野菜スープ:鶏の手羽中の茹で汁利用:どんな大人に育てるか 少し光がさすお話し
「我が子をどんな大人に育てたいか」という漠然とした大きな問題について、少し思うことがあります。私は親ですから、親としての関わりについてだけ書いておこうかと思います。差別的な意味合いは毛頭ありませんが、特に、日本でニートと呼ばれる、仕事に就かずに親の生計のもとで養ってもらって生活している若者が多い昨今、私の世代ではそのような現象も少なく、不思議といえば不思議な社会現象でもあります。それに加えて、親の自死などが絡んできて、もう何に焦点を当てたら問題が解決するのかわからないまま、数年が過ぎてしまっている。私の考え方は、オーソドックスな考え方なのかと思いますが、親の視点でこのことを思ってみます。 ニートを生み出した親の責任だけを問うとしたら、それは、親のために子どもを育てた結果ではないかと極論します。我が子を別人格として切り離せない状態で「親子カプセル」のまま子どもが成人してしまったわけです。この時代のことや、親子関係については、以前(☛参照)紹介した「母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き」信田さよ子さんが、赤裸々に書いてます。親は、子どもの為を思ってと言いながら、自分の体裁の為だったり、そういう親でしたら、問題意識が生まれないのも当然なわけです。これには時間がかかるというか、現実の親世代ではどうにもならないのではないかと思います。行政がニート対策の為のいろいろな環境を用意していますが、そこに向かおうとする意思が生まれないのです。そのような意思を働かせる必要のない生育環境で育った為、その辺の感覚が養われていないのです。理屈で理解するのと違うのはそこです。「仕事をしなくては、食べていかれない」と理屈上理解した上での言葉は発しますが、そうなるような行動を取れないのです。この問題は、深く重いです。単純に考えると、問題解決というのは、その原因を突き止めて、それを無くす事ですが、原因となった昔に戻って、子育てのやり直しはできません。
今、二つのことが頭にあるのですが、一つは、我が子の育て方、もう一つはその子どもの進路です。今、ニートと呼ばれる世代が仮に30代から40代後半としますと、この世代の親の寿命と養育可能年齢を考えると、15年から20年とします。その頃に経済を成り立たせ、社会を担っているのは、私達の世代の子どもです。その頃には、当然働き盛りを迎えているわけです。と、すると、その時代を支えるに足る生活力が必要になります。一言に生活力といっても、その範囲は広いですが。今の例えで言いますと、社会保険制度の見直しの中で、現役からかなりの負担を強いて、かつての制度で支えようとしているのです。この政策が、自分たちが選出した政治家によるもので、それが最善と信じるのなら文句を言わずに協力して、皆で国を支えていくのが本当です。誰だって、自分に余計な負担が掛かるのは嫌ですが、文句こそ言えども、そこで立ち上がる人がいません。ずるずる足を引っ張って、潰しにかかる人の多いこと。メディアや、社説の内容も皆そのようなレベルになっています。ですから、少なくとも私の子ども世代は、そうであってならないと思うのです。
かつて、ニートに対して公人による差別発言として吊るし上げになった数々の言葉がありますが、あれらの言葉を真摯に受け止めてみるのもいいと思います。生きがいを見出せない親は、生きがいとは何かをもっと問う生き方をして、その姿を子どもに見せるのが親のやることではないかと思うのです。今の時代を支えている力量以上のものを備えて迎える時代が、もう、直ぐそこに見えてるのです。そこを支えていく大人に育てるのが、今の親のやることです。あえて「責任」という言葉は使いませんが。
今から何が始められるのか考えてみると、既に手遅れかと思われる要素も多分にありますが、出来ることを模索して子育てしたいと思います。目前の事として、未熟な子どもに進路を決めさせるのは無理な事ですが、少なくとも子どもが親の姿を見て、自分がどんな大人になりたいか画けるような叩き台になるつもりになることです。いい親をブルことはないです。子どもには、できるだけ場数を踏ませて、子どもが自分に「任される」ということを体感できるような経験をさせる。親は失敗をチャンスにする位の懐を持つ。などなど・・・沢山ありますね。
昔の私達世代は、決起集会のようなことを催すような個人力があって、その方向は、学生運動という馬鹿騒ぎの方向へ行ってしまったのですが、今は、ひっそりとブログで呟く程度が関の山ですね。でも、書いていて、ハートが熱くなる感じはあります。お先真っ暗な社会に光が差すとすれば、それは、今自分で種火を起こすことから始めることなのかと。そんな初歩から始めることなのかと思えたのです。こんなに時代が進んで何でもあるのに、人間の伸びる力を伸ばせない社会に何が足りないのか、と思う時は、ふっと立ち止まって足元を見てみるということです。
さて、まとめようのないことを思っているうちに夕方になってしまって、夕食の準備に慌ててしまいました。前日の手羽中の茹で汁(☛レシピへ)を残しておきましたので、これで簡単にスープをアレンジしました。
レシピに書くほどの手順でもないのですが、加える野菜はそれこそ何でもいいと思います。味付けは塩、胡椒、ローリエだけです。この手の料理は私の得意とするところで、過去にも沢山あります。鶏肉でハムを作った時のレシピなど、ついでといっては何ですが、参考にどうぞ☛レシピへ
材料
- 鶏の茹で汁と水・・800cc
- 玉葱・・1個
- 缶詰のスイートコーン・・100g
- 長葱・・適宜
- 卵・・1個
- 水溶き片栗粉・・片栗粉大さじ2と同量の水
- 塩・・小さじ2~3
- 胡椒・・適宜
- ローリエ・・1枚
作り方
- スープに水をたして800ccにしたらローリエ入れて中火にかける。
- スープが温まるまでに、玉葱は細めのくし切り、長葱は細い斜め切りにして、卵は割りほぐしておく。
- スープが煮立ったら玉葱とスイートコーンを加え、塩・胡椒を加える。
- 玉葱が透き通ったら片栗粉でとろみを付ける。※ 片栗粉を加える時は、スープを回して動いている状態で加え、お玉などで絶えず混ぜるとダマにならない。
- 2分間煮込んで溶き卵を箸を伝わらせながら円を画くように流し入れて出来上がり♪
※片栗粉を加えてから最低2分煮ると、片栗粉の分子が水を充分含んで、滑らかなとろみがつきます。(マメ知識)
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