2010-02-12

ご飯で作るお好み焼き(まかないご飯):「求めること」と「願うこと」の立ちどころを考えてみる

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 いっしっし、お先に失礼ローラー君!作らせてもらいました。昨日のお風呂で教えてもらったご飯のお好み焼きです。どこかのお店の「まかない料理」として、テレビで仕入れたネタだそうです。
 蓮根の薄切りを豆板醤と醤油で味付けしてからご飯に混ぜるといのがミソで、ここにチーズが入るのが深みが出て美味しいのだとか。種を作っていてなんとなく物足りないので、豚もも肉のスライスと風味として中国海苔を加えてみました。さっきお風呂でこのお婆さんに会って、話を聞いたらジャコがはいるのだとか、うっかり忘れていたと言われましたが、中国海苔を加えたので大丈夫。それに言われていないものを沢山入れたので、オリジナルとの比較はできないのですが、蓮根というアイデアは、食感の点でグッドです。

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 これを作っていて途中で思い出したのですが、「うどんのお好み焼き」(レシピ☛)や「わかめと海老のライズバーグ」(レシピ☛)にも酷似しています。どちらにしても、卵がつなぎ役なので焼くと香ばしく、卵は、存在としては見えないのに直ぐにそれとわかります。そう言えば、ジョギングで知り合ったSarahもお好み焼きは作って食べるそうで、アメリカ人にはお好み焼きが好きな人が多いと話していました。簡単で、いつでもある食材できる料理なので世界中から愛されても良いと思います。

材料(3~4人分)

  • ご飯・・茶碗で6~7杯(米3合)
  • 蓮根・・180g
  • 豆板醤・・小さじ1~2
  • 醤油・・大さじ2
  • 生卵・・4個
  • 豚ももスライス肉・・2枚(90g)
  • 長葱・・1本
  • ミックスチーズ・・100g
  • 中国海苔(なければ焼き海苔)・・適宜

作り方

  1. レンコンは皮を剥いて3cmくらいの大きさになるように半分か四等分して、水にさっと通して水気を切る。
  2. フライパンに油を薄く引いてレンコンが半分くらい透き通ってきたら豆板醤と醤油を加え、全体に混ざったら取り出して冷ます。
  3. 葱を薄い小口切りにする。
  4. 豚肉は3cmほどのスライスにする。
  5. 卵を大き目のボールで解きほぐし、葱、豚肉、2のレンコンを混ぜ合わせ、最後にご飯とチーズを混ぜ合わせたらホットプレートで両面焼く♪

***
 もうそろそろ子供達が心無い大人の誹謗中傷の対象になることもないかと思うので、少しずつ折に触れて書いておこうと思うことがあります。
 そう思うきっかけとなったのは、昨夕、NHKの「ホリデー 北海道・都会っ子たちの山村留学」をラジオの音声から聞いたからです。こういう事を聞くと、これはいいことだと、飛びつくような親も沢山いるのではないかと思いますが、その入り方はとても危険です。警告を発するつもりでもないのですが、私の話の中にそういうことを感じ取る部分があれば幸いです。伝えるのが難しいので、書ける自信がないまま書いています。
 山村留学という主旨とはまったく違うし、宗教じみた所とも違うのがヤマギシズム学園です。オウム真理教で子供や大人が拉致されていると世間が騒いでいる時、抱き合わせるようにメディアの餌食となったので、記憶に残っている人もいることでしょう。この、というか、報じられたモノとはまったく違うのですが、この学園で私の子ども達三人は暮らしました。一番長かったのが娘で、小学校の一年生から中学二年まで、長男は五歳から小学校五年まで、末の息子は、五歳から小学校四年まででした。
 ヤマギシズム学園と呼ばれるこの施設は、全国のヤマギシの村に付属して、独立したこども村のような形態を持ち、独自の考え方で大人と子どもが一緒に暮らしています。学園と呼んでも学校法人ではありませんが、法人化の構想が盛んだったころ、私もその学校づくりに関わった経験があります。当時は、「自由の森学園(埼玉県・飯能市)」の創設者である故 遠藤豊さんや養老孟司達と研鑽会を持ったものでした。子ども達の育ちにとって、どうあったら良いかを真面目に大人が考える場が常にあって、そういう大人達の存在と共に子どもらが暮らす環境でした。
 と、学園のことを簡単に説明できるのなら、世間から多くの誤解を受けなかったでしょう。また、主旨や形態、考え方を伝えることが容易でないのは、山村留学についても同じで、NHKが拡大解釈しているとも思いませんし、山村留学の良さとして報じていることに間違いがあるというものでもありません。ただ、親が子どもを送り出す時に、子どもへの愛情からでない時には、親子関係があらぬ方向へ行ってしまいます。
 ヤマギシズム学園の失敗は、学園というよりも、子どもを送り出す親がヤマギシを勝手な解釈から「理想郷」と位置づけたことに大きな原因があったと思います。それが親のエゴであることなどと疑いもしない親は、子どもの育ちを見なかったり、子どもの言葉に心を寄せなかったため、それが原因して子ども達は親を諦め、見捨てたからではないかと思います。願っていた方向とはまったく違う方向へと向かってしまったのです。しかも、単にヤマギシズム学園に子どもを送り出したからそうなっただけではなく、それ以前の、極端に遡ってしまうと、親自身の生育に関係していて、与えられることが愛情だとする人もいれば、厳しさが愛情だとする人もいるように、子どもに対する愛情が、何かとすり替えられた、間違えのようなものだったのかもしれません。
 子どもと親が離れ離れになっているというのは、「普通」ではない形態を取るということで、様々な問題が露骨にむき出しになります。その事と向き合わざるを得なくなりますが、他に比較できる事例もなく、すべて手探りです。ところが、向き合わない親もいれば、問題に気づかない親もいて、子どもに対する愛情が見えない親もいます。それは子育てとは違う部分の問題だと気づかない親も多くいました。
 子どもを送り出した途端に、寂しくなって毎日目を泣き腫らすような人もいます。これがいけないという意味ではなくて、それは、子どもとは違う観点で、自分自身の問題なのです。これが人の抱える究極の問題だと私は思っていますが、子どもがいないのが寂しいということはあっても、一人でいられないというのは、子どもをペットのようにして、自分の慰めにしているのかもしれないです。これは、歳をとるとわかってくるのですが、人は元々一人です。孤独というのもそうですが、意味合いとしては「一人」です。ここが理解できてこそだと思うのですが、遠藤豊さんや無着成恭さん(Wikipedia)らがちらっと話していたのは、学校づくりで失敗するのは、この点だそうです。 余談ですが、遠藤さんは、理想とする学校は作れずに亡くなってしまいました。最後まで捜し求めていたように感じました。
 山村留学は、一時的な経験としては親子にとって良いかもしれません。ただ、期限付きだと子どもも親もそこそこ我慢ができるので、見えるものも見えないで終わる可能性もあります。
 そう言えば、諏訪には「蓼科保養学園」という施設があって、諏訪市内の小学校五年生だけを対象に、虚弱児童の心身の鍛錬と体位の向上の為の施設があります。多くの子どもらが参加しますが、昔の主旨の通りの虚弱児童なんて今はいません。これもだんだん変化してきているらしいのですが、送り出したい親は親元を離れる経験をさせたいという考えの人が多く、三ヶ月間とは言え、親子関係が悪化する場合もあると聞いています。子どもが疎外感を味わってしまうのでしょうね。
 親子の問題は多岐に渡って広がったり、問題となっている元が見つかりにくいので、離れてみるとそれらが浮き彫りになるとうのはあります。親として子どもを離すとはどういう事なのかを体験してみれば見えてくることです。
 NHKのこの番組では「山村留学を経験」する事の意味合いにスポットを当てていたと感じましたが、実際はそれだけでは済まないでしょうし、少し物足りない内容だと感じました。何かを求めるのか、願うのかでは雲泥の差があります。

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