2008-06-14

意思の疎通の難しさに思うこと

 Netで何処まで意思の疎通がはかれるのか。
 自分が伝えたいことが、どれほど自分が思う人に伝わっているのかなんて測れることではないのに、ど うしてもそれを知りたいという時は、本当に厄介。自分が苦しくて仕方ないのだけど、こういう自分からはどうしても逃げられないです。不可能なことに対し て、どう理屈を宛がっても無理なのだけど。で、伝わっていないのかなと思うと、サッと引いて、どうせ私の思いなんて刹那(せつな)なものだからと、仕舞い 込んでしまう。そして、ダメージなんか受けていないような振りも顔もする。自分の中では誤魔化してはいないけど、外の人からはそう悟られまいとする。「意 地悪に思わないで」などの言葉を聞くと、そういう自分を見透かされたような気が一瞬します。人に責任を転嫁するという意味ではなくて、意地悪どころか、相 手を思って言葉にする事が、必ずしも相手が喜ぶこととは限らない、相手にとってはキツイ言葉だったりする。人を思う愛情が純粋なほど、表現するとこういう 形になることがあるのです。誰のために言っている言葉なのかの解釈を間違えると、永久的に断絶します。だから、一言付け加えてくれたのだと思いました。た だね、なんて水臭いのと、一瞬感じた時、私自身がもう、そうことを諦めたこととして、言っても通じないわとしてきているなと思いました。本当はすっかり諦 めたわけではないのですね。心の中で戦わないようにしてきただけなのかもしれません。
 私は子どものころ親の愛情に飢えていたようなところが多分 にあって、第一子によくありがちな育ちだと思います。母親の、立派な大人に育てなければいけないという固い信念の元に、こう有るべき、こうすべきのような 育て方だったのですね。よいことも悪いことも、そのとき、そのときの気持ちを受け止めてもらえなかった寂しさや孤独は、心の基地を持たない不安定な自分で した。そのような自分であったにももかかわらず、その自分にしがみつくしかなかったのですね。応戦術を子どもなりに身つけてしまったわけです。今更親を批 判したいのではなくて、自分が子どもを生んで、親になってわかったことだと言いたいのです。理屈は理解できても、刷り込まれた寂しさや、その頃身に付けた 事はなかなか拭い去れないものです。
 先の話で、人にはキツイ言葉に写るという事を承知で、何を思って、あえてそのような言葉を発しているのか。 わざわざ誤解の種になり兼ねない微妙な言葉は、私のためだけです。人からこのような深い愛情を注がれていることが、今の私にとってどれほど嬉しいことか。 そういう風に受け止めています。

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