貝紐と人参の間引き菜のかき揚げ&お浸し:揚げ物の要領:元気な子達が引っ越してきたよ
今日は、人参の間引き菜で貝紐のかき揚げとお浸しです。人参が毎日どんどん大きくなるので、成長に相応しい間隔を取るように間引くのですが、大きくなってくると隙間がびっしりと埋まってしまいます。追いかけるようにしてせっせと食べていますので、できれば東京の娘と息子に食べさせてあげたいです。ただ、送ってもかき揚げをする余裕がきっと無いことでしょう。田舎の野菜を料理して食べる時は、とても幸せそうな顔をして食べるのですが、それが見れなくて残念です。成長して人参になったら送ることにします。
かき揚げは、佃煮(レシピ☛)の時に残しておいた貝紐100gを適当に短く切って、3cmほどに切り揃えた人参の間引き菜と一緒にボールで混ぜ合わせます。できるだけ衣が薄く全体に行き渡って具を繋ぎとめられるように、最初に具材に小麦粉を軽くまぶします。そこに天ぷらの衣と同じ濃さの衣をつなぎ液として混ぜ合わせます。このつなぎの衣を必要最小限にするのがコツで、全体がまとまればよいのです。揚げる量は、菜箸で一度に挟める程度の量を掲げます。多過ぎると中心部分の水分が抜けきれずに、油から引き上げてから蒸れて、サクサクした食感が損なわれます。
毎度のことで油の話はもう充分かなと思いますが、念のため触れておきます。かき揚げの場合、170度~180度が適温だと思いますが、目安として衣を一しずく油に落としてみます。深く沈んでゆっくり浮くのは160度くらいで、浅く沈んで直ぐに浮きながら水分との反発が軽くある程度が170度です。180度は、沈まずに一拍置いて直ぐにぱっと広がります。もう一つの方法は、最初から衣を垂らしておいて、加熱と共に浮き上がりながら水との反発による静かな音を立て始めた頃が適温です。あぁ、もう一つ、菜箸の先端を油に入れてみて、先端から直ぐに静かに気泡が出てくるくらいです。かき揚げの場合は、油の温度が高すぎると、具を入れた途端に散らばってしまうのでやや低めの設定で揚げます。逆に低すぎると全部沈んで、油の中で散らばってしまいます。丁度良い感じというのは、具を入れたとたんに水分は反発すれど散らばらずに、少し広がりながら全体が気泡で覆われて、具が隠れて揚がっている状態です。IHなどで温度管理できる場合でも、実際揚げてみると誤差があるものです。調理器は正確に温度を感知していることと思いますが、具の方の状態がいつも一定とは言えませんので、揚げ物上手になるには、その都度適温を判断できることだと思います。
貝紐は掲げると香ばしくなり、それなりの存在感として味わいのあるかき揚げになりました。魚屋さんのおっちゃんが「シンタマ(新玉葱)と一緒はくったりになるから勧めないけど、一緒にかき揚げにすると美味しいよ」と勧めないと言いながら、三回も繰り返してしっかり勧めていたのを思い出したのですが、今回はやめておきました。が、玉葱や三つ葉、水菜などで応用するとよいと思います。
レシピは先日のを参考にどうぞ。材料と分量だけ書いておきます。
◇ かき揚げの☛レシピ
◇ お浸しの下地の☛黄金比
※ 野菜がひたひたに浸かる分量に換算する。
材料
- 人参の間引き菜・・70g
- 貝紐・・100g
- 小麦粉・・大さじ2
衣
- 溶き卵・・大さじ2
- 冷たい水・・大さじ2
- 小麦粉・・大さじ2
*** 【オオキンケイギク】
最近近くに引っ越してきたお宅には子どもさんが四人いて、夕方になると兄弟が揃って外の通路で遊び出します。毎日恒例となっているのですが、一番下
の男の子が、直ぐ上のおねぇちゃんに何やらどやしつけられて大泣きをします。この様子が両者とも豪快で大変よろしいのです。傍におねぇちゃんがいる間は、
物凄い泣き声でアピールするのですが、無視されてしまうと段々声が小さくなって、終いには泣き止むのです。泣きながら自分で解決してゆくのでしょうね。と
てもほのぼのとした感じです。子どもの声をあまり聞かなくなったこの頃でしたので、この子達の声が聞こえてくると、聞き耳を立てるようになりました。
私は、四つ下の弟と二人兄弟ですが、だからか、親の目というのが行き届いたのでしょうね、弟がつまらないことで泣くと直ぐに私のせいにされて、いつも私が悪者になるのです。いや当然大きい私が悪いと判断されていたのだと思います。理由も聞かれずに、弁明のチャンスも与えられずに私が叱責された記憶が沢山残っています。いつの間にか私達兄弟は中が悪い兄弟だといわれるようになったのも不満でした。その私は、親に良く思われようとするどころか、自分は悪くないと思ったら親に大しての怒りと不満から口を聞かなくなってだんまりになるのです。そう、これが「しらけ」です。このような親子のことはいつの世代でもあることだと思います。その程度の事ですが、でも、大人の観念的な判断で片方が常に悪いとされたら、それまで無かった感情までもが生成されてしまうものです。弟のことを嫌っているわけではないのに、なぜか得意げな顔をされるとげんなりしたものです。段々心の居場所が無くなって気持ちが不安定になったのも覚えています。今だから言えますが、あれは完全に親のせいです。親の観方が兄弟仲を悪くしたのです。
喧嘩両成敗とは良く言ったものでしたが、それもどうかな?大人が介入できることは限られていると思います。喧嘩のし方を親が教えてくれるのなら了解できます。「喧嘩は一対一でするもの」「片方が降参したらお仕舞いにする」などです。冒頭の兄弟のように、弟が泣き始めたらおねぇちゃんはお仕舞いにしています。片方が泣いたら喧嘩は終わりにするものです。そして、泣かした方は、「しまった。泣いちゃった」とか思って謝るものです。普通は。勢い余って暴言を吐いた結果泣いてしまった。それだけのことです。ここで一々行司が軍配を挙げる必要なんて無いのです。子どもの世界に大人が首を突っ込まないで、でも人として侵害してはいけない、尊重すべきことは教えるということが大切だと思います。
おもての四人の子ども達とそこに集まる何人かのガキンチョ達は、大人の目が行き届いていないのがとてもよろしいと思って見ています。ここで存分に揉まれていることがとてもいいです。時々母屋のお爺ちゃんに追いかけられて泣いているのを見ますが、それもとてもいいことです。
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