2009-12-15

鯵の笹巻き寿司:前向きな考え方、できるかも

 昨日は、ジョギングに出ようと玄関を開けた途端、夜中に雪が降ったというのを知って思わず後退りしてしまいました。このところちょっと暖かかったせいで、雪の降る寒さに怯えたのでした。あたりはシーンと静まり返っています。そうか、新聞がお休みだった、と思い出し、耳をすましてもいつもどこかで聞こえるバイクの音はしません。ちょっと心細くなったのですが、思い切ってその静かな暗闇を走り始めました。
 このまま話し出すと長くなるので、この先はカット、ね。

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 今日は、お正月の料理にちょっと可愛いかなと思って作った鯵の笹巻き寿司です。にぎり寿司よりもやや大きめの小判型にしました。使用した笹は、以前にも作ったカナッペ風お寿司(レシピ☛)に使ったのと同じ笹の葉で、初夏に山で採って熱湯で茹でてから乾燥させて保存しているものです。戻す方法は、同じように熱湯にしばらく浸すだけでシワも戻ります。

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Pc130007  この笹の葉に包むという文化は、先のリンク先でも話した通りで、昔の人の知恵で、食品の保存方法として今もなお生活に密着しているようです。また、保存性だけでなく、包んだ中身が乾燥することもなく、こうして包んだ姿は田舎の風情も漂います。見栄もよろしいでしょ。 このところお正月の料理のことを考えていて、料理を前に歓談しているうちに食べ頃を見逃す、ということが気になったのがきっかけで、この笹巻きを思いついたのです。これでしたら、実家に帰省するという時にも、自宅で作ってお土産にもできますし、食卓で残ってしまってもこれなら翌日でもまったく問題なく食べられます。その点で笹に包む方法は、もってこいだと思います。 実は、この手のお寿司は、作ってから時間が経った方が味が馴染んで美味しいものです。因みに上の画像は翌日の状態です。
 そう言えば探せばあるものですね。ネットで笹の葉が買えるようです。探した中ではここが一番安価でした。興味のある方はどうぞこちらで➠日食商事株式会社 

材料 Photo

  • 隈笹(クマザサ)・・18枚(20㎝くらいの)
  • 白米・・3合
  • シャリ酢・・128cc
  • ガリ・・18枚(レシピ☛
  • 真鯵・・2尾(25cm)
  • 塩・・大さじ1.5
  • 酢・・カップ1

作り方

  1. 乾燥した笹の葉は洗って、ひたひたの水から中火で煮て戻し、水気をふき取る。
  2. 鯵を三枚に卸す。(出きない人は魚屋さんでやってもらう)
  3. Pa250010 卸した鯵が並べて置ける位のバットに分量の塩の半分を振りまき、鯵の皮目を上に並べ、残りの塩を全て均一にふりかける。
  4. 1の全体にラップを掛けて冷蔵庫で1時間おき、塩締めする。
  5. 滲みでた鯵の水分を払い、鯵に酢がひたひたにかかるようにラップを鯵に貼りつけて冷蔵庫で30分、酢締めする。
  6. 鯵の表面が酢で白濁したら取り出してキッチンペーパーで水分を吸い取り、中骨を抜き、頭側から皮を引く。
  7. 5の頭側を右に横に置き、包丁を寝かして5切れに削ぎ切りにする。
  8. 適当な大きさのガリを18枚揃える。
  9. 酢飯は飯台で18等分に大まかに分け、小さな小判型の結びを作る。
  10. 笹の葉に9の結びを置き、がりを乗せて鯵の削ぎ切りを乗せて笹の葉を包んで皿に盛り付ける♪

酢飯の作り方
米を洗って笊に上げ、30分ほどおいて分量の水でセットする。鯵の酢締めの出来上がりに炊き上がり時間を合わせるか、酢締めした鯵を先手に作り置くかで炊く時間を逆算する。 炊きあがった蒸らしたら、お釜に入っているままの状態でシャリ酢を回しかけ、シャモジで上下を返すように大きくまぜあわせ、全体にシャリ酢が回ってか飯台に移してから団扇で扇いで冷まします。炊きあがったご飯を飯台に移してからだと、蒸気が逃げてしまうのでシャリ酢が全体に行き渡りにくく、ご飯粒を潰したりして上手く出きません。

***
昨日は笑ってしまった。
忘れないうちにレシピの分量の部分を下書きして、空いている時間に作り方もついでに、と書き込んだまではよかった。さっきその原稿に書き足そうとPCを開いてみたら、なんだか自分の中でこのエントリーは消化されてしまったような感覚があって、直ぐに筆が動かない症状がでた。こんな風では物が書けるわけがないわと苦笑。

心に開いた穴というものは概念的な表現で、これ以外にこのことを言い当てる言葉が見当たらずについ使ってしまうのだけど、過去に満たされなかったことを怨めしく思う気持ちを今持っているというのは、今そこを満たしたいという欲求で、何かに触発されて突然起こる時がある。勘違いしやすいのだけど、これは、過去にできなかったことを後悔する思いではない。そして、始めてその正体が何なのか探したくなるのは、希望という明るい気持に誘われるから。「そんな痛い思いにわざわざ触れる必要なんてないのに、結局そこでまた諦めを繰り返すだけ。」と、しらけた考え方が今まで多かったと思う。誤魔化すことはしないけど、見たものを見なかった振りをせずには平静を取り戻せないし、周りに気づかれてしまうのもまた痛いことで、自然に身についたことだったように思う。

過去に満たされなかった事柄は、出来ることはやり直しを試みるのと、それで満たされないことは次への願いとしてまた、温めておくことでいいんじゃないか。と、そういう思い方ができるようになったかもしれない。

昨日「我願意」を聴きながらいろいろ思っていた。

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