2009-10-24

マカロニパスタと一緒のブロッコリーのグラタン:加藤和彦さんの死から学んだ「放す」生き方とは

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 うちの畑の近くのお婆様から立派なブロッコリーを頂きました。まるで結婚式のブーケを包むようにすっぽりと新聞紙で覆って、茎のところで上手くひねって可愛く見えます。その姿を見るだけで、愛情を込めて育てたブロッコリーだと一目で分かります。
 ブロッコリーの生育期間はとても長く、1mmほどの小さな種が苗床で育ってから畑に植え替え、両手で大きな丸を作るくらいの株に成長します。その中央に一つだけ伸びる茎の先端に蕾がつき、それが大きくなって花が咲く直前に頂くのがブロッコリーです。その大きな蕾を取ったあとは、脇から芽が出てきて小さな茎を伸ばし、新たに小さな蕾をつけます。でも、それは最初に収獲したあと一ヵ月後の話で、寒くなるとそこまでも成長できません。この時期のブロッコリーは大変貴重だとも言えます。畑も広々としていないと数えるほどしか育てられません。大きな株ですが、収獲できるのは一個です。その貴重な一個を頂いたわけです。

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 もったいないからといってケチケチに使うと直ぐに花が開いてきてしまうので、一気に一株を使って、ブロッコリーのためのグラタン風にしました。と言ってもソースは少な目で、マカロニパスタによく絡ませて、ブロッコリーとシメジの隙間を埋めるように全体にマカロニが行き渡るようにします。こうするとパスタが絡んだブロッコリーになって、一緒に食べやすくなります。ご覧のとおり、この一皿で一食分の栄養がバランスできると思いませんか。

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 作り方は、ブロッコリーを軽く下茹でしてブナシメジと一緒に耐熱の容器に敷き詰めます。その上にトマトソースをたっぷり絡めたマカロニパスタを載せて、すっぽり覆い被せてから好みのチーズをトッピングします。トマトのソースには手製の鶏の胸ハムと海老の旨味をプラスしました。鶏の胸ハムには、ローズマリーやセージの香りがついていますので特にハーブは加えていませんが、もしも代用するとしたらベーコンなどの燻製の香りもよいですし、フレッシュバジルを散らすのもよいです。

材料

  • トマト味のブロッコリーのグラタン
  • 胸ハム・・250g(レシピ☛
  • ブラックタイガー・・6尾
  • 玉葱・・半分
  • にんにく・・1片
  • マカロニ・・200g
  • 茹でたブロッコリー・・1株
  • ブナシメジ・・1袋
  • カットトマト缶・・300g
  • チーズ・・100g

作り方

  1. ブロッコリーは一口大の小房に切り分け、茎は筋の部分から表面の厚い皮を剥いてスティック状に切る。
  2. 鍋にお湯を沸かし、水の量に対して2%の塩を加えて下茹でする。(Hint&Skill➠
  3. マカロニは、ブロッコリーを茹でたあとの残ったお湯で硬めに茹でる。
  4. ブナシメジは石突を取って小房に分ける。
  5. 玉葱とにんにくをみじん切りにする。
  6. 海老は殻から出して背腸を取り、1cmほどに切り揃える。
  7. 鶏ハムは小さなサイコロに切る。
  8. フライパンにオリーブオイル大さじ2(分量外)とにんにくを入れて弱火にかけ、にんにくの香りを油に移す。
  9. 続けて玉葱を加え、油が回って透き通ってきたら海老と鶏ハムを加え、海老の表面が色づいてきたらカットトマトを加え、一煮立ちさせる。
  10. 最後にマカロニを加えてソースを絡めたら軽く塩・胡椒をして味を調える。
  11. 耐熱の器にオリーブオイルを塗り、ブロッコリーとブナシメジを全体に敷き詰め、マカロニソースを全体が隠れるように載せてチーズをトッピングする。
  12. 250度に余熱したオーブンで15分焼いてでき上がり♪

***
 先日知った加藤和彦さんの死で、人は何を支えに生きるのかという事が妙に気になっています。それは「生きがい」に決まっているじゃないですか。と一口に言ってもね。彼だって、人に喜ばれるような仕事について、常に人に囲まれて生きていたじゃないですか。と、表面は誰が見ても死に急ぐような環境には思えなかったです。でも、生きる場所を失っての死でした。
 仕事の成果を人に喜んでもらえて、人の喜びが私の幸せだと言い切れる人は少ないと思います。私のように、地位や名声を得るチャンスから自ら身を引き、言わば社会的には脱落者です。お金にもならないような事をしながらそれに幸せを感じ、人から見たらこれも好き勝手を選択し、まーまーな幸せを得た豊かさと言われるかもしれません。不器用ですけど幸せな部類でしょう。
 不幸な生き方は加藤さんのような人かな。理屈は抜きにして、人は何故生まれるのかに尽きると思います。生きる事を支えているのは自分なのだと思えない、というのがどうにもならないやり場のなさだったのでしょう。私は、そこに共感して、彼が亡くなった時は愕然としたのは忘れません。同時に、自分自身に自信が無かったので、早く何かの手を打って気を楽にしたいと思ったのです。これが生きる力の表れで、私は無意識にそれに救われていた訳です。
 一回り上の加藤さんは、私世代にいろいろな刺激を与え、昭和のどんよりした空気に風を吹かせた人達です。でもそれは、自身の為の未来に向かっていたのではなく、お人よしのように他人に与え続けた結果、自分の居場所が分からなくなり孤独を思い知ったという、なんとも淋しいものを感じました。そして、同時にこの生き方を続けたら、同じような結果を見るだけなのだという事を教えられたと感じました。同じことをやっていたのでは駄目だということです。このまま教えられたように後をついて行っても、居場所がない自分の虚しさと決別する方法を探し回るようになるだけなのだと、そういうメッセージを受け取りました。
 今私はiphoneを手にしています。これが欲しくて買ったというわけではないのです。買いたくない理由を並べてみたら、今まで自分が好きだったことを放したくないだけだということに気づいたのです。「持つ」生き方をしている自分に嫌気がさしたのです。だからと言って、本を買わなくなる事でも新聞を取らなくなるでもないのです。これは思い方の違いなのですが、前に進むということは、今を受け入れる事ですね、本当に。昔の慣習に凝り固まって、しがみついていたのでは今の自分の居場所はなくなるのです。これが加藤さんの死が教えてくれた明快な答えです。このことを無駄にしたくないと思いました。
 なんとなく一昨日あたりから、「iphone、楽しいなって」感じるようになりました。そして、腹筋トレーニングのアプリケーションや、100は下らないと思うような大量の音楽が入っているアプリケーションの格安情報などを頂いたり。ありがとう。それを教えてくれるような優しさが、慰めになっています。
 そうそう、ついでのようでいけませんが、Netで知り合った友人とは、リアルでは過去も無い上、未来も全く描けません。この人と私はどうなるのかなんて、具体性も実現性も現実味もありません。でも、ネット上で気持ちが通じたその瞬間が、私とあなたの共有するもっとも確実な現実です。その瞬間にときめきを覚え、その瞬間に出会う事の嬉しさ、その瞬間だけその人の温かさや愛情を感じられるのです。これはずっと大切にしていたいことです。
“I want you to always remember♪”

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コメント

寒くなってくると、こういう食感にコクのある料理が恋しくなりますね。
何層にも重ねられていく素材の写真を見ていると、その向こうに時間が見えてくるような気がして、何とも言えぬ気持ちになりますね。

昨夜の予定外の買い物でチョッと良いものが得られました。
明日は久しぶりの休暇なので、収穫品が生かせそうです。

iPhoneも楽しいようで何よりです。
私も刺激され、ポータブルデジタルガジェットを誂え、今日届きました(笑

投稿: ふ゛り | 2009-10-24 23:28

ぶりさんの言葉から「休暇」という文字は初めてです。それはかなり大切なお時間かと思いますので、その戦利品(?)の完成が楽しみです。何でしょう。

それに「ポータブルデジタルガジェット」??しかも誂えもの??コンデジ(コンパクト・デジタルカメラ)でもない?iphone刺激がよい芳香性?(タイポじゃないです!)

ブログから目が離せませんねぇ。まったく!

投稿: ゴッドマー | 2009-10-25 06:43

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