2008-09-22

グリルパンで野菜を丸ごと味わう:「書く」ということの答え

 何を書くか、何のために書くかということは、永遠のテーマでしょうか。このことは、ずっと頭にあって、固定した答えも持たないままずっと書き続けています。
 先日の澤地久枝(作家)と細谷亮太医師のビッグ対談(☛参照)で触れていた、「書くこと」に対する姿勢の話で興味深かったのは、澤地は、「遺す為に書く」と言い切っているのに対して、細谷は、「書きながら考えをまとめる」というように話していたことです。つい年齢から考察してしまうのですが、澤地は昭和5年生まれ(1930年)で、細谷は昭和23年生まれ(1948年)ですから、一回りと半分の年齢差です。書くという姿勢が人生のどのあたりで生きているかということによっても違うのだろうか。
 「遺す為に書く」という言葉はなかなか重みのある言葉です。はっきりと言及できませんが、少し腹に落ちるものがあります。というか、ストレートに響くものを感じます。それは、私がここにほぼ毎日書いていることは、他愛のないことばかりですが、それは、生きている生の私の証として、書いて遺そうと思っているということです。何の為に残すかというのは、言わずもがな、それは、「遺す」という意味だけです。遺したからといって、それが如何に人に有益、叉は読ませるものかという事までは考えていません。これが生涯のお仕事でもないですし、ここが物書きと違うのでしょうね。なのに、「書く」という事にこだわり、それを考え続ける私なのです。
 ここに引っ越してくる時に、それまでの文章やブログスタイルに一区切りをつけて、新たなスタートを切るという気持ちになったのも大きいです。人の評価を期待するものでは全くないというのは変わりないのですが、タイピングに乗せられた文字は、正に自分自身そのもので、同時に自分自身を問うことなのですね。「考えをまとめる」という作業には違いありません。澤地は、この作業の先の見えた部分を文章に残しているのだろうか。と、すると、かなり自分自身に向き合った結果としてなのか、人生に対してそこまで悟りを開いているからなのか。私の母よりも2歳年下の澤地ですが、こう言ってはなんですが、お年のわりにパッショネートな文章だと思います。そして、話し言葉に無駄がなく端的で分かり易い話し方だとも思います。言葉に無駄がないというのも、生き方に無駄がないという事に等しいかと思います。今まであまり関心がなかった澤地でしたが、「書く」ということに関しては、私の興味、魅力とする部分があります。
 模範解答のようなものは一切ないことですが、自分が出した結論が答えであり、それに責任を持つということが大人なのです。年齢的なものではなく、大人として生きるということ。P9220002
ここに引っ越してきてから、4ヶ月目になります。NHKのビッグ対談は、「書く」「お母さん力」「」について考えるいいきっかけになったと思います。もっと考えを深めて、自分というものを見つめて行きたいです。
 さて、今日はお料理というほどのものではないのですが、野菜の栄養を丸ごと閉じ込めて美味しく頂く方法です。もうそれは、蒸すか焼くしかないと思います。焼肉というと鉄板か網焼きですが、野菜は焦がしてしまう事も多く、かといって肉のように早く焼けるというものでもなく、何度も裏返したり突いたりして様子を見るものです。これが無駄だというのではなく、これが焼肉です。我が家は、夫婦二人なので、めったに焼肉はしません。肉と野菜のローテーションが早過ぎて、直ぐに満腹です。ですから一度に焼いて、皿に盛り付けて頂くという方法です。ワンプレートディッシュにしてしまうわけです。

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 溝のあるグリルパンを直火にかけて、ウー・ウェンパンの蓋を使って蒸し焼きにします。これが上下ぴったりのサイズでラッキーでした。溝に余分な油や水分が落ちるので、全部一緒に焼いても味が混ざったり、水浸しになったりしません。このグリルパンは、電気式の土鍋にセットで付属しているものです。この土鍋は、今となっては無用の長物で、家族が増えないと出番がきません。その代わりグリルパンが重宝しています。

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 今回は変わったところでは、生の大根の蒸し焼きですかしら。両面に切り込みを亀の甲羅のように入れて焼きます。蓋をして焼くので10分くらいで焼けます。これを一番最初にグリルで焼き始め、次々に時間の掛かる順に、他の具を時間差で焼きます。最後に一度に焼き終わるとバッチリです。

※ 小さい画像は全て縮小していますので、クリックして拡大して下さい。

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コメント

「何故書くのか」ということは「何故生きるのか」ということと同じだとまるは感じました。だから、書いてください。そして伝えてください。

投稿: まるちゃん | 2008-09-22 21:51

まるちゃん、ただいま戻りました。
ありがとう。きっとグダグダこのようにああでもないこうでもないと考えながら、少しずつ自分の中で温めているのが楽しいということでもあります。

長いお付き合いで、私のよき理解者のまるちゃんですよ。頼もしいです。
(今夜は何を作って食べようかしらね。)

投稿: ゴッドマー | 2008-09-24 12:05

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