2009-10-16

茶葉の煮玉子(茶葉蛋/チャーイェータン)中国・台湾・沖縄にも:漱石先生、「鬱/うつ」からの脱出!

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 茶葉蛋(チャーイェータン/茶葉の煮玉子)に大きな歯型をつけて、得意満面な様子が窺がえるのは、横浜中華街の店をを総なめにしているのでないかと思われるこちらのブログで知りました。短く語られた茶葉蛋の説明から、今にも八角の香りが漂ってきそうで、これは是非作らねばとWebで調べてみたらいろいろ出てきたのですが、お茶のHPがなんだか気に入って、こちらのレシピ通りに作ってみました(参照☛)。

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 人様のレシピで何かを作る時いつも心がけているのですが、その人のその料理のどこに愛情が注がれているかを感じた時、それは材料や方法ではなく「愛」なので、それを私は引き継ぐのだということがレシピを頂く礼儀と思います。特にこのような場で公開するのですから。作り方は、その通りにやればそれなりのものはできます。でも、その通りにできないものは人の感性です。これを自分のものにしてこそかと思うので、くれぐれもレシピ元の方に失礼のないようにと気をつけています。
2009101318050000  このレシピで最初に「愛」を感じたのは、茶葉についてです。レシピには小さく注意書きとして「このレシピに向いている茶葉:青心、翠玉、四季春、文山包種、凍頂・清香、阿里山高山茶、凍頂・濃香、木柵鉄観音。お茶の状態:乾燥茶葉または淹れた後のお茶殻」とあって、私は、茶葉の種類などはチンプンカンプンです。聞くところによると割りと上等のお茶らしいですが、その下のお茶殻でもよい。とな。ふーん。上等のお茶を列挙してあるにもかかわらず、茶殻でもよいという両極端な添え書きは、なにっ!と最初に迷いましたが、これは、できれば上等に越した事はないけど、なければ茶殻でもできますよ。と。そういう優しさと解釈しました。
 2009101318110000 また、出来上がった模様つきの卵に「模様が一つひとつ違い美味しそうな茶葉蛋」という一言は、画像の卵からは美味しさとしては感じ取れませんが、この一言を添えてあるのはご本人がこの茶葉蛋をこよなく愛している証でしょう。ま、私の場合は、紛れもなくそう書きますし。これらの愛を統括して、私の手で作らせて頂きました。
 八角の香りが作る前から香っていたので、ちょっと多めに加えました。私、この香りが好きなんですよ。部屋は、中華な香りで充満しています。漬け込んで今日は四日目に当たりますが、卵の中ほどまで漬けダレの味と香りが染み込んで大変美味しくなっています。って、もう残り二個なのですが、あっという間に食べてしまいますよ。
 作り方で変更点があります。私の今までの煮卵作りの経験ですが、茹でた後殻に皹(ひび)を入れたら、タレと一緒に一煮立ちしてから袋に入れて空気を抜いて味を染み込ませます。もちろん一日以上置くのがベストです。そのため、レシピ元の調味料の分量は全て半分です。また、煮込み時間もないに等しいので、短時間で完成します。以上改変した旨書き添えます。

材料   
A
玉子・・10個
B
烏龍茶葉・・乾燥茶葉ペットボトルキャップ1杯分(茶がらでも可)
醤油・・大さじ6
みりん・・大さじ4.5
紹興酒(なければ日本酒)・・小さじ1
香り野菜・・長葱の青い部分1本分・にんにく1片・生姜・1片
好みで唐辛子
漢方香辛料・・五香粉(市販で売っているもの)
黒砂糖・・適量(甘口仕上げの場合)
C
水・・150cc

作り方   
1.Aを洗って、水から茹でる。
    ポイント:転がしながら茹でると黄身がまん中に
2.10分ほどたって白身が固まったら、スプーンの背で殻を叩き、細かくヒビを入れる。
    ポイント:殻がはがれないように、やけどに注意しながら行う
3.鍋にBを入れ、蓋なしで火にかけ、中火で一煮立ちする。
    ポイント:乾燥茶葉が開いて、調味料も均等にまわったらOK
4.AをBに加え、Cを足す。
    ポイント:様子を見ながら材料が軽く隠れる程度にCを加える
5.煮立つまで転がし、火を止めてタレと卵を耐熱の袋に詰めて空気を抜いて冷ましてでき上がり♪

・食べ残ったら煮汁ごと冷蔵庫に保存してください。 常温保存の場合は必ず毎日一度は弱火で加熱してください。
・作った日から食べられますが、3日以後は玉子の中心部まで煮汁が染みわたってより美味しくなります。
・切った茶葉蛋と柔らかく煮えた茶葉を、熱々のご飯の上に乗せて煮汁をかけると、即席「茶葉蛋丼」。

【お弁当に】

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 *うひゃ

➠夏目漱石は「自分がない」空虚な状態からどう脱したのか?――「自己本位」の発見 | 現代人に突きつけられた「うつ」というメッセージを読み解く | ダイヤモンド・オンライン

 “うひゃ”にコメントを添えたいと思い、考えているうちに長文になりそうだったのでこちらに書くことにしました。
 夏目漱石先生が「自己本位」の覚醒を経験したのだと知って、驚きと意外性を感じましたが、「鬱/うつ」は現代病とも言われ、社会が荒んで人が人らしく生きられない、歪んだ社会が生み出す心の病という概念で、単純に捉えていました。でも、

「うつ」から抜け出した経験者は例外なく「自己本位」に目覚める経験をしている。

とあります。漱石先生が特別な人物だからではなく、また、社会が荒んでいるからうつ病が増えるというのでもなく、誰にでも起こりうる病であること。また、脱出するのは自分の力だと、それも「自己本位」の覚醒で。
 この「自己本位」の一つの方法として、「ブログを書く私」と置き換えて考えてみました。というのも、漱石先生が作家として開花したのはこのことに気づいてからだというのです。もちろん、私が作家を目指しているという意味ではなく、「書く」という作業自体についてだけ、では私は「自己本位」でどこまでやれてきたか、そのプロセスについて少し振り返ってみたのです。
 このブログは、最初は娘の料理の手助けのつもりから始め、それは今でもそうで、役立っているとは聞きますが、本題はそこではなく、いつしかこの「書く」という作業が楽しくなり、誰からも読まれずとも、また、特定の誰かに読んでもらえなくとも人に求めず評価も期待せず、私はこの馬鹿馬鹿しいとも思えるような「書く」ということが、どれだけ贅沢な行為で自由な世界観かと思えた時、止まらなくなってしまったのです。人は「それは欺瞞だ」というかもしれない。そういう人にはこの開放感の入り口にでも来て欲しい。この快感を感じて欲しいと願うような、救いたいような気持ちさえ持ちます。
 先月でしたか、息子と少し話す機会があって、東京で暮らし始めて新しい環境に慣れつつ自分をどう見つめているのかという話を聞きました。息子から出てきた言葉で「高校当時、自分を抑えて押し殺して、やらねばでやっていたことが多く、少し箍(たが)が外れて自分のやりたいことは何でもするんだ。と思って、誰にわがままだと言われてようとやりたいことは全部やる。」と息巻いていたので、その実、同居する娘から少し心配の声や苦情とも言える愚痴を聞いたものです。この時、直感的に「あぁ、くる時が来た」と、そう思えて、やらせてあげて欲しいと鬱憤(うっぷん)を納めるように頼んだのでした。息子は若いせいも手伝ったのか意外に早く自分を見つけたようで「あのままだったら自分らしさが分からないままで行きそうだった」と話してきました。
 私はこの歳になってもまだ、完全に「自己本位」の域に達しているのかどうなのか疑問ですが、少なくともブログをこのように続けてみて、私にとっては自己表現、自己放出、一人語りの贅沢三昧ができるな場だと認識しています。だから、息子の小さな悩みと窮屈な思いが感じ取れ、そのための特効薬として彼に彼のしたいことをさせてやりたくなったのだと思います。やらされ感の中での選択は、けして自由とは言い切れない、それも「感」の世界のことで、何一つ事実としては存在しないことなのです。ですが、そこが見えないものなのですね。
 あまりまとめようと思わずに書いてしまったのですが、「覚醒」というのは字の如く、目が覚めることを意味します。自分のしていることが、全て自分の自由意志により選択して行っていることだとしたら、こんなに「自己本位」なことはないです。間違いたくないのは、だからと言って何でもしたら良いとは違うのですが、理屈で跨ぐよりは、一度はそこも踏んでみたらよい場合もあるとは思います。誰の心中にもあることに気づくだけなのですね。
 リンク先の記事に触れて、とても気持ちが軽くなりました。

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コメント

ご指名いただき何だか恐縮しきりです。
早速お作りになったのですね。

私のエントリーにコメント頂いた方もおっしゃっていましたように、殼を剥いてしまうと一見恐竜の卵のような、けして見栄えの良い料理ではありませんが、香辛料の香りと玉子の旨味がとても良い一品ですよね。

茶葉の件、良い茶葉であればあるほど繊細な香りと味が幾重にも重なり、何煎も飲み進むにつれての変化が楽しめますよね。

茶葉を煮出す使い方ですと、一煎目の湯を注いだ瞬間にだけ立つような淡い香りは飛んでしい、調味に参加できるのは茶葉の芯に残る甘さや苦さだけ。
茶葉蛋に使う前に、さすがに三煎も飲むとその味の芯も薄らいでしまうでしょうが、一煎目だけを飲んで香りを楽しみ、その後の味をこの料理にというのが、茶文化圏の国の人のもったいない精神ー愛なのではと思いますが、どうでしょう。

私は茶道は素人ですが、一煎目は香りを、二煎目は甘味を、三煎目はほろ苦さをというような移り変りを感じる気がします。
その二~三辺りの甘苦がタレの中に加わっている感じがしませんか?

茶葉蛋丼と聞いてちょっと思い浮かんだのは魯肉飯。
茶葉蛋のタレで豚肉もアリな気がします。

投稿: ふ゛り | 2009-10-17 14:24

ぶりさん、こんにちは。

仰るよに茶葉の趣も変化するように、味付けた卵も日一日と変化を遂げています。それと言うのもおそらく茶葉がどんどん染み込んで行くためでしょう。案の定、茶葉だけつまんで食べると、出来上がった当初は渋かったのですが、今はタレと同化しています。その分卵に味が乗り移ったのだと思います。一方、卵の方は、醤油らしさがなくなり、香りと共にまろやかになっています。

茶葉と一緒にタレをご飯にかけるのはかなり美味しいと思います。

今の状態のたれで豚肉をさっと煮込んだら魯肉飯(ルーローファン)になりますよ!

それとこう言っては何ですが、干し肉味付けにも代用できそう!茶葉が入っていると醤油や味醂の甘味が深まるようですよ。また、よく考えたら薬膳な料理な分けですから、烏龍茶は体にも良いとされている部分で文句なしにスローフードですね♪今回はいろいろと勉強になりました、良いお題でした。ありがとう。

投稿: ゴッドマー | 2009-10-17 15:50

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