2010-01-29

豆腐の中華風牛肉野菜炒め:炒め物に豆腐を生かすコツ:「対話」について思うこと

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 最近の私の炒め物や煮物の傾向で、お豆腐や凍み豆腐を具材によく加えています。その時、必ず意識することがあって、それがこの食材ににはまってしまう理由でもあるので気を置いて少し書いておこうと思います。
 豆腐や高野豆腐の特徴は、他の食材の香りや味、色がつきやすく、使い方によっては如何様にも変身出来るという素晴らしい食材です。そこで、如何に美味しく味付けするかというのが問われるのですが、煮汁なら出汁から始まって食材の持つ味が煮汁に染み込み、全体がひとつの味になります。炒め物でしたら、中華料理の調味料や香辛料には驚くほどのパターンがあります。いろいろな組み合わせを試して、味の構築をするのは大変楽しいことです。

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 今日の味付けは、中華料理でよく使われるオイスターソースを加えました。オイスターソースとは、牡蠣のエキスです。ところが、メーカーによって全く味が違うのでこれも困ったもので、変な言い方ですが、かなり甘く感じるのはちょっと違います。それと塩分も多く入っているのもあります。どれも本物のエキスは配合されているのだと思いますが、あまりにも違うので本来はどうなのか疑問です。因みに、私が使っているのはコーミ株式会社(参照☛) のオイスターソースで、一般の市販品とは違うのですが、ほぼ同じような味です。
 オイスターソースは、単一的な調味料にコクを与え、旨味を感じるようなエッセンスの役割をします。オイスターソースだけでは調味料としては心細くなります。今回は、日本の醤油に混ぜ、味を引き締めるために塩を少し加えます。また、隠し味程度に砂糖も入れますが、オイスターソースが甘い場合は味見をしながら加減するとよいです。
 香りは、長葱と生姜を刻んで、最初に弱火で炒め油で炒めることで香ばしくなります。余談ですが、最後に生姜を加えて、生姜の味のインパクトを強くする方法もあります。
 今日のような炒め物に豆腐を使う場合は、味の絡みと染み込みをよくするために手で千切って表面積を広くします。豆腐の下ごしらえとして調理前に水抜きをしますが、この料理法では、千切ってから笊にあげてしばらく置くだけで水は抜けてしまいます。下茹でしたり重石をして水抜きする一手間が助かります。
 この料理のとろみは、特につけませんが、牛肉にまぶした片栗粉が炒め合わせの時に上手い具合につなぎのようになります。スライスした牛肉に片栗粉を軽くまぶし、最初に少量の油で揚げます。揚げるといってもちょっとコツがあります。経験のある人は分かることですが、肉に片栗粉をまぶして油で揚げると、ベタベタ肉同士がくっついて大きな塊になってしまいます。これがどうも上手くいかないため、断念する人も多いと思います。私の方法なら失敗なくきれいに油通しができるので参考に試してみてください。しかも油は少量です。肉に片栗粉をまぶすことで炒めるときに柔らかく仕上がりますし、肉の旨味を逃がすことなく他の具材をまとめる役目もしてくれるという訳です。

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 方法は、小さなボールで片栗粉を指先でほぐしながら和えるようにします。大雑把な感じで十分です。次に、フライパンの底が隠れるくらいの油を注ぎ入れます。火は弱火で点火します。ここで直ぐに片栗粉をまぶした肉を入れ、菜箸などで広げながら油の温度が上がるのと同時に、肉の色も変化してきて火が通り始めます。完全に色が変わった肉から油を切って引き上げます。以上です。

材料

  • 牛もも肉・・150g
  • 小松菜・・1束
  • 木綿豆腐・・300g
  • 生姜(みじん切り)・・大さじ1
  • 長葱(みじん切り)・・10cm
  • 片栗粉・・大さじ1.5

合わせ調味料

  • オイスターソース・・20cc
  • 醤油・・20cc
  • 酒・・20cc
  • 味醂・・20cc
  • 塩・・小さじ1
  • 砂糖・・小さじ1
  • 胡麻油・・小さじ1

作り方

  1. 豆腐は一口大に千切って笊に移して水切りする。
  2. 小松菜はお湯を沸かして下茹でする(緑色の野菜の下茹で方法➠godmotherのHint&Skill)。
  3. 牛肉は3cmの幅に切りそろえ、小ボールで片栗粉を和える。
  4. 生姜と長葱をみじん切りにする。
  5. フライパンの底が隠れるくらいの油引き、弱火で点火後すぐに3の牛肉を広げながら火を通して、最後は中火くらいに火を強くして油を切る。
  6. フライパンの油を少し残して余分な油を払い、4の生姜と長葱を炒めて油に香りを移す。
  7. 3cmに切った2の小松菜、牛肉、豆腐を加え、豆腐に火が通ってきたら合わせ調味料を回し掛け、鍋を時々ゆすりながら全体に味を馴染ませる♪

***

 上手くまとまらない思いのようなことなのですが、人の話を聞く時の私のすることで、究極の答え(方法)のようなものはあるのか、あるとしたらそれは何かと考えてきたことです。たまたま、あるブログのコメント欄で光がさしたようなきっかけもあったので、忘れないうちに書いておきます。
 家庭を持ってこれからスタートするという時や、社会人になってサー仕事頑張ろうという時、置かれている場に不安を持つことがあると思う。一生懸命に与えられたことをこなし、そこそこの結果も出せているのに不安になったり自暴自棄になったりすることってあると思う。身近にもそういう人がいて、まだ歳も若い。はたから見ると何に不満があるのかと不思議になるし、昔だったら贅沢な悩みだと片付けてしまったかもしれない。でも、そういう事じゃないんだと思いな直して、ちょっと考えてみている。まとまらないのは承知で書いているのだけど。
 何かをやりたいという気持がはやり、でもそれが何かわからない時、言わば焦るような気持の時は、直面している事態を否定的に見ていて、飛び出してくる言葉は不満を表す言葉が多く、はたにはただの文句としか聞き取れない。それを、文句を言っているだけだと片付けることではなく、一体どのような心から来ているのかという、その心を受け止めて、初めて相手とのコミュニケーションが取れるのだと思う。それが、私側にある「すること」で、お互いがこのことを前提に話をするならば、スムーズに相互理解が出来るのではないだろうか。話し相手とこの環境をまず作ることと、その上で「どうしたいか?」と、問うてみるというのは決して無駄なことではないと思う。遠回りのようでも、それが相手とのコミュニケーションのとり方かと思う。
 他所のコメント欄で起きていることでここにリンクを貼るのもどうかと思うので控えますが、ある場所で推定20代半ばかと思われる男性が、管理者にことごとく絡むというのがあって、一つのテーマについての議論ならはたで読んでも興味深いものだったりするのですが、どうも見ていると、自分の理屈で相手を捻じ曲げさせたいのか、自分の理屈でしか相手の意見を考えられないのが原因なのか、兎に角対話にも議論にもなっていないという例があります。
 ここの管理者がこの人物を相手に対話する態度は、今時の大人として立派だと感心するのですが、決して最初の段階で切り捨てないのです。前に一度、長々とコメント欄にそのやり取りが続いた時、「議論なら面白いのに、相手が○○(管理者)さんの言ってることすら理解できていない残念な会話ですね」と、間に割り入ったことがあります。そのときの彼の私への返答が

「日本人はこうした青臭い議論を嫌がるのですが、仮想であれそれなりに問い詰めてみると、原理性とい うものが理解できます。リバタリアンの思想など読んでいると、発狂しそうな印象すらもちますが、その非常識な設定からむしろ原理がくっきりしてきます。日本人は、日本の世間的な知恵に従順であることが最適な生存であるかのようですが、長い人生かならずしもそうもいかないものです。」

でした。このコメントは、私への返答を通して絡んでいるその彼が理解できたらよいのになあと思ったものでしたが、相手はこの意味すらも考えなかったのでしょう。
 こちらが、対話をする前提で相手を理解しようとしていることがその相手に伝わらず、どこかで見切りを付けるとしたら、それはかなり気長に伝え続けることと、相手にもそれを咀嚼するに足るチャンスと時間を与えてからだということだと思います。また、それが対話のルールだと思います。
 最低の線として、このことは心して守りたいと思っています。そして、相手にそれがなくとも、少なからず私の側にある「私のすること」は歪めない態度としてそうありたいです。

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コメント

おはようございます。
朝から目からウロコ!!
対話のルール、メモっときます。
驚異的な『待ち』の姿勢、なんと思いやりに満ちてることか!
かなり理想的です。私にすぐにはできないけど、私も心掛けたい。思春期の子育て期に特に参考になります。

私が対話で思うのは、話をする相手の動機は何か、目的はなにかとできる範囲で察して、その枠内で話すように心掛けてはなしをすることです。それって上目線でいやな感じだよな、と思いつつです。
そもそも対話前提の会話は日々あまり遭遇しませんが。

学生時代に心理学を専攻してた影響で、人の表に出ている行動は、なぜそのように表出しているのか、または自分の行動、感情のルーツを常に意識するところがあり、そんなことを探る思考はとても興味深く、探検隊の気持ちです。痛みも伴いますが、それもひっくるめての人ですから。

朝からいいお話し聞けました。ありがとうごさいます。


投稿: みみこ | 2010-01-29 07:36

みみこさん、さっきね、サリンジャーが亡くなったとNHKで聞きました。若い頃に結構何度も読んで影響を受けました。

対話というのはテクニックも必要でしょうけど、なんか、私なりには「そうじゃない」と打ち消すようなところがあったのですけど、結果的にはそうなるにしてもプロセスを考えるという点ではいくらか相手に耳を傾けようとする行為かとおもうので、一呼吸置くのがよいかと思っています。

思春期の反発的な行動は、自我の目覚めとして成長の印なので、それを受け止めるのだと思えばとても気持も穏やかでした、そういえば><

投稿: ゴッドマー | 2010-01-29 08:18

有機的で深くて濃~い対話ができるというのは幸せなことですね。

普段の会話はあたりさわりのない、傷つけも傷つきもしない、さらりとしたもので、ちょっと物足りないときも多々ありますが、気合いの入った対話はパワーつかいますから、頻繁には無理ですね。

テクニックやマニュアル的なものは、TPOに合わせて自分を守るためにも使ってるような気がします。
でも求める対話は自分をときに壊してあたらしいもの吸収して再構築していくような、どすんとおもいものかな。
もちろん何気ない会話のなかに思いがけない宝もあったりして、おもしろいですよね。

サリンジャー、私も学生時代思い出します。読書する時間、しこたまあったな~。フラニーとゾーイが好きでした。これまたひっぱり出さないと。

長々と失礼しました。ひとりごとに付き合ってもらっちゃってますね、完全に。

投稿: みみこ | 2010-01-29 13:01

みみこさん、究極は、もっとゆったり時間を過ごしたいということもかな。皆、忙し過ぎです。
 
昨日アメリカのアップルがipadという新しいケイタリングのデバイスを発表しましたよ。私はiphoneでやっと追いついたのに。時代の産物としては良いのでしょうけど、このスピードが速過ぎで、追いかける人の忙しない事と思います。何故か自分自身もあたふたしてしまうのですけどね。それが困りもの。

独り言>ごゆっくりどうぞ。お茶も出ませんが^^;

投稿: ゴッドマー | 2010-01-29 15:56

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