2009-06-28

切れのいい中華風ドレッシングと春雨とおかひじきのサラダ:「大人毛ない話」の類なんですが

 お暑うございます。すっかり夏日の諏訪です。夏に暑い暑いと言ってばかりいると、私の祖母は「夏は暑いに決まっとったいねー。言んしゃんな。よけい暑かごとなる」と言われたあの声とトーンがそのまま脳裏から剥がれ落ちて来るようです。

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 今日は、春雨を中心に細いものばかりを組み合わせた中華風サラダです。特にそれ自体にインパクトのある味はありません。喉越しの良さというよりも食感の違いを楽しめるような組み合わせです。特におかひじきは、鮮やかな緑色で栄養価もほうれん草並かそれ以上のビタミンやカルシウムなどのミネラルが多いそうです(参照☛)。そう聞いてじゃー食べようかと思っても、馬ほど食べられるわけもないので、こういう食材は、できるだけ小まめに料理に取り入れるようにすると良いと思います。シャキシャキした食感は他に例えようのない独特なもので、下茹でして灰汁を取りますが、茹で過ぎると食感が活きませんので、要注意です。
 春雨は、中国産の緑豆春雨を使用します。緑豆以外の澱粉などを繋ぎに使った龍口春雨と違ってコシが強く、煮崩れし難いので、熱湯を注いで蓋をして10分程蒸らすだけで直ぐに料理に使えます。
P6270002  錦糸卵は、水溶き片栗粉を少量加えると生地がしっかりしますが、溶き卵だけでも充分です。卵一個で均一な厚みの錦糸卵を作るには、なんと言っても中華鍋で、卵の大きさを選びません。油を引いた鍋に溶き卵を流し入れ、直ぐに大きくぐるんぐるん鍋肌を舐めるように玉を回すだけです。上手になると、卵を回し終わると同時くらいに薄焼き卵ができています。火を止めてめくれてきた端の部分を剥がして、そのまま裏返して予熱で焼き付けます。
P6260002  木耳(きくらげ)も水で戻してさっと熱湯をかけまわします。
 このサラダの場合、松の実の食感と甘味が唯一他と違う素材です。焦がさないように香ばしくローストしてから混ぜ合わせます。この松の実があるのとないでは、このサラダも一味違ってくるのは言うまでもありません。市内の秘所にある五葉松の松ぼっくりから拾ってきた手製の松の実で、市内の肉屋さんのご主人から頂いたものです(参照☛)。
P6260003  ドレッシングは、先日「心太」のタレ用に作ったレシピに似ていますが(レシピ☛)、少し甘味を強くして深みのある味にしたかったので割り下を大さじ1多くしました。トータルな材料は、醤油、味醂、砂糖、出汁、酢ですが、割り下を使うと味醂と砂糖を分量で割り出す手間が省けるのという点と、昆布醤油を使用すると普通の生醤油と違ってとてもまろやかでカドのない醤油になります。鰹出汁との調和で昆布の出汁もここでプラスされるという利点があります。昆布を浸して冷蔵庫に置くだけです。余談ですが、これから素麺を食べる季節でもあります。醤油2、酢1の割合で、昆布を入れて昆布酢醤油を作っておくと濃いポン酢ができるので、出汁で薄めるだけで素麺の麺つゆとして重宝します。

材料

  • 春雨・・50g
  • おかひじき・・50g
  • 木耳・・10g
  • 錦糸卵・・卵1個分
  • 松の実・・大さじ2

ドレッシング

  • ドレッシング・・その2(手製の作り置き調味料の応用)
  • 鰹出汁・・3:大さじ3(45cc)
  • 割り下・・2:大さじ2(30cc)☛レシピ
  • 昆布醤油・・1:大さじ1(15cc)☛レシピ  ※(6:2:1の割合)
  • 酢・・大さじ4
  • 練り辛子・・小さじ1
  • 胡麻油・・小さじ1

作り方

  1. たっぷりの水できくらげをもどす。
  2. お湯を沸かしてボールで春雨に回し掛け、すっかり隠れるほど注いだら蓋をして10分蒸らす。
  3. 鍋にお湯を沸かし、おかひじきを2分ほど塩茹でして水にとって冷まし、笊に上げる。お湯は残す。
  4. 3の熱湯で1のきくらげを湯通しする。
  5. 卵を溶いて熱した中華鍋に流し入れ、鍋を回して均一な厚みにする。
  6. 表面が乾燥し始めたら火を止め、卵を裏返して予熱で仕上げ焼きしたら取り出して冷ます。
  7. 6を細長く4等分して千切りにする。
  8. 2の春雨を笊に取って水気を切り、キッチン鋏などで切って適当な長さに短くする。
  9. おかひじきは3cmの長さに切り揃える。
  10. 4の木耳も千切りにする。
  11. ドレッシングを作る。
  12. 材料を全てボールで混ぜ合わせ、ドレッシングを加えて味見をしながら好みの味付けにする♪(出来上がったドレッシングの約2/3。)

***
 「大人毛ない話」って、文字変換の間違え?それともいつものお茶目?と、思っていつもになく長いエッセーなので興味津々覗くに、50歳を過ぎた男性の生き様のことなのか。ネット上でのお仲間意識というのを抜きに感情移入なしで、同世代の男性が書いているエッセーに対して、率直な感想を書いてみたくなった。
 同居する少年のような自分と現実に老いを迎えている自分とをうまく分けて、それこそ客観的に見つめてその真情を淡々と書いているのはそうなのだと思う。女性に対する怖さ、怯えのようなことというのは、吉行のそれとはちょっと違って、むしろ吉行のそれと比べるとしたら自分を委ねることもなく、ここで表現されている「人生の季節」ごとに自分を基準に選択して生きてきた「幸せ者の誇り」すら感じる。でおそらくそう思っていると思うし、それが「自惚れみたい」と言わせる贅沢なところ。というか、昭和な男性を感じる部分なのだけど。よくよく考えてみると、それは女性に対する尊重の意ではなく、自尊なのかそれはそれでいいじゃないのと思う。
 男性のそれとはちょっと違うとは思うけど、宿泊した友人とさっきまで話していた事で、同級生に、ここ数年で離婚する人が増えたという話。私の知る限り、離婚してやり直すと決めた女の同級生は、急に外見がけばけばし始める。女の私から見ると「貴方オイクツ?」と歳と頭を疑うような、まるで若い子のするような恰好になって「若作り」を始める人もいる。やり直したいとはそういうことかと。それは私とは違うなぁと思う。50過ぎてこれから青春が始まる、いや、始めたいと思えるような、そのような肉体はどこにあるのかと不思議な感覚の違いを感じる。成就されることのない何かが取り残されて、それがそのままあるとしたら、それこそを今後も変わりなく永遠にそのまま抱えて生きると、それなら分かるし、それは生まれ変わるということでもない。
 私は昔から女女していないさばさばしたタイプで、男というと友達感覚だったかな。妙な照れというか、のめり込めなかった。安売りして自分の価値を下げないことが良いことのような価値観が観念的にあったのかもしれない。一種のバリヤーでしょう。だから、それに背くと自分に返ってくるものは、自己否定でしかなかったし、逃げ場がなくなることを良く承知していたのだと思う。その程度の器でしかなかったと言うべきか。
 昔の大人の女性で、優しさをひけらかさないというのを教える人がいて、女を晒すと結局見世物にでもしてしまったと悔しさを覚えるくらい男が群がるという、男の目を晦ます女というのはいるものです。「魔性」ということなのか。自分が男にモテルと分かっている女の気遣いの方向は、普通の女のやることじゃないことくらい分かるというか。でも、男には嗅ぎ分け難いのもそうだと思うし。
 抉り出してしてきた自分を書く時に、昭和くさい同士だとどうしても同じような感慨に陥る。男のそれとは違うけど、少なからず自分の若い頃に払拭できなかったことが若い頃のその感覚のままどこかに置いてあって、歳とともにこれは「閉じ込められた」という表現になってゆくのだろうか。いや、女の場合は、もうそんなことどうでもよくなるのじゃないかと思っていたこの頃だった。どうも、同級生の離婚を見ていると、一概にこの世代の女はこういうものだと一括りにしては言い切れないのか。言われているように、「奇妙に交錯」しているということなのだろうか。それも時間の問題なのか。

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