クロソイのタジン:クロソイがミーバイ級に美味しい:私の巣断ち
タジン鍋については、私自身がこの料理法を痛く気に入ってしまっていることはもうお分かりだと思います。くどくなるのでその話はお終いにして、クロソイのお話でもちょっと。
クロソイという魚は、見た目はグロテスクで表面も濃い灰色で黒色近く、決して美人系ではありません。いつも言っているように、不細工な魚には独特の美味しさがあって、このクロソイもお里はカサゴで、メバルに属している歴とした美味しいの代名詞がつく魚の類です(参照☛)。アカジンミーバイ(アカハタ)をついこの間生まれて初めて食べた私が語るのも僭越ですが(レシピ☛)、クロソイとアカハタの食べた感じがかなり似ているのではないかと、同じ煮魚にしてみて思ったのです。例えると、ほっぺたが落ちる級の絶品です。クロソイの美味しさをアカハタに例え、そのアカハタを食べたことがないとなるとなんて残念なのでしょう。と、かつて私が言われた言葉がそのまま口をついて出てきますが、機会があったらどちらも食べてみて欲しい魚です。
クロソイについて言いたいことはこれだけなので、では作り方へ。
クロソイは、今回は全く卸していません。男性は嫌がる人が多いのですが、口の中に竹製の割り箸や菜箸を突っ込んで、内臓を挟んだまま抉り出す「壷抜き」をします。この方法ではエラもそっくり挟んで抜くので、丸ごと料理に向いていて食べやすく、外見上は傷がないので料理後も大変綺麗な仕上がりです。
壷抜きの方法:
鱗おろしか包丁の背で鱗をおろしたあと、流水で洗い流してから始めます。箸は、二本使いますが、一本ずつ扱います。▶口の中に箸を差し込むとエラ蓋を開ければ直ぐにその箸が見えます。▶深く差し込む前に箸の内側にエラをきちんと納め手からカマの部分に差し込んで、箸の先端は尻尾をきっちり向かせます。こうすると内蔵を傷つけることなく差し込むことができます。▶口一本の箸も同様に差し込み、両手で箸をにぎったまま外側に手首を回して、エラがプチッと切れるまで力をかけます。▶エラが切れると急に軽くなるので、箸で内蔵を挟んだままゆっくり引き抜きます。▶後は残ったものを綺麗に水で洗い流します。
この後水気をよく拭き取って、両面に塩を満遍なく振り掛け、塩が溶けたらキッチンペーパーで吸い取ると下準備が完了です。
魚のタジンの作り方の概要:
鍋に転がして野菜の布団をかけ、敷き布団には上の食材から滲み出すそれぞれの出汁の旨味を吸うと、それこそ美味しいとなるような食材を並べます。私は、まずじゃが芋を敷き詰めます。時にはキャベツも。▶逆に、下から上に立ち昇る湯気の香りに含ませたい食材を敷き布団の上に寝かせます。という思いを込めて食材を重ねていき、蓋をして極小の火加減で蒸します。▶最初の15分ほどは、何も起こりませんがだんだん鍋の底からくつくつと音がしてきます。▶そして、30分ほどすると、蓋全体が熱くなっていることが分かります。ここからどんどん水分が出てきます。▶このスープによって下部は煮物となり、上部の野菜は蒸されて甘味と旨味が凝縮されてしんなりとクロソイを包んで出来上がります。▶塩加減は最後にスープに塩を溶かし混ぜ、注ぎ分けるときに意識して全体に回し掛けます。▶鍋に放り込んでから45分から60分で食卓へ直行です。
材料
- クロソイ・・大小4尾(15㎝前後)
- じゃが芋・・小4個(200g)
- にんにく・・1片
- 大根・・10cm
- セロリ・・1本
- 玉葱・・半分
- カラーピーマン・・緑と赤各半分
- 冷凍トマト・・中3個
- レモン・・1個
- ローズマリー・・一つまみ
- コリアンダー・・一つまみ
- 胡椒・・少々
作り方
- クロソイを上記の「壷抜きの方法」で、下ごしらえする。
- じゃが芋は皮をむいて7~8mmの厚さに輪切りにする。
- にんにくは皮をむき5~6片の輪切りにする。
- セロリは斜めに2㎝の幅にスライスする。
- 大根は皮をむいて、ピーラーで大根の長さで全て削ぎ切る。
- 玉葱は根を切り取り、1㎝の櫛切りにする。
- 冷凍トマトは室温で皮がむけるまで放置し、皮をむいてヘタをとり、1㎝の輪切りにする。
- レモンは、7~8mmの輪切りする。
- カラーピーマンは種を出して1㎝の輪切りにする。
- 鍋にじゃが芋、にんにく、大根、クロソイ、玉葱、カラーピーマン、セロリ、トマト、レモンの順に重ね上げ、ローズマリーとコリアンダー、胡椒を振りかけて蓋をし、極小の火にかける。
- 全体にしんなりしスープがことこと煮えたらでき上がり♪
***
美味しさの度合いを表現する時に、息子がよく食べたか食べなかったかというのがバロメーターになっています。今日の魚はというと、息子が一番にお代わりを分捕りました。三人で四尾ですから、希望者がいたら誰かに一匹とは思っていましたが、まさかに息子が最初にお代わりするとは思いも寄らない事でした。自称、魚嫌いで、骨を取り除くのが面倒だからだそうです。
母としては、これらの不自由感を旅立つ前に何とか払拭できないものだろうかと、あの手この手を使います。高校三年生ともなると、そんなこと自分で今後解決して行くのだろうと、このようなことに心悩ます母親もいないだろうと、私が過干渉の自覚はあります。いろいろ口出しすると言うことではないにしろ、それらを思う気持は、心中の多くを占めます。
ありとあらゆる食べ物を一度は口にしてみるという経験は、家にいる間はせめてできるだけさせてあげたいと思うのも、外で好き嫌いなく何でも食べられるように願うからですが、もっと奥へ行くと、食べ物の好き嫌いは何にでも通じるものがあるからです。特に、難しいと言われる人間関係は、他人を自分の思い通りにはできなくても、自分を見直して改めることはできます。結果的に嫌いな人や物、仕事などに苦手なことがあっても、それはそれとして。自分の内面に向き合う姿勢は、嫌いな食べ物でも見えてくると思います。
最近、息子が嫌いだと言っていた魚と少し仲良くなってきている様子を見て、「嫌い」と言って魚からも嫌われるよりは、自分から近づいて行かれるきっかけを見出したり、好きな部分が見つけられることで全部が嫌いなわけではないというようなことにも気づき始めたのかなと感じます。単純ですけど、嫌いなものが食べられると嬉しい表情を見せるのはそういうことかな。
なんだか小学生の息子のことを話す母のようですね。今さら。
彼は次男ですから、ここを出たら戻ってこないかもしれないのです。いえ、長男だと戻ってくるという意味も無いですが、私としては、躾も経験も、親の私がこれと思うことは全てやり残しのないようにと最善は尽くします。そういっても残っているもので、後から後悔するのは目に見えていますが、これは、息子を送り出すための「腹決め」や「覚悟」するためにとも思います。
彼を秋田の高校に送り出した時も確か同じようなことを思った私でしたが、「覚悟」にはいろいろな意味が含まれます。我が子がたとえどのようになろうとも、それを受け止めて一緒に前に進む覚悟もそうです。
昨夕、この春社会人から大学院生になったという男性とTwitterでちょっと話をして「なんでもちょっとつまんでは止めてしまうので中途半端なのを何とかしたいです。」という気持を聞きました。彼は話の流れでなんとなく発言したのかもしれませんが、この言葉に「大人」を感じました。大人に「大人を感じた」と言うのも失礼かもですが、歳を食っても自分を振り返ることができない大人も多くいます。誰にでも考え直すチャンスはあると思いますが、身についた習慣と身に染み付いた性分が揃わないと、なかなかそのような回路を持つことは難しいです。そして、それは物事に方向性を持たせる動機ですし、そこから全てがスタートするとのだ言えると思います。その線に立てるのが20歳代なら尚更よい事です。
息子の魚嫌いから話が広がりましたね。伝えきれないメッセージばかりでもどかしいのですが、私には受け取ったものがわずかにあります。
一喜一憂するような気持のあり方や、私が離せない物などが今の時点でうっすら見えるものもあり、これらと向き合って行こうと思います。
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コメント
家づくりに例えるなら、親はこどもの人生の基礎づくり、土台づくりに大きく関わっているでしょう。
土台がしっかりしてれば、ちゃんと家もたつし、地震で家が崩れても土台は残って、また立て直しも可能。
親と一緒にいた生活も踏み台にして自立していくんです。
親のできることなんて限られていると思ってます。
こどもの自立に向けて、いい土台、いい踏み台になるよう、試行錯誤です。いい、というのは強くてしなやかがいいかなと思ってます。
ごはんをつくってみんなで食べる
これには、親のやるべきこと、したいことの8割以上、いや全てがつまっているといってもいいかな、と思ってます。
一緒にいるときは親の心子知らずでしょうが、ずーっと後になって、うんと効いてきます、きっと。
ゴットマーさんのごはんやその他一貫性のありそうな姿勢はきっといい土台になってます。ぜったい。
次男さんとは子離れ難しそうな印象ですが、うちはまだチビなので近い将来こんな心境になるのかなと想像したり。
文脈めちゃくちゃですいません。
親もまた悩み、成長していきたい一心っす。
投稿: みみこ | 2009-12-02 15:14
みみこさん、子育ての真っ最中に家を建てるというのは感慨深いものがありますよね。そういうことが繰り返されながらゆっくりと歳を重ねて振り返った時、積み重ねてきたことから見えることは確実に今ある自分に勇気を齎すのだろうと思います。それを生かす考え方を身につけたいものです。
投稿: ゴッドマー | 2009-12-02 15:39