豚肉と夏野菜の和風マリネ:平井信義さんの本との出合い
三日前の雨の影響で、市内の数箇所で国道が寸断されたところに土砂が溜る被害が出たそうだ。連日市役所からの市内放送で、撤去作業へのボランティアを募っています。かつて諏訪湖だった一部を埋め立てた場所は、地盤沈下が激しく、その上に増水となると被害も甚大になります。長梅雨で雨が多かった上、台風の影響か、この雨には本当に悩まされます。
今日は、豚肉をあっさり食べたいと思ったので和風のタレでマリネにしてみました。使用した豚肉は肩ロースのしゃぶしゃぶ用にスライスした肉ですが、たまたま買い置きしていたからで、少しごわごわになりますがもも肉でもよいです(レシピ☛)。
薄い肉を使うと味が染み込みやすいので下味をつける必要はありません。また、下味付けに酒や醤油などを使うと、揚げる時に酷く油がはねるので扱いも大変になります。ですからしゃぶしゃぶ用くらいの厚さの肉がお勧めです。また、掲げる事で適当に余分な油も抜けるので、揚げ油と差し引きしても残る油は少ないと思います。肉はかなり縮みますので、そこに和風のタレが染み込んで大変あっさりとします。
一緒に素揚げしたのは莢インゲンですが、今ならモロッコインゲンやしし唐、ピーマンなども美味しいです。夏野菜の美味しい食べ方になります。
材料
- 豚肩ロース(しゃぶしゃぶ用)・・150g
- 莢インゲン・・適宜
- 玉葱(中)・・半分
- 片栗粉・・大さじ2
和風マリネ液
- 酢・・45cc
- 砂糖・・15g
- 醤油・・大さじ1
- 酒・・大さじ1
作り方
- バットにマリネ液を作る。
- 玉葱を薄くスライスして1に漬け込む。
- 揚げ油を170度に余熱し始める。
- 豚肉を広げて片栗粉を軽くまぶし、余分な粉は刷毛で払っておく。
- 油が170度に達したら莢インゲンを素揚げし、油を切って2のマリネ液に浸け込む。
- 片栗粉が馴染んだ4の豚肉を数枚ずつ揚げ、音が静かになってカラッとしたら引き上げ、油を切って5のマリネ液に浸ける。
- 豚肉に味が馴染んだら莢インゲンを盛り付け、玉葱を肉に絡めて一緒に盛り付ける♪
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平井信義さんといえば、育児書を沢山書いている児童心理学の先生でもあり、小児科のお医者さんでもあります。相当昔の事ですが、この先生の書かれている本はかなり読みました。私の育児期は、義母が半身不随で寝たきり、義父は付き添ってはいたものの後半は持病の高血圧が元で心筋梗塞などを患い、療養のため入院していました。私は、長女を生まれた翌日に亡くし、現在の子ども達を育てるのが精一杯でした。そのような時に、この先生の本を読むと穏やかに優しく子どもをそのままよく観ようという気持ちになれたのと、子どもに振り回されてヘトヘトになった気持ちを穏やかに落ち着かせてくれる本でした。子育てのhow-to本ではないところに魅力もあります。
突然何の話?と奇異に感じますよね。実は、先日友人のお兄さんの「お爺ちゃんぶり」についてのこぼれ話を聞いて、即座に「孫育て保爺」を読んでみては?と薦めたのですが、よく考えてみるとここでもう少し書いて残すのもよいと思ったのです。
今年の一月にも父子関係の話でこの本に少し触れました(参照)。最近は知りませんが、昔から子育ての本というのは沢山あります。いまさらですが今だから言えることは、親が子どもとの関わりを語っているような内容は、結局成長する段階を垣間見ることに匹敵しますから、見える人には見える先人の教えのようなことがその語りの中にごろごろ転がっています。もうじきと言うか既にでしょうか、私達世代は爺婆の世代になりますから、この大昔に読んだ本が、立場を変えて役立つとは当時は思いませんでした。
友人がお兄様の事で気に掛かるのは、孫を甘やかす無責任さや、息子さん夫婦に対する執拗なまでの世話焼きは、息子さんたちが親として育たないと言うのです。至れり尽くせりの世話を焼いて、同居という暮らし方の形態が気になるというのです。それと、団塊世代ということも切り離せないそうです。このような話は何処にでも転がっていますし、同居が難しくなるというよな話はよくあります。また、摩擦が起こる原因に嫁の自己主張があります。勿論それだけではありませんが、ポスト団塊世代の私達は少し民主的な考えも入っていますので、嫁姑の関係では自己主張もかなりしました。お姑さんにははっきりと養育方針を話して、断るべきはきっぱりとした態度をとるという考え方を持つ人が、できるできないは兎に角半数以上いたと思います。
ところが彼女曰く、今のお嫁さんは違うそうです。お爺ちゃんやお婆ちゃんにどんどん手を出してもらって、できれば自分は楽をしたいというのが本音のようです。摩擦が起きないのはだからでしょうか、最近あまり嫁姑問題がクローズアップされませんね。これって表面は平和ですけど、親としての自覚を問う問題なのでは?それとも、単に忙しい世代の現象として見たら良いのでしょうか。もしかして、もう「親」を問うなどということはこれにて終了で、時代錯誤もいいところだということでしょうか。
苦労するのを美徳とは言いませんが、楽をして「親」はやり過ごせません。また、苦労して育てるから愛情も深くなります。子どもとかかわる事で絆は深まります(参照☛)。子どもはいろいろな問題を持ってきますから、その事を通して、子どもが解決して行かれるように育てる親の役目というものがあります。究極は、社会的な責任を果たせる大人に育てる事です。つまり、借金ができる合格印がもらえるか、その借金を完済できるかです。
いろいろと話は尽きませんが、「孫育て保爺 若いままへ」が今のこの時代にメスを入れるような本だとは思いませんが、少なくとも、自分の立場を意識をしないで孫と戯れるよりは、読んで戯れた方が数倍楽しくなるのは間違いありません。
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