2008-08-11

豆鯵の南蛮漬け:終戦と満州引き上げと兄弟の死

 8月15日は日本の最後の戦争の終戦の日。私は、戦後の生まれで、戦争に関係する事で自分の経験として話せる部分は何一つない。夏に戦争の話をしてきたという極東ブログでは、昨年から「飽きてしまった」と言う理由で、書かなくなったそう。私は、ここの昨日のエントリーで触れていた、赤塚不二夫の彼の満州引き上げの話しを読んで、泣けた(参照)。というのも、私の母が満州から引き上げた時のあの話を思い出してしまった。
 母は末っ子の乳飲み子だった「義彦ちゃん(そう、今でも呼びます)」を引き上げの船で死なせてしまったと、それが自分のせいだと言っては、話しながら喉を詰まらせ、搾り出すよな声でゆっくり話すのだった。それは、狭い船室に義彦ちゃんを抱っこして、兄弟9人が固まって座っていたという辺りから、いつもその話が始まる。(数え間違って「8人兄弟」と極東ブログのコメント欄に書いてしまいました。すみません。)母は、上から5番目で、兄が二人、姉が二人いた。兄弟が多いので、上の兄姉が下の妹や弟の面倒をそれぞれがみていたそうだ。母は、真ん中で手ごろだったのか一番下の義彦ちゃんの面倒をみる係りだったので、殆どつきっきりだったそうだ。ただ、引き上げ船に乗る前から義彦ちゃんの様子がずっとおかしく、でも、どうする事もできず、着の身着のままで、家族がやっと船に揃って乗れたのが救いだと思うしかなかったらしい。結局日本にたどり着くまでその小さな命は生き永らえる事ができずに、母が抱っこする腕の中で亡くなったそうだ。その義彦ちゃんが生きていたら、どんなに素晴らしい青年になった事か、などと言っているのは、まるで母親がその子どもに想うような感覚に違いない。
 私のお爺さんは、満州鉄道の偉い人だったそうで、当時の母の家族の暮らしは大変裕福で、満州では日本人が住むところは、高い塀がある広い囲いを持つお屋敷町のようなところだったらしい。その囲いの中では安心して暮らせて、外敵に遣られるということも無かったそうだ。ただ、日本人学校への行き帰りは、中国人が住む一般の道を歩いたそうだが、これが結構怖い体験を含んだらしく、当時、母達は、革靴を履いていて、中国人はろくに靴も履いていなかったので、「追いはぎ」のような目に会って、靴や鞄を盗まれたりしたそうだ。一度その体験をすると、恐ろしくて町を歩くのも必死だったという。石を投げられるのは、日常茶飯事に行われていたそうだ。
 余談ですが、満州では日本人はこんな目に遭遇していたのに、台湾では全く違ったらしい。戦後、台湾を今のように良くする手掛かりを築いたのは、日本人のお陰だと感謝されている。なんとなくこの辺も生き証人の話を聞きたいものですが。
 裕福だったとは言え、そのような恐ろしい事が、閉鎖的に日常にあったというのも天秤にかけてどっちがどおよという話しにはならない。聞いた当時の私は、なんとなく、自分の小学生時代にもそのような事があった気がしていた。昔のいじめは、貧富の差から生まれた、卑屈そのものだったような気がする。「みすぼらしい服装や、おかずの少ないお弁当を食べていると、いじめが起こる。」のような感覚が確かに存在した。
 満州から引き上げる時は、希望に満ちていたに違いない母の家族に思いがけない不幸が訪れ、その体験を以って母にとっては「戦争」は自分の至らなさで、幼い兄弟を死なせてしまった、なんともやるせない事として終わったのでした。
 実は、一昨日作った豆鯵の南蛮漬けを昨日つまみながら、「南蛮」という言葉の由来を思い出していた。古くは中国あたりのことをそう呼んだそうだが、その辺を学習するには、もっとまとまった時間が必要だという事はよく分かった。今では唐辛子を使った料理に主に「南蛮」と、付いているそうだ。そう、豆鯵の南蛮漬けは小さな鯵のから揚げを唐辛子を刻んで甘酢に混ぜて、かけた料理のことだそうだ。P8100007
 満州の話から豆鯵の南蛮漬けへ飛んでしまって申し訳ないです。今は、大きな鯵と豆鯵が市場に出回っていて、どちらも美味しい旬ですね。どうでしょうか。夏ばて予防に揚げ物をさっぱりと頂くには、甘酢と鯵の香ばしさが食欲をそそりますよ。我が家の男性陣は、酸っぱいのが苦手ですが、この味付けなら美味しいと言って、朝から摘んでいます。実験済みだと思って、良かったらお試しください。
 豆鯵のえらと内臓を取り出すのは、指先でやるのが手っ取り早くて一番です。胸びれのあたりを親指と人指し指で摘んで千切り取り、えらと内臓を一緒に引き出すと、丁度三角形に取り除く事ができます。塩水の中で内臓をかき出したら一時間ほど風干しにして水分を飛ばします。これがから揚げをよりカラリと揚げるコツです。このことは「魚料理いろは」にも書いてありました。持っている方は参考にどうぞ。南蛮酢の分量は、本の分量で作ってみましたが、甘過ぎず丁度良い加減だと思います。少し塩辛い感じはしますが、夏ならこれくらいでよいのではないかと思いました。また、冷蔵庫で数日保存できますので、だんだん鯵が馴染んで美味しく頂けます。
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材料

  • 豆鯵・・500g(15尾)
  • 片栗粉・・大さじ2
  • 揚げ油

南蛮酢P8090001

  • 米酢・・160cc
  • 砂糖・・大さじ6
  • だし汁・・45cc
  • 塩・・小さじ1/4
  • 醤油・・大さじ1
  • 赤唐辛子・・2本

作り方

  1. ボールに水カップ2塩大さじ1をあらかじめ用意する。
  2. 豆鯵の胸びれを指で摘んで千切るように引っ張り内臓とえらを全部抜き取ります。
  3. ボールの塩水につけながら、内臓の取り残しと、血の塊などを取り除いたら、流水でもう一度洗い流します。
  4. 笊にキチンペーパーを敷いて鯵を並べ、そのまま1時間風干しする。
  5. 鷹の爪をぬるま湯に入れて軟らかくし、ヘタを切り取って竹串で種をかき出し、輪切りにする。
  6. 南蛮酢を作って、鷹の爪を混ぜ合わせておく。
  7. 油を170度まで加熱する。
  8. その間に豆鯵全体に刷毛を使って、片栗粉をまぶし、軽く霧吹きして片栗粉を馴染ませる。
  9. 適温になったら香ばしい色がつくまでゆっくり揚げ、最後に火を強めて2分ほど揚げて、カラッと仕上げる。
  10. 揚がったら直ぐに南蛮酢に漬け込むのがコツで、ここでじっくり鯵を染み込ませる。
  11. 直ぐにでも食べられますが、翌日はもっと鯵が馴染んで美味しくなります♪

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コメント

まるも戦争を知りません。でも、人間には想像力というものを神さんが与えてくれております。現実は想像よりもはるかに超しているものと心得て、心にとめて私達は想像力を駆使して、生きていかなければならないと思います。オリンピックに隠れて、ある国では戦争が激化しております。心から平和を願います。
豆鯵の南蛮漬け、骨ごとカプッと美味しいですね。そういや、霧吹きって見かけませんね~。ホームセンターで売ってたなぁ~。(▼∀▼)ニヤリッ買いに行くべ!BYまる

投稿: まるちゃん | 2008-08-11 19:32

 こんちゃ。来ましたよ。昔の話面白かったですよ。ただ、料理の話とはあんまし関係ないんで、無理?に混ぜなくてもいいのかな?と思いました。
 あとね。料理の写真の見栄えが非常に良いんで、弁当爺さんとか撮り方のコツみたいなもんを教わればいいのにね?と思いましたよ。そういうことで。ほなさいなら。

投稿: 野ぐそ | 2008-08-11 23:34

 まるちゃん、おはよう。

戦争の事を語りたがらない人も多いのは分かる気がします。でも聞いてしまうとこれは誰もが知っていたらいい事なのではないかと、書きたい衝動に駆られます。

霧吹きは最近いいのが出ていますよ。そこの部分に水を残さないよう工夫が上手く施されています。見つかるといいね。

投稿: ゴッドマー | 2008-08-12 10:31

野ぐそさん、おはよう。 ようこそ!ですかしらね。

ぉぉ、いきなりためになるコメントを頂きまして、ありがとう。無理に混ぜたわけではないけど、文章としては、ジャンクション部分が難しいですね。一度立ち止まって再考する必要があるので参考になります。

弁ちゃんは、写真まで凝りに凝るつもりはないのじゃないかな。とか勝手に思っていますが、やりたかったら自分で解決する人だと思いますしね。私は。そういう年代的なものはあると思います。

ほな、また。

投稿: ゴッドマー | 2008-08-12 10:38

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