焼き野菜と烏賊とささ身のグリル:美味しさの鉄則:「シッダールタ」にかぶれたかな?
天気が不安定になるという予報だった昨日は、見事に外れて快晴の日照りでした。日中は大変暑く、直ぐにぐったりしてしまいます。居間のハムスターも伸び切って寝たり、おがくずに埋もれて涼しげにしたりと、寝床を作るのに余念がありません。 私の誕生日が過ぎてしまってアレな話なんですが、娘が誕生日のプレゼントにNikeのスポーツバンドはどうかと思っていたそうで、それもそのはず、私がここに前に書いたWish List☛を思い出して見ていたそうです。で、買うにあたってサイズなど聞こうと思っていたらしく、その話が事前に出てよかったです。実は今はアレは必要ないと思っていて、ジョギングコースは毎日決まっているし、走るペースもほぼ一定なので、データを分析するほどのこともないという結論です。因みに、いまだに売り出すと直ぐに売り切れてしまうそうです。人気が続くものですね。Nikeの製品にはそういうことが多く、バスケットシューズも田臥君の宣伝効果もあるのでしょうけど、直ぐに新製品は売り切れます。
と言うわけで誕生日のプレゼントのことはすっかり吹っ飛んでしまったのですが、親に何かのプレゼントをしようなどと娘が思うようになるとは、高校生くらいのころの娘を思うと想像もできません。いくらか外の風に当たって苦労もしたのでしょう、周囲が少し見えるようになって、親にも優しくなってきました。
さて、今日は焼き野菜です。BBQでおなじみですから特に美味しさを取り立てて言う必要もくらいポピュラーです。が、美味しく焼くコツを案外知らずにいる人が多いと感じます。ちょっとしたことですが、せっかくの野菜を少しでも美味しくいただけたらと思いますので、ここで少し触れておきます。
今日のはフライパンで焼いた野菜ですが、BBQコンロで焼いたり、ホットプレート、グリル、オーブンなどの熱源でいろいろな焼き方があると思います。どのように焼くにしても野菜に油をコーティングします。するとしないでは、美味しさの違いが歴然です。野菜の油通し(Hint&Skill☛)の原理と同じで、素早く表面の温度を高温にしますから、内側の水分を蒸発させますので旨味が凝縮されます。そして、短時間で焼き上がるので、野菜のみずみずしさがそのまま味わえます。どんな野菜も焼くと味が濃くなるのはそのためです。また、水分を蒸発させて、空気がこもらないように蓋はしないで焼くのが鉄則です。野菜の色を悪くします。
今日は、テーブルメニューとしていただけるように、烏賊とささ身も一緒に焼いて小人数でもBBQ並みに味わえるように焼きました。烏賊とささ身はオリーブオイルをよくも見込んで、焼く直前に塩・胡椒をまぶしただけの簡単な味付けです(BBQに柔らかいささ身はいかがでしょうか☛)。上火で強よりやや弱めのグリルで香ばしく焼き、野菜はフライパンで焼きました。一番最初に、トマトの輪切りを油を使わずに弱火で両面焼きます。水分が出始めたら裏返して軽く焼いて皿に移します。他の野菜を続けて焼いている間に、皿に移したトマトから濃厚な水分が染み出してきますが、これがソースの役目になります。ささ身や烏賊に絡めていただくのはシンプルながらきっと感動ものだと思いますよ。とても美味しいです。
材料
- 旬の野菜(茄子、ズッキーニ、パプリカ等)・・適宜
- トマトの輪切り・・人数分
- スルメ烏賊・・適宜
- ささみ・・適宜
- オリーブオイル・・適宜
- 塩
- 胡椒
作り方
- スルメ烏賊は足と一緒に内臓を取り出して輪切りする。
- 足は先端の細い部分を切り落として2~3本に切る。
- ささ身の筋の端を切り離していない割り箸で挟んでそのまま引き抜く(肉屋さん直伝の方法)。
- 烏賊とささ身はそれぞれに袋に入れ、オリーブオイルが全体に絡まる量を入れてよく揉み込み、最低15分置く。
- 野菜は大きめに切り、火の通りにくいものは小さめに切って袋でオリーブオイルをまぶす。
- グリルに水を張り、軽く塩・胡椒した烏賊とささ身を焼く。
- テフロンのフライパンでトマトの輪切りを両面焼き、水分を少し蒸発させて皿に盛る。
- 続けて5の野菜を焼く。
- 全て焼きあがったら皿に盛り付け、好みでオリーブオイルを回しかける♪
※烏賊の裁き方:胴体の内側の腸がついている部分を押さえて固定し、反対の手で腸の付け根を持って横にゆっくり引き抜く。
*** ちょっとした事なのですが、最近、疎外感を感じることが多く、「年寄りの僻み」と片付けてしまいたくないので極めて個人的なことなのですが、少し書いておきます。
端的に言うと、つくづく孤独なのだと、人はみなそうなのだと思うのです。寂しさや孤独をじっと温めること、それもある種の充実だと思うのですが、先日読んだヘッセの「シッダールタ」の生き方がテロップのように流れてくるのです。自分の思考に組み込まれてしまったメジャーのようなラインになっていて、それを基準に自分のことを○×式に考えてしまう回路が生成されたようです。で、それではいけないと、ニュートラルな位置に引き戻そうとする力が働くのですが、それがどうしても不自然で頼りなく、如何に今まで何かにもたれかかっていたかという証明のようなものです。なかなか解決できないものだと、へとへとに疲れてしまいました。
ヘッセの残した言葉で
あなたの苦しみを愛しなさい。
それに抵抗しないこと、それから逃げないこと、
苦しいのは、あなたが逃げているからです。
それ以外ではありません。
という言葉がありますが、逃げないで苦しみを愛するということは、孤独を愛しなさいに等しく、とても辛さを伴うものです。考えただけで涙が滲むような弱い自分だと思います。それでも生きるということは、本当に孤独になって行くことなのだとつくづく思います。いかなる場合でもそれを回避できる方法はないのです。
シッダールタが仏陀の門下にいて、そこで苦行を行っても、その周囲に同じ事をする仲間に寄り添いもたれかかっているだけだと言い切って、それが真我の姿ではないと沙門を後に旅に出ました。あれは人の生きる姿そのものなのだと、読み進めると後で思い知ることになるのですが、それができるのは、振り切る強い力ではなく、自分が信じるその先の「真の姿」を求める強さなのか。それが強い生き方として映るのか。
こう考えていると、もっと強くなりたいと願っている自分なのかもしれない。現実はまったく違う自分で、それに押し潰されそうだというのに。ただ、少し救われるのは、失うことを恐れなくなったのと、もっているものを放つことへの恐怖は薄らぎつつあるということです。
さて、二人の訳者によって書かれた、それぞれのヘッセの本をここで読み終えての感想を書いておこうと思います。翻訳の難しさは、原文に忠実になろうとすると文章が硬くなり、時々文の繋がりがおかしく、何度か読み直してやっとわかるような時もあります。この岡田朝雄さんの訳は、日本語の文章として読みやすさを感じました。高橋健二さんの訳を先に読んだからか、文章から優しさを感じます。接続詞でつながれた文章の主語に対する文末へのつなぎ方は、高橋さんの訳よりもわかりやすくまとめてあると感じました。
意味を変えずにできるだけ原文に忠実に訳文を読みやすく整えるのが翻訳の難しさであり、醍醐味なのかもしれないです。自分ではなかなかできませんが、よい訳をするには総合力に尽きますが、その中でも特に国語力が最も重要だと思います。二冊とも薦められていたわけではありませんが、二冊とも読んでよかったと思います。
遅まきながらヘッセのことをもっと知りたいと思い始め、ヘッセについて書かれた書物はないものかと少し探しています。
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コメント
godmotherさん、おはようございます
私もシッダールタを通して、この本が書かれた40代前半の男性としての生き様と理想の生き方を描いだのと想います。同じ40代前半の男性として、その苦しさが伝わります。私も「生は苦だ」と受け止めるべきなのだと、それが出発点なのだと自分に言い聞かせています。
http://www.h5.dion.ne.jp/~diyberg/contentssakuhin.html
本の作者に自分をあまり重ねすぎてはいけませんが、ヘッセがたどりついた結婚の形にちょっとちょっとなものを感じています。
「
(ヘッセと3度目の妻、ニノン・アウスレンダー)彼らの共同生活は、窓越しに見える部屋に別々に住み、意志の疎通は、ドアのメモという、つかず離れずの生活だったという。54歳で結婚、友人の建ててくれた新居の間取りも居住区は別々だった。二ノンとの共同生活はヘッセが亡くなるまで35年以上続いた。
」
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2009/09/post-2858.html
投稿: ひでき | 2010-02-07 09:18