小さな白菜(緑の葉だけ)と豚肉の塩炒め:繋がらなかったのは「運命」だったのかな
この間少し書いた、自分の思う人生について(☛参照)の続きのようなことです。書いたからと言って、答えが見つかるとかスッキリした、などのようなものが得られたわけでもなんでもなく、自分自身の心を書いているつもりです。後で読み返してみて、何かが繋がらないもどかしさがあって、その欠落部分を埋めたい、そこをもっと考え、突き詰めないではいられないというような気持ちがこみ上げてきました。
あるがままを受け止めて、「その時」を糧に、「次の時」を生きるのが人生なのではないかと思うのです。今も、その繰り返しの途上であるわけで、世界が絶望した訳ではないし。「事実」は受けとめる以外に選択肢はないと思うのです。
と、いうことにどうして自分が思い至ったのか、それが何なのか分からないままで、繋がらないでいた部分です。
自分が思う「人生」をこんな風に思わせているのは何なのかです。自分が自分に説明できなかったのですが、昨日、他所様のブログで、「運命」ということについて書かれている部分に触れて、これだと思ったのです。自分の人生は自分で切り開けるものだと言う事が、実は間違った認識だったような。ずっとそう信じて生きてきたこと自体は否定されるものではないにしろ、運命だったのではないか。例えば地球を包んでいる大気のように、定めとしてそこにそうして当たり前にはあるけれど、人の力では生み出せない、それは奇跡のようでもある、自然としての存在に包まれている事すら気付かずに生きているということのように。自分の努力や力、奇跡といったことは、運命に定められた範疇の出来事にすぎないのかもしれない、とそう思えたのです。昔、私の祖母が、「なるようにしかならんたい(九州弁)」と言って、思い通りにならないことに対する私の憤慨を、窘める(たしなめる)ことが良くありました。そういうことなのだなと、なんとなくすーっと入ってきたのです。だからと言って、物事に諦めをつけるために、このような思い方をするという意味ではなく。
ここを上手く説明できないのですが、なんだか、これは自分の内面のことなので。
インスパイヤーされた記事の引用もしない上、トラックバックも送らず、リンクも貼りませんが、最近思うのですね、相手に知らせる気持ちの持ち方として、ネット上に限らずリアルの自分も、それを満足させたらお終いを意味すると思うのです。怖いというか。何の為に自分を見つめるのか、そのもどかしさや未熟さゆえに答えを出せないまま、このまま歩くのが人生だとも思えるのです。未熟なままの自分が、答えを求めているようでいて、答えは出せないと、はっきりどこかで思っているような、なににもつかまらずに、ふらふらしながら立っているような。
山本七平の本も何冊か買って、ゆっくり読んでいるのですが、小林秀雄の本もまた少し読みたいと思っています。
寒さが少し緩んだここ数日ですが、畑に行くと、それでもやっぱり冷たい風が残り少なくなった葉物を更にこわばらせて、硬く丈夫にしているのでしょうか、何度か凍っては解けるということを繰り返した白菜だと直ぐにわかります。水に放った途端、パリッと音を立てて葉に亀裂が走って、表面がめくれます。今まで凍っていたのかもしれません。これは、この白菜が甘いという意味なのですよ。
大きくざく切りにして、豚肉と一緒に炒めただけですが、成長した白菜と全く違う食感と甘さが新鮮です。このような白菜を食べるのは初めてですが、私が知らなかっただけで、白菜の認識も随分変わりました。こんな時期に畑に青物を植えているのは我が家だけです。近所のおば様達は些か呆れ顔ですが、ここはブレずに、永田さんの書いている通りにやっていきます。
材料
- 小さい白菜・・2株
- 豚肩ローススライス・・150g
- 生姜みじん切り・・大さじ1
- 塩・・小さじ1/2
- 胡椒・・適宜
- 醤油・・大さじ1
- 片栗粉・・大さじ1
- 酒・・大さじ1
- オリーブオイル・・小さじ1
作り方
- 一口大に切った豚肉をボールで、酒と片栗粉をまぶして5分ほど下味をつける。
- 白菜は根元に十文字に切り目を入れて良く水洗いし、5cm幅にざく切りする。
- オリーブオイルを鍋に広げて、肉を並べたら火をつけて、弱火で両面を焼いて一度取り出す。
- 続けて白菜をしんなりするまで炒め、肉を戻しいれて炒め合せたら、塩・胡椒で調味する。
- 白菜から水が出て、肉と絡んだら出来上がり♪
| 固定リンク
コメント
「バガボンド」の23~29巻に似たようなことが書かれてますよ。マンガではあるんだけど、たぶん井上はいちばん武士道を理解してるような気がする。
生きるというのはみょーに先を見すぎて現在に安心しきってしまうことでもなく、また現在に絶望してあきらめてしまうことでもない(「死ぬとも生きるとも思っていない」)。そういう状態で連続する現在を生きていくことが生きるってことなんだけどそれは野放図なものでもなく天とつながってるんです。
それは運命が天によって決められてるともいえるんだけど、その規範があるがゆえに自由なんですね。
(この辺も変な宗教とか関わってると思われそうでびみょーなんですけど、実感としては理解いただけるような)
てか、自分とこで書いたほうがいいような話題でしたね。失礼
p.s. そいや牡蠣ですが今日クール便で送ると思います。モノはもう買ってあるのであとは梱包だけ。殻つき牡蠣出るまで粘ってたんだけどでなかった。。
投稿: m_um_u | 2008-12-27 09:38
むーたん、こんにちは。
私の言葉の足りないところ、補ってもらってどうも。
イノタケさんは、SLUMDUNKで、そこここのちびさん達に火をつけて、バスケットキチに至らしめたバスケット精神の入った漫画家ですね。「バガボンド」は昭和版の宮本武蔵ってくらいしか知りませんでした。「運命」とか文字を並べるだけで、変な宗教となりガチで、素面では書きにくいです。本当に何かの宗教に傾倒していたらもっとさらりとかけたのかも。言いたいことは、わかってもらえたようですね。(拙い文章でした。)
牡蠣っね!まっているよ。殻つきは今年は不作?この間、ラジオで確かそう聞きました。逆だったかな。いずれにせよ、ご苦労頂いたようですね。ありがたく頂きます。牡蠣の土手鍋とオリーブオイルでコンフィにして、長くもたせてじっくり味わいます。ここにもアップするからよろしくね。
投稿: ゴッドマー | 2008-12-27 11:59
クロネコいってさっき牡蠣発送してきました。明日には届くようです。ご自宅かどうかよくわからなかったので時間指定はしませんでした。
あと手紙入れ忘れたのでこちらに記しておくと広島のふだん使いの牡蠣の様子を知ってもらうのもいいかなということもあってふつーによくいってる魚屋で買いました。郵便局のふるさとパックもあったけどなんかお得じゃなかったし。 なので値札そのままでみっともないですけどご了承くださいw
では牡蠣料理を楽しみに
投稿: m_um_u | 2008-12-27 13:48
あ、書き忘れたけど(牡蠣なだけに)殻付き牡蠣はそれなりに出回っててお世話になってるんですけど先週から今週にかけてみなくなりました。お歳暮シーズンだからかな? よくわかりません
投稿: m_um_u | 2008-12-27 13:50
むーたん、ありがとう。
いろいろと奔走させてしまったかな?牡蠣如きで・・・ごめん。むーたんも、本来の自分を晒さないで、ポーカーフェイスしてるって、最近分かってきたよ。照れ屋だし、するのが一番女を近づけていない理由じゃない。これ、分かる女の子、今時いるか心配。
あ、関係ないね。さーせん
んじゃ、明日を楽しみにしています。
投稿: ゴッドマー | 2008-12-27 16:56
ということで個人的内容で引用させていただきましたので、TBさせていただきました。
もしないようにそぐわない場合はボツってください。
むーたんさんが読まれた内容、私も『バカボンド』で読みました。なんか言葉にしてジャストビートなものにはできないけど、あれを読んだときはそうかもねと思い、また迷い、その繰り返しのような気もします。
でも、武蔵は戦いの場に出かけていくんですよ、きっと。
師走師走と患者さんにしつこく話しているとなんだか自分も師走気分になれてきました。(´ρ`)ぽか~ん
投稿: ulala | 2008-12-28 19:31
ulalaさん、おはよう。
「全ては、生まれる前から決まっていたこと」などとはとても思いにくいことですが、きっとそうなのだと。事柄に流されて来ただけだと、運命などという表現すらどうよ、という話になるのですが、感性的に閃いたり、湧き上がる感情などの感性は、そのまま信用するに値するように思うのですよ。その説明ができるような学問をしていませんので、もどかしいのですが、漫画も真面目に取り組まれている作家さんも沢山いますね。
少女フレンドとかマーガレットなどの少女漫画では遭遇したことはありませんが、ビッグコミックの特集とか、少年ジャンプ、キングなどには、勉強になる内容が沢山あったように記憶しています。
病気に本来、休みは無いわけで、仕事として年末とか新年とか意識するのは、特に必要ないですよね?(職業的に分かりませんが)
投稿: ゴッドマー | 2008-12-29 06:46