大皿冷やし中華:胡麻味噌ベースのつけ麺で:「大人毛ない話の続き」読んだよ
夏の野菜を少しでも美味しく食べたいと思うと、どうして味付けに砂糖が入ると良いと思うのか。深く考えたところでこの手のことは味の感覚的なことをいうので科学的なことで裏付けが知りたいわけでもないのすが、隠し味程度という使い方は、間違いなく入れる前と後では味の深みが全く違うのを感じます。でも、そういうのとはちょっと違って、砂糖甘さの味付けのことです。
実は、冷やし中華というのは私はあまり好きではなくて、麺類は温かいものというか、そういう味わい方が美味しいと思っているので、あまり積極的に作ることはなかったのです。外食でいただく夏限定メニューの時に何度か食べた冷やし中華は、醤油味の甘酸っぱさが印象にあって、濃厚な感じのタレでした。それでちょっと思ったのですが、冷やし中華のタレはどこも同じような感じで、それが魅力なの?みたいな。いろいろ考えていましたが、家族に食べさせる料理を作る、家の台所奉行としては、自分の拘りは外した方が家族が幸せと思うようになってきたのも事実です。娘がこれから将来結婚して、どういう家庭を築くのかなど想像もしたことがなかったですが、でも、そういうことを範疇においた時に、反面教師とはこういうことをいうのかと知っていてもいいのかもしれません(曖昧な書き方ですが、あまりはっきり書きたくないので)。
今日は私の冷やし中華へのチャレンジレシピです。
一人分に注ぎ分けるよりもお家ご飯ならではの食べ方として、大皿に盛り付けてタレにつけながら食べるというのは、満足感も得られるのと、孤食化へのわずかながらの抵抗とでも言いますか、他に配慮しながら食べるのも一つだと思います。
タレは信州味噌をベースに酢と味醂、胡麻油を加えて中華風な感じにしました。茹で方は麺の袋の通りで(2分)、やや長めに茹でて冷水で締めます。そうそう、私が市販の生麺で買うときは、冷やし中華用の麺としてではなく、細めの縮れ麺でタレのついていないタイプです。最近こういうのをよく見かけますが、三食分おいくらみたいなセット物です。タレ付きではないということから単純な疑問で、どこのお宅も手製のタレ使用なのかと思っていましたら、冷やし中華用のタレというのが売っているそうですね。全然知りませんでした。だったら、好きなブランドのタレを買ってくれば、製麺会社は余計な世話をやく必要もないという訳ですね。
大勢で食べるならこんなサービング方法もありますよ的な冷やし中華ですが、実は、昨日一泊した友人夫婦との夕食にどうかと考えていて、新生姜の炊き込みご飯に変更したため、ボツッたメニューなのです。大勢でいろいろな料理を食べる時や、ちょっとしたバーベキューの時などにはかえって一人分ずつ作らない方が食べやすいという発想から、こうやって大皿で食卓に出すのがよいと思ったのでした。
手順としては、熱を使って作る具を最初に作って、冷ます間にタレや野菜の刻みを済ませ、最後に麺を茹でて氷水で締めて麺が冷たいうちに具を乗せ頂きます。錦糸卵は大きな中華鍋だと2個分くらい一度に錦糸卵ができますが(レシピ☛)、フライパンだと普通に2回くらいに分けると作りやすいです。
材料(3~4人分)
- 生中華麺(縮れ細麺)・・4玉
- 大葉・・15g(20枚)
- きゅうり・・1本
- 薬味用葱・適宜
- お魚ソーセージ・・2本
- 錦糸卵・・卵2個分
- トマト・・中1個
- 茄子・・1個
タレ
- 味噌・・50g
- 味醂・・大さじ3
- 酢・・大さじ2
- 炒り胡麻・・大さじ3
- 鰹出汁・・200cc
- 胡麻油・・小さじ1
作り方
- 中火にかけた中華鍋に油を引き、溶き卵を流し入れて鍋を回して卵を均一に伸ばし、卵の表面が乾燥気味になってきたら裏返して直ぐに引き上げて冷ます。
- 引き続き同じ鍋に油を引き、5mmにスライスした茄子を並べて両面を香ばしく焼いて冷ます。
- 漁肉ソーセージを縦長に四等分して長さを三等分し、黒胡椒を振ってオリーブオイル(分量外)をコーティングし、レンジで温めてから冷ます(うまい食べ方参照☛)。
- 擂鉢で胡麻をすり、味噌を加えて味醂で伸ばしてから他の材料を混ぜ合わせ、冷蔵庫で冷やす。
- 中華鍋にたっぷりのお湯を沸かし始める。
- きゅうりは長さを四等分してスライスし、横に重ねて並べて千切りにする。
- 大葉はせんぎりにする。
- 薬味葱は、細かい小口切りにする。
- トマトは縦に二つ割にし、横にして5mmのスライスにする。
- 麺をほぐす。
- お湯が沸いたら、ほぐした麺を茹でる。
- 流し桶などにたっぷり水を溜め、茹でた麺を笊に取って水気を切ってから溜めた水に放って軽くしごいてぬめりを取る。
- 水を払って新たな水に氷と一緒に麺を冷たく締め、笊に上げる。
- 水気を切った麺を大皿に広げ、用意した具を彩り良く乗せる。
- 銘々にタレを注ぎ分け、つけ麺でいただく♪
***
昨日の「「大人毛ない話」の類なんですが」の続きになるのだけど、「
処女厨、あーそれはないな(大人毛ない話の続き)」の下りで補足的に書かれていてちょっとホッとした。で、何にホッとしているのかよく分かっていない。
昭和な男性を感じる部分なのだけど。よくよく考えてみると、それは女性に対する尊重の意ではなく、自尊なのかそれはそれでいいじゃないのと思う。 godmotherの料理レシピ日記続きを読む☛
と言い放ったが、昭和な時代をその育ちの男性から感じるということに、女性に対して「人としての敬意を払う」という観点がきちんと枠組みに含まれていないと、合点が行かないわけで、「続き」の部分でかなり具体的に書かれていることで筋が入ったという印象を受けた。以下がそのごく一部。
中間層的な部分は上の志向を持っていたから、私みたいなのは律儀な性の道徳性があった。が、その道徳性のというのは女性の人格の尊重であって、だから、処女性というのは二義的だった。
今の男子にないのは、こういう律儀な男らしさだとうっすら思っていた。男性がどのような方向へがっつこうと、それは、昭和に育った女なら分かることで、言葉にしないだけ。それが男でしょというのも範疇のことだが、女性に対する礼儀というか自分を律する筋というか、男たらんとする精神性をきちんと備えてさえいれば、他の事は些細な事だと言い切ることができる。類稀とは言わずとも「男の律儀」の入った昭和育ちの男性は既に少ないのではないかな、と、周囲を見るにそう感じる。
「続き」にあがっている柴田翔、富島健夫、五木寛之、高野悦子らの著書は、私も高校時代に全部読み尽くしていて、今思うと
まあ、面白いよ。さらにというなら、五木寛之の青春の門とか、長いけど、ほぼ漫画。今の70歳くらいの爺さんたちの青春と性の時代はあんなもの。それから60歳くらいの青春はそれの劣化版。
というのもホント、そんな感じ。当時は何故このような著書が、一括りの読み物になったのだろう。偶然にもこれらを一連の物として読んでいた人が多かったように記憶している。だから、世代の考え方には充分触れてきていて、当時興味本位で読みあさっていた本は、今となっては世代の代表者の声として、時代を知る道標にもなっていると言える。人間臭さがぎっしりだったわけだ。
書籍の話になったが、良書というのはあるにせよ、選んで読んでもその取捨された中に無駄というものもなく、時間の許す限りいろいろな本を読むと良いと思う。ただ、世代性や時代性を意識して、アンド歴史的背景の理解があるとさらによいと思う。
思いがけず、昭和の男を弁ちゃんを通して復習することになったけど、「大人毛ない話」と「大人毛ない話の続き」くらいの迫力で、昭和の男というのを続けて欲しいな。それに、もっと書いてくれてもよいと思う。今の若い人の価値観で、大いなる反発や共感、誤解を「読み応え」として得られる読み物であるのは間違いないことで、それが、その価値だと思う。後で誰かが辿り着いた時に初めて真価として活きるのではないかと思う。
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