2009-11-16

セロリと牛蒡がメインな胡麻マヨ和え:時代を読めない私、それでも子育てをするのが親

我が畑のほうれん草  セロリの旬もそろそろ終盤かな。この辺りではセロリの消費が豪快だからか、畑のセロリも終わりに近づくと、株で売ってることが多いです。で、極普通の主婦が一抱えもある大きなセロリの株を抱えている姿は、白菜を抱えるのと似ています。東京の暮らしでは、その料理法の想像も付かないので、若い頃は唖然としていました。かと言って、今が充実しているかというとそうでもありませんが、セロリの浅漬け(レシピ☛)や炒飯(レシピ☛)の味をしめてからは、この豪快さが楽しめる季節なのだと思えるようになりました。
 今日は、毎日の献立からセロリを混ぜ合わせた牛蒡のサラダです。しかも、セロリの枝の部分で十分です。セロリは、規則正しく節のところで両側に一対の枝を出します。この枝分かれした部分だけでこのサラダを作る場合もあります。また、その先の葉は、沢山溜めて油炒めにして食べます。残った太い幹の部分は、お漬物や生でスティックサラダなどにします。捨てるところがないのがセロリです。

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 今日の和え物は、組み合わせている野菜の歯ごたえはほぼ同じで、しゃきしゃきとリズミカルな音を聞きながら食べるのが楽しいです。沢庵もそうですが、人が口の中で噛む音は、同じものを食べているのに音が違うのは不思議です。歯や顎の構造上、噛む音の響きが違うのでしょうか、とても美味しそうな音を出す人がいるものです。我が家では娘がそうです。息子もその音に耳を澄ますくらいです。時々歯もカチカチと音がする時は、食卓の話題になるほどです。
 さて、簡単な和え物ですが、このように一見シンプルなものが、作る段階で注意しないと「あれ?どうしてこうなっちゃうの?」というほど、違ったものができる場合があるので、ちょっと触れておきます。
 それは、切り方です。まず、繊維に対して平行に細長く切ること。これが食感を大きく変えてしまいます。次に太さを切り揃えること。太さがまちまちだと火を通す牛蒡などは、食感の違いがでて、繊細な口の神経ではそれは違和感になります。注意するのはそれだけです。今の時期の牛蒡は、泥付きを買うと芯に“す”が入っていることは少なく、千切りにするには切りやすいです。セロリと同様に、長さをまずそろえてぶつ切りにし、横に寝かして一定の厚みでスライスします。斜めに寝かして、スライスの厚みと同じサイズで千切りにします。今回は、1.5mm~2mmです。
 熱湯に2%の塩を加えて牛蒡の色が透き通る程度に軽く茹でたら笊に引き上げて自然に冷まします。同様ににんじんとセロリを切り揃え、牛蒡と一緒に軽く塩を振って下味をつけます。ここで一旦水分を切って、今度は少量の酢を絡めて“水止め”といって、野菜から調理後に水分が出てびちゃびちゃにならないようにします。この後何で混ぜても味が薄くなるようなことは起こりません。これは覚えておくととても応用が利きます。
 多めに作って翌日のお弁当用にもどうぞ。足が速いと言われる牛蒡もこの季節なら安心して作り置きできます。

材料

  • 牛蒡・・80g
  • にんじん・・50g
  • セロリ・・80g
  • 手製の胸肉ハム・・50g(レシピ☛
  • 塩・・一つまみ
  • 酢・・大さじ1
  • マヨネーズ・・大さじ2.5
  • 砂糖・・小さじ1/2
  • 白炒り胡麻・・大さじ1

作り方

  1. 牛蒡は泥を洗い流して皮は束子でよく洗い流す。
  2. セロリ、牛蒡、にんじんは長さをそろえてぶつ切りにし、横に寝かして短冊にるように1・5~2mmのスライスする。
  3. さらにスライスを寝かして同じ幅で千切りにする。
  4. 鍋にお湯を沸かし、2%になるように塩を加えたら2の牛蒡だけ茹でて笊に上げる。(透き通る程度に2分ほど)
  5. にんじんとセロリ、牛蒡を一緒にして塩一つまみで指先で和えながら塩を行き渡らせる。
  6. 野菜から水がにじみ出てきたら酢を回しかけ、しばらく馴染ませてから野菜の水気を軽く絞ってボールに移す。
  7. マヨネーズ、砂糖、白炒り胡麻を加えて和えてでき上がり♪

【お弁当例】

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***
 来春、末の息子を大学に行かせるのだということを実感するにつれ、重苦しさを感じています。今家にいる息子を見ていてそう思う部分もありますが、よくよく考えるとこの思いの元は息子ではなく、私の頑固に固執している部分だと思うのです。世の中は大きく変動していると実感していますが、それに逆らう意図的なものはなく、自分の考えや好きなもの、大切にしたい感性は、私の育った時代のよいものだという価値観として持っています。それを自分なりに持っていたいという気持ちや、次世代に繋ぎたいという願望を持ち続けてきた私は、同じ位の世代の人達とは随分違うと感じています。私の率直な感想は、彼女達は時代が齎した文化に乗って楽な方へ流されて、妥協したのだと思います。彼女達に批判の目を向けているのではなく、そういう生き方も人それぞれのことですし、私がそうしたかったという悔悟の情も特にないのです。むしろ取り残されている自分自身と、その私が今に生きて育つ息子世代を育てることへの隔たりと疑問が、どうしようもなく私を脅かすかのような、とても自信が持てなくなるのです。親としては、これは、これでよいのだろうかと疑問なのです。
 こうしていることが間違いだとする一定の法則でもあるのなら、それは直ぐにでも訂正してやり直したい気持ちですが、子育てはこれ、という方法がないのです。やってみることで結果を見極めながら次の手を打つという具合で、方法論でできることではありません。
 子育てが方法に走りやすいのは言うまでもないのですが、形にはまりかけて楽な方を選ぼうとする時の自分を叱咤し、そこから引き戻して不安定で確約のない道を見極めるしかないのです。これだけ生きてみると、振り返って見える景色も深みを増し、本当に私が通り過ぎてきたのかしらと疑いたくなるほどいろいろなことを知ってしまったものです。私が苦しいのは、今という「時代」を読めないことに原因があるように思います。今手持ちの自分の大切にしたい事にしがみつくような思いをこのまま持ち続けるというのは、一歩も前に進めないような。それに焦るような、そういう焦燥感というのが老いなのか。

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コメント

誤字脱字が多すぎですね。
すいません。以下訂正したのを再度書き込んでもいいでしょうか。次回から気をつけます。

ゴットマーさんの料理レシピの裏の社会記事(へんな言い方ですね、すいません)、いつも読みごたえありま
す。

『生きる』というのは悩みばかり。
くるしいこといっぱい。
でも、「生きてて良かった」と心から思うときが、稀に稀にあって、うれし涙です。

喜怒哀楽、めいいぱっい感じていたいです。

無駄なところはなく、すべて明日への糧。
あら、料理と一緒。

うちはまだこどもが小さく、子育ては体力勝負の時期ですが、ママ友(この言い方、あまり好きじゃないですが)との関係に辟易することもよくあります。

基本精神は『和して同ぜず』(これも師匠の受け売り)。

尽力しても無駄なフィールドでは、さっと引く。
この「分けて考える」ことでちょっとストレス緩和になるかなと自分では思ってますが、なかなかそうはいかないのが人間というものなのかな。

生意気にすいません。
ゴットマーさんの生のことばは、おざなりにしがちな自分への問いかけの機会をくれて、感謝感謝です。

投稿: みみこ | 2009-11-16 09:38

みみこさん、料理とごっちゃにして書くものでもないしなぁ、かと言って丸めて置いておくわけにもいかないような気がするので、「続きを読む」以降に書くことにしたのです。

母親家業も、書いてすっきりするというのでもないのですし終わりはないのでしょうけど、自分の心をできるだけ率直に書きとめておこうと思っています。私は母から子育ての話よりも、母自身の気持ちを聞きたいと思っていたので、反面教師な部分かもしれません。

何かの刺激としてお役に立つとは思いませんでしたが、読んでくれてよかったです。ありがとう。

投稿: ゴッドマー | 2009-11-16 10:49

こんにちは。

ちょうどセロリとゴボウがあったので、酢を使った「水止め」を知らなかったこともあり、
作ってみました。
懸念は、うちは少量でも、「酢が入ってる!」と嫌がられること。
酢を控えめにしましたが、夕方作って22時頃食べても、ビチャビチャにはなっておらず、
心配していた酸味も作りたてよりやわらいで、美味しくいただきました!
酢やマヨネーズを控えめにしたので、パンチが欲しくて、黒こしょうをひきました。

投稿: はたはた | 2009-11-17 11:05

はたはたさんもなんとなく実験好き?

不思議発見!みたいなノリが私は好きなのでつい挑戦してみたりしますが、好きこそものの上手なれといいます。前進あるのみですね。

この水止めは、水分の多いキューりなどの酢の物も同様です。最後の味付けを変えないためです。オッと、酢の物駄目ですね。そうするとマッシュポトテの野菜などかな。ただ不思議なのは、酢の物で酢で味付けするにもかかわらず、やはり水止めは酢でするという点です。

胡椒もよいですけど、七味唐辛子もイケマスよ!

投稿: ゴッドマー | 2009-11-17 15:32

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