Inspired by「中島さくら」:100人が食べて100人が頷く美味しい豆腐への野望
茅野市の湖東という町で営まれている「中島豆腐店」さんの豆腐が格別に美味しい。このお豆腐を口にできる事自体が希少な事です。今のところ私が知るのは、茅野市の「たてしな自由農園」で売っているだけです。店頭に出ると直ぐに売切れてしまうほどの数しか出さないという理由もあるのでしょうけど、このお豆腐を待っている人も多く、ここで買えるのは本当にラッキーなのです。地方紙の「信濃毎日新聞」をとっていて、ここで四月に紹介されたようですが、チェック漏れのようで私は気づきませんでした。
時々私がここで騒ぐのですが、美味しいお豆腐を探すのは諦めたと言いながら、実はどこへ行ってもその土地で美味しいと親しまれている豆腐店を聞きつけては、一度は買ってきます。今までで一番遠いのは三重県伊賀市の丸柱にある「福八代(フクヤ)」さんの木綿豆腐です。次が下諏訪町の和田峠付近の店。今回の中島豆腐店の三店です。中島さんの豆腐なら運がよければ毎日でも入手できるのでありがたいことです。
最近ムラムラと湧き上がる野望なのですが、うちの近所に「萬屋」と屋号で豆腐店がありました。そこのお豆腐も美味しかったのです。なんと言ってもこの地区は霧が峰高原からの豊富な美味しい水に恵まれていますので、豆腐だけでなく酒蔵や味噌蔵が恩恵を被っていて、多数点在しています。この萬屋さんは、ご主人が亡くなってから10年ほどになりますか、あれ以来お店を閉めてしまいました。古い佇まいのままで、ガラス戸越しに中を窺うと、かつての豆腐を作っていた機械には白い布が被せられていてそのままのようです。実は、私は、持ち前の根性で美味しい豆腐作りに励もうかと野望を抱いています。ここを借りるか、買い取るかしてそれが実現できないものかと考えています。お金は何とかなる。早朝の作業は任せなさい、何年間も早起き生活です。腕はこれから修行して磨きます。あとできない要因はないのじゃないかしら。と思うと直ぐにでも始められそうな軽い気持ちになります。
こんなことずっと前から思っていますが、始めるきっかけに結びつかなかった理由もその都度あって、こういう事は人生でも「縁」ということとの「偶然」でしょうか。ああ、前に具体化しなかった理由は、「脊柱間狭窄症」で足に少し痺れがあって、体力に自信がない時でした。うーむ。考えてしまいます。ま、一人じゃ無理ですね。その前にパンを本格的に作って売って欲しいと言われていることも整理していませんし。今これが一番気になっていることでしょうか。少し整理して自分の気持ちもさっぱりしたいです。
そのもっと前の段階で、お尻に根っこを生やすのはここか?の方が急がれた課題です。ああ、それが一番のネックです。その腹が決まらないのでいつもこんな感じに中途半端になるのでした。
さて、今日は「中島さくら」という名前のついたうっすらピンク色の豆腐をそのまま頂いて、半分は、塩漬け豆腐にしてサラダで頂きました(レシピ☛)。豆腐の香りと食感、甘味がなんとも言えず美味です。この豆腐の塩漬けがサラダの味付けとしてトマトとのコラボですから、豆腐の味の違いが顕著に現れます。白い器に入れて色の違いが分かりやすくしました。このピンク色は、「赤大豆」を原料にしているからで、栄養的にも優れているにもかかわらず、400gで¥250ですから、特にべらぼうなお値段でもないです。これでは都会から来たお客さんが大喜びするわけです。
私の昭和の感覚だと、美味しいものは自然のもので高価ではなく、贅沢品が高価なのです。ですから、このお値段の感覚は昭和な感じで、内心は安心です。高度成長期の日本の時は、それなりの製品が生み出されていたわけで、安くて美味しいとは言いがたい製品が殆んどですから、そういうものに舌が慣れ、価格設定の価値の据え方はそのまま今に引き継がれているので、まずくて高価でも他に付加価値がついていると人は買うというお商売です。
そう言えば、昨日民主党から公約が出ましたね。消費税に関して何も触れていませんが、概ね独身者と中学生以上の子どものいる家庭にとっては大きな増税となるようです。ということは、私のような世代と団塊世代以下の世代の二世がそれを担うというと言っても極論ではないです。なんだかげんなりなマニフェストですが、私の世代では生み出すものは何もないなどと言ってはいられない、何かしなくてはならないようです。ちょっと強迫観念に迫られているような気がします。
これからの方々へ、人生で、本物と言われるようなホンマものは体験しておくとよいです。そういうものの味わいというのは、今の時代のどんなに精巧な設備を以っても容易にはできないことが多く、人の手間が入って、匙加減されたものから生み出される物が多いです。だから希少で貴重です。自然の恵みに人が手間を掛けて作っただけのものに付加価値はつけない、という謙虚な姿から本当のものというのは見つかるものです。
百年に一度といわれる恐慌です。ここで、「働く」ということの本質に戻るいいチャンスのような気がしていています。その思いが私の中にある野望を擽るのか、本物の豆腐を食べてもらいたいとう野心のようなものが湧き上がってくるのです。
美味しい豆腐というのは、100人が食べて100人が美味しいと頷くような豆腐のことで、昔の作り方に忠実になればそういう豆腐はできるものです。大量に作ろうとか、柔らかい食感を求めるなどの人の好みを満足させるものではないのです。現役を退いた、高齢で豆腐屋をしていたようなお年寄りに、戦前の豆腐はどうやって作っていたかを教えてもらいたいものです。戦後、わずかに残っていた昔の技術で作った豆腐を食べて育った私が、きっと英気ある働く世代の最後の生き残りでしょう。
ま、今のところは妄想ですが。
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