真鱈と肉詰め蓮根のバルサミコソテー:inspired by村上春樹、エルサレム賞受賞スピーチ
昨日の続きのようになりますが、昨日の「finalventの日記」に、戦前から戦後の政治家についての記述の最後に
理想を語り、正義を語る者たちが歴史でやってきたことは虐殺だけだった。だったら、ネオコンも含めて、理想だの正義だのに警戒感を持つべきだろうと思うけどね。
とあって、かつての安保闘争や学生運動を思い出していました。幸せを願う者同士が自論を展開して、その正当性を訴えているうちに争いが始まるという構図です。冷静にこんな風に歴史を見てい行く観方は好きです。特に私は歴史や政治・経済を暗記的に、学校の授業だからという理由で学習したようなものですから、このように歴史上に起こったことにテーマを絞って検証した上で、グローバルな観点も含めて書いてもらえると、現在の在り方を見極めるのに風通しが良くなります。
それで思ったのは、今の日本の政治家は、理想や正義を今の方法を以っても語っていませんね。国会での答弁も、自らの言葉かな?と、直感的ですが疑心暗鬼なものを残しますし、昔の政治家のような情熱というものもありません。それが良いとか悪いというよりも、今の国民は、昔を学習してきていますから、政治にそれほどの期待がないというのも然りでしょう。解散しろというけれど、解散したところで、マニフェストも明確でない政党に仮に政権が移ったとしても期待できませんし、そもそも昨日ここで話した通り、時代的な背景もあって、思い切った政策は起こらないと断言できるし、です。この人に預けようという政治家がいないのですね、日本には。
いつまでもウダウダ言っても始まらないと言いながら、ウダウダ言っていますね、私。
昨日は一つ爽やかで気分のいい、誇らしげに嬉しくなった事があります。村上春樹さんがエルサレム賞の授賞式に出席して、スピーチしたことです。少しですが、昔、英語の翻訳をやっていましたので、英文がそのまま頭に入ってきて、日本語に訳すという回路でもなく、最初はサラッと読んでしまったのです。後で「試訳」として公開された訳文(極東ブログ)と原文を照らしながら再読してみて、村上さんのスピーチに痛く感動を覚えました。せっかくの訳文の語彙を間違えて、いいムードを台無しにしてしまうようで、恐れ多くてそこではコメントできませんでしたが、感動ものです。男性の感性と村上さんの理解者だからなのか、訳文が生き生きとしています。また、小説家の姿勢というのは、あまり自身が語ることが無いので、何かの賞を受賞した時のスピーチ等から、そのファンなら特別の感慨を得られると思います。最近のノーベル賞の受賞もそうでしたが、日頃の研究に対する姿勢や日常などが、受賞のスピーチに現れますね。
そして、村上さん流の言い方で、卵としての自分を人間の生きる原点のように例えて語られているのが、とても謙虚なところから世界平和を願っているという事と、小説を通してそれを世界に語りかけてきた、という人生観や生き方に触れて感動しました。前段で政治家を腐した上、追い討ちを掛けるような下品で申し訳ないのですが、二世のお坊ちゃま政治家との比ではありません。
finalventさんのところで触れている、徳田球一さんの部分で、記念碑には肖像のレリーフとともに「為人民無期待献身(人民のために期待することなく献身する)」と彫刻されているそうですが、この「献身」という姿に人は感動し、協力的になって一緒にそれをやろうと、心一つになるのだと思います。リーダーシップというのは、そういうことをさすのだと思います。そういう意味では、戦後日本に徳田さんに並ぶような人格者が、政治家にいないのが現実でしょう。日本人の精神性というのは、情愛のようなものを含めて、かつては「国民性」としていたのではなかったかと思います。
村上春樹さんのスピーチから・・・訳文からとあえて言いますが、懐かしい日本人の心のようなものが感じられ、私の心にもなんだか、その懐かしいものが蘇ったように嬉しくなりました。
夕方近くにこの訳文に触れて、気持ちが洗われた様な爽快な気分だったせいか、「飢えがないだけでも喜ぶべき」だとつくづく思い、自分のおごりを少し反省して買い物に行くのをやめました。もっとよく冷蔵庫を見直して、あるもので何か作ろうと思ったのでした。自分にできることで何かをするとしたら、このような些細なことでしか参加できませんが、大げさですが、遠くから世界平和を願っています。人の幸せを願うという豊かな気持ちになる人が、一粒万倍に拡がることが世界平和だと思います。
残っているというよりも、少し残してある食材は、お弁当用としてそうしています。そのおかずというのは、あまり手を掛けない簡単なものにするという偏見があって、夕食の献立では浮かびにくいのだと改めて感じました。苦肉の策とも言うべきか、作ったのは蓮根の挽肉詰めと鱈の切り身をソテーして、バルサミコ酢で仕上げ焼きをしたもの。それに、茹でた野菜にトマト、もやしとエノキダケの炒め物を付け合せにしました。
食事がとても豊かな感じがして、ありがたかったです。レシピというほどでもないのですが、ソテーというのは、軽く小麦粉を刷毛ではたいて焼くだけですから、簡単に短時間にできるのですが、焼く材料に合わせてソースが問題です。ここに料理の設計段階で浮かぶものがどれだけバックにあるかというのが、味付けのセンスにつながるのだと思います。
鱈は人数分の枚数、蓮根の肉詰めは、翌日のお弁当用に廻す分も含めているので、実際は一人1cmの厚みにスライスしてソテーします。挽肉にはつなぎに片栗粉使い、カレー粉を少し加えて、淡白な鱈のソテーに対して変化をつけました。もやしとエノキダケのソテーの味付けは、セント・クゼール製の「イタリアン七味」です。にんにくとその他のハーブ数種のミックスで、塩も含んでいますので、これ一本で程よい味付けができます(画像からNetShopへ)。
- 真鱈の切り身・・人数分
- 蓮根・・1cm
- 豚挽肉・・60g
- カレー粉・・小さじ1/2
- 片栗粉・・小さじ1/2
- 塩・胡椒・・少々
- 付け合せ野菜・・ブロッコリー・カリフラワー
- もやし・・1/2袋
- エノキダケ・・1/2袋
- イタリアン七味・・小さじ1/2
- 小麦粉・・小さじ1
- バルサミコ酢・・大さじ3
- オリーブオイル・・大さじ2
作り方
- ブロッコリーとカリフラワーは塩茹でして冷ましておく。
- もやしの芽と根を千切り、エノキダケはほぐして半分に切る。
- 蓮根の皮を剥いて1~2分水にさらし、穴の水気が乾くように、キッチンペーパーの上で立てておく(注:乾燥がポイント)。
- ボールで挽肉をよく練って肌理を滑らかにしたら、カレー粉、片栗粉、塩・胡椒を加えて混ぜ合わせ、乾かした蓮根を何度も押し付けて穴に肉を詰め込む。
- 反対側の穴から肉が押し出されてくるまでしっかり詰め込んだら、一人分を1cmとしてスライスする。
- 鱈の両面に軽く塩を振って10分ほど置いて、塩が解けて水気が出てきたらキッチンペーパーで吸い取る。
- 刷毛で5の蓮根と6の鱈に小麦粉をはたいて軽くまぶす。
- フライパンにオリーブオイルを大さじ1引いて、もやしとエノキダケを強火で炒めイタリアン七味で味付けして皿に盛る。
- フライパンの汚れを払って、残りのオリーブオイルで鱈と蓮根を中火でソテーする。
- 弱火にしてチューシーラインを確認しながら両面が香ばしく焼けたら、バルサミコ酢を鍋肌から注して手早く両面に味付けする。
- 付け合せのトマトと茹でた1を一緒の盛り付けて出来上がり♪
追記:「村上春樹」さんのところを「上村」と誤まって公開しましたことをお詫びし、訂正いたします。ご指摘ありがとうございました。(12:11)
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コメント
こんにちは。いつもお料理楽しく感心しながら拝見しています。写真がとてもきれいですね。何品かは自分でも作ってみました。
さて、・・・このコメント、公開していただかなくて結構ですので1つ注文させてください。
「上村春樹」ではなくて「村上春樹」ですので、ご面倒でも修正してUPなさったほうがよろしいと思います。失礼を申してすみません。あるいはすでに修正更新途中でいらしたら重ねて申し訳ありません。字面をみるだけも激しい違和感があるので、ついお知らせしたくなりました。
投稿: maruhi | 2009-02-19 11:45
maruhiさん、こんにちは。
ご指摘ありがとうございます。早速訂正しました。
自分の脳内では「村上」と読んでタイピングしているのに、指が上村となっていたようです。全く疑いも無くです。やれやれですね。村上さんに怒られますね。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: ゴッドマー | 2009-02-19 12:28
なんだか検索してたらたどり着きました。
やまもとと申します。
写真が素敵で、料理が本当に美味しそうです。
また、遊びに来ます。
それでは。
投稿: やまもと | 2009-02-19 23:20
やまもとさん、おはようございます。
立ち寄って頂けて嬉しいです。リンク先にお邪魔させて頂きましたが、お料理を作るのも、食べるのも、書くのも満喫なさって楽しそうですね。
いつでも忌憚なくコメントどうぞ!私、おっちょこちょいで、いろいろ失態があるので、何かありましたら、教えてくださいませ。こちらこそどうぞよろしく。
投稿: ゴッドマー | 2009-02-20 04:25