2009-02-03

赤鰈(アカガレイ)の煮つけ:スロークッカーで二段重ね編:今の自分のままで生きるということ

 一昨日、凹んだという話を思いのままに書き連ねましたが、あれから私の思いつくあらゆる角度から自問自答しても、結局、自分の存在自体に否定的にならざるを得ないのです。そういう分かりきったような結論を目の前にぶら下げて、どこかに否定しない答えはないのかと、たとえ自分がどんな人間であろうと救われたいともがき苦しむしかないと思い続けていました。突き詰めていくと、自分の現実の存在自体が罪悪という構図になっていくのです。
 このような事を抱えていても日常を普通にやり過ごすことは、もはや鉄の女(保守的)を演じて行くような生き方を選択するしかないなどと思いながら、混沌とした時空の中にいました。
 そして昨日、「ティリヒ的なキリスト教」というエントリーに触れて、先日泣けたのと同種のものを感じ、肩から力が抜けました。こんな私でもいいのかも?と、初めて自分に対して半信半疑な気持ちを抱き、本当にそうなのかと問い直したい気持ちとでもいう様な。まるで「そうです。」と言われたいような。何も変わらなくてもこのままでもよいのかという、たったそれだけなのですけどね。
 なんとなく気持ちが前向きになったのか、いろいろ調べ始め、結局たどり着いたのが「クリスマスが象徴する神の愚かさ」by 極東ブログのエントリーでした。こういうことを取り上げて書く人は、この方しか他にいないように思います。ヘタな書籍を何冊も読みあさるよりも、ブログのエントリーの部分的な抜粋から、自分が探している事を少しずつ掘り起こしていくのが最初の取り掛かりで、そのうちに、もっと大きく掴みたいという衝動に駆られてしまうのです。私レベルではそれが入りやすいと感じています。そして、ここにも「永遠の今」から、このように抜粋されています。

どんなに学者として大成している人といえども、自分の現実存在そのものを問う思いを一度も抱いたことがないならば、人間として大人とはいえません。正当にも、自分の学問的業績においては、どんなことでも疑うのに、学者としての自分の存在、人間として自分の存在を疑うこともなくそのまま受け入れているような人間は、まだ大人ではありません。「永遠の今」パウル・ティリッヒ(Wikipedia)

そのように目覚めさせられたからこそ、これまではいつも身をそむけてきたあの鏡のなかに、自分自身を見ることができたのであります。もはや、自分自身から身を隠すこともできず、その自己否定の深みから、問いを発せざるをえませんでした。あのキリスト教の語りかけがその答えとなるような問いを発したのです。その答えとは、この自己否定の絶望を克服することができる、受容の力なのであります。この意味において、より深い罪は、私どもが自分自身に気づくかしめられる神の道なのであります。finalventの日記の抜粋より

そして、ここにはまり込んだら逃げ道は無いと、何か本能的にこれを知る人は、自分を映し出さないように鏡の前には立たないでいる人が存在するのだと言っています。
誰もが通ることのできる苦しみではなく、私は今正に、いいきっかけを得ているのだと確信しました。このような苦しみから逃げたり、楽になる答えなど探す必要はなかったのです。少なくとも今は。

 人間にはそれ自身で全であるような部分もありませんが、悪そのものという部分もないのです。このことを忘れてしまったキリスト教の教えは、何でありましても、本来のキリスト教的な洞察を欠くことになりました。この点では、全キリスト教会が重罪を犯した責めを負わなければなりません。まったく罪責などあるはずのないところで、その罪をめぐる絶望のなかにおいこむようなことをして、人間存在を破壊しているのです。

これは、信仰心など全く無い私ですし神の存在は無いと思う私が、何か宗教めいた胡散臭いこととして読まなかったり、触れなかったりした分野のことです。が、「キリスト教の教え」とあるように、「教え」を否定しているのであって、初めて、そう言われているキリスト教とは何?と、興味を持つ言葉でした。
 自分を追い込んでいたのは確かに私自信なのですが、もう少しで自分を破滅か破壊状態にしてしまうところでした。いえ、それでもよかったのかもしれません。ただ、それでは今の自分を受け入れるということからは遠のく結果になるだけでしょう。人生でこのステージに遭遇したということは、本当の大人に近づく意味なのだということと、間違えではないということがはっきり思えました。

cover
破綻した神キリスト
バート・D. アーマン

 これらのエントリーや引用に多謝です。
 ここで、一度けじめの様なものを付けておきたくて、くどくど書きました。
そして、以前に紹介して頂いて読んだ「破綻した神キリスト」バート・D・アーマン を思い出して、またページを開いてぽつぽつと再読し始めました。専門的で難しいのですが、以前間違えて買ったときに通読した書籍です。やっぱり、全くわかっていませんでした。そして、今回引用されていた「永遠の今」を読んでみたいと思いました。
 とても長い日々からスッと抜けた感じがしたのは夕方でした。こんな思いを背負っているのに、夕食の事を思って午前中から献立を考え、午後にはスロークッカーに仕込むという、まるで鉄のような意思の硬さを以って日常が普通に過ぎるのですよね。無責任でいられた若い頃は、サーッと車で何処かに出かけたりしたものでした。が、今日の母は、この段取りをしておいてよかったですよ。夕方に気分がこんなに軽くなるとは思いもしませんでしたし、このような時に限って、やっておいて良かったと自分を褒めるようなことも多いです。やれやれです。

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 今夜は、赤鰈(アカガレイ)の煮付けをスロークッカーで挑戦です。赤鰈は、春先を名残に今が旬の魚です。卵を抱えているのに身の質が落ちない(痩せない)と言われています。脂が乗っているため、煮付けにしても骨離れがよく、とても柔らかい肉厚の身が美味しいです。それだけに煮崩れし易い魚です。切り身で4枚買ったのですが、身が厚くて大きい為鍋の底に二切れ、クッキングペーパーを挟んで上部に二切れを一度に煮付けることにしました。煮汁が魚にひたひた状態になっていないと味が付かないので、煮汁は今までになく多めです。一番心配したのは、下の段の切り身が圧縮されて、身崩れしないかということでした。が、火加減や調理時間、手順に細心の注意を払って煮付けていたのが嘘のように、いとも簡単に出来上がりました。あぁ、昔ながらの煮付けの方法を忘れてしまいそうです。それが一番の気がかりでしたけど、出来上がりを裏切られないので、軍配はスロークッカーですが。

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 スイッチを入れてから出来上がるまで一切中をいじる事がないので、出来上がりの完成度は然りですが、それにしても感激の出来栄えです。
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材料

  • 赤鰈・・切り身4枚
  • 生姜・・1片
  • 長葱の青い部分・・20cm
  • 醤油・・カップ1/2
  • たまり醤油・・大さじ1/2
  • 酒・・カップ1/2
  • 砂糖・・大さじ2P2020005
  • 水・・カップ2
  • 15cm四方のクッキングペパー1枚
  • 灰汁取りシート1枚 

作り方

  1. カレイを水で軽く洗い、水気をキッチンペパーでふき取ったら表の皮目に縦に5cmほど隠し包丁を浅く入れる。(皮が縮んで煮崩れしないようにするため)
  2. バットの上に切り身を並べ、分量の醤油から大さじ1の醤油を回し掛けて全体に下味を付けて、鍋底に2枚、クッキングペーパーを敷いてその上に2枚の切り身を角度を90度向きを変えて並べる。
  3. 混ぜ合わせた調味料を注ぎ入れ、スライスした生姜、ぶつ切りにした葱を加えたら、灰汁取りシートをかぶせて「弱」「4時間」にセットしてスイッチON。
  4. できた!

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