2010-01-06

キャベツのための鶏肉餡かけ(和風油淋鶏):言葉に揺れるのではなく

Iphone_020 一昨日の夜半に降り続いた雪が朝方雨のようになり、天気の予報もあまりよくないというはずの一日が、すっかり晴天に恵まれたのでした。早速、 夕方にいつものコースを走ってみました。日が落ちると気温が急に下がって、濡れた道路は一気に凍りつくので急ぎ足でした。ipodから流れる音楽を聞くだけで、一切のことを考えずにひたすら走るのは、座禅のような、瞑想のような、後で頭がすっきりするのが心地よいので、心境調整のためのジョギングですね。
 急に辺りが赤くなり気づくと太陽が山の陰に沈みかけて、日食の時のダイヤモンドリングのような瞬間でした。咄嗟にipodを止めて、iphoneのカメラで撮影。こういう瞬間に遭遇すると、思いがけないプレゼントをもらったような嬉しさを感じます。

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 さて、今のキャベツは大変甘く、お醤油味で沢山食べられる料理法はないかと考えていました。
 山のような千切りキャベツが、見事にしゅーんとなって、鶏の旨味を含んだ熱々の餡を絡ませて頂くのはなんとも嬉しい瞬間です。そういう意味では和風の油淋鶏(ユーリンチーレシピ参照☛)とも言えます。
 手順は、下味をつけた鶏のもも肉を切らずに片栗粉をまぶして揚げ焼きし、ここで一口大に切ってタレで軽く煮込こみ、キャベツの千切りに回しかけます。
 まぶす粉の話は時々しますがタレにとろみをつけたいので今回は片栗粉を使用します。湯淋鶏のように、冷たいタレをかけて染み込ませて頂くような料理の場合は、水分を吸ってふやけて嵩が増す片栗粉よりも、浮き粉を使います。浮き粉と片栗粉は粉の状態は見分けがつかないほどそっくりですが、性質はまったく違います。
 浮き粉は、小麦粉からグルテン(たんぱく質)を除いたでんぷん質です。加熱によって固まりますが、粘りはないので餡かけなどのとろみ付けには不向きです。油淋鶏を作る時には浮き粉を衣にするとタレは吸いますが、片栗粉のように表面がつるんとすることがないので、冷めて時間が経っても食感は変化しにくいです。

Photo

 話を戻して、▶鶏肉に平均して火が通るように、肉の厚い部分に包丁を入れて開き、面積を広げます。▶また、筋が切れていないと、熱で肉が丸まって火の通りが悪くなってしまうので、所々に隠し包丁を入れて筋切りをします。▶塩と酒で下味をつけ、片栗粉をまぶして刷毛で余分な粉を払っておきます。▶フライパンの底部がすっかり隠れるほどの油を引いて肉の皮目を下に揚げ焼きします。▶周囲の油を時々掛けながら、皮に焼き色が付いたら裏返します。▶全体に火が通ったら油を切って引き上げます。▶肉を一口大になるように縦横格子に切ります。予め合わせておいたタレを火にかけ、沸騰したところで肉を加えて3~4分煮絡めます。▶大皿に山盛りしたキャベツの上から回しかけ、カシューナッツとネギの小口切りを散らしてから頂きます。
 カシューナッツは、140度のオーブントースターで10分ほどローストして香ばしくします。また、キャベツの量によっては、タレが薄く感じることもあるので、味見をして、勘を働かせて加減します。

材料

  • 鶏もも肉・・400g (1.5枚)
  • 酒・・大さじ1
  • 塩・・小さじ1/2
  • 片栗粉・・大さじ2
  • カシューナッツ・・40g
  • キャベツ・・適宜

タレの材料

  • 鰹出汁・・150cc
  • 酒・・30㏄
  • 味醂・・30㏄
  • 淡口醤油・・大さじ3
  • 砂糖・・大さじ1
  • 片栗粉・・大さじ1

作り方

  1. 鶏肉に津している余分な油を取り除き、厚い部分に包丁を寝かして削ぎ切りにして開く。
  2. 肉の繊維に大して90度に隠し包丁を入れて筋切りをする。
  3. バットで分量の塩を酒で溶かして2の肉の両面に絡ませ、そのまましばらく下味を付ける。
  4. カシュウナッツは140度のオーブントースターで10分ローストするか、フライパンで焦がさないように炒る。
  5. キャベツは千切りして5分ほど水にさらして笊に上げておく。
  6. タレ調味料を小ボールで混ぜ合せる。
  7. 3の肉の水分をキッチンペーパーで吸い取り、片栗粉を両面にまぶし付け、余分な粉は刷毛でお取しておく。
  8. フライパンの底が隠れる程度の油を引いて中火で加熱し、手をかざして180度位になったら鶏肉の皮目を下に並べる。
  9. 時々場所を変えながら油を掬って回しかけ、皮目に焼き色がついたら裏返し、肉に火が通ったら油を切って引き上げる。
  10. 肉を縦横格子に一口大に切り、鍋で6を火にかけ、肉を入れて3~4分煮込む。
  11. 大皿にキャベツを山盛りにし、煮込んだ肉を豪快にのせ、カシュウナッツと小口ネギを散らす♪

【お弁当に】

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 昨日「一般」と「普通」という言葉がキーワードで少し混乱しました。
 これはまったく自分自身の問題で、思い悩むほど重いことではないのですが、はっとすることがあって、それは、これらの言葉に緊張を覚えて始めて気づいたことです。しかも、同世代の人が使っている時にそれが何を意味しているのか分からないのです。逆に、世代の違う人が使っている意味は私がわからなくても不思議はないので、元々理解できなくても自分の中で違和感として残らないのです。混乱が起こるのは、こういう矛盾に対してではなく、緊張の元になっているのは何か、の方に揺れるからです。
 簡単に言ってしまうと、これらの言葉がその時の何を概念として表現されているか分からないのは、自分自身が他と違うからです。ただ、それでよいと受け止められないのです。そういう不自由な思いがあるのです。劣等感とも違うかな。
 これは考えてみるとトラウマになっている問題も少しありそう。私自身の言動で、人から驚かれたり意外性を言われたりすると自分のことを表に出しづらくなるのです。怖いというか。つくづくそれは、自信のなさからなのだろうと思います。それを仕舞い込んできたツケのようなものが、今邪魔をしているのかと思います。 そうは言っても、普段の私は普通のオバサンで、今は内面の一部分について話ています。
 これでは前に進めないと思うので、相手にどう思われるかを一切考えないところで、使っている「一般」なり「普通」の意味を聞いて教えてもらうまでには駒を進めることができます。これもやっとです。そして、その意味を知った時、私は、受け止め方の元に、相手に否定されているように受け止めることがあるのかもしれないと思いました。これが、怖さに繋がっている元なのか、そこがまだよくわかっていないのですが。もしそうだとすると、原因は幼い頃に刷り込まれた育ちにあるのは分かっています。どうしてもここへ帰結するのかなと。しょうもないものを一生背負うのは嫌なのだけど、これは払拭したり解決したりは出来そうもないことなので、邪魔にならないようにそのまま抱えているしかないことなのか。いつもここから先が分からないところ。
 またいつものことか。と、変に納得してしまうのだけど。違和感として残るにしろ、なんだかリアルに目の前の人物と向き合っているわけではないことに救われているような嫌いもあって、いまひとつな感じ。

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