2010-02-08

緑、白、茶色の野菜炒め:「言う」と「聞く」って

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緑と白と茶色の色合わせは何の話しかって・・・、これは野菜炒めの色合わせのことですよ。これを意識して野菜を選んで食べれば栄養的にバランスが良いという話しです。
 そもそも野菜炒めは冷蔵庫のお片づけ的な物で充分ですが、いつもいつも「あるもの」ばかりだと、買い物で買ってくる自分の癖みたいな種類に偏るので、色で意識すると覚えやすくてよいと思います。
 茶色はきのこや海藻類を意味し、白は、このレシピではもやしです。他の野菜で考えられる白は、淡色野菜で括られているタマネギ、ラッキョウ、キャベツ、カブ、ダイコン、ハクサイ、カリフラワー、レンコンなどです。
 一方緑の野菜は数多く、緑黄色野菜の括りでわかるようにトマトや人参の赤い野菜も含まれます(Wikipedia☛)。ですから、白と緑と茶色という覚え方をして、この色を意識して採用すると栄養バランスが取りやすくなります。
 また、他の料理法でも同じで、例えばインスタントラーメンや鍋物でも色を意識すると、いろいろ迷わずに買い物ができますし、好き嫌いも除外できます。意識するのは色だけです。

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 今日の炒め物は、下茹でしない状態でいきなり炒めます。本格的に美味しい炒め物を追求するのであればgodmotherのHint&Skillで説明しているように作るのもありですが、手早く作るのであれば、野菜に油が絡まってから味付けるということを意識して炒め物をするとよいです。油が野菜をコーティングしてから味付けすると水が出にくくなるので、ベチャベチャしない炒め物になります。

材料

  • ほうれん草・・1束
  • 平茸(しめじ)・・150g
  • もやし・・1/2袋
  • 炒め油・・大さじ1

調味料

  • 塩・・小さじ1
  • 胡椒・・適宜
  • 醤油・・少々

作り方

  1. ほうれん草は根元に十文字に包丁で切込みを入れて土を洗い流し、5cm幅に切りそろえる。
  2. もやしは根と芽を摘み取る。
  3. 平茸は石づきを切り取り、大きな者は手で裂いて一口大にする。
  4. フライパンに油を引いて強火でほうれん草ともやしを最初に炒める。
  5. 野菜に油が回ったら平茸を加え、野菜がしんなりしたら塩と胡椒を振りかけ、最後に醤油を鍋肌に回して香りがついたら出来上がり♪

*** 
 特に具体的なことを取り上げてという話ではないのだが、一般的に「私(僕)の話を聞いて欲しい」という要望に対して、どうすることが相手に「言う」ことを満足させられるのかを少し思っていた。そして、このことを考えれば考えるほど、私にとっては切実な問題だと思え、いろいろなことが内在しているのに気づいた。
 先日書いたような孤独の悲しさや辛い気持を言えないというのとはちょっと違う。逆だ。どれほど言っても聞いてもらったという実感がなく、ストレスが溜まってしまった時、どうしたらこのストレスを払拭できるのだろうか。以前、私と息子との会話で感じたことから書くことにしてみようと思う。
 息子が少し難しい年頃のころだった(実は今でも難しいのだが)。自分にそれほどの自信もなく、そうかといって無限な可能性に向かって試してみたいというような願望も強くあって、どうしてもその道に進んでみたいと息子が切望している時の話だった。やらせてやりたいと思う反面、ぽーんと投げる様なわけにはいかないと、やはり息子にゴーサインが出せない親の見解とがぶつかり合った時、初めて、それまでの自分自身を振り返って考えてみた。親として、自分自身が歩んだ経験のないことには臆病で、物事の価値判断は全て経験上だったと思えたとき、そのような範囲でしか我が子の将来を展望でない自分を嘆いた。そのことが嫌でたまらなかったという思いが元で、私の親とのことを反面教師に、それほどのスケールしか持ち合わせていないのだと思い知ったのだ。これでは、私と同じ道を歩ませてしまうということに気づき、すっきりと息子を送り出すに至った。この時は、かなり取り組んだ挙句のことだった。
 その息子が、他の理由で高校二年の秋に戻ってくるとことになった。ここでもいろいろな話があったのだが、そのことよりも、新しい学校環境が想像もつかないほど期待外れだと知った時に、息子は幻滅して自暴自棄に陥ったのだった。そして、自分の選択による決定でもあったため責任は自分にのしかかり、その苦しみを自分自身が抱えるしかなかった。当然ストレスが溜まり、その重圧から逃げ出す手段を選ばない生活レベルとなってしまった。
 それまでの厳しい規律で普通に身についた挨拶や返事、人の話を聞くときの態度などは、誰からも好感をもたれるような男っぽい凛々しさも感じさせる、そういうことを裏付ける性格も勿論備えていると思うような息子である。が、心は荒み、思いもしなかったことが次から次に発覚していく転学先の学校生活にとことん幻滅してしまったのだ。これまでの十分の一でも、したいことができれば御の字だったその一にも満たない環境の学校だと思い知った時、心も生活も荒んだものに豹変していった。
 そのことを叱責するのではなく、その現実を受け止めて前へ進んでもらいと願う傍らの私が、彼のためにできることは何なのかといくら悩んでも一つしかない。それは、話を聞いてやることだった。これが、これほど難しいこととは思いもしなかった。突然彼の話は何の前触れもなく始まるのだ。時には相槌打ったり、親の意見も勿論言うのだが、聞いて欲しいだけと望んでいる時には、意見など聞きたくもないのだ。それをやってしまうと反発され、話をするのを諦めたような、親を親とも思っていないような言葉を浴びせてきたりもする。それが、彼が抱えきれない程溜めたストレスに拍車をかけて、さらに重たい気持にさせるのだった。
 そのような時は、こちらもたまったものではないのだ。受け止めるなどという綺麗事では済まされない決死の覚悟で、親の立場を壊されまいと必死になる。凄まじい修羅場になるのだった。本気で向き合って、親の価値観を子どもに教えようとするものなのだ。だが、悲しいかな、このようなことを子どもはこれっぽっちも望んではいない。そんなことは頼んでさえいないと外方を向かれる。
 この歯車のかみ合わないような状態が長く続いていたある日、性懲りも無く息子の話が始まった。それは、部活内の悩みだった。極普通の会話の始まりとして聞き、話の途中のどこかで意見を入れた時、「俺は話を聞いて欲しいだけなんだよ。」と一言残して話しをするのを止めてしまった。この時のことがかなりなストレスとして残っていたらしく、そのことを恨んでいるかのような口調である時不満を訴えてきた。私の腹が座った。「今日はとことん話を聞くから、聞くだけに徹するから、何でも話していいよ。」というと、泣き出した。高校生の大きな男が、子どものようにしゃくり上げながら泣くのです。「もう話したからいい、済んだ。」というのです。何ひとつ話なんかしていないじゃないかと思い、それはどういう事かと聞くと「話を聞いてくれないお母さんに、俺は、話を聞いて欲しかったんだという一言が言えたからもういい」、と言うのだ。
 これまで溜め込んだストレスを思うと、聞くことに徹して丸一日を費やしても足りないほどではないかと心したのだったが、たった一言だった。
 実は、私にも同じような経験が二年ほど前にあって話したい人に「もっと沢山話がしたい」と言ったとき、「今、話しているじゃないですか。」と言われて、ものすごく満たされた経験があったのだった。自分の経験から、相手が「言う」ことに満足出来ているかどうかというのは分かるものだが、その経験がないと、本当の意味で「聞く」ということが分かるものではない。これは、表裏一体の関係だと思う。

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コメント

じーんときまして 泣けました。

ただ聞くとゆーのは 難しいです
つい意見を述べてしまう
それは自分が楽になりたいからやって分かっちゃいるけど止められない
 
いつも いいお話をありがとうございます

投稿: ちいこ | 2010-02-08 11:02

ちいこさん、仰る通りです。聞くつもりがどうしても言いたくなるので、「この、お織馬鹿野郎!」と叱るのですが、もう遅いというときばかり。表裏一体ですね。墓穴を掘ってしまうのですよね。こんなドジな失敗ばかりです。

投稿: ゴッドマー | 2010-02-08 15:08

godmother様のレシピに遭遇して以来(勝手に)お世話になり続けている私でございます。いつも本当にありがとうございます。

うちも長男が只今高3、もうすぐ東大前期受験の最中です。親がしてあげられるのは美味しい食事を作るくらいかな、と思ってるところです。うちの場合主人がモラリストなので私の出る幕は‘反面教師’くらい(嬉しきにつけ飲み・悲しきにつけ飲み…^^;)ですが…私は椎名誠のファンで、彼が言う『(自分の)子供達は5年生くらいまで(望まないなら)目を覚まさせないようにしてきた』という1文に触れて塾にも行かせずじまい。子育てって、料理に似てるなあと思うのです。一旦鍋およびフライパンに投入したらば‘しばらくいじらない’…で、‘匂いが変わったら’なんらか展開する…そのために大事なのは『フライパンに投入したソレを監督出来ないくらい(自分が)精進してる事』ではないかと…向き合うのではなく・隣(体温は感じているし・即座に変化に対応できる距離)に居るけれども追っている物はそれぞれ違う・だけどゴールを追う熱さは勝るとも劣らない、くらいのモチベーションを持てる何かが親側にあって努力してる姿を見るのは子供側からすると非常に納得できるらしいんです。私の場合は40から始めた英語(65歳からのカナダ生活を狙っている)ですが、なんらか『枠』を取り去る事が主観で生きてきた自分に客観を採用させられる気がする昨今です。

投稿: Kumi | 2010-02-09 18:22

Kumiさん、はじめまして。

モラリストのご主人ともしかしたら直情的なKumiさんなのかな?は、良いコンビでしょうね。どちらかと言うと私はモラリストです。縛りに縛って今の自分が有るのかも。何もなかったらブログに書き続けていないような気がしますし。

親の目線は子どもではなく、自分自身の生き方に向き合う姿勢だと、自ずと子どもへの重圧はなくなるのだと思います。多分、いつまでもこのスタンスは変わることなく、その並行線上で思い悩んでいるだけだと思います。

投稿: ゴッドマー | 2010-02-09 18:51

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