高野豆腐のシンプルな煮浸し:日本の教育の「根本」とは
息子の同級生が、英語圏ではないヨーロッパの国に一年間の交換留学生として、昨年の秋から行っています。ご両親と私は、割とさばさば何でも話せる間柄で、特に母上は、東京からこちらに嫁いできた方なので、私と同じ境遇です。こちらのパパちゃんと、昨日ばったり会って、私を見つけるや否や矢継ぎ早に飛び出す話が、その今外国にいる息子さんのことでした。あちらでは、週末は酒びたりの生活になっているとか、脳がアルコールでおかしくなっているんじゃないかとか、楽しいのは週末だけで、週休5日制の暮らしだとか、修学旅行がイギリス、フランス、イタリアだから旅費を出して欲しいなど・・。他にまだありましたっけね。ってくらい、やれやれとほほな話だという愚痴を聞いてきました。
彼は、小学中学とかなり成績がよかったし、大学へ進学する気持ちも旺盛だとは思いますし、そこそこの大学へ入学するに足る成績だと思います。でも、この一年が何の為になるのか、交換留学の趣旨に親子で賛同しての参加だとは思いますが、その家庭によって、活かし方は様々だと思います。当初行かせたくないとはっきり言っていたのはパパちゃんだったはずなのですが。どうしたものか。
我が家の子ども達は、高校から家を離れていますし、私も昔渡英の経験もありますから、そういう親として話も早いのですが、こればかりは親の養育方針そのものなのではないかと思うので、返答に少し困りました。というか、これが養育方針の問題だと思う私と同じ価値観の上で話しているものとはとても思えなかったので、意識的にサラッと聞こうとしたのです。パパちゃんにしてみたら、単に愚痴りたかっただけなのかもしれません。つい真面目に聞いてしまうので、何かの相談事のように思ってしまうわけですが。
ところが、帰宅してこの *英語学習についていうとたぶん☛こちらのエントリーとリンク先の内田樹大学教授の入試「改革」のご提言について(☛こちら)のエントリーに触れて、他人事には出来ないような、危機とした思いがこみ上げてきました。良くまとまらない気持ちのままなのですが、このざわめきの元は何か。うーむ。「その根本のところに日本の教育はもう一度立ち戻らなければならない。」と最後を結ばれています。さて、この主語は誰?というシンプルな疑問が残るのが、ざわざわした気持ちの元のようです。誰がその「根本」に立ち戻るのかと問われた(誰も問うてはいませんが)私に出来る事は、親としての立場でそれを考え、「根本」に立ち戻るという解釈です。内田先生は、ご自身のキャリヤーから大学ではもはや出来ないと(そこまで極端ではない表現にしろ)言われています。理由は、
厳密に言えば、今の日本の子供たちは学習意欲や動機づけが「不足している」のではない。話は逆である。「学習しない意欲」「学習しないことへの動機付け」が「過剰」なのである。彼らが専門知識も基礎教養も身につけないのは、そう「したいけれど、できない」からではなく「そうしたくない」からそうなっているのである。
からだと。子ども達を見ている私もそう思えていて、何とかしたいと思うので気持ちが騒ぐのです。finalventさんは(大学で英語を教えていらした)、
「習得達成された状態を具体的に実感するため」
として、具体例に触れていらっしゃる。日常の会話なら、どんなに乱れた文法でも、単語を並べるだけでもネイティブスピーカーは察して理解してくれるので、コミュニケーションツールとしての英語は、実生活では机上の学習はさほど必要としないと思います。むしろ無い方が英語会話習得には有利かもしれません。
大学というところで語学を学ぶというのは、学問としてや教育者としてなどの専門性をもった方向が必ずやないと、学習する意味がないわけで、それは自分の意思の元で選択されているべきです。ただ、その学び方も机上の英語として叩き込んだ指導者なりが、その習得を持って学生に教えるという循環は、英語に関しては改革が必要なのかもしれません。使えない英語と言われている由縁ですし。
なんだか良くまとまらないままですが。件の息子さんは、一年間海外の風に当たって、果たして今の日本に帰ってくるのかさえも怪しくなってきます。知性の高い子は、貪欲なまでに自分の事を考えていたりするからです。本当に自分はどうしたいのかを考える上でも、ニュートラルになる良いチャンスとして、この一年を謳歌してくれたら良いと願います。お酒を飲むことなどは、行った先の国では18歳からですから別によろしいのではないかと思ってしまいますが、問題は、親としての立場で「根本」に立ち戻って子どもの育て方を見直すということだと思います。
さて、その根本とは。これを多くの人とやらないと意味がないと言われそうですが、まずは自分からできることを実行する事が、その大きな原動力だと思います。さしあたって、私は息子の話を聞いて、潜んでいる問題を見つけなくてはなりません。それからですね。
良い問題提起をしてくださってありがたいです。しかも大学の教授のお二人からですし。このようなエントリーに自論をぶつけるような思考よりも、如何に生かすかが急がれていると思います。せっかくのエントリーを無駄にしたくないと思いました。
今日は、高野豆腐の短時間煮浸しです。
高野豆腐というのは、凍み(しみ)豆腐とも呼ばれて、文字通り豆腐を凍らせては乾燥させるということを繰り返して作り上げる、寒天と同様にこの土地の気候を活かした産物です。昔ながらの製法で、藁の間に挟んで吊るすのは、全て人の手によって作られているのだと、テレビで紹介しているのを見たことがあります。昔から、寒いこの地方の女性の仕事だったようです。
いつも私が買うのは、藁に挟んで乾燥させたままの状態で袋に入ったものですが、工場で大量生産されたものもあって、倍位の厚みがあり、袋にバラで入っていてお値段は三分の一程度です。数百円の違いですが、フワフワしたスポンジのような感じでコシがなく、お豆腐の味も残っていません。この違いを思うと、手作りの対価として良心的なお値段だと思います。
料理の勘所としては、高野豆腐は上手に戻す事がまず一番で、吸っている汁は絞らないのが鉄則です。この汁が乾燥した豆腐の持つ独特の甘味ですから、この戻し汁を全部使い切ることを思ったら、できるだけ必要最低限の熱湯で戻します。こうして戻し汁を濃厚な状態にして、好きな味を含ませるのが高野豆腐の醍醐味です。
今日の味付けは、鰹のだし汁に塩と胡椒だけです。といっても、長葱の甘味と風味に豚肉というお供があってこそですが、調味としては、塩だけというのは一風変わっていると思います。シンプルな作り方にシンプルな味付けですが、非常に美味しいです。高野豆腐をしっかり戻すのがポイントで、誰にでも失敗なく出来ると思います。
豚肉は、もものブロックで自作した塩豚のスライスを使用しています(☛レシピ)。塩をまぶしたブロック肉を低温のオーブンで焼くだけのシンプルな作り方です。無い場合は、脂の多いばら肉のスライスかベーコンでも美味しいと思います。
材料
- 高野豆腐・・5枚
- 塩豚・・80g
- 長葱・・1本
- 鰹出汁・・カップ1.5
- 塩・・小さじ1/2
- 粗引き胡椒・・適宜
作り方
- 高野豆腐はボールで、ひたひたに浸かるくらいの適量の熱湯を注ぎ、蓋をして冷めるまで蒸らして戻す。(室温で2~3時間)
- 豚肉は2mmのスライスに切って、一口大に切り揃える。
- 葱は斜めに7~8mm幅で切り揃える。
- 鍋で鰹出汁を取って別鍋に分量の出汁を移し、塩と胡椒を加えて4等分した1の高野豆腐を中火で5~6分煮る。
- 4に味が染みこんで、柔らかくなっていることを確かめてから2と3の豚肉と葱を加え、2~3分煮て塩で味を整えて出来上がり♪
※塩豚やベーコンの場合、最初に加える塩を少し控えめにして最後に味を整えると塩辛くなりません。
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コメント
これ、美味しそう。幸いにも材料は揃ってる。塩豚も。
あと少し残ってる。次は、自分で作るつもりだよ。
ご馳走様。
投稿: setu | 2009-01-21 15:32
setuさん、コメントありがとう。ここでははじめまして。
えと、その塩豚とやらがあるうちに、是非この高野豆腐の煮浸しをお試しあれ。で、気に入ったらついでに塩豚もどうか自作してくださいませ。
初コメントに敬意を表します( ̄ー ̄)ニヤリ。
投稿: ゴッドマー | 2009-01-21 17:53