールのような状態になり、これが生地をより良くこねることになるので、きめの細かいよいパンになります。20070923050221このガスを一度抜いて最初と同じように縛り直して発酵を促すと3~4日くらいで張りがなくなります。この時点でオーバー発酵生地となります。つまり、これ以上ガスを発生しなくなるのでパンとしては膨らまない生地となります。今回は、このような状態になった生地を使用しました。少し酸っぱいような香りがしますが、それこそが生地によい風味をもたらします。

参考レシピ☛フォカッチャ

材料

  • 生地・・強力粉300g分の老麺
  • トマトケチャップ・・1/2カップ
  • オレガノ・・小さじ1
  • バジル・・小さじ1
  • 玉葱スライス・・1/2個
  • 舞茸・・1.5パック
  • 鰯のトマト煮缶・・180g(固形分)
  • 中国海苔・・適宜(無ければ日本の味付け海苔)
  • ミックスチーズ・・300g
  • オーブンシート・・33cm×4cm1枚

作り方

  1. 生地を冷蔵庫から出して室温で2時間ほど置くか、電子レンジの「弱」で30秒温める。
  2. 玉葱を薄いスライスに切り、舞茸、中国海苔は小さくほぐす。
  3. オーブンシートを天板のサイズに折って印をつけ生地を縦横、斜めに中央から外側に向けてのばす。
  4. トマトケチャップを気に全体にのば、オレガノとバジルを散らし、鰯の実を縦割りにしてところどころに置き、2の玉葱、舞茸、海苔を乗せてチーズを散らす。
  5. オーブンを200度に予熱し、15分ほど焼き色がつくまで焼いてでき上がり♪

***
 何処かで「オリンピック騒ぎが終わり」って見たので、すっかりそのつもりになってラジオをつけたらやっていた。あれ、いつまでだっけ?と調べるような始末でまったく申し訳ない。オリンピックが嫌いなわけじゃないのですが、何故か関心が向かないのです。そうは言ってもラジオからアナウンサーの興奮などが聞こえると、映像を見たくなったりするので時々注目種目は見ました。
 感激した話はちょっとおいといて、不思議な感覚をおぼえたルールがありました。それはカーリングの「ギブアップ」です。このルールと似ているのは、野球やソフトボールのコールドゲームだと思いましたが、それともちょっと違うようです。言えるほど知らないのでここまでの言及にしておきますが、カーリングの女子日本代表チームがドイツ戦だったかで「ギブアップ」したのを見て知ったのです。
 このルールは、勝ち目がないと判断したらゲームを途中で放棄してもよいというルールなのです。勝敗を決めるスポーツに、そんなルールは聞いたことがありませんでしたが、それがルールにあるという緩さのような物を感じた時、競技とは言え、私自身が優しいモードに変換したのです。また、ギブアップしたら、直ぐに気持ちの切り替えをして次の試合に備えるというのです。そりゃそうです。負け試合だと分かっていることにズルズル時間をかけ、それをやる意味がどこにあるというのでしょう。かなり合理的な考え方のもとに成り立っていると思います。潔くてよいなと感じてから何だかカーリングの試合が楽しくなり、ルールを知らない事も手伝って、解説の説明で覚えながら、結局楽しんでしまいました。
 それと、三大会くらいで感じ始めていたのですが、選手のインタビューで、日本の国を背負っていない軽さがとてもよいと思います。よく聞いていると、種目によってもその違いがあるように思います。夏のオリンピックなどでもそうでしたが、国への忠誠心や代表としての責任を背負った選手のインタビューには、その辺の言葉が露骨で、競技を楽しむというよりも「お国のため」という戦士のような雰囲気を感じる選手もいます。指導者がどの世代か直ぐに分かってしまうので、選手が気の毒でした。というか、戦後の日本を引きずった世代がそのやり方で指導してきたことが未だに残っていることに絶句でした。
 実は、この話がしたくてオリンピックを取り上げたのです。「したくて」というのもなんだか、、、。私のしらけ世代の感想を残すためくらいな程度です。
 東京オリンピックで円谷幸吉1940年5月13日ー1968年1月9日)Wikipedia)という、マラソン選手がいました。世代的に知らない人も多いでしょう。彼は東京オリンピックのフルマラソンの銅メダリストですが、新生の星のように現れた無名新人で、次のメキシコオリンピックを期待され、自らも金メダルを目標にしたほどの人物でした。その彼が、メキシコオリンピックの前年にカミソリで頚動脈を切って自殺したのでした。
 当時の私は、走るのが大好きな小学生でしたから東京オリンピックで見た円谷選手の走る姿が目に焼付しています。そしてゴール直前に追い越されて三位になった時の円谷本人の話を何かの番組で聞いて、ひどく真面目で硬い感じの人なんだと思っていたのを覚えています。一説によると

 「男は後ろを振り向いてはいけない」との父親の戒めを愚直にまで守り通したがゆえ、トラック上での駆け引きが出来なかったことが一因として考えられている。

 とありますが、確かにそうのような事を陸上部の先生が話てくれたのを覚えています。そして、親のいうことにそこまで忠実になれる大人に少し尊敬を感じたのも覚えています。私は親に従順な部分もありましたが、それが反発にも繋がったのでした。
 話を戻すと、自殺ににまで至ったのは本人の弱さなのかと思いますが、傷つかないようには生きられない真っ直ぐな人だったのかもしれません。後で公開された遺書に衝撃が走ったのも覚えています(参照)。
 当時の様子をWikiさんではこう説明しています。

所属する自衛隊体育学校の校長が円谷と畠野の理解者だった吉井武繁から吉池重朝に替わり、それまで選手育成のために許されて来た特別待遇を見直す方針変更を打ち出した。その上、ほぼ決まりかけていた円谷の婚約を吉池が「次のオリンピックの方が大事」と認めず、結果的に破談に追い込んでしまう。直後に、体育学校入学以来円谷をサポート、婚約に対する干渉の際も「結婚に上官の許可(「娶妻願」の提出)を必要とした旧軍の習慣を振り回すのは不当だ」と抵抗した畠野が突然転勤となり、円谷は孤立無援の立場に追い込まれた。オリンピックの敗北の後、結婚を機に鮮やかな復活を果たした君原健二とはあまりにも対照的であった。
さらに円谷は幹部候補生学校に入校した結果トレーニングの時間の確保にも苦労するようになる。その中で周囲の期待に応えるため、オーバーワークを重ね、腰痛が再発する。病状は悪化して椎間板ヘルニアを発症。1967年には手術を受ける。病状は回復したが、既に嘗てのような走りを出来る状態ではなかった。

 このことは私の記憶にも残っているのですが、私の年齢では、当時の大人の話としては理解できなかっただろうと思うので、おそらく後で聞き知ったことと交錯していると思います。それにしても、私の小学生の頃に、円谷の上司のような人が学校の教師にもいたという話は「私のもう一つの「ケリ」タエ子ちゃんといっしょに」でも話した通りです。このような話は、今の子ども達にはどう映るのでしょうか。
 ついでに思い出してしまったのが「戦争を知らない子供たち」という曲です。大阪万博で発表された曲ですが、当時は小学生までもが意味も分からずに口ずさんでいた曲です。因みに私も万博には行きました。
 この曲の作詞をした北山修(1946年6月19日ー)(Wikipedia)さんの暴露話が団塊世代の象徴的とも思われる部分で、その背景は、円谷選手の育ての親達の持つ精神性と同じような価値観で育っているのです。この世代の人達もかなり虐げられて育ったわけで、卑屈にならざるを得ない背景があったようです。

当初、北山修は、親しみやすく新しい反戦歌としてこの曲を作詞し、LP『戦争を知らない子供たち ~万国博ホールにおけるコンサート実況盤~』にも、彼の心からの反戦メッセージが収録されている。
だが、1980年頃より自ら下らない幼稚な歌詞だと発言したり、「自分たちが大人になっていく過程で大人たちに言われた『俺たちは戦争で苦労したんだ。いま、お前たちが好き勝手なことができるのは俺たちが苦労したおかげなんだ。』『いまの若い奴等は軟弱だ。俺たちは軍隊で鍛えられているからお前たちとは違うんだ』などという言葉に反抗したくて作ったんだと思う」という話を度々語るようになった(参照)。

 スポーツを勝ち負けで評価する舞台がオリンピックです。選手として秀でた才能の持ち主が集まり、世界中から人が集まる大きなイベントで、この開催を受け持つ国は、国力として世界から評価を得ます。それは昔と何ら変りないような気がしますが、戦争を経た昔の人達は、スポーツに軍隊を持ち込み、軍隊式の鍛え方をお手本にしていたのです。円谷選手のように、自己の無力を命と引き換えにするような犠牲者を生み出す結果にもなったのです。戦争時代の人の育て方が引き継がれて行くうちに、それが次第に人のためのスポーツという捉え方に変わってきたからか、近年のオリンピックでは、選手自身の表情が変わってきています。満足感や充実感を味わっているのが伝わってきます。変りつつあるのだと、なんだかそれがよい事だと思えました。

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コメント

ご紹介の本、購入しました。
明日にでも仕込みをしてみたいです!
オーバー発酵生地の利用方法、大変ありがたいです。
ピザ好きなティーンエージャーが二人いますので☆

投稿: Makobell | 2010-02-28 10:10

Makobellさん、その本でパン作りを始めると、直ぐに焼きたくなって食べちゃいます。そして、また別のパンを直ぐに作りたくなるので「老麺」までに日がかかりますよ☆
是非大きなピザでも焼いてあげてください。きっと喜びますよ!

投稿: ゴッドマー | 2010-02-28 10:47

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