イナダのタジン鍋(モロッコ料理):豪華なまでに一尾完食:娘が母親になる時を迎えるということ
御年取りまで一ヶ月ちょっとなりましたね。大晦日には縁起をかついで鰤を食べるという家庭が長野県には多いそうで、成長してブリと呼ばれる大きさになる手前のイナダは、今の時期ならではか、どんどん入荷するそうです。暮れの販売戦略のためということなのか豊漁だからなのか、今はかなり安価です。
今日のイナダは、ツバスとイナダの丁度境目辺りのぎりぎりなイナダサイズです。翌日のお弁当の味噌煮用に少し取り分けて、内蔵だけ綺麗に洗い流した残りを全てタジンにします。頭は二つ割にし、胴体は筒切りといって適当な厚みにぶつ切りにします。この切り方だと人数に合わせて切れるのが利点で、さらに身と骨がばらばらにならないので、鍋では扱いが楽で食べやすいです。
さて、一緒にする野菜は今回はキャベツの甘さをしっかり出しつつ、パプリカを沢山使って魚の臭みが気にならないように考慮してみました。そして、魚の時には是非忘れずに加えておきたいのがじゃが芋です。出来上がった直後は、何処からこんなに沢山、と思うほどひたひたのスープに感動しますが、食べているうちにじゃが芋が吸ってくれるのと、鍋の余熱で蒸発するのかすっかりなくなります。魚が浸かりっ放しということがなくなるので、このじゃが芋の役目が際立ちます。日本の鍋との違いでもう一つ気づいたことは、最初はスープが薄い状態ですが、最後には濃厚でコクのある味わいに変化するので、満腹感と言うか満足感が盛り上がってご馳走様になるのが、これがまたなんともよいです。
今回はトマトを加えず、ライムやレモンも絞らずに塩味と野菜から出たスープだけで頂きました。タジンと言えば白身の魚と思っていたのですが、イナダがかなりイケる魚だと確信を持ちました。作り方というほど難しさはないのですが、後の参考になるように積み重ねる順番を記しておきます。
今後、タジン鍋で料理の幅がどれくらい広がるかとても楽しみです。
材料
- イナダ・・1尾(50cm)
- じゃが芋(メークイン)・・小4個(150g)
- キャベツ・・4枚
- 玉葱・・半分
- パプリカ(黄色・赤)・・各半分
- エリンギ・・60g
- セロリ・・1本
- ローズマリーの葉・・10本
- セージ・・一つまみ
- 塩・・適宜
作り方
- イナダは頭を切り離し、縦に割ってえらを取り除いて流水で洗い流す。
- 胴体から内蔵を引き出し、洗ってぶつ切りにする。(二切れは翌日のお弁当用に)
- 平笊にイナダを並べ、全体に塩を振って溶けて水分がにじみ出るまで約10分置く。
- 熱湯を1.5リットルほど沸かして3のイナダに回しかけ、直ぐに冷水で冷ましながら血合いなどを掃除する。
- じゃが芋を洗って皮を剥き、7~8mmの厚さでスライスしてみずに2~3分さらす。
- キャベツは手で千切って食べやすい大きさにする。(包丁で切らない方が水分が出やすいです)
- 玉葱は7~8mmの櫛切りにする。
- パプリカは半分に切って種を取り出し内側から縦に包丁で短冊に切り揃える。
- エリンギは適当な大きさに手で引き裂く。
- セロリは斜めに一口大に切り揃える。
- 鍋にじゃが芋➠キャベツ➠魚➠玉葱➠パプリカ➠エリンギ➠セロリの順に重ね、最後にハーブ類を散らして蓋をする。
- 極小の火に掛け、約50分煮込んで味を見て塩で調味する♪
【翌日のお弁当では味噌煮】➠鯖の味噌煮レシピを参考
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岐阜の友人の娘さんが結婚して半年くらいになります。私の娘よりも少しお姉さん。彼女のことは小学生時代から知っていますが、いろいろな話題でよく登場しますので、私にとっては身近な存在です。その彼女の事で少し書いておこうと思います。
幼少の頃股関節脱臼を患って、今でも普段の生活では床に座ったりするのが困難で痛みを覚えるそうです。そういう理由もあって、若いうちに子どもは生んでおきたいという希望から、現在妊娠の安定期に入ろうというところまで来ているそうです。その嬉しいお知らせを聞いてわずかも経たない内に全治胎盤が発覚して、今は絶対安静の状態で友人宅に戻っていると聞きました。
全治胎盤の恐ろしさは言うまでも無いのですが、子どもの生命力もさることながら、胎盤の早期剥離をもっとも注意しなくてはならないのです。子どもの成長と共に子宮が下から上部へ向かって大きく広がって育つ時、子宮口を塞いで着床した胎盤が同時に引っ張られ、何らかの要因が一致すると剥離してしまう恐れがあるのが、この全治胎盤の怖さです。剥がれてしまったらその時がお産の始まりでもあり、母子の状態がその時に安全に保たれるのかなどの心配は尽きず、安心できる材料が乏しいのは事実です。いつ何処に異変が起きてもおかしくない状態にもかかわらず、それが訪れるとも限らず本人は頗る健康なので、このまま何も起こらずに過ぎてくれればよいと、ただただ念ずるのみです。
私は一番最初の子どもを臨月でお産してからわずか一日でその子(娘)を亡くしています。内蔵未熟でした。その後三人の子どもに恵まれましたが、妊娠とお産は毎回違うもので、これこそ神秘な世界です。今から思うと、あんなに悲惨で悲しいことが最初に起こった後に、よくもまあ後に三人も生めたものだと我ながらあのときの精神力を大したものだと思います。それというのも、当時は先のことを一生懸命考えようとしていました。悲しみの過去は、いつでも自分の気持ちのどこかに潜んでいますが、そのことを思わないようにしていました。それは私にとって楽なことではなく、自分を攻めるに足る一つの大きな過ちでもあるかのような影でした。
それがいけなかったのか、今でもそうですが、私はあれからお墓参りには行かなくなりました。あそこに眠っているのではなく、私の胸に仕舞って、いつも傍にいるつもりです。今更ひどく引きずるような悲痛な思いや直接の痛みはありませんが、お墓参りに行かなくなったきっかけのままあまり考え直すこともなく、ずっとそのままの習慣になっています。自分の子どもを亡くすということは言いようもない悲しみですが、きっちりとそのことと決別できていない私なのだと思います。
こんなことを持ち出すのは、自分でけりをつけるということの大切さを言いたいのです。本人の望むことはできるだけ満足のいくようやれたらよいと思います。そうすることが母親になるということだということは重々承知していると思います。が、その場になるとどうしても手を出すような習慣的な自分が直ぐに見えたりします。何があっても自分が悲観するのではなく、彼女がやれたことを事実として受け止められるように、そういう親として傍についていてあげて欲しいと思います。
娘は永遠に娘ですが、その娘を親に育てるということが身近になりました。そこを外さないでこれから先ずっと親でいるということが、子育ての次の段階なのでしょうね。終わりがないです。
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