冷凍ストックの烏賊ゲソとセロリのイタリアン炒飯:戦争が齎す沈黙を埋めるものとは・オバマさんのインタビューより
お昼ごはんでお馴染みの炒飯ではありますが、セロリの大量買いで食卓にセロリがずらりと並ぶ我が家です。因みに昨日は、こちら➠。同じものでは敬遠されますが、目先を変え習慣的な食べ方を一変すると、その意外性が新鮮に入ってくるのが料理の良さです。時には時間をかけて料理設計をすることもありますが、冷蔵庫にある食材と相談して、あるもので如何に美味しいものをつくるかというお題を自分に設定して料理するのは、わくわくするものです。
今日の炒飯は、正に冷蔵庫にあるものです。ゲソ揚げなどのようにゲソでなくちゃ駄目という料理のために、嘴(くちばし)と目玉、吸盤をしごいて取り除いてから冷凍しておきます。これは、わざわざ残こすという意図的な意味が強いかもしれません。今日の炒飯は、蛸とセロリが我が家では定番ですが(レシピ☛)、同じ軟体動物の烏賊も美味しい出汁が出ますし、ご飯にしっかり染み込むので味付けは塩と胡椒のみです。にんにくも勿論ドーンと入れますが、これはTPO(Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)によります。烏賊の匂いと相性がよいのか、アンチョビーをみじん切りで炒め合わせるとコクが出て旨味が加わります。ない場合は、アンチョビーソースで代用することもできます。両方なければ、無しということで。
特に難しいことはありません。にんにくの香りをオリーブオイルに移してからセロリ、烏賊ゲソの順に炒めますが、烏賊を加えると烏賊から水分が出て、烏賊自体はかなり縮みます。この炒飯は、烏賊の出汁をご飯に染みこませる目的の方が強いので、烏賊が縮むことは気にしないでよいと思います。また、白ワインを足すと、その量によってはご飯の硬さに対して多すぎる場合があるので、様子を見て分量を加減するか、煮詰めて蒸発させるなどでべた付かない炒飯を作るのがポイントです。「勘」を働かせて作るということです。最終的に、気長に炒めていればそれなりにぱらぱらとした仕上がりになるので、それも一つの手です。んじゃー、どうぞ。作ってみてください。
材料 (3~4人分)
- 冷ご飯・2合分
- セロリ・・大1本(葉も含めて)
- 烏賊ゲソ・・2杯分(200g)
- にんにく・・1片
- オリーブオイル・・大さじ1.5
- 塩・小さじ2
- 胡椒・・適宜
- 白ワイン・・大さじ2
- アンチョビ・・3~4本
作り方
- 烏賊ゲソは、冷凍庫から出して解凍する。
- セロリから葉を取り除いてそれぞれ綺麗に流水で洗い流す。
- 茎は7~8mm角に揃えて切り、葉は細かくきざむ。
- 烏賊ゲソはセロリ同様7~8mm角に切る。
- フライパンにオリーブオイル、にんにくとアンチョビーのみじん切りを一緒に中火に掛け、香りをオリーブオイルに移す。
- セロリの茎の方を加えて炒め、油が回ったら塩の半量を加えてしんなり炒める。
- 烏賊ゲソを加え残りの塩と胡椒を振って炒め合わせ、白ワインを加えてアルコールを飛ばしたら冷ご飯を加える。
- 煮汁がご飯に染みこむ様満遍なく炒め合わせて最後にきざんだ葉を加えてでき上がり♪
【お弁当に】
***
オバマさんが、鳩山さんとの共同記者会見後のインタビューで、日本の記者から受けた質問に対してはっきりと答えなかったのは、私は、オバマさんはスマートな人だと思った部分でした。後に文章にでも出れば、その部分がハッキリするのではないかと思いつつそのままになっていたのですが、昨日公開の極東ブログの記事で、このインタビューについての各新聞社の扱いやコメントなどの流れを詳しく辿っています(参照☛)。
私の気になっていた点は、ノーベル平和賞を受賞するに至ったオバマさんの「核廃絶方針」と、共同記者会見後のインタビューで記者が質問した「広島、長崎への原爆投下は正しかったとお考えですか?」の質問に対する回答の中身に矛盾があってはならないということです。オバマさん個人としては誠実さを問われ、大統領としても発言には責任が付きまとうわけです。ですが、そこを率直に返答できなかったオバマさんの背景に、国内の保守的なアメリカ国民のことを思わざるを得ないだろう、という私の個人的な想像も働きました。
ここで私のアメリカ人の知人の話を持ち出すのも、果たしてオバマさんのこの例に当てはまるかどうかは疑問ですが、これは、私が長年に渡って持ち続けてきた蟠り(わだかまり)を解く鍵にもなったことなので、少し触れておきます。
アメリカ人と長崎や広島の原爆の事が話題になると、必ず決まってどのアメリカ人もパールハーバー(真珠湾攻撃➠Wipikedia)で日本にやられた、と、目には目を歯には歯を的な発想で「やられたからやり返して何が悪い」という反論が返ってきます。(昔の若者の勢いとういものでしたが)そして、この話はその先に進むことなく沈黙となるのです。この沈黙は、私の理由は、自分自身の戦争責任というよりも、その当時はそうするほか方法がなかったのだろうし、遠い昔の話だという事と共に、戦争には反対でもそうするしかなかった当時の判断なのだという理解です。この話を以って、私と友人がそこで口論することではないのです。ですから、ここには沈黙しかなかったのです。目の前のアメリカ人は私の知人で、彼らが生まれた国と私が生まれた国同士が昔戦争をしたという事実だけなのに。です。
このようなやり取りを多くのアメリカ人と交わすことを通して今思うのは、オバマさんが背負うものの重さを思うと、日本から「はぐらかした」と言われても仕方がないにせよ、先の言葉を失うのも分かるような気がします。
極東ブログの記事中にも少し触れている冷泉彰彦さん(作家:米国ニュージャージー州在住)のJMMに寄せたレポート「初来日を果たしたオバマとヒロシマ・ナガサキ」に、彼の解説と、今後の日米両国にとっての平和的な関係維持についての提案があります。私はこのレポートに触れて、人に授かっている自然な「友愛」の気持ちのままでよいのだという安堵感と、私にとっても、過去のアメリカ人とのあの沈黙の時間を埋めるためのよきアドバイスとなりました。今更もう会う事もないでしょう、けど、なんだか視界が晴れたような清々しい気持ちになりました。 また、オバマさんや鳩山さんに、このメッセージが届くようにと願わずにはいられません。
日本の首相が靖国神社を参拝するのは、オバマさんの長崎、広島訪問と同じで、行っても行かなくても賛否両論あるわけです。この解決を見るには、共に追悼をするに尽きるのだと思いました。
一部分を取り上げて引用するだけでは十分とは思えませんが、ここに抜粋させていただきます。
そうなのです。本当の鎮魂とは「相殺」であってはならないのです。同じことです が、謝罪であってもいけないし、謝罪の要求であってもならないのだと思います。 つまり日本の真珠湾攻撃やアジアでの戦争の災厄を引き起こしたことへの「懲罰」と して攻撃を正当化するのでもなく、「制空権を奪われて尚国体護持をタテマエに保身に走って敗北を認めなかった政治家」に責任を負わせるのでもなく、また「人類に核 戦争を封印させるためだった」とか「冷戦に備えた攻撃力誇示のためだった」という ような解説を加えることもなく、要するに誰かを非難するのでも、自責を強要するのでもなく、日米が一緒に追悼をするのです。
冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ) :作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大 学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ共和党のアメリカ』など がある。最新刊『アメリカモデルの終焉』(東洋経済新報社)
冷泉さんのレポートは、Web上に既に公開されていますが、極東ブログでは記事中にそのリンクを貼っていません。その理由に、JMMへの配慮と文書に対して敬意を表するものと思います。ここで私が取り上げることが、勇み足にならないようにと願うことを添えておきます。
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